生きてて良かった。そんな朝を迎えたのは人生で二度目である。
「おはよう、よく眠れたか?」
……………眠ったと言うより気絶したのだから爽快感はまるでない。ただ足の方は殆ど治っているようだ。
逆に首が激しく痛み頬が信じられないくらい腫れている。
「うう、もうやだ」
こんな状態で顔なんて洗いたくないがどうも眠気だけが異常に残っている。
仕方なく僕は洗面所がある部屋へと向かうために隣の部屋に繋がる襖を開けた。
「すー……すー……」
あれだけ騒がしく大量にいたゆっくりも今ではたったの三体しか残っておらずその三体とも静かに眠っていた。ちなみにそのうちの一つはえーりんだ。
「残りの二つは同じゆっくりか……」
とりあえずそんな事をよそにし、出来るだけ起こさないように僕はその部屋を通り洗面所に行った。
「ゆっくりかおをあらっていってね!」
桶の中にゆっくりにとりときすめが一匹づつ。きすめは桶とセットと考えるとしてにとりは何なのだろう。
そう言えばゆっくりにとりのモデル、河童の河城にとりは「水を操る程度の能力」ときいたが
元々河童は大工の人形から成ったと言うし「物を作る程度の能力」の方が相応しいと思うんだ。
他にも水の妖怪は多といるのにメジャーなだけで水を全て掌握出来ると思うなよ。
「はやくあらってね!」
とそんな取り留めのないことを考えているうちにゆっくりにとりは僕の顔に水をぶっかけてきた。
冷たいがやっぱり染みて痛い。そしてその水を拭き取る時が一番痛かった。
「ああ、散々だ」
永琳さんが僕を嫌っていないという事は分かった。
だから恐れる心配もないことも理解した。あの瞳に敵意は、ない。
でも。
でも。
ほんのちょっと怖い。
「…………………ああもう!何で僕はこうもうじうじしてるんだよ!!」
知ったのに、理解したのに、最後の一歩だけがいま踏み出すことが出来ない。
僕はこんな自分に苛立ちを感じながら無駄に足音を立て先輩がいる部屋へと戻ってきた。
「おお、いつになく荒れてるな。どうした?」
「………………」
先輩の威圧という物だろう、自分の不甲斐なさに対して苛立ち、その怒りは忘れることがないだろうと思っていたが
先輩の前に立っただけであっと言う間に怒りは削がれそのまま萎縮してしまった。
「全く、足音バンバンさせてゆっくり達が起きたらどうするんだ」
もし先輩がまだ僕が迷っていることを知ったら恐らくまた殴るだろう。
例えそれで万事解決出来てもつい昨日殴られた身だ。同じ所殴られたらショックによる心不全で死ぬ可能性もありうる。
とりあえず僕は自らの保身を最優先にし、その萎縮した状態で腰を落ち着けた。
「……………………」
「………………………」
今、先輩に自分がまだ迷っていることを悟られたら人生の終わりだ。
沈黙を保て、表情を見せるな、迷いを振り切ったような態度を見せろ。
それが未来の自分に出来る最大限の贈り物だろう。
「……………………まぁ一回殴っただけ全て吹っ切れるなんて思ってないさ」
なにこのひと、こわい。すっかりばれちゃってる。
「や、やめてください。殴らないで」
「いや、別にお前を改心させようとして殴った訳じゃないんだけどな」
その言葉、逆に考えると何時何処状況にもかかわらず殴るという意味にも解釈できる。
昨日の殴った理由が訳分からない上に八つ当たりですらないこともその解釈を後押ししている様にも思えた。
「しかし恋か。まさかお前がそんなのに堕ちるなんてな」
とりあえず先輩はこれ以上殴る意思はないと言ってそのまま他愛ない雑談をし始める。
とりあえず命の危機は去ったようだ。時々僕はどんな妖怪よりも先輩の方が恐ろしいと感じる。
「で、あの薬師のどういうところに惚れたんだ?熟女マニア?」
「ち、違う。と言うか熟女って殺される」
いや、そんな事で怒る人じゃ……無いはずだ。こんな下らないことで怒るのはあのマヨヒガスキマぐらいだろう。
「まぁあの大人びた所と冷静なところ、それと時々見せる母性溢れる笑顔が溜まらなく好きで
何回かお世話になったし僕のこと心配してくれたし、それとそれと……」
「…………じゃあ何で会うの厭がってたんだ?」
なんでだろうな。僕は莫迦だったとしか言いようがないだけかもしれない。
けどここまで来ると心の奥底まで引き出されてしまう気がする。とりあえず流れを変えるため僕も先輩に尋ねてみた。
「じゃあ先輩は恋とかしたことあるんですか?」
「うんにゃ?ないな、そう言うこと。僕のお眼鏡にかなう奴がいないし」
眼鏡はかけてないがな、と先輩は笑いながら話す。
「はは、いるじゃないですか、警察の旦那とか。幼なじみでしたっけ?」
「……………………………………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………………………………」
………‥え?なに、この沈黙。そして冷たい視線。
普段なら、何莫迦なこと言ってるんだ陰鬱メガネ、と詰りに詰られるところだが
先輩はそれを言葉に出さないで沈黙でその意思を最大限に表現している。無音だからこその恐怖だ。
「………………せ、先輩?」
「………………………………」
ああ、沈黙の恐怖。調子に乗って話題なんか振らなければ良かった!!!
