秦彦
?-888
唐末の武将。
高駢の部将。徐州の人。本名は立。囚人百人を集めて下邳令を殺し、その財貨を奪い、
黄巣の党中に入った。黄巣が敗れると、許勍とともに高駢に降伏し、累進して和州刺史となった。中和年間(881-885)初頭、宣歙観察使の
竇潏が病み、秦彦が襲撃してこれに代わった。光啓三年(887)、揚州の将
畢師鐸が高駢を捕らえると、秦彦を迎えて帥とした。
楊行密が兵を率いて秦彦を攻め、その将
張神剣を遣わして湾頭山光寺を守らせた。楊行密は揚州を包囲し、秦彦は秦稠・畢師鐸に攻撃したが敗れた。蘇州刺史の張雄に金を出して救援を求めたが、金を取られただけとなった。再度会戦を挑んだが大敗し、囲みを破って
孫儒に投降したが、殺害された。『旧唐書』に伝がある。
列伝
『旧唐書』巻一百八十二 列伝第一百三十二 高駢 秦彦
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最終更新:2023年02月19日 01:39