程千里 ていせんり
?-757
盛唐の武将。京兆万年県の人。西域で勲功を重ね、安西副都護となり、天宝十一載(751)御史中丞となる。翌年、兼北庭都護・安西北庭節度使となった。天宝十三載(753)
阿布思が叛乱をおこすと葛邏禄(カルルク)と挟撃して捕らえ、右金吾衛大将軍となった。
安禄山が叛くと、河東節度副使・雲中太守に任じられ、上党長史に遷った。至徳二載(757)、
蔡希徳が上党を包囲すると、軽騎兵で戦いを挑んだが、橋の崩落によって捕らえられ、洛陽に送致された。反乱軍が洛陽を撤退する時、
厳荘に殺害された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2025年08月19日 19:30