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王倕

王倕 おうすい

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盛唐の官人。新豊県の尉となり、韋抗に推薦された。東都留守となる。天宝元年(742)清河の人である崔以清が天津橋の北で玄元皇帝(老子)を見て、「武城紫微山に霊符をしまっている」と告げられたとし、勅使が探し出したが、王倕はそれが偽りだと知り、尋問したところ自白したため上奏した。河西節度使となり、新城を攻略。天宝元年(742)十二月に吐蕃の漁海・遊弈軍に勝利した。天宝九載(751)十月、太白山人の王玄翼が玄元皇帝(老子)を宝山洞中にて見たと御史大夫の王鉷が奏上すると、王鉷・張均韋済王翼らとともに派遣されて、洞中にて玉石の箱の上に清護国経・宝券・紀籙などを得て献上した。

本紀・列伝・史料

『新唐書』巻五 本紀第五 玄宗 天宝元年十二月庚子条
『新唐書』巻一百三十五 列伝第六十 哥舒翰
『新唐書』巻一百六十 列伝第八十五 徐浩
『旧唐書』巻二十四 志第四 礼儀四 釈奠
『資治通鑑』巻第二百一十五 唐紀三十一 玄宗中之下 天宝元年正月条

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最終更新:2026年02月05日 23:08
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