崇恩廟

崇恩廟

長安、道徳坊に位置した廟。武氏を祀る廟で、当初は輔興坊に位置した崇先府であり、武則天が皇后となると造営され、武則天の父武士彠を祀り、官属が置かれた。武氏革命が起こると、証聖元年(695)武士彠は洛陽で武氏七廟にて祀られることになり、崇先府の故地は崇先寺となり、後にこの地は崇先寺と玉真観に分割された。武氏七廟では武士彠を祀って孝明皇帝とし、さらに周の文王を始祖文皇帝とし、武王を睿祖康皇帝とし、武氏の先祖であるとした。武則天の五代祖の武居常を厳祖成皇帝に、高祖父の武克己を粛祖章敬皇帝に、曽祖父の武倹を烈祖昭安皇帝に、祖父の武華を顕祖文穆皇帝とし、その夫人を皇后とした。神龍元年(705)に中宗が復辟すると、武氏七廟の神主(位牌)は長安に遷されることになり、武氏七廟の地には東都太廟が建立された。その長安の道徳坊に建てられたのが崇尊廟で、神龍三年(707)に崇恩廟に改称されたが、景雲元年(710)廃止された。

史料

『旧唐書』巻二十五 志第五 礼儀五 太廟

参考文献

徐松 撰、愛宕元 訳注『唐両京城坊攷 長安と洛陽(東洋文庫577)』(平凡社、1994年)

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最終更新:2025年10月29日 15:14
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