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趙涓

趙涓 ちょうけん

?-784
中唐の官人。冀州(河北省冀州市)の人。天宝年間(742-756)に進士に及第し、郾城県の尉、河南副元帥の王縉に引き立てられて副元帥府判官に辟署された。永泰年間(765-766)、禁中が火災となり、火元は東宮に近かったから、代宗は東宮を疑ったが、監察御史であった趙涓が巡使となって、火元を宦官の庁舎であるとしたから、当時皇太子であった徳宗の窮地を救った。衢州刺史となると、観察使の韓滉に弾劾されたが、徳宗は旧恩によって、かえって尚書左丞に任命し、吏部の銓選を司った。朱泚の乱では徳宗の梁州脱出に従った。子に趙博宣がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻一百六十一 列伝第八十六 趙涓
『旧唐書』巻一百三十七 列伝第八十七 趙涓

外部リンク

維基百科,自由的百科全書 趙涓(中文)
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E8%B6%99%E6%B6%93

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最終更新:2025年12月29日 11:10
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