秋姉妹の軌跡 1st challenge

この話はゆイタニック企画の雰囲気だけお楽しみくださいを手直ししたものです


「…よう」

「…」

 まだ開店して間もないのか、人気の少ないバーの隅にて、一人の男がとある少女に呼びかける。
 少女は男と一切係わらない容体で、男の呼びかけを知らん振りしてラックに置かれている酒瓶を眺めているのみだった。
 男はめげる様子も無く、根気良く少女に話しかける。

「会ったな。地味に、探していたんだぜ」

「…」

 少女はちらとだけ男の方向に体を傾けさせるも、すぐに興味を失わせてしまったか再び男を無視して発言を聞き流させてしまう。
 流石にこの男もまともに会話を成立させることは諦めたか、寂しそうに肩をすくめさせてガランと開いている少女の隣の椅子に、重そうに体をねじらせて腰をかけた。

「冷たいな。…聞いたぜ、『幸せの部屋』の管理者だとかなんとか、笑わせるぜ。
 滑稽な話さ、俺たちが善人のニュアンスのイメージを持たれるなんてな。耳に入れたときは思わず疑っちまったぜ」

「…」

「…俺を無視か。それでもいいが、悲しいな」



『数少ない、事情を知っている知り合いの一人じゃないか』




  1st challenge




 一人デッキの手すりに寄り掛かって、まるで背伸びをしたようにのびて海を抱え込んでいる、墨染めの曇を眺めていた。
 良夜の風に揺られ、無機質に残響して打ち付ける波音。
 変わらず一律に押し寄せる波浪に耳を傾けていると、不意に、何やら誰かが私に近づいてきたことに気付く。
 鼻裏を通り抜けてくる、ツンとした切れのあるミントの匂い。
 …おねーちゃんの匂いだった。
 おねーちゃんは私から隣の手すりに腕だけを乗せて、指の間に挟んでいたひとひらのタバコを放り、捨てる。
 先端に、すでに火は点いていなかった。
 タバコは宙でおどけたようにひっくり返り、私の背にして10倍はゆうにあるだろう高い船腹をすれすれに落下してゆき、元から何も無かったかのように消え去ってしまった。

「駄目ね。船の風通しが良すぎて、タバコの煙なんてすぐに吹き飛ばされてしまうわ」

「…また、タバコ吸ってたんでしょ」

 おねーちゃんはさも当然の様に気に留めた素振りも見せず、腕だけ寄り掛けさせていた手すりに胸を乗せてもたれ掛かる。
 海上には、一面をさっぱり塗りたくられた漆黒に、ポツリと一点今にもはかなく押しつぶされてしまわれそうなネオンも、遠くからぬっと姿を現して不安定にそよぎ揺られる貨物船も、何も無い。
 さざ波は途方もくれない距離を渡り、やがて私たちの見慣れた港市場まで流れ着くのだろう。
 客船の甲板は頂上に設置されているバック・ライトにより、眩しすぎるほどに照らされている。
 照明の輝きが余りに強いため、あふれている光を利用して、私たちは客船のサイド通路にてさあっと吹き渡る風を頬に感じていた。

「体、壊すよ」

 どんな小言を言おうと無駄だとはとうにわかっているものの、どうしてもしみ出る独り言を波打つ海面に吐き捨てる。
 もちろん、おねーちゃんの表情はどこ吹く風で、一向に取り合ってくれる気配は無い。
 溜め息をつくと、私の眼前にはもくもくと白い煙がたまってくる。
 ものの、溜め息はすぐに頭上へと登ってゆき、バラバラに蒸散してしまった。





