李撝

申王成義

680頃-724
盛唐の宗室。睿宗の第二皇子。玄宗の兄。本名は李成義。母の柳氏は宰相柳奭の孫娘であったが、柳奭が処刑されると柳氏は掖庭宮に入れられ、母の身分が低くくなり、武則天はこれを憎んで序列に入れなかったが、僧万回の進言により兄弟の列に入れられた。睿宗が即位すると恒王に封ぜられたが、武則天時代には衡陽郡王に降封された。睿宗が復位すると申王に封ぜられた。昭成竇皇后の諡を避けて李撝に改名した。薨去して恵荘太子と諡された。子なく、兄李憲の子の李珣が後嗣となった。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻八十一 列伝第六 三宗諸子 恵荘太子撝
『旧唐書』巻九十五 列伝第四十五 睿宗諸子 恵荘太子撝

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最終更新:2025年05月23日 17:08
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