何千年

何千年 かせんねん

?-755頃
盛唐の武将・叛将。安禄山の子飼いの武将。天宝十四載(755)正月、安禄山によって長安に赴いて、漢将の代わりに蕃将三十二人を登用することを請願し、裁可された。同年十二月、安禄山が叛乱すると腹心として参加。洛陽・太原をともに攻めて関中を脅かす作戦を献策したものの受け入れられることはなかった。河東に進出し、楊光翽と戦って敗死させた。趙から常山を通りかかると、顔杲卿の意を受けた馮虔に捕縛され、李欽湊の首級、高邈の身柄とともに長安に送られた。顔杲卿・袁履謙が捕らえられて洛陽で処刑される際、何千年の弟が通りかかっている。

列伝・史料

『新唐書』巻一百九十二 列伝第一百一十七 忠義中 顔杲卿
『新唐書』巻二百二十五上 列伝第一百五十上 逆臣上 安禄山
『資治通鑑』巻二百一十七 唐紀三十三 玄宗下之下 天宝十四載十二月条

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最終更新:2025年08月01日 01:28
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