「あ、あ、当たった! クルーズ、ラグジュアリー、クルーズよ!」

「…何よ、うるさいわね穣子。淑女たるものどんな時でも冷静でしとやかな…」

「あ、ぐあ、えっと…!」

「どうしたのよ。慌てなくたって、ゆっくり話を聞くわよ。…クルーズ客船?」

「そそそそそそそう!! 今話題の、テレビにも宣伝されてる、『ゆイタニック号』だよ!?」

「…ふうん、そう」

「…。おねーちゃん、嬉しくないの?」

「嬉しいわ。大好きな妹と、水入らずの旅行ですもの」

「…誤魔化しちゃって、おねーちゃん」


「…変な、おねーちゃん」





「…まだ、実感が湧かないよ。ショッピングも何もやりたい事は全て済ませたけれど、私たちは本当に、豪華客船の床に立っているのかなあ」

「ふふ。ラグジュアリークルーズですもの、今に感極まって足が震えてくるわよ。帰る頃には、きっと私たちもハリウッドデビューね」

「…なあに、それ。変なの」

 違和感というか、質こそは違うものの普段とそこまで変わらない環境に戸惑い、その心境をおねーちゃんに呟く。
 されども、おねーちゃんからの言葉はそれこそヘンテコな雑感が返って来た。
 何を言っているんだろうと、私は少しだけ胸を海に向かって垂直に面させて、呆れ具合をおねーちゃんにアピールする。

「今宵の航跡は美しい、荒れ寄せるさざ波たちは私たちを祝うセレナーデ。…とか言えば、らしい?」

「らしいも何も、似合わないよ」

 お互いの笑い声が、たちまちにこだまする。
 一通りお腹を動かした所でおねーちゃんの顔色を窺うと、おねーちゃんはただ何も無い水平線を眺めるのみ。
 …出港してから、既に4日も経過していた。
 100時間も、家に帰っていないのだ。
 おねーちゃんの瞳は自分の町を憐れむような、悲しんだ、…現状を見据えた瞳。
 私には、そう感じられた。
 ホームシックの感傷にでも浸っているのだろうか、元気つけようとも考えたが、…そっと、側にいることだけにした。

「怖いの」

「ん。どうしたの、おねーちゃん」

「…無事に家に帰れるか、怖いの」

 …しばらくじっと動かない容体のままで、 寸刻の後にぐっと、手のひら越しに手すりに力を入れた反動で体を起き上がらせるおねーちゃん。
 『寒くなったわね』と私に向けて一言呟いて、おねーちゃんはそのまま甲板へと歩き出した。

「…あ。私の腕、冷たい」

 ほどなくして、私自身の体もそれなりに冷えてしまっている事に気が付いた。
 風に当たりすぎたか、おねーちゃんは察してくれた面もあるのだろう。
 何も言わず、おねーちゃんが向かっていった方向へ視野を傾ける。
 目の前には、床につんのめっているおねーちゃんの姿があった。

「…、…! お、おねーちゃん!?」

「大丈夫よ、穣子。いきなりに後頭部がチリと熱くなる衝撃があってね。…ん?」

 口では多少強がっているものの、かなり動揺しているのだろう、おねーちゃんは床に手をついたまま。
 落ち着いて、何とか立ち上がり辺りを見回すおねーちゃん。
 おねーちゃんの目先には、浮ついた聞こえの音を響かせて転がっている、空のバケツが存在した。
 あまりに足元であったため、おねーちゃんは不用意にもバケツを靴のつま先で当ててしまい、そのまま通路を渡って前の甲板へ転がって行く。
 やがてバケツは一人の男のかかとに当たり、その動きを静止する。
 そのまま男はこちらへ近づいてきたのだが、バック・ライトからの逆光により男の姿そのものが見えにくくなっていた。

「お怪我はありませんか」

 優雅なベースボイスの利いた、凛とした低い声。
 声色自体は柔らかく、こちらの身を案じてくれているものなのだが、何故だかこの男に係われているという事に嫌悪感を感じた。
 とっさにどこか異様といった印象を受け、私はぶっきらぼうに顔を背かせるのみだった。
 男の雰囲気だけでなく、手を腰に置いた立ち振る舞い、顔立ちも、好ましく思わないものだった。

「…おやおや。警戒と言うべきか、嫌われてしまったあんばいですね。初対面だと言うのに、それに、私は忠告を伝えに来たのです」

「バケツに関してかしら」

 おねーちゃんが突っぱねる言い分で、まるで男に噛み付くかのように、歯向かう体裁で聞き返す。
 男は『怖い、怖い』と白の手袋を付けた手を胸元にまで引き付けておどけるも、すぐに沈着を取り戻して話を続ける。

「いや、いや。バケツが頭に当たり不機嫌になるのも無理はないですが、それは事故ですよ。呪いかも」

「…あほらし。行きましょう、穣子」

「まあ、待って。まずまず重要な話ですよ。今宵は呪いが猛威を奮っているらしいですからね」

 男はやはりひょうひょうと、ふざけた態度を取ってとんでもない馬鹿げた話を口にする。
 私はほとほとに呆れ帰り、少したりでも男の話を真面目に聞いた事を後悔して、これ以上は付き合いきれないと判断して男を無視して甲板へ向かう。
 下手に話し込んでしまったため、余計に体が冷えてしまった。
 …私の視野に映る甲板は、主観だが、何故だか慌ただしく辺りをのた打ち回って、うろたえている印象を受けた。