「このぐうたらをつれてきたのは誰だぁ!!!」
と唐突に襖が開きゆっくりえーりんが何かを抱えてこの沈黙で冷淡とした空気をぶち壊しながら部屋へと入ってきた。
これほどえーりんが永琳さんのように輝いて見えた日はない。形相は日本一のツンデレだが。
「ちょいやっ!」
そしてえーりんはその銀髪で抱えていた物を思いっきり投げ飛ばす。それは投げられた勢いで壁や天井を跳ね回りそして先輩の前でようやくその勢いが収まった。
「ぐぅ………zzz」
「なんだ、ゆっくりてるよか」
「…………あら」
えーりんは先ほどまでの覇気は何処やらそのままその銀髪で恥ずかしそうに顔を隠す。
で、天井と床を何往復したはずのゆっくりてるよはというと何の反応もせずただ寝息をすやすやと立てていた。
「すみません、何故だかしりませんがこういうぐうたらをみてるとつい興奮して……」
「ふうん。」
先輩は楽しそうにその目の前のゆっくりてるよをころころと転がしながらまったりくつろいでいる。
そんな事されてもゆっくりてるよは動かないし起きもしない。竹林に住む風太郎姫のゆっくりである。
「…………あれ?それじゃ何でこんな所にいるのかしら」
まず頭を傾げたのはゆっくりえーりん。ぐうたら至上主義のゆっくりてるよが主な住処である竹林から夜雀が多発するこの付近へと
自発的に来ることなどあるはずがないと考えているのだろう。僕だってそう思っている。
「ああ、僕が連れてきた」
でも予想はついてた。と言うかこの先輩を前にしてこれ以外の理由があるだろうか、多分無い。
「じゃあもう一つのゆっくりてるよも先輩が?」
「まぁな、そっちも暇そうにしてたから」
「……………………ちょっとみてみます」
そう言ってえーりんは襖を開け隣の部屋に戻っていく。またはたらけとか言って投げつけるんだろうなぁと思いつつ僕はてるよの頭を撫でる。
どれだけ撫でても動かないし起きもしない。けどその寝顔は僕に一時の安らぎを与えてくれるのであった。
……………ぜ、絶対に惚れたりしないからな。僕は永琳さん一筋だ、振られたけど。
「……………………えーりん、どこ?」
ふと、隣の部屋からそんな微かで弱々しい声が聞こえた。
あまりにも弱々しくて本当に聞こえたかどうか判断に困るところだったが先輩はそんな事を迷う様子もなくその声に返事を送った。
「………………………………えーりんならそっちにいるじゃないか」
「ううう……………」
「……すみませんお二方。ちょっとこっちにきてくれませんか?」
「?ああ、わかった」
とりあえず呼ばれるままに僕と先輩は隣の部屋へと赴く。
そこで聞こえてきたのは微かで弱々しい泣き声と僕が知る母のような優しく包み込んでくれそうな声。
もう一つのてるよをなだめるえーりんの姿は、完全に僕が夢見た永琳さんと重なった。
「……えーりん、えーりん………」
「なかないで、なかないで」
「………………えっと、あっちにいるのとずいぶんと対応が違うなぁ」
この光景を見て第一に出た言葉がそれか、と自分を自分で責めたくなる様な空気の読めない台詞である。
けど僕にとってこの光景は眩しすぎるのだ。まるで僕がいてはいけないような感情に襲われる。
「あんなぐうたらと一緒にしないで」
「えーりん……えーりん……」
えーりんの言う通り、いまえーりんが慰めているてるよは隣の部屋にいるてるよと比べて何処か感情味が溢れている。
まぁ「あれ」と比べたらどの個体でも同じ事が言えるのだけれど。
「………あいたいよ、えーりん」
「?えーりんならそこにいるじゃないか、ナス顔の」
「ちがうのよ、私じゃなくて別のえーりん」
永琳さんは唯一無二の存在だがゆっくりであるゆっくりえーりんはれいむやまりさほどではないが沢山存在する。
