楊守厚 ようしゅこう
?-894
唐末の武将。
楊復恭の養子。綿州刺史となる。大順二年(891)朝廷が宦官を派遣して顧彦暉に東川節度使の節を授けようとすると、楊守厚は途中節を奪った景福元年(892)威戎節度使
楊晟と共に
王建攻撃を約諾し、梓州を攻撃した。同年三月、
楊守貞・
楊守思と共に東川を攻撃し、梓州の守将で神策督将の竇行実に内応を誘ったが、発覚して竇行実は斬られた。梓州の城壁付近まで接近していたため、退却した。さらに王建の将軍吉諫に襲撃されて敗れた。四月、さらに李簡と銅鉾で戦ったが戦死三千人、捕虜一万五千人の損害を受ける大敗を喫した。
乾寧元年(894)卒。部下の常再栄が城と共に王建に降伏した。
列伝・史料
『新唐書』
巻一百八十六 列伝第一百一十一 楊守亮
『資治通鑑』巻第二百五十九 唐紀七十五 昭宗上之中 景福元年二月丁丑条、同年三月条、景福二年正月条、乾寧元年七月条
最終更新:2026年09月01日 01:01