張郁 ちょういく
?-887
晩唐の武将。鎮海軍節度使
周宝の部将。撃球(ポロ)によって周宝に仕えていた。光啓二年(886)崑山県の匪賊に対する海上警備を命じられていたが、元旦に酔って使府の安慰軍将を殺害してしまい、そのまま叛乱をおこした。蘇州刺史
王蘊は兵が休暇で戻ってきたのだと思い、備えを怠ったため、包囲されてしまったが、周宝は将軍の拓抜従を派遣して平定させた。張郁は常熟県に逃げて根拠地とし、そこで常州を攻めると、常州刺史の劉革は降伏して出迎えたから、軍は強大化した。周宝は将軍の
丁従実を派遣して攻撃し、張郁は敗走して海陵に逃げ、鎮遏使の
高霸のもとに身を寄せた。高霸が
楊行密に敗れると殺害された。
列伝
最終更新:2026年08月16日 11:35