駱殷 らくいん
?-905
唐末の武将。土団(民兵)の指揮官で、永興県を根拠地とした。永興県は補給上の要衝であったため、
乾寧元年(894)武昌軍節度使の
杜洪は
朱全忠との連絡線確保のため、永興県に侵攻した。杜洪は淮南節度使の
楊行密に援軍を求めたにもかかわらず自軍を撤退させたから、楊行密の将軍
朱延寿が黄州を陥落させると、駱殷は永興県を棄てて逃亡し、楊行密は永興県の地を奪取した。杜洪は駱殷を捕らえると、自らの腹心として頼り、しばらくして永興県を奪取したから、楊行密と杜洪は対立することになった。駱殷は再度永興県を棄てて逃亡し、淮南軍が鄂州を包囲すると、解囲のため間道からの永興県襲撃を提案したが、襲撃軍の停止と脱走兵による情報漏洩のため失敗。鄂州が陥落すると、守備兵はすべて殺害された。
列伝
最終更新:2026年07月08日 02:03