前に永遠亭へお邪魔した時道中でうどんげやてゐ、てるよと一緒にいるのを結構よく見かけたことがあった。
普通のゆっくりえーりんや身体が箱で覆われているえーりん、もちろんナス顔になっているえーりんもよく見かけたものである。
「どうやらつれてこられてそのままあそんでいたけれど、きづいたら誰もいなくてかえれなくなった。ということらしいわ」
「うええええええん、かえりたいよぉぉぉ」
泣きじゃくるてるよを一生懸命なだめようとしてえーりんは先ほどから何回も銀髪でその頭を撫でているがてるよはいつまでも泣き続けている。
流石のえーりんも困り果てていると先輩が一歩前に出てこういった。
「………………おい、そこのてるよ」
「…………ふぇ……なに?」
「そこのお兄さんがお家まで連れて行ってくれるらしいぞ、よかったな!!!!」
満面の笑顔で、先輩は僕の意思を全く無視し、僕の姿さえ見ようともしないで、そうてるよに言い放った。
「え、えええええええええええええ!!!!!!!」
「なんだよ、どうせ道中だろ。ついでだと思ってさ」
「いや、連れてきたの先輩でしょ!!先輩が送って行けばいいじゃないですか!!」
「僕はこれから妖怪退治しなくちゃいけないんだよ」
先輩が言うように確かにこれは「ついで」と言えるような用件であり、断っている僕はまるで単なるチキンでヘタレで極度の根性無しのような印象を与える。
ただ考えてみて下さい。ゆっくりてるよは例えこのように感情的でもあまり動かない性質があります。
そしてボールみたいに軽いと思われるゆっくりですが、これが意外と重いのです。
当然でしょう、中身が詰まっているのですから。時々浮いているような個体がいますがそんな都合の良い展開はないでしょう。
最後に、あの迷いの竹林でどうやって元いた場所に返すんだよ!!!こんにゃろうめ!!!!
あそこは下手したら一日、いや二日は迷う所なんですよ!それを治りかけのこの足で重装備で彷徨いていたらどうなるか!!!
「軽蔑してもいいですか?」
あ、やめて。永琳さんと同じ瞳で冷ややかにこっちを睨みつけないで下さい。
「…………でもその言い分も仕方ないことね、わかりました。竹林についたらわたしがこのかぐやさまを家までおつれします」
「え?いいのか?」
「ええ、確かに貴方はなおりかけ、そんな人を無理にあるかせるようなこと医学に籍をおく私はするべきではないわ」
今、僕は迷っている。えーりんが言っている方法は合理的でなおかつ献身的であり、否定する要素はない事は承知している。
だが小心者故の性か、このような仕方ないというように譲歩されると物凄く後気味が悪くなるのだ。
良心の呵責による重圧。あまりにも効果的なのでもしかしたら故意的にこれを狙ったかのではないかと疑いたくなるが流石に身内を疑うのは良くない。
本人が言うようにえーりんは薬剤師。それに僕の身を案じてくれるだけでもそれだけ嬉しい事じゃないか。
しかしなんでえーりんはさっきからチラチラこっちを見てるのだろう。
「………………ええと、その。」
「えーりん、えーりん……」
その重圧に拍車をかけるようにてるよが弱々しくそんな声を上げる。
傍目から、第三者的、客観的に見るとなんの変哲もない光景だがこれは婉曲的なイジメです。
何で永遠亭に行くまでにこんな心労ばっか溜め込むことになるのだろうか。ほとんどの原因は自分にあると言っても。
「…………早く決めろよ」
とうとう先輩が痺れを切らし始めた。殴られる前に決断しよう。
「……………僕もそのてるよ連れてくよ」
「……………いいんですか?」
