「うーん。これは上出来だねっ!」 |
出来たてのチーズケーキの皿を手にしてエリーが振り返る。 |
「秋って言ったらやっぱり食欲の秋だよね。そして食欲といえばチーズケーキ!」 |
にこにこと心底嬉しそうなエリーの顔を見ると、ダグラスの顔にも自然と笑みが浮かぶ。 |
しかし、それを口に出すほどダグラスは素直ではない。 |
「別に、お前のチーズケーキ好きは、秋に限ったことじゃねーだろ」 |
痛いところを突かれて、エリーがむぅ、と頬を膨らませる。 |
|
「そんなこと言うと、これあげないよ?」 |
と、エリーは昨晩から一生懸命調合した幸福のワインのビンを掲げる。 |
「悪いが、そうはさせねえぜ?」 |
と、ダグラスは伸び上がってエリーの手からそれを奪う。 |
久々のダグラスの非番の日。妖精さんは全員採取に行かせている。こんな他愛ないじゃれつきも、幸せなカップルには嬉しくてたまらない。 |
二人は顔を見合わせて笑い合うと、午後のお茶の席に着いた。 |
|
綺麗な深紅色のワインをグラスになみなみと注ぐ。こぽこぽと心地よい音がする。 |
口に含むと葡萄の芳醇な香りが広がる。目を閉じ、舌の上でゆっくりとそれを転がして味わうと、ダグラスはごくりと音を鳴らしてそれを飲み込んだ。 |
「お、美味いな」 |
「そお?よかった~。ダグラス、甘くないほうが好きだって言うから、ブレンドを変えてみたんだ」 |
「わりいな。ありがとよ」 |
「ううん。ダグラスが喜んでくれるとあたしも嬉しいし」 |
錬金術の勉強にもなるしね、とエリーは太陽のような笑顔でダグラスに笑いかけた。 |
|
こんがり焼きあがったケーキにナイフを入れると、柔らかな香りが部屋に広がる。 |
「ったく、幸せそうな顔しやがって。……絶対、お前、俺の存在を忘れてるだろ」 |
「えへへ。でも違うよ、ダグラス」 |
ケーキの皿を片手にダグラスのほうを振り返り、 |
「こうやって振り返るとダグラスがいるっていうのがいいんだよ」 |
満面の笑顔でそんな言葉を言うものだから、途端にダグラスの口元が緩んだ。 |
|
エリーの幸せそうな表情を見ながら、エリーの調合した幸福のワインを飲むのがダグラスの至福。 |
彼のために調合した幸福のワインを飲むダグラスの存在を感じながら、特製のチーズケーキを口に運ぶのが、エリーの至福。 |
空飛ぶホウキに横座りし、初めて訪れた世界を珍しそうに見渡す。オルドールとは全てが異なるが、ロロットが探しているのはかの地でもこの世界でも同じだ。 |
「あーら、いい男発見♪」 |
ビオラの魔法屋に入っていくクレインたち一行を見て、ロロットは嬉しそうに笑うと、ホウキから降りて彼らの後を追った。 |
カランとベルを鳴らして店の中に入ると、お目当ては壁にもたれかかって仲間の買い物を待っているところだった。 |
|
すらっとした長身に青く長いサラサラの髪。強さと知性を感じさせる端正な顔立ち。間違いなく、第一級の男性だ。 |
にやりと笑い、ロロットはアーリンの前に進み出た。 |
「お前は、誰だ」 |
「あたしはロロット。ハロウィンの魔女よ。魔法をかけに来たはずなんだけど、あたしのほうが恋の魔法にかかっちゃったみたい」 |
上目遣いの角度は15度。潤んだ瞳でたっぷり2、3秒は見つめてから、小首をかしげてにっこり微笑む。 |
これで落ちないなら男じゃないわ。 |
「ほう、ハロウィンとはいいねぇ。お嬢さん、俺と色々いたずらするっつーのはどうですか?」 |
にやけた無精ひげは無視して、涼しげな目元に甘えた視線を送る。 |
ちょっと、このあたしがモーションかけてるのよ?何か反応しなさいよ! |
「……俺にはそんな暇はない」 |
はあ?! |
予想外の反応に思わず突っかかろうとしたが、アーリンの鋭い一瞥に、ロロットは思わず冷や汗をたらす。 |
このあたしのおねだり攻撃が効かないなんて……。はぁ、世界は広いわね。 |
|
