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裴士淹

裴士淹 はいしえん

?-770頃
盛唐の官人。玄宗朝から代宗朝の人。裴倩の子。黜陟使となって郡県を視察し、安禄山の范陽に到るも、安禄山は二十日間も面会を許されず、武士が左右からはさむ様にして面会して臣下の礼をとらなかった。安史の乱の避難のため蜀行幸中の玄宗の厚遇を得た。至徳二年(757)給事中から礼部侍郎となり、大暦四年(769)礼部尚書となり、絳郡公に封ぜられるも、翌年、宦官の魚朝恩が死ぬと、その余党とみなされて虔州刺史に左遷されて死んだ。子に裴通がいる。

表・列伝

『新唐書』巻七十一上 表第十一上 宰相世系一上 裴氏 南來呉裴
『新唐書』巻二百七 列伝第一百三十二 宦者上 魚朝恩
『新唐書』巻二百二十三上 列伝第一百四十八上 姦臣上 李林甫
『新唐書』巻二百二十五上 列伝第一百五十上 逆臣上 安禄山

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最終更新:2026年05月20日 00:00
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