高叡

高叡 こうえい

?-698
初唐の官人。京兆万年県(陝西省西安)の人。隋の宰相高熲の孫で、日本に使節として派遣された高表仁の子。明経化に及第し、通義県令となる。優れた統治を行い、徳政碑が建てられた。平昌県子に封ぜられ、趙州刺史に任じられた。聖暦元年(698)突厥の黙啜が侵攻してきて防衛にあたったが、趙州長史の唐波若の内応により陥落。自決に失敗して、夫人の秦氏とともに捕らえられた。他県の降伏を諭すよう命じられたが、拒否して殺害された。子に高仲舒がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝があるほか、夫人の秦氏も列女伝に伝がある。

列伝

『新唐書』巻一百九十一 列伝第一百一十六 忠義上 高叡
『旧唐書』巻一百八十七上 列伝第一百三十七上 忠義上 高叡

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最終更新:2025年07月13日 22:18
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