結構いい男だとおもったんだけどね。あたしの笑顔が通じないなんて、アウトよ、アウト。 |
攻略対象を変えることにし、ビオラからアイテムを手渡されたクレインのほうを向いた。こう見えてもロロットは合理的な精神の持ち主なのだ。 |
しかし、クレインの傍にはやきもち焼きのリイタが控えている。やっぱりというべきか、彼女の全身から怒りのオーラが立ち上った。 |
|
「やあねえ。そんなおっかない顔してたら、殿方には気に入られなくってよ」 |
ね?とわざとクレインを振り返って笑いかける。リイタの心がクレインにあることくらい、ロロットにはお見通しだ。 |
本当はさっきの美形がいいけど、この際こっちの可愛い顔の男の子でも構わないわ。 |
せっかく別の世界へ来たのだから、楽しい思い出かせめて珍しいお土産くらいはゲットしたいもの。 |
「あんたには関係ないでしょっ!」 |
ほうら、ヒステリー起こして喚いてる女と、この可愛いあたしだったら勝負は決まったわよね。 |
内心にんまりと計算をするロロットに、抑揚のない声がかかった。 |
「リイタ、うるさい。それにそこのアンタも、何も買わないなら出ていって」 |
無表情で言葉をつむぐビオラに、ロロットはちょっと困ったように首をすくめてみせる。 |
「あら、ごめんなさい。そうね。この店で一番綺麗な宝石を見せてもらえるかしら?」 |
言葉はビオラに対するものだが、ロロットの視線はクレインに固定されている。 |
「あんたねーっっっ!さっきから何考えてるのよ!!!」 |
魔法店中にリイタの怒号が響き渡り、ロロットとクレイン一行は、無愛想な店主によって魔法店の外に追い出されてしまった。 |
|
まだわめき散らしながら遠ざかっていくリイタの声を聞きながら、ロロットは一人ごちる。 |
「うーん。今日の収穫はイマイチってところね。次はどの世界に行こうかしら」 |
小悪魔ロロットの冒険はまだまだ続く……。 |
真新しいペンキの匂いで目が覚めた。 |
一瞬自分がどこにいるかわからなくなったのは、昨日引っ越してきたばかりだからなのか、今まで見ていた夢のせいか。 |
(もうあれから一年、か) |
生まれ育った街に帰ってきてから、ザールブルグに滞在していた時間とちょうど同じだけの時が過ぎた。 |
もともとの才能と惜しみない努力に加え、稀有な経験を得た彼女は、こちらのアカデミーを優秀な成績で卒業したばかりだった。 |
|
「卒業後はどうするつもりなの?ザールブルグのマイスターランクにもう一度留学する?今のあなたならケントニスという選択肢もあるわね」 |
年齢を感じさせない溌剌とした声で校長が彼女に問うた時、迷わずこう答えていた。 |
「いえ、街で工房を開きます」 |
レベルの高い講義、様々な人との触れ合い、珍しい風習や食べ物、怖かったけれど胸踊った冒険。 |
あの一年で得たものはたくさんありすぎて数え切れないが、中でも一番印象に残ったのは、アカデミーに通いながら工房を開いて自活する友人の姿だった。 |
|
誰かの役に立ちたいから錬金術を始めた、という彼女。材料を求めて危険な採取地にも赴き、時に武闘大会で聖騎士を打ち破って優勝する。 |
型破りとも言えるはずなのに、かえってそれが生き生きとした魅力を醸し出し、自分だけでなくアカデミー中、いや街中の人から愛されていた。 |
思えば彼女に会うまでの自分はずっと受身だった。 |
たまたま錬金術がブームになったからそれを始め、調合材料は全てアカデミーのショップで買い、課題が出されたから調合に取り組む。 |
彼女に会って、自分は錬金術とは何かを改めて考え、それに向き合う姿勢を新たにしたのだ。 |
だから、アカデミー卒業後の進路を考え始めたとき、自分もかの友人と同じように街で工房を開きたいと考えたのは自然なことだった。 |
|
「そう……工房を。本当はあなたが留学しないようだったら、ここのアカデミーの講師をやってもらおうかと考えていたのよ」 |
「そうだったんですか。すみません」 |
