蕭皇后
567-647
後梁の公主、隋の皇后。後梁の明帝の娘。後主の妹、
蕭瑀の姉。隋の
文帝の次男である晋王楊広(後の
煬帝)に嫁ぎ、元徳太子
楊昭、斉王楊暕を生んだ。後に祖国後梁は隋に滅ぼされたが、煬帝が即位すると皇后にたてられた。隋末の混乱によって煬帝に従って江都に赴いたが、煬帝が
宇文化及に弑逆されると、宇文化及に従って魏郡に行き、宇文化及が
竇建徳に滅ぼされると、竇建徳に保護された。突厥の頡利可汗に嫁した
義成公主は夫に進言して、蕭皇后とその孫
楊正道とともに突厥に引き渡され、同地で保護された。唐の
李靖の遠征軍が突厥を滅ぼすと、唐に降り、長安の
興道坊に邸宅を与えられた。没すると煬帝と合葬された。『隋書』『隋書』に伝がある。
列伝
『隋書』巻三十六 列伝第一 后妃 煬帝蕭皇后
『北史』巻十四 列伝第二 后妃下 隋 煬愍皇后蕭氏
外部リンク
最終更新:2026年04月12日 09:36