楊晟 ようせい
?-894
唐末の群雄。鳳翔節度使の軍に属し、節度使
李昌符に勇猛さを恐れられ殺されるところであったが、李昌符の妾の周氏に助けられて逃亡し、神策軍の都校となる。邠寧節度使
朱玫と宦官
田令孜が対立し、田令孜が
僖宗を連れて陳倉に逃れると、楊晟は感義軍節度使に抜擢され、大散関を守備した。しかし朱玫に敗れて逃亡したが、文州・成州・龍州・茂州を確保して自立した。僖宗は田令孜と共に成都に逃れたが、成都が
王建に攻撃されたため、楊晟を威戎軍節度使に任じ、彭州を守らせた。楊晟は王建を攻撃したが、敗れてかえって彭州を包囲され、
乾寧元年(894)陥落して殺害された。『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2026年09月04日 04:17