蔡廷玉

蔡廷玉 さいていぎょく

?-782
中唐の官人。幽州昌平県(北京市昌平区)の人。安禄山に仕えたが、有名にはならなかった。朱泚と同郷で、幼い頃から慣れ親しみ、朱泚が幽州節度使となると、上奏によって幕下に任用された。朱泚によって長安の朝廷に派遣され、そのため幽州の勢力を削いで朝廷に利させようとした。朱体微とともに朱泚に入朝を勧めたが、その間、幽州の軍を朱滔に託すのを反対したから、朱滔に恨まれ、長安に入って大理少卿、司馬に任じられたものの、朱滔の誣告により柳州司戸参軍に貶された。朱滔が洛陽に蔡廷玉が入ると殺害すると宣言しており、流謫の途中、左巡使の鄭詹が道路の都合上潼関を通過するよう強制したため、洛陽に向かわされると勘違いして入水自殺した。子に蔡少誠・蔡少良がいる。『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻一百九十三 列伝第一百一十八 忠義下 蔡廷玉

外部リンク

維基百科,自由的百科全書 蔡廷玉(中文)
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E8%94%A1%E5%BB%B7%E7%8E%89

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2025年08月21日 00:11
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。