李都 りと
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晩唐の官人・藩鎮。咸通年間(860-874)、当時の士大夫で家格が貴いのを、名徳の者を推薦してこれを首としていたが、世間は李都を推して大龍甲とした。乾符五年(878)九月、戸部尚書、判戸部事となり、河中節度使に任じられる。
黄巣が長安を陥落させると、黄巣の軍門に降ったが、広明元年(880)十一月、
王重栄の軍乱がおこり、河中節度使を追放されて、
僖宗の行在に逃れ、太子少傅、検校僕射となり、戸部尚書、充塩鉄転運等使に任じられた。
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最終更新:2026年07月26日 01:12