張均

張均

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盛唐の官人、安禄山の大燕の官人。宰相張説の子、張垍張埱の兄、張濛の父。太子通事舎人から主爵郎中・中書舎人、兵部侍郎に累進し、父が没すると燕国公を襲封したが、左遷されて饒州・蘇州の刺史となり、兵部侍郎に復帰した。出世を李林甫にさまたげられ、陳希烈をたのみとしたが、楊国忠に阻害され、弟張垍に連座して建安刺史に左遷された。長安に戻って大理卿に任命された。安史の乱がおこると、至徳元載(756)安禄山に中書令に任命され、粛宗が長安を回復すると、張均・張垍兄弟は死刑に相当し、張垍は処刑されたが、房琯の取りなしで死を免れ配流となった。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻一百二十五 列伝第五十 張説 均
『旧唐書』巻九十七 列伝第四十七 張説 子均

外部リンク

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』張均
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E5%9D%87

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最終更新:2023年08月27日 10:28
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