宗楚客 そうそかく
?-710
武周・盛唐の宰相(在任697-698、704、707-710)。
宗岌の子。母の武氏は
武士逸の三女で、
武則天の従姉妹にあたる。
宗秦客の弟、
宗晋卿の兄。字は叔敖。進士に及第すると、累進して戸部侍郎となった。武周が成立すると、収賄で有罪となって嶺外に流罪となるも、一年後帰還した。尚方少監となり、神功元年(697)検校夏官侍郎・同鳳閣鸞台平章事(宰相)となった。翌年、不仲であった
武懿宗に奢侈を弾劾され、宰相を罷免されて文昌左丞、播州司馬に貶された。豫州長史、少府少監・岐州・陝州の二州の刺史となった。夏官侍郎となり、長安四年(704)三月、同鳳閣鸞台平章事(宰相)となったが、同年七月に邵王
李重潤の妓女を娶った罪で、宰相を罷免されて原州都督に貶された。
中宗が即位すると太僕卿・郢国公となった。
武三思に引き入れられて兵部尚書となり、景龍元年(707)九月に同中書門下三品(宰相)となった。
韋皇后・
安楽公主の信任を受け、
紀処訥と党派を組み、「宗紀」と号された。中書令となり、韋皇后が
中宗を暗殺すると、韋皇后を支持して
殤帝擁立に功があり、朝廷を主導したが、唐隆元年(710)六月、唐隆の変で殺害された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2025年06月24日 00:43