王重栄 おうちょうえい
?-887
晩唐の武将・群雄。太原祁県(山西省祁県)の人。王縦の子。王重簡・
王重盈の弟。河中軍の将校であった父の功により軍人となり、監察、ついで行軍司馬となった。
黄巣の乱がおこると、河中節度使
李都は黄巣軍の軍門に降ったが、李都を追放して軍権を掌握。黄巣の影響を排除して河中節度留後に、中和元年(881)夏、朝廷により検校司空・河中節度使に任じられた。黄巣の将である朱温(後の
朱全忠)・
李詳・
黄鄴を破り、朱温を寝返らせた。
楊復光の軍と協調して
趙璋を捕らえ、黄巣が平定されると軍功によって検校太傅・同中書門下平章事、瑯邪郡王となった。宦官の
田令孜と塩池をめぐって対立。田令孜は
僖宗をつれて長安を脱出すると、
朱玫が嗣襄王
李熅を皇帝に擁立した。各地の節度使が。李熅支持を表明する中、
李克用と共に朱玫を撃破し、李熅を斬った。
光啓三年(887)、
常行儒に軍乱を起こされ、殺害された。兄の王重盈が継承した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2026年07月29日 22:14