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酅国公

酅国公 けいこくこう

隋の帝室の子孫での唐における爵位。酅公とも。食邑は三千戸。武徳元年(619)恭帝が李淵(高祖)に迫られて位を譲り、隋が滅んで唐が成立すると、酅国公とされた。翌年没すると、後継者がないので族子の楊行基がついだ。北周の宇文氏の子孫である介国公とともに二王後とされて、元日朝賀などの儀式では高位の席次を得た。武周が成立すると廃止されたらしいが、神龍元年(705)中宗が復辟すると酅国公は復した。天宝九載(750)崔昌の建言によって周・漢を二王後として、北周・隋を二王後から廃して非正統となったが、自ら隋の宗室の後裔を自称した楊国忠が宰相になると、天宝十二載(753)再度北周・隋は二王後となり、酅国公は再封された。唐が滅亡すると、後唐では酅国公が二王後とされ、後唐が滅ぶと、後唐が唐と同一とされて、酅国公は引き続き二王後となった。


歴代酅国公

1 楊侑 618-619
2 楊行基 619-?
3 楊棻(楊柔) ?-689
4 楊幼言 689-690?

楊造 ?-820
楊元湊 821-?

楊仁矩 929-930
楊延紹 932-?
楊延寿 940-946

『新唐書』巻七十一下 表第十一下 宰相世系一下 楊氏

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最終更新:2026年04月12日 09:17
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