何回も迷った末の決断だ。悪く言えば重圧に耐えられなかっただけである。
「………礼をいわせてもらいます」
ほんの少し黒い笑みが見えたがえーりんはそう深々と僕に対して頭と言う名の身体を下げる。
永琳さんと同じ顔で顔を下げて貰いたくなかったがそれを完全に否定するほど僕は小っちゃくない。
むしろ同居人としてのゆっくりえーりんにお礼を言われたことなんてあまり無かったからほんの少し嬉しかった。
「じゃあそろそろ行かせてもらいます。ありがとうございました。先輩」
僕は隣の部屋に置いてあった自分の荷物を取りに行き(その際ぐうたらのてるよを踏んでしまったが何の反応もしないまま寝続けていた。)
頭の上にえーりんを載せたあとてるよに手を差し伸べた。
「………うん」
そうしててるよは精一杯のジャンプをして僕の腕の中へと飛び込んでいった。
「………………うぎゃあああ!!!」
「!!!!?どうしたの?」
「お、重い!!!」
その質量はまるで鉛の如し。腕を伸ばしながらてるよの顎を十本の指で引っかけるのが精一杯である。
「ひ、ひどいわね!!」
今まで弱々しかったてるよもこの時ばかりは流石に激昂した。だがこの重さは最早乙女とか少女のプライドとか言うレベルではない!!!
「…………ちょっとみせて」
この重さでは頭の上にいるえーりんに見せることは出来ないので僕はてるよをその場にゆっくり置きえーりんをてるよの前に降ろした。
「……………………すいません、かぐやさま」
「?」
えーりんは神妙な顔をしたかと思うとその銀髪をてるよの口の中に突っ込んだ。
「……………漫画774冊、CD45枚、DVD66枚、蒼式デスクトップ型パソコン3台、ノートパソコン2台、うまい棒1064本!」
それはもしかしててるよの中にある所持品の一覧なのか。重くないという方がおかしい話である………
「……………せんぱい」
「重いのか?」
超人万歳。
「こまりましたね、これでは折角の案が……かぐやさま、それらをここにおいていっては……」
「いやだぁ!えーりん!たすけてえーりん!」
てるよはまた泣き始めるが先ほどまでの涙と違って今回は同情する余地がない。
結局僕とえーりんは困惑してしまいこの泣いてるてるよをただ見てることしかできなくなった。
「…………………」
そして、先輩は今泣いてるてるよを見て苛立っているのだろうか歯軋りをしている。
「や、やめてください。わがままをいって皆をこまらせてますがかぐや様をなぐるのだけは……」
えーりんが先輩を宥めようとしているがそんな物無駄に決まっている。
「…………………わるいこはいねぇか」
先輩は一歩、一歩ずつ拳を固めててるよに近づいていく。もう誰も止められない。
とそんな中玄関の方から戸を叩く音が聞こえた。
「………………おい、陰鬱メガネ。お前が行ってこい」
「ぼ、僕がですか?」
「ああん?」
あ、こりゃ行かなきゃやばい。僕は荷物を降ろすのを忘れたまま玄関へと向かっていった。
外界へと繋がる扉を叩く音が間近に聞こえ僕はそんな音を排除するかのようにその扉を開ける。
その瞬間、全ての音が僕の世界から排除された。
「え、え、え、え、え、え、え、え、え、え、え、え、え」
「お久しぶりね」
焦げ茶色の帽子を被り、目全体を隠すようなサングラスをかけ、赤と蒼で配色されたロングコートを羽織ったその女性は銀色の髪を携えて僕の目の前に現れた。
「永琳さんッッ…………」
「ずいぶん元気になったみたいね、それでもまだ万全というわけにはいかなそうだけど」
ま、まだ最後の覚悟が決まっていないというのにこうして僕は永琳さんと向き合ってしまった。
もう恐れはないはずだ、焦りだけが今の僕の心を支配していく。
