張均
?-?
盛唐の官人、
安禄山の大燕の官人。宰相
張説の子、
張垍・
張埱の兄、
張濛の父。太子通事舎人から主爵郎中・中書舎人、兵部侍郎に累進し、父が没すると燕国公を襲封したが、左遷されて饒州・蘇州の刺史となり、兵部侍郎に復帰した。出世を
李林甫にさまたげられ、
陳希烈をたのみとしたが、
楊国忠に阻害され、弟張垍に連座して建安刺史に左遷された。長安に戻って大理卿に任命された。安史の乱がおこると、至徳元載(756)安禄山に中書令に任命され、粛宗が長安を回復すると、張均・張垍兄弟は死刑に相当し、張垍は処刑されたが、
房琯の取りなしで死を免れ配流となった。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2023年08月27日 10:28