「信憑性のある忠告ですよ。皆、船内に批難を始めているのです」

 背中越しから、男が話しかけてくる。
 聞き流そうとする。
 しかし、地面を這いずる低音の声が私の耳にこんがらがって絡みつき、反響する。
 どこか騒がしくごたついている甲板で、男の声のみが透き通り響いてゆく。
 男の声量は、決して大きいものではない。
 その事がまた、私を一層、不安にさせた。

「あんたは」

「船のボーイです。何なりと、申し付けを」

 おねーちゃんの言葉を途中で遮りいらぬ自己紹介を告げた男。
 そいつはいつの間にかこちらへ近づいてきていた。
 その体に纏っていた逆光がぐわりと払拭されて、全面を表したその姿は、船員のクルーのものであった。
 男の体格は見上げてしまうほどに大柄で、訓練を行っているのか、引き締まった体をしていた。
 私たちの鼻先まで踏み寄ってきた野郎は、頭に載せた帽子を右手に取ってそのまま右手を胸に押さえつけて、一礼をする。

「キザったらしいわね。忠告はありがたいけれど、もう用件も無くなったでしょうしどこか行って頂戴」

「そうは言われましても、私も甲板に戻るためにはあなたたちと同じ通路を通った方がずっと早いのです」

「戻るならさっさと歩いて私たちを無視すればいいのに。邪険にされている事に気が付かないの?」

「とは言え、折角顔をあわせた仲ですし、挨拶くらいはしておかないと寂しいではありませんか」

 こいつの言う事は最もだ。
 はたから聞いていれば、おねーちゃんがこいつに対して偏屈で、鬱陶しいくらいに突っ掛かっている辟易した人にしか見えない。
 …それでも、このいけ好かない輩に対する鼻持ちならないといったイメージは、どうしても拭えなかった。
 おねーちゃんが噛み付いているため、私は後ろから眺めているだけなのだが、…ひょっとしたら私がおねーちゃんの立場に居たのかもしれない。
 それくらいに、理由も原因もわからないままだが、快く感じない男だった。
 男も引き下がる様子は無く、延々と言葉の応酬は続いてゆく。

「申し付けていいのよね。なら、悪趣味な呪いって全部アンタがやってるんじゃないの」

「口を慎め二流市民」

 おねーちゃんが男に対立して軽口を叩いた、その時だった。 

「…!? が、ああっ!」

「あまりに態度が気に入らないですね、置かれている立場を考えた方がいい」

 男の態度が一変、元からどこかにじみ出ていた不穏な気配を全身にむき出しにして、片手でおねーちゃんの服の襟元を力任せに鷲掴みし、おねーちゃんを壁に押し付けた!
 少し力を入れたくらいでひねられてしまわれそうなおねーちゃんの首元が、白の手袋をはめた男のもう片手によって、…思い切り絞められてしまう!
 おねーちゃんは男の手首を自分の手で握り抵抗するものの、おねーちゃんはどんどんと壁に打ち付けられながら宙に浮いた状態になってゆく…!
 足をもがけさせるも、地面には、届かない!

「ぐ、うう…!」

「おねーちゃん、あ、あわ」

 …あんまりにも、突然!
 そんなことをされれば、体格差から普段特別に格闘技をしている訳でもないおねーちゃんはひとたまりもない!
 なんとかしなければ、私の本能がけたましい鐘の鳴った音色を引き連れて呼びかけてくる!
 …でも!

「あ、あ、…ああ」

 …ひどく唐突にさらされた事態に、どうしようも無い恐怖が内からせめぎ立ててきて、…動けない!
 体を支える足ががくがくと震えてきて、どんどんと腰が地面へ接しそうになるが、…懸命に、腰に力を入れて床下に踏ん張る!
 今ここでへたり座ってしまったら、確実にしばらくは立ち上がれないだろう!
 そうなったら最後、おねーちゃんはただでは済まないだろう!
 実の姉が苦しむ様を、ただ指を咥えて見ているだけと言うのか!?