「…………でも急がなくては。失礼するわよ」
そう言って永琳さんはそのままずいずいと家の中へと入っていく。焦っている上に呆然としていたのでみすみす通してしまったが
もしそうでなかったとしても僕に止められるだけの度胸はなかった。
「ここにゆっくりかぐや様はいないかしら?」
そして永琳さんは堂々とそう言いながら先輩達がいる部屋へと入っていった。
「……………え?」
今まで先輩を抑えてくれていたのだろうか、ゆっくりえーりんは先輩とてるよの間に挟まって冷たい視線を先輩に送っている。
だがその瞳も永琳さんが入ってきたことであっと言う間に丸くなりこちらに視線を移していた。
そして動く事に消極的なてるよでさえも永琳さんを見てぴょんぴょんとアグレッシブに跳ね始める。
「!!えーりん!えーりん!!」
「……………なんだ、あんたか」
「お久しぶりね」
先輩はゆっくりえーりんに向けていた顔を今度は永琳さんに向ける。
永琳さんはそんな先輩の気迫に動じる様子もなく帽子を取り先輩に対して一礼した。
「さ、ゆっくりかぐや様。帰りましょう」
「うええええん!!えーーーりん!!!!」
このゆっくりてるよの言っていたえーりんとはゆっくりえーりんの事ではなく本物の永琳さんの事であったのだろう。
てるよはのろのろとゆっくり這いながら永琳さんの足元まで近づきそのまま頬をすり寄せている。
その健気な姿を見て永琳さんもサングラスで瞳は見えないけれど口元は美しく微笑んでいた。
「…………………」
「全く。お、戻ってきてたのか」
自分で行かせておいて酷い言い様だ。でも怒りが収まっている分まだ良かった方なのかもしれない。
僕は溜息を一つついてそのままそこのへたり込んだ。
「………………ちょっと失礼するわよ」
ゆっくりえーりんがそんな事言って僕の足の上に乗ったようだけど僕はそれすら気にならないほどに永琳さんを見つめている。
振られても憧れの人。再び会って分かったことだが、僕はやっぱり永琳さんが好きだ。
「……それでは、ふふ」
そして永琳さんはそのてるよを連れて早々とこの部屋から立ち去ろうとしている。
もう行っちゃうのか。そう思いながら僕は永琳さんを目で追う。
折角好きな人と出会えたのだからもっと話をすれば良かったな。いや、話なんかしなくてもこの目に映してるだけでも僕は満足だ。
ただ………本当に僕の事嫌いじゃないのかなとまだ思い続けている。再び疑うとまた余計に少し怖くなっていく。
僕は、僕は、それが、聞きたい。
「あの……」
「?なにかしら」
振り向いてくれるだけで、見つめてくれるだけでも少し怖い。でも、今が最後の一歩を踏み出す時なのかもしれない。
僕は立ち上がりそのまま永琳さんに向けて一歩を踏み出した。
「そ、そのっ!ええと……ぼ、ぼくのっぼくのっ………うううううう」
……………どうしても声を出す決断が出来ない。
そんなしどろもどろになっている僕を見て永琳さんは微かに微笑んだ。
「ふふ、お似合いね。二人とも」
「…………………む」
無意識にゆっくりえーりんを抱えてしまっていてそのことを話題にされてしまった。
この流れでは何とも話を切り出しにくい。
「それで?僕の……なに?」
ちょっと後悔してしまったが永琳さんはそんな僕の心情を汲み取るように僕の言葉を拾い上げてくれた。
「そ、そのっええと、ぼくのっ」
ああ、僕はなんて駄目な奴だ。腕の中にいるゆっくりえーりんも次第に目つきが悪くなっていく。
こんな不甲斐ない男と一緒に住むことになってゴメンな。でも、これが僕そのものなんだ。
「そ、そのっえ、え、え、え、えーりんっさんっに」
「もしかして、そのゆっくりえーりんを私に?」
…………………………………?
