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介国公

介国公 かいこくこう

北周の帝室の子孫での隋・唐・五代における爵位。介公とも。大定元年(581)北周の静帝が楊堅(文帝)に禅譲すると、静帝は介国公に封ぜられた。静帝は同年殺害され、北周帝室の傍系である宇文洛が介国公に封ぜられ、隋の帝室の賓として待遇された。その世系は宇文系→宇文阿頭→宇文仲→宇文興→宇文洛で、北周の孝閔帝の族従弟にあたる(二人とも宇文系の玄孫にあたる)。隋が滅亡して唐が成立すると、隋の楊氏の子孫である酅国公とともに二王後とされて、元日朝賀などの儀式では高位の席次を得た。武周が成立すると廃止されたらしいが、神龍元年(705)中宗が復辟すると介国公は復した。天宝九載(750)崔昌の建言によって周・漢を二王後として、北周・隋を二王後から廃して非正統となったが、自ら隋の宗室の後裔を自称した楊国忠が宰相になると、天宝十二載(753)再度北周・隋は二王後となり、介国公は再封された。唐が滅亡して梁が成立すると二王後からはずされたが、後唐では、後唐が唐と同一とされたから介国公は再度酅国公と共に二王後とされ、後晋が成立すると三恪となった。

歴代介国公

1 宇文闡(静帝) 581
2 宇文洛 581-?
2 宇文裕 ?-?
3 宇文暹(宇文延) ?-?
4 宇文離惑 ?-690、705
5 宇文庭立 705-?
6 宇文超 ?-737
7 宇文晏 737-?
8 宇文仲達 ?-820
9 宇文士元 820-840

宇文頡 936頃-941頃

『新唐書』巻七十一下 表第十一下 宰相世系一下 宇文氏

外部リンク

維基百科,自由的百科全書 介國公(中文)
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E4%BB%8B%E5%9B%BD%E5%85%AC

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最終更新:2026年04月12日 01:07
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