王璵 おうよ
?-768
中唐の官人。
粛宗の宰相(在任758-759)。魏晋南北朝以来の名門・琅邪王氏の出身。
武則天の宰相
王方慶の六世の孫で、その世系は王方慶→王光輔→王寵→王仲連→王紹→王璵である。神仙を好む
玄宗に同調して、東郊に壇を築いて青帝を祀るよう奏上し、太常博士・侍御史、祠祭使となった。地方で行われていた紙銭を宮中祭祀に持ち込んだ。
粛宗が即位すると太常卿となり、乾元元年(758)五月、中書侍郎・同中書門下平章事(宰相)となった。翌三月罷免されて刑部尚書となった。乾元三年(760)蒲・同・絳等州節度使となった。上元二年(761)淮南節度使となり、さらに浙江東道節度観察処置使となった。後に長安に戻って太子少師に遷った。『旧唐書』では
李泌・
崔造・
関播と並んで、宰相たる人材ではなかった人物の一人にあげられた。
昭宗の宰相
王摶は曽孫にあたる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2025年06月29日 02:57