僕固瑒
?-764
唐代の軍人。
僕固懐恩の子。
安太清の討伐に功があり、その勇猛さから敵に「猛将」と呼ばれて恐れられた。安太清の妻を奪ったが、大将の
李光弼が僕固瑒の兵を殺して安太清に返還した。宝応二年(762)には元帥雍王(後の徳宗)、父僕固懐恩の指揮下のもと史朝義を破り、回紇軍とともに二千里あまり追跡して
史朝義を追い詰め、安史の乱終結に功があった。父に従って唐に叛き、楡次で焦暉・白玉に殺害された。
列伝・史料
参考文献
森部豊・齊藤茂雄「舎利石鐵墓誌の研究」(『関西大学東西学術研究所紀要』46,2013年)
最終更新:2023年01月08日 22:23