アットウィキロゴ

蕭皇后

蕭皇后

567-647
後梁の公主、隋の皇后。後梁の明帝の娘。後主の妹、蕭瑀の姉。隋の文帝の次男である晋王楊広(後の煬帝)に嫁ぎ、元徳太子楊昭、斉王楊暕を生んだ。後に祖国後梁は隋に滅ぼされたが、煬帝が即位すると皇后にたてられた。隋末の混乱によって煬帝に従って江都に赴いたが、煬帝が宇文化及に弑逆されると、宇文化及に従って魏郡に行き、宇文化及が竇建徳に滅ぼされると、竇建徳に保護された。突厥の頡利可汗に嫁した義成公主は夫に進言して、蕭皇后とその孫楊正道とともに突厥に引き渡され、同地で保護された。唐の李靖の遠征軍が突厥を滅ぼすと、唐に降り、長安の興道坊に邸宅を与えられた。没すると煬帝と合葬された。『隋書』『隋書』に伝がある。

列伝

『隋書』巻三十六 列伝第一 后妃 煬帝蕭皇后
『北史』巻十四 列伝第二 后妃下 隋 煬愍皇后蕭氏

外部リンク

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』煬愍蕭皇后
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%85%AC%E6%84%8D%E8%95%AD%E7%9A%87%E5%90%8E

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2026年04月12日 09:36
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。