李錡

李錡 りき

741-807
唐の宗室・藩鎮・叛臣。李国貞の子。その世系は、太祖李虎→鄭孝王李亮→淮南靖王李神通→淄川郡公李孝同→左衛将軍李璲→剣州長史李広業→戸部尚書李国貞→李錡となる。私兵を組織し、弓に秀でた「挽硬随身」、胡・奚ら蕃族で構成された「蕃落健児」を率い、彼らは李錡を「仮父」として忠誠を誓った。浙西観察使、諸道塩鉄転運使となり、徳宗や宦官に媚びたり贈賄したりして寵愛を得た。莫大な財を得たが、憲宗によって浙西観察使、諸道塩鉄転運使から尚書左僕射に任命される昇格人事を得たが、それによって富を失うことになるから喜ばず、留後になった王澹、および説諭にきた趙琦を殺害して食べた。叛いて常州・蘇州・杭州・湖州・睦州を制圧しようとしたが、蘇州以外はすべて失敗し、宣州に部将の張子良李奉仙・田少卿らの軍を派遣したが、裴行立とともに背かれ、城に戻って攻撃され、捕らえられた。私兵の「挽硬随身」「蕃落健児」はすべて先を争って自決した。李錡は長安に送られて西市の独柳で腰斬の刑に処された。『旧書物』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻二百二十四上 列伝第一百四十九上 叛臣上 李錡
『旧唐書』巻一百一十二 列伝第六十二 李国貞 子錡

外部リンク

维基百科,自由的百科全书 李錡(中文)
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E9%8C%A1

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最終更新:2024年09月28日 22:24
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