辛讜 しんとう
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晩唐の官人。蘭州金城県(甘粛省蘭州市)の人。
辛雲京の孫。若くして父を喪い、叔父辛晦に育てられた。
李嶧に仕え、銭や穀物の事を司ったが、五十歳で職を辞した。咸通九年(868)
龐勛の乱がおこり、
杜慆が立て籠もる泗州が賊軍に包囲されると、包囲を突破して泗州に入城し、さらに救援を求めて泗州を脱出。
郭厚本・
杜審権のもとに救援を求めたが成功せず、再び包囲下の泗州に単独入城した。三ヶ月後、再度泗州を脱出して単独で救援を求め、
令狐綯・
杜審権・
李嶧のもとに行って救援を求め、杜審権が救援軍を派遣して泗州を解囲し、救援に成功した。功績は第一となり、亳州刺史、曹州・泗州二州を歴任。乾符年間(874-879)末、嶺南節度使となった。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2025年08月28日 23:49