殤帝

李重茂

695-714
唐の7代皇帝(在位710)。中宗の第四皇子。母は不明。聖暦三年(700)北海郡王となり、神龍元年(705)温王に封ぜられた。景龍四年(710)六月、父中宗が崩ずると、韋皇后が実権を掌握し、同月四日に李重茂を擁立して皇帝とし、年号を唐隆と改めた。しかし同月二十日、臨淄王李隆基(玄宗)と太平公主によってクーデターをおこされ(唐隆の変)、韋皇后安楽公主は殺害され、同月二十四日に太平公主によって睿宗に譲位させられ、李重茂は再度温王に封ぜられた。同年八月に兄の譙王李重福が反乱をおこすと、皇太弟とされたが、まもなく反乱は鎮圧された。景雲二年(711)に襄王に封ぜられて集州に左遷され、開元二年(714)房州刺史に任じられ、まもなく房州で没した。諡を殤皇帝という。

年号

唐隆 710

后妃

陸皇后

子女

(存否不明)

宰相

李嶠 706-710
韋安石 709-710
唐休璟 709-710
韋巨源 706-710
蘇瓌 709-710
宗楚客 707-710
紀処訥 707-710
蕭至忠 707-710
張仁愿 708-710
韋嗣立 709-710
崔湜 710
趙彦昭 709-710
韋温 709-710
張錫 710
裴談 710
岑羲 710
張嘉福 710
李旦 710

史料

『資治通鑑』巻第二百九 唐紀二十五 中宗下 景雲元年六月条

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最終更新:2024年12月08日 22:46
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