「許さナス!!!!」
そういきり立ち、腕の中にいたゆっくりえーりんは思いっきり永琳さんへと飛びついていく。
「げらぁ!!!!」
飛びついた瞬間永琳さんの身体から謎の声が響き渡る。
そのままえーりんはコート越しにその永琳さんの身体に噛みつきながら銀髪で永琳さんの顔を叩いていった。
「や、やめ、やめろ!」
ようやく言葉が出たがえーりんはそんな僕の言葉に耳を傾けようともしない。
僕は力尽くでも止めようと思ったがどうもこの動きそのものが不自然でありこのまま様子を見ていたいという気持ちが勝りその場で立ち往生してしまった。
「よくもたぶらかして!恥をしりなさい!!」
「ぶえええええええええええええええええん!!!!」
「や、やめるウサ。バランスが崩れるよ!」
「あ、あああああああああああああああああああああ!!!」
そして多くの声が重なりながら、永琳さんは、いや永琳さんの身体は不自然に崩れていった。
永琳さんが倒れた後、永琳さんが倒れているはずのそこには四つのナマモノの姿があった。
まずはゆっくりうどんげ、何故だか知らないけど大きな泣き声を上げながらへたり込んでいる。
そしてゆっくりてゐ、顰めっ面をしながら悪態をつき、不機嫌そうにうどんげをいびっている。
さらにもう二つは
「なにするのよ!このナス!」
「うるさいわね!このハコモノ!」
ナスこと僕の同居人ゆっくりえーりん。
ハコモノこと、僕の腕に収まるほどの箱から顔を出している永琳さん、いやゆっくりえーりんだ。
ナスえーりんは髪の毛を使い、ハコモノえーりんはその箱から伸びた身体に合わない長さの腕で互いにどつきあっていた。
「…………………」
恐らく、てゐとうどんげが肩車をしてその上にハコモノえーりんを載せる。それをコートで隠すことによって永琳さんに変装したのだろう。
普通なら瞬時にばれるようなものだが、そうならなかった原因はハコモノえーりんの顔がゆっくり顔でなく、永琳さんの顔そのものであったことであろう。
こんなそっくりでその上声、雰囲気まで同じだったらもう一見では間違えようがない。
でも 僕は絶対に間違えてはいけなかったのではないのだろうか。偽物と勘違いしたなんて、
僕は本当に彼女を 。
「何故貴方たちはこんなことしたの!?」
「かぐや様を取り戻すにはこれが一番だったのよ!では貴方は何故そんな怒っているの!?」
「……………………貴方たちに悪意はない。でも酷いことをした」
そしてまたえーりん同士の喧嘩が始まる。今この場にはこの喧嘩を止める者はいない。
先輩は唯々気怠そうにその喧嘩の様子を眺めているだけだし、てるよはその喧嘩を目の当たりにしながらおろおろと何もしていない。
僕は、動いてすらいない。この喧嘩を見ながら自分の考えを巡らせている。
「酷いこと!?一体何のこと!?」
「…………………………」
がむしゃらに喧嘩をしているえーりんを見て、もしかしてコイツは僕のために喧嘩しているのではないかと思う。
永琳さんを語った偽物に対し、僕を惑わせたことを怒っているのではないかと。
そんなこと、コイツが? 自意識過剰にも程がある。
「…………………」
じゃあ何で喧嘩し続けるんだ。このなすえーりんにとって永琳さんはそれほど崇高な存在だったというのか。
それ以外に理由なんてあるはずがない。この自意識過剰な考えを除いて。
「………………………あの人は、まよって、まよって、せっかくつよくなろうとしていたのにあなたはあの人をたぶらかしたのよ」
「…………………?」
「だから許さナス!」
そんな、そんなあまりにも優しくて甘いこと言いながらえーりんはただがむしゃらにその思いをぶつけていく。
……………………………………………
もう、いいんだ。
僕は今まで止めていた身体をゆっくりと動かし二人の間を腕で遮った。
「…………あなたは……」
「僕はいいんだよ、もう決めた。永遠亭に行って話を聞いてくるから、もうえーりんが怒る必要はないんだ」
こんな優しすぎて甘ったるい思いを受けて、僕の心はもうこれ以上ないくらい満足している。
だからもうこれからのその思いは自分自身に向けてくれ。
「…………………できるのですか?」
「……………やってみせるさ。だから喧嘩なんてするな」
これがこの小心者が見せる精一杯の意地だ。