「ああ、ああああッ!」

 怖い、何かされたらどうしよう、おねーちゃんみたいに首を絞められたらどうしよう…!
 様々な雑念や慄然が私の胸内を飛び交って、今にも足が止まりそうになる!
 けれど、…足を止めたらどうなるんだ!
 叫んで、無我夢中に、渾身のタックルを男にくらわせる!
 …手ごたえ虚しく、男はクルーであるため普段体を鍛えているのか、…びくとも、しない!

「…ふん」

 男はおねーちゃんの服の襟もとを掴んでいた手を離し、そのまま床下へおねーちゃんを投げ捨てる!
 げほりと身に堪えた咳を立てて、おねーちゃんはぐったりと床に横ばってしまう!
 あまりに見ていられなくなって、男から遠ざかりながら、必死におねーちゃんの元へと駆け寄る!
 しかし、おねーちゃんは、近寄る私に腕を伸ばして拒否を示す。
 …やりきれない、沸々とした怒りを憶え、息を整えて男を睨みつける!

「せいぜい足を掬われないようにすることだ。暗闇は、いつでもお前たちに花束を手向けている」

 意味深で、とても瞬時では理解できそうも無い薄気味の悪い文句を小声で私たちに向け、男はゆったりと体を揺らして甲板の光の中へと姿を眩ませてしまった。
 後に手土産すら持たず、遠慮なく無頓着に訪れた周囲の様相は、静穏。
 静けさが耳内でこだまして体内に吸収されてゆく度、ひどく呆気に取られていた私の体が感覚を取り戻してゆく。
 今現在自分がどんな景色を視野に入れているか認識できるようになる頃には、脳が細胞に命令してゆく感覚の回収が普段のそれを大きく上回ってゆき、憤怒にわななくばかりだった。
 声にすらできなかった。

「…穣子。怖かったわね。でも、過ぎ去った事だわ。顔を上げて…、…いや。
 心優しい穣子は、私の事を案じてくれたのよね。私に万が一があったかもしれないと思うと、やりきれなく投げ出してしまいたくなってしまったのよね」

 おねーちゃんは取るものも取りあわず、―されども足音は立てずに、私に駆け寄ってくる。
 そのまま勢いを殺さず、ぎゅっと私を抱き締めてくれた。
 顔ごとおねーちゃんの胸に埋まってしまったため、私の視界は瞬く間に黒く塗りつぶされてしまった。
 …おねーちゃん特有の、柔らかく安らぎを感じる枯葉の匂いが、体いっぱいに伝わってゆく。

「私は無事よ。ひどく最低だけれど、幸い、纏っている衣類に損傷はなかったし。
 …泣かないで。悲しい表情をしないで、私まで胸が痛むじゃない…」

 おねーちゃんの一言から、初めて自分が涙を流していることに気が付いた。
 埋めていた顔を少しだけ上げて、頬を右手の人差し指で軽く拭ってみると、透明で指にすけている雫がはらはらと風に揺られていた。
 それを見てまた、なんでか目じりが熱くなってしまった。


『そして、我が片腕に抱き締めよう』


「…?」

 胸先から見上げたおねーちゃんの目線ははるか上に向けたもので、相貌は険しく、…誰一人寄せ付けないものだった。
 中途半端に雲隠れした月が、あざ笑うかの様におねーちゃんの瞳を照らし、彩る。
 それが私にはある種の皮肉に感じて、今私が体に感じている温もりすら偽のもので、実際の私は既にどこかへ置き去りにされたのではないかと恐怖感におののいてしまう。
 おねーちゃんの視線は、途方もくれない程先に位置する地平線を眺め、捉えている。
 …正直になると、不気味な、

 ここにいるおねーちゃんは既におねーちゃんでは無いような、…あべこべな印象を受けた。

「…何を呟いたの、おねーちゃん」

「心配させたかな」

 おねーちゃんが私の顔に合わせてしゃがみ振り向いてきて、私のおでことおねーちゃんの唇が、一瞬だけあわさる。
 額にすうっと空気が通り抜けて、合わさった時の温もりよりも、離された後の冷気と恥じらいが内面に残る結果となった。
 おねーちゃんは、目を私に見据えたまま、微笑みかけた。

