始めはでんこの方がイカレたと思った。しかしこのでんこの目は嘘を言っていない。
いや、そもそもでんこはゆっくりのことで嘘をつくようなヤツじゃない。ではこの食い違いは、何だ?
「……………いる、じゃない。今外に………沢山」
「外!?どこどこ!?」
でんこは水を得た魚のように家の外を見回す。すぐそこにいるのに何度も何度も首を振って辺りを見回す様子は私には狂気にしか見えなかった。
「どこよ!いないじゃない!!あ、まりさちゃんだ!!」
「ゆっ…………帰ってきたらやせいのHENTAIがいるぜ………」
どっかに行ってたまりさはでんこの足をくぐり抜けてそのまま室内に入っていく。
そしてでんこはそのまま満足したような顔をして再び室内に戻った。
一言言おう。このでんこにとってその行動はあり得ないはずだ。
「…………………ねぇ、でんこ。あなた、いったい」
「………………………その傷、その腕の傷もしかしてその蜂妖怪に?ちゃんと包帯しなさいよ」
それを聞いて私は自分の腕を見下ろす。確かに私はあの戦いで至る所に傷を負った。
そこには『包帯が腕全体に巻かれている』のに。
「……………………………ま、ま、まりさ、ちょっと………」
「なんだぜ?」
私は包帯を少し解きぶら下げるように垂らす。
「………この包帯…………掴んでみて」
「…………………わかったぜ」
そしてまりさは包帯を口でしっかりを掴み空中にぶら下がる形となった。
特に変哲もない。普通の物理法則に従ったなんて事無い現象である。
しかし何故かでんこはこの世ざる物でも見たみたいに驚いていた。
「うい、てる。飛べたの………?」
浮いてなんかいない。ぶら下がっているだけだ。
この包帯はえーりんに巻いて貰った物。私はこの状況を少しずつ理解していった。
「……………………………………ね、でんこ。一つ聞きたいんだけど…………」
それを聞くのはとっても私の価値観、常識を粉々に破壊してしまうようで怖い。
けどそれがこの世界の真実の姿だというのなら、それを知らなければ私は勝てない。
「この家の外に………………何があるの?」
「何も無い……………………ここは草原の一軒家…………だよね…………
ねぇ、貴方たちには一体何が見えるの!?何で私には見えないの!!ねぇ!ねぇ!ねぇ!!!!」
でんこは今私と同じ恐怖を感じ取っている。認識の違い、あるはずのない物体。
幻覚とかそんなチャチな物じゃない。もっと恐ろしい物の片鱗を、味わった。
「………どうしたんですか。三人してそんな神妙な顔つきで」
奥の部屋から稗榎さんが私たちのための食事を持って顔を出す。
この人は一体どっちだろうか?あれが見えているのだろうか、見えてないのだろうか。
「………………ね、稗榎さん………この家の周りには…………一体何があるの?」
私の言葉を聞いても稗榎さんは頭を傾げることしかしてくれない。
当然だろう。そんなこと私が聞いたら『自分で見ろ』としかいわないだろうから。
「………………えっと、紅里さんの家があるんじゃないんですか?最近外見てませんから…………」
無い、のか。
じゃああのゆっくり達は何だ。私は何処で睡眠を取った。私は誰と話していた!!
考えれば考えるほど私の心にトラウマとは違った恐怖が覆い尽くしていく。
私は虚ろになってたかもしれない。この現実を否定したくないために何か、呟いてた。
「………………この村は………湯月火村………様々なゆっくりが住む平和な村だったけど………
蜂妖怪が襲撃し……………柵を作らなければ安心した生活が送れない……………」
「…………………………………………………………」
稗榎さんは終始無言で私たちをずっと見つめている。
この人は私の言葉を聞いて一体何を考えているだろうか。そして足取りおぼつかない様子でそのまま出口へ向かいのれんをくぐった。
「………………え、なに、これ。いつの間に………こんな村が?」
稗榎さんはそのままゆっくりと外の世界へと続く階段を降りていく。
久しぶりの外の世界を彼女はどう思うだろう。今考えてみると引き籠もり過ぎなんじゃないかと思うがそれは今は無視。
私たちはのれんのスキマから稗榎さんの様子をうかがった。
「おねーさんゆっくりしていってね!!!」
「……………え、えっと。いつの間にこんな村………」
「?この村はずっと前からあるよ!らんが生まれたころからずっと!!」
「なんで?三ヶ月前外出たときこんな村無かったはず!ちょっと触らせて!!」
そう言ってらんしゃまの尻尾を触る稗榎さんだが触っているうちに気持ちよくなってきたのか尻尾に顔を埋めている。
彼女は知らないけど、見えて触れるのだ。
稗榎さんはそのまま三分間ほど顔を埋め悦に入ったような笑顔でようやく顔を出した。こんな事態だけどらんしゃまの尻尾すげぇ。
けどそんな悦に入った笑顔もすぐに暗くなり稗榎さんは俯きながらとぼとぼとこの家に戻ってきた。
「………………おかえり」
「らんしゃまの尻尾、最高でした」
俯きながらもそう言ってビシッと親指を立てる稗榎さん。本当に何を考えてるんだ。
そして私の横ではでんこがなんとも羨ましそうな顔をしている。
「…………」
「…………」
無言だ。こんな雰囲気だけれどこの世界について尋ねるべきなのだろうか。
しかし先ほどアホなこと言っていたけれど稗榎さんの表情はまだ何処か硬い。
このまま無言で居続けるわけも行かず私は勇気を振り絞って声を出した。
「あの……」「あの………」
…………………………………ここに来て同時に発言とは気まずいことこの上ない。
「え、ええと、そちらからどうぞ」
「あ、分かった」
稗榎さんの謙遜は有り難く受け取るとしよう。