「いいえ、謝ることはないわ。工房を開くというのはとてもいいアイデアだと思うわよ。アカデミーの中だけでは経験できないこともたくさんあるし。うーん。それにしても、こうやって生徒たちが新しいことに挑戦する姿を見ると、私も力が湧いてくるわね」 |
「校長はいつもはりきりすぎなんですから、これ以上がんばらなくてもいいですよ」 |
「あはは、あなたも言うようになったわね。そうだ。来週またここに来てくれる?お願いね」 |
こういう何かを企んでいるときの顔をしているときは、何を言っても無駄だということは長い付き合いでわかっている。期待と僅かな呆れが入り混じった表情で、彼女は一礼すると校長室を後にしたのだった。 |
|
それから一週間。忙しい合間を縫って言われたとおりまたアカデミー校長室へと足を運ぶと、その相手はロイヤルクラウンとペンデルを用意して待っていてくれた。 |
「どう?準備は進んでる?」 |
「はい、なんとか。父や母もようやく賛成してくれましたし。どこまで出来るかわかりませんが、がんばりたいと思います」 |
その言葉に校長は、生徒を力づけるときのいつもの明るい笑みを見せた。 |
「錬金術は人々を幸せにするもの。それさえ覚えておけば大丈夫よ。……そうそう。あなたにプレゼントがあるの」 |
それを手渡されたとき、本当に自分の力だけで工房を開くのだ、という実感がわいてきた。 |
「工房にはこれが必要でしょ?」 |
差し出されたのは表に付ける鉄製の看板だった。ずっしりとした重みがたまらなく嬉しい。 |
目を上げると、校長はまるで少女のように瞳を輝かせている。遠い昔に師からそれを渡された日のことを思い出しているのであろうか。 |
「ほら、工房に着きましたよ。約束どおり課題に取り組んでください」 |
工房の扉を手で押さえ、冷ややかな目でクライスがマリーを見やる。視線の先には遊び疲れてぐったりとしたマリーの姿がある。 |
本来であれば、研究書片手に新理論の完成に取り組んでいたはずの一日。 |
それが、学園祭に行かせてくれなければ課題には取り組まない、と言い張るマリーにつき合わされ、喧騒と人ごみの中に連れ出されたのだ。 |
課題はクライスとマリーのペアでやらなければならないから。 |
マリーを見張っていないとどこかに逃げ出すかもしれないから。 |
言い訳ならいくらでも用意できる。しかし、本当はクライスにとって「マリーと一緒にいられる」ということは、何よりも優先される事項なのだ。 |
もっとも、本人は決してそれを認めようとはしないが。 |
|
「う~。づがれだ~」 |
「あんなにはしゃぎまわるからですよ。みっともない」 |
「だって、せっかくの学園祭なんだよ?楽しまなくっちゃ」 |
マリーの言葉にクライスはやれやれ、と首を振る。 |
「あさって締め切りの課題があることすら忘れてあんな低俗な催し物にのめりこめるとは、アカデミー最低成績記録保持者の思考回路は全く私にはわかりかねます」 |
「うるさいわねぇ。やればいいんでしょ、やれば」 |
眼鏡の奥の嫌味な光を睨みつけ、マリーはクライスの隣に座ると本を開いた。 |
柔らかな金髪がクライスの右肩をふわりと撫で、思わず彼の心臓が波打つ。その内心の動揺を押し隠して、クライスは平然とした顔で言い放つ。 |
「この私が忙しい研究時間を割いてあなたにつきあってあげているんですから、もっと身を入れてほしいものです」 |
|
しかし、その嫌味が耳に入っているのか、いないのか、疲れきったマリーはほどなくして船をこぎだした。クライスの右肩に温かい重みがかかる。 |
「マルローネさん……?」 |
たたき起こしてまた嫌味の一つでも言おうかと思い、クライスははっとする。 |
マリーが自分に素直に体を預ける、そんなチャンスはめったにない。 |
「まったく、もう。あなたという人は……」 |
そういうクライスの口調は優しさが溢れている。 |
