劉海賓
?-783
唐代の武将。彭城の人。義俠心によって有名であった。涇原の兵馬将となり、
段秀実と親しかった。戦功を重ね、御史中丞となった。
劉文喜が涇州によって叛乱すると、劉海賓とその子の劉光国は奏上して誅殺を願い、劉光国は自ら劉文喜を斬って朝廷に献上したから、左驍衛大将軍に任じられ、五原郡王に封じられた。叛軍が
朱泚を擁立し、朱泚もまた皇帝になろうとすると、段秀実とともに朱泚を殺害して阻止しようと計略を練った。朱泚が皇帝になるべきか発表すると、段秀実は
源休が持っていた象牙の笏で朱泚を撃って頭から血を流させたが、二人が取っ組み合いしている最中かにも関わらず、劉海賓はその場から逃走、
李忠臣が朱泚を助けて段秀実が殺害されると、結局捜索され、喪服でいたところを捕らえられて斬られた。乱が平定されると楽平郡王・贈太子太保・実封百戸を贈られた。『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2023年05月18日 00:42