そして僕の人生のピークはこの後、永遠亭において訪れるのだろう。これはそこへと踏み出す最後の一歩。
ありがとう、えーりん。
「………………回りくどい。」
先輩が呆れたようにそう呟いた。
本来なら前回の作品でやるべき事を延長しながらも果たすことが出来た。
そんな僕の被害者と言うべきハコモノえーりんに対して僕とナスえーりんはその頭を畳みに擦りつけていた。所謂土下座。心からの謝罪だ。
「えーりん、えーりん!」
「かぐやさま。ご無事で何よりです」
しかしこのハコモノ本当に永琳さんと顔が似ている。その箱から腕と脚と顔だけ出したような奇妙な風貌さえなければほぼ本物だろう。
「…………別に気にしてませんし、私たちはかぐや様を見つけただけでもう十分です。
それにかぐや様から世話になったと聞いてます。だから土下座なんて止めなさい」
「…………………分かりました」
「それでは失礼いたしました。」
「げらげらげら」
「結局ぐだぐだ、バカなの?死ぬの?まぁ結果オーライだけど」
「またね、なすのえーりん!」
そうしてゆっくり永遠亭グループはそのまま僕らに別れの言葉を言い、そのまま外へと帰って行く。
僕らも手を振り見送っていこうとしたが先輩はふと思い出したように家の奥へと入っていった。
「……?先輩?」
「おーい、おまえら!」
そう言って、先輩は瞬時に戻ってきて何かを抱えながらそのゆっくり永遠亭グループの下へと駆け寄る。
「コイツも連れてってやれよ、大事なかぐや姫なんだろ?」
「いるかぁこんなニート!!!!!」
叫びながらハコモノえーりんは先輩が抱えていた球体を奪い取り勢いよく投げつける。
運の悪いことにそれは勢いに任せ辺りを跳ね回り、そして最後に僕の頭部へとクリティカルヒットしていった。
「すぅ…………」
それはもう一つのニートてるよ。これだけの速度でぶつかっても起きたりしないなんて、流石としかいいようがない。
もちろん運の悪い僕はこんな物理運動に耐えられるわけが無くそのまま地面へと一直線に倒れていった。
殴られたところが余計に腫れていくのを感じた。本当に先輩はろくでもない。
そんなこんなで竹林の中。僕は顔に大きなガーゼを貼り付けながらえーりんと一緒にゆっくりとぼとぼ歩いている。
「……………な、えーりん。僕と一緒に住んでて嫌じゃないか?」
「嫌じゃないわよ、でも、それ以上かどうかはおしえない」
いつもの調子を取り戻し飄々と僕の言葉に受け答えをする。やっぱえーりんはこうでなくちゃ。
いくら僕の事を思ってくれていても甘ったるいのは少し苦手だ。
それでも僕はえーりんと一緒にいると嬉しい。伴侶、と言うわけではないけれど。
「…………決心はしたけど大丈夫かな」
「小心者、チキン、ブレザー」
「分かってるよ自分のこと。ていうかブレザーってなにさ」
「そんな貴方がまよう前に早くいきましょう。道にまよわないようにね。」
物理的にも、精神的にも、と言ってえーりんは静かに笑う。
僕もつられて笑い、僕らはいかにも楽しそうに永琳さんに会いに行くのであった。
月姫の床 終わり
昔考えた古いネタなんて使う物ではないとしみじみ思うこの一品。弔士君の言っていたことは正しかった。
この作品は『
蓬莱の茄』の続編じゃなくて延長線みたいな物語です。
前回モデルがいるって書きましたけどもう確実に乖離しすぎていると自分でも思う。それはそれで悩みの種です。墓まで持ってくかもしれません。
この物語のせいで企画物に参加できなかったのは少し悔しいですがそれでも仕上げたつもりです。
酸いも甘いもあまり体験したことない自分がこういう物語を書くのはかなり難しいわけで。
えのちゃんも言っていたようにくどい表現ばっかしてるなぁと思っています。その上語彙が足りないので訳分からんことに。
でも書き終えて自分は嬉しいです!!
というかゆっくりSSか?これ。
そんなこんなでこの物語の次回作は「魔梨沙の夏」誤字じゃないよ。うふふ。
ネタだけは無駄にある自分なので皆の期待に添えられたらな、と思ってます。それでは次の長編で。
短編の書けない鬱なす(仮)の人でした。
- なんやかんやでこの話好きだな -- 名無しさん (2009-08-12 14:48:06)
最終更新:2009年08月12日 14:48