「…卑怯だよ」

 衝動が大きすぎて動きがとれない感情を、おねーちゃんの肩に向けて自分の頭を乗せる事により誤魔化す。
 両腕をおねーちゃんの腰回りに伸ばし力を入れて締めることにより、つまらない不意打ちで私がどんなに苦しんでいるのかアピールし、ちょっとした抗議をする。
 されどもおねーちゃんには既に私のちっぽけな心情など見透かされているのだろう。
 そのまま委ねていた身を抱えられたまま起き上がらされて、真っ赤で手触りの良さそうな絨毯でコーティングされた床にしっかりと立たされてしまう。

「何を意識しているのよ。姉妹でしょう、恥ずかしがることは無いわ」

 おねーちゃんは元気つけるように私を呼びかけて、室内へ入る扉と通じている甲板へ歩いてゆく。
 …しかし、すぐに進めていた足をピタリと止めて、その場で呆然と立ち尽くしてしまった。
 男に夢中でそこまで光を受けていない目に対し、嫌にまばゆく照らされている甲板ではおねーちゃんの様子を窺うことが精一杯で、何があったのかさっぱり掴めずじまいだった。
 駆け足でおねーちゃんの側へと踏み寄ると、…そこには。

「…」

 バック・ライトにより照射されている甲板に、誰一人として存在していなかった。
 船正面の手すりにも、中央にいくつか設置されている飲食用のパラソル付きテーブルにも、ちょっとした小さなオーケストラ用のホールとなっていた場所にも、そのオーケストラの演奏者も。
 臨時に備えて待機しているであろう入り口前のドアマンですら、尻尾を撒いてどこかに消え去っていたのだった。

「…わからない」

 特に頭で何も考えることなく、ただ思ったことが自然と横隔膜より跳ね飛ばされて、ぼそぼそと口に出てしまっていた。
 場の様子は無音で何も聞こえず、ただ絶無として波打つ音が、体内の毛穴に無理やりにねじり込んでくるのみ。
 意識をしだすと身の毛がよだつ感触が背中を主に這って、食道から喉奥までぬるりとした吐き気が込み上げてきては、悩まされる。
 心なしか、体温もぐっと下がってきたような気がした。
 寒気は先ほどから感じてはいたが、ベクトルが違う、心細く不安になる寒さをひしひしと感じた。
 その痛みはまるで針で突付かれているかのようだった。

「意味が、わからない」

「…ふふ。呪いかも」

「冗談言わないでっ!」

 おどけた態度で私に笑いかけるおねーちゃんに、声を張り上げて言葉の受け入れに拒否を示す。
 おねーちゃんも各々その軽口は場に合ったユーモアなどとは程遠いものと理解できていたのか、次第に顔をしかめ改めて辺りを見回す。
 誰かが視界に入らない障害物に隠れているといった節も無く、今のデッキ上は本当にまっさら無人の状態であると再度確認できた。
 …認識した所で、さっぱり嬉しくは無いけれど。

「何があったの?」

 当然、お互いに疑問に抱いているだろう事を、答えが出る筈も無い事を承知で問い掛ける。
 さっきうさんくさく怪しい男に遭遇した際、なんとなくではあるけれど甲板内の様子が慌ただしいとは感じたけれど、…誰も居なくなるだなんて誰が想像したことか。
 血液の巡る鼓動がひたひたと早くなり、迫ってくるかの様に私に重みを加えてくる。
 …ただでさえ臆病な私に、切羽詰った環境で踏ん切りや決断などまともにつける筈も無く、居た堪れなくなって無我夢中で駆け出した!

「行こうっ!」

「…!? 穣子っ!?」

 返事など関係無しに、おねーちゃんの手を一方的に引き連れて船内へ入ってゆく!
 中の様子が危険かどうかなど知った事では無い!
 何か不祥事があったのだとして、それなら船内に入るよりもデッキ上で待機していた方がずっと良いと言う事も理解している!
 単に何かイベントがあって皆移動しただけという可能性も、自意識過剰であるということもほとほとに、わかっているッ!

「もう、嫌あッ!」

 …口から叫びだされた言葉は、本音。
 このままではデッキ上ににじみ出ている重鎮といった雰囲気に、圧迫されている内に丸め潰されてちゃう予感がして、…恐かったのだ。
























  • 静葉ってば言うなぁ……。
    秋姉妹の挑戦はここから始まりですね。 -- 名無しさん (2009-06-15 02:28:29)
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最終更新:2009年06月15日 02:28