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李燧

李燧 りすい

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晩唐の官人。大中十一年(857)五月、嶺南節度使に任命され、宦官の使節が節を賜うために李燧の自邸に向かったが、給事中の蕭倣が制書を封還した。宣宗は音楽を演奏していたため、宦官を召し返すことができず、そこで俳優に追いかけさせて李燧の自邸の門前で引き返させた。さらに通議大夫検校工部尚書兼少府監となり、検校刑部尚書、兼青州刺史御史大夫、充平盧軍節度使、登莱棣州観察処置等使となり、中和二年(882)、荊南監軍朱敬玫が荊南節度使段彦謩を殺害して実権を掌握すると、李燧を荊南節度留後とした。

本紀・列伝・史料

『新唐書』巻九 本紀第九 僖宗 中和二年六月己亥条
『新唐書』巻一百八十六 列伝第一百一十一 陳儒
『資治通鑑』巻二百四十九 唐紀六十五 宣宗下 大中十一年五月丙寅条
『全唐文』巻九百六十二 授李燧平盧軍節度使制

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最終更新:2026年08月29日 17:05
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