豆盧貴妃
662-740
初唐の妃嬪。睿宗の妃。豆盧欽粛の娘。豆盧承業の孫。
武則天・
中宗の宰相の
豆盧欽望は叔父にあたる。儀鳳元年(676)十五歳で皇子李旦(後の睿宗)の妾となり、孺人に封ぜられた。文明元年(684)睿宗が即位すると貴妃に封ぜられたが、睿宗の廃位とともに孺人に貶された。
粛明劉皇后・
竇貴妃が
武則天に殺害されたため、睿宗嬪妃の首位となった。
李撝を養育し、また
鄧国夫人竇氏とともに
玄宗を養育した。
中宗が復位すると、叔父豆盧欽望の要請により、後宮を離れて家に戻った。開元二十八年(740)、重病となり、玄宗は自ら見舞いに来たが、
親仁坊で没した。
史料
「唐故貴妃豆盧氏志銘」
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最終更新:2025年08月19日 23:17