安金蔵 あんきんぞう
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武周・盛唐の官人。その先祖はソグディアナ出身で、父母の安菩夫婦墓が発掘されており、祆教徒(ゾロアスター教)であったことが知られる。長安の人で、もとは太常工に籍を置く工人にすぎなかった。
睿宗が皇嗣となると、
裴匪躬・
范雲仙が睿宗に私的に謁したことを罪とされて処刑され、以後公卿は誰も謁見せず、ただ工人・俳優・給仕人のみが睿宗に会うことができた。安金蔵もその一人であったが、睿宗に謀反の企てがあると誣告する者がおり、
武則天は
来俊臣に尋問させ、睿宗の左右の者は拷問を恐れて罪に服しようとした。安金蔵は睿宗の無実を訴えて割腹して瀕死となり、驚いた武則天によって名医の手術を受け、命をとりとめるとともに、睿宗の無実を証明した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2025年07月13日 22:31