蔡廷玉 さいていぎょく
?-782
中唐の官人。幽州昌平県(北京市昌平区)の人。
安禄山に仕えたが、有名にはならなかった。
朱泚と同郷で、幼い頃から慣れ親しみ、朱泚が幽州節度使となると、上奏によって幕下に任用された。朱泚によって長安の朝廷に派遣され、そのため幽州の勢力を削いで朝廷に利させようとした。
朱体微とともに
朱泚に入朝を勧めたが、その間、幽州の軍を
朱滔に託すのを反対したから、朱滔に恨まれ、長安に入って大理少卿、司馬に任じられたものの、朱滔の誣告により柳州司戸参軍に貶された。朱滔が洛陽に蔡廷玉が入ると殺害すると宣言しており、流謫の途中、左巡使の
鄭詹が道路の都合上潼関を通過するよう強制したため、洛陽に向かわされると勘違いして入水自殺した。子に蔡少誠・蔡少良がいる。『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2025年08月21日 00:11