彼ほどの堅物でなければ、女性の肩に手を回すところだが、あいにくクライスの思考回路にそんな行動は入っていない。 |
ただマリーの温もりと香りを楽しむだけで精一杯なのだ。高鳴る鼓動が彼女を起こしはしないかと心配しながら。 |
普段の彼女からは想像できない無防備な幼子のようなあどけない顔。 |
そこまで自分に気を許してくれているのか、と思うと自然と頬が緩んでしまう。 |
それでも、彼女特有の生命感に溢れた青い瞳を見たくなってしまうとは、恋心というものはどこまで欲張りなのか。 |
クライスの表情に、いつもの彼らしからぬ甘い表情が浮かんだときだった。 |
「うーん、もうお腹一杯……」 |
|
「マルローネさん!!!」 |
突然のクライスの大声に、マリーが起きて寝ぼけ眼の目をこする。 |
「ふぁ?なーに?くらいす?」 |
「あなたという人は……今日という今日は許しません!この私が学園祭などというくだらないものに付き合ってやったというんですから、課題のほうもきちんとやっていただきますよ!」 |
「なによう、ちょっと休んだだけじゃない。それに、学園祭はくだらないものなんかじゃないわよ!」 |
いつもの喧嘩を始める二人は、まだ恋愛モードというには程遠い。 |
それでも、ちょっとだけ距離が縮まった、そんな学園祭の日のお話。 |
雪渓に眠る竜を退治するためにカリエル王国に足を伸ばすと、ちょうど雪祭りをやっている最中だった。 |
そんな面白そうなものを見逃せるわけもなく、あたしはワインを片手にシュワルベを雪祭りに誘った。 |
ちょっと無理やりだったかな、という気もしたけど、ザールブルグから遠く離れたここカリエルでなら、めったに聞けない彼の本音を聞くことが出来ると思ったから。 |
「竜を退治しに行こうという前日に、祭りに行って酒を飲むというお前の考えは理解できない」 |
「でも、そう言いながら付き合ってくれたじゃない」 |
「ふん。俺はお前に雇われているからな。仕方なくだ」 |
そんな感じで、見るともなしに雪像を見ながら、ぽつぽつと会話を交わした。 |
寒いはずなのに、心はなぜか温かかった。それはあたし一人だけじゃなかったと思う。自惚れじゃなくて。 |
|
何杯めかのワインを平気な顔でくいっと飲み干し、シュワルベがぽつりと呟く。 |
「盗賊だった過去は変えられん」 |
「でも……明日があるよ」 |
そう言うと、シュワルベは無言になってしまった。それでも、あたしはずっと伝えたかった一言を伝えられて満足だった。 |
|
そのまま二人で無言で黒熊亭まで帰ると、シュワルベは「もうごめんだ」と彼らしい捨て台詞を残して部屋に引っ込んでしまった。 |
だけど、無表情な瞳の奥に微かに満足そうな光が窺えて、あたしはほっとした気分で眠りについた。 |
そして翌日カリエルを出発し、問題の雪渓へとやってきたのだ。 |
|
永い眠りから覚めた竜があたしたちに向かって咆哮をあげる。 |
どんなに強敵であっても、あたしとシュワルベはひるまない。 |
|
青白い洞窟の中に、鈍い銀色の刃が閃く。 |
灰色の影が敵から離れたせつな、あたしはお得意のメガフラムを投げつける。 |
黒い竜に向かって真っ赤な炎が飛んでいく。 |
それがあたしの手を離れるやいなや、彼が体を引き、敵の反撃に備える。 |
何も言わなくても、互いが互いの行動を理解していた。 |
|
わかってる?あたしたち、昔は敵同士だったんだよ。それが今はこうして背中合わせで戦える。 |
ザールブルグの雰囲気になじめないって言っていても、エンデルク様だってちゃんとわかってくれていたじゃない。 |
ふん、と鼻で笑う彼の顔が、後ろ向きでも見える気がした。 |
|
ねぇ、シュワルベ。過去なんて関係ないよ。今のあたしはあなたをこんなに信頼している。 |
言葉でそれを伝える代わりに、あたしは弱ってきた敵に必殺技を放つ。 |
あたしとあなたの未来を切り開くための、この詩を。 |
「いっけ~!星と月のソナタ!」 |