張廷芝
?-784
唐代の武将・叛将。興元元年(784)
朱泚が叛いて自立すると、鳳翔の将として、涇将の
段誠諫とともに敗軍三千を率いて襄城から
朱泚のもとに来て朱泚に帰順した。そのため朱泚は自らを天命を受けたとして皇帝を僭称した。朱泚が皇帝になると節度使に任じられ、長安近郊で
李希倩とともに
李晟と戦ったが敗れ、さらに
姚令言とともに李晟と十度戦ったがすべて敗北した。朱泚の敗北が決すると、朱泚・姚令言・
源休・
李子平・
朱遂とともに西に逃れた。乱が鎮圧されると朱泚の党はすべて誅殺されたため、同時期に殺害されたとみられる。
列伝
最終更新:2023年05月19日 14:08