人の好意を無駄にしたくないという理由もあるがあの張り手をこの身がきちんと覚えているためこの人に逆らうのがちょっと怖いのだ。
そんな心の狭い人じゃないと思うけど。
「…………この森、と言うか世界のことに聞きたいんだけど………」
「……………………森、ですか」
本当は森なんかじゃなくてこの村のことを聞き返したいと思うだろう。でも稗榎さんは何も言わず私の言葉に耳を傾ける。
「この世界がなんなのか私たちはまだ知らない。だから教えてくれない?」
「………………分かりました。でもあまり語ることありませんよ?私もよく分かりませんから」
私はその言葉に深く頷いた。
「私とりぐるはここに越してきた、と言うことは紅里さん知ってますよね」
「え!!りぐるちゃんがいるの!?」
黙れでんこ。フラストレーションが溜まってるのかは知らんがただでさえ展開がグダグダ気味になってるんだから落ち着け。
「………………じつは………故意にここに来たと言うわけじゃないんです。実は気付いたらこの森、この世界に来てたんです」
幻想入りみたいな感じだろうか。稗榎さんはそのまま話を続ける。
「森の中を歩き回って見つけたのはこの草原だけだったんです。それで私たちはここに家を建てて暮らしてるというわけで、
ここは本当に何も、いや自然以外何も無いんです。」
「歩き回ったって…………どの位?」
「ざっと三日間。それで細々と私たちは暮らしていたんです
名前を付けるなら…………『幻』を想う郷に『惑』う人が迷い込んでくる……『幻惑の森』な感じですね」
簡単に色々凄い事スルーされた気がした。いろいろ。
「本当に何も無いの?魔力の吹きだまりとか怪獣とかスキマとか」
「そう言う類の物は一切ありませんよ。人も妖怪も妖精もゆっくりもいなかったはずなんです!」
でも現実、いやもう幻想かどうかも分からない光景がいまのれん一枚の境界越しに存在している。
二人だけの世界。なぜ惑ってしまったのだろうか、それは今知る事じゃない。
「次にこちらから尋ねても良いですか?」
「あ、うん。一応分かったから」
大体この世界のことを理解したがこれだとあの蜂妖怪の言葉に道理が通らない。今の説明では何故勝てないかの理由がないではないか。
いや、稗榎さんの言葉を完全に信用するとしたらそもそもあの蜂はどこから来たのだ!?
「湯月火村…………………って言いましたよね、紅里さん」
「あ、うん。そうだけど……この村……の名前」
「……………………もしかして私の小説読みました?」
いきなり辻褄の合わない質問をされて私は少し戸惑った。とりあえず稗榎さんの小説なら少しは読んだはずである。眼鏡っこ探偵可愛い。
「それじゃありませんよ、今私がリグルのために書いてるあの……」
「…………………………………………………………………………………」
そう言いかけて稗榎さんはのれんの方を目を丸くして見つめている。
その視線の先に、りぐるがいた。
「ひゃああああん!!りぐるちゃあああん!!!!」
真っ先に動いたのはやっぱりでんこ。猪の如き勢いでりぐるに突進していくがりぐるは難なく躱しでんこはそのまま外に飛び出していった。
そのまま戻ってこなかったが話も進んだし別に戻ってくれなくてもいいや。
「………………りぐる」
「………………………………」
何故か知らないけど何かに怯えているような顔をしている。さっきのでんこのこともあるようだがそれとは別に
得体の知れぬ物に押しつぶされそうな恐怖を感じているように見えた。
「は、話を戻します……………………………湯月火村は………………」
「おねー………」
「動かないで!!!」
りぐるが微かに動いたのを過敏に感じ取り稗榎さんは大声を出した。怒っているわけじゃない事くらいは分かる。
稗榎さんも同じだ。得体の知れない恐怖をこの身に感じている。
稗榎さんは目頭を押さえ、そして私と向かい合い、こう言った。
「湯月火村は………………………あの小説の中に出てくる村の名前です」
「……………………………………」
今、この世界の真理が見えた気がした。
「そう言えば蜂妖怪……………とも言ってましたよね。
……………………もしかしてその子の名前………『ビーブーン・カーレーン』じゃありませんか?」
その後稗榎さんは次々と自分の小説に出てくる村やキャラのことを語っていく。
チルノとレティとみょんがいる宿屋。妙なこと呟きながら働くてるよ。藪医者っぽいようなそんなえーりん。
それら全て、私たちが実際に会って話をしたゆっくり達と完全に重なった。
「……………そう言えば紅里さん達は異変を解決してるんですよね。じゃあこの世界にも異変……………が?」
この人はさっきの私とでんこの会話を聞いてないのか。
稗榎さんは少しずつ恐怖が無くなっていくようにだんだんと表情が柔らかくなっていく。パズルを解き明かしていくように少しずつ少しずつ。
「今回の異変は蜂妖怪が湯月火村のゆっくり達を襲っていること、それだけよ」
「………………………………違う。カーレーンちゃんはそんな悪い子じゃありません!!!!」
いつになく声を荒だてて反論する稗榎さん。この人は台詞の中に一つエクスクラメーションマークを付けただけでもかなりの威圧があって困る。
「え、でもこれらの傷は全部あの蜂妖怪に付けられたんだけど」
「私はりぐるを励ますためにあの物語を書いてるんです。その物語の中でカーレーンちゃんは主人公の師匠の役割なんです!!
東方不○しかり!カ○ナしかり!忍野○メしかり!哀○潤しかり!いわゆる導き手だからこその最強なんです!!!
それが悪役だなんて!信じられませんよ!」
東方不敗は悪役になったと思うんだが。でもそんなツッコミは話を拗れさせそうだからあえて言わなかった。
「…………………つまり私と物語の間に矛