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闕啜忠節

闕啜忠節 けつてつちゅうせつ

?-708
西突厥の将領。阿史那氏。名を忠節と賜った。「闕」は部落名、「啜」は官名で、突騎施(テュルゲシュ)の烏質勒に従った。長寿元年(692)王孝傑と連合して吐蕃を攻撃し、亀茲(キシュ)・于闐(ホータン)・疏勒(カシュガル)・砕葉(スイアーブ)の四鎮を攻略した。神龍二年(706)烏質勒の長子の娑葛と対立。勢力は叶わなかったため、西域安定を目した唐の朝廷に召喚されたが、宰相の宗楚客に賄賂を送った。そのため出頭せず、かえって娑葛包囲網を形成させたが、娑葛の奇襲を受け、タリム河で捕らえられて殺害された。

本紀・列伝・史料

『新唐書』巻四 本紀第四 中宗 景龍二年十一月庚申条
『新唐書』巻一百二十二 列伝第四十七 郭元振
『新唐書』巻二百一十五上 列伝第一百四十上 突厥上
『新唐書』巻二百一十六上 列伝第一百四十一上 吐蕃上
『資治通鑑』巻第二百九 唐紀二十五 中宗下 景龍二年十一月条

外部リンク

維基百科,自由的百科全書 阿史那闕啜(中文)
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E9%98%BF%E5%8F%B2%E9%82%A3%E9%98%99%E5%95%9C

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最終更新:2026年02月13日 16:59
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