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杜洪

杜洪 とこう

?-905
唐末の群雄。鄂州(湖北省鄂州市・武漢市・黄石市・咸寧市一帯)の人。地元の芸人であったが、黄巣が江南の地を荒廃させると、土団軍(民間防衛隊)となり、路審中配下で鄂州の将となった。光啓二年(886)、路審中が逃亡すると、虚に乗じて鄂州に入り、武昌軍節度留後となり、僖宗から武昌軍節度使に任命された。朱全忠について淮南節度使の楊行密を攻撃したが、かえって攻め込まれ、断続的に攻撃され、朱全忠に救援を求めたが、その間、救援にきた成汭が戦死する事態に陥った。朱全忠も逐次救援軍を派遣したが、鄂州が陥落して処刑された。『新唐書』『旧五代史』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻一百九十 列伝第一百一十五 杜洪
『旧五代史』巻十七 梁書十七 列伝第七 杜洪

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最終更新:2026年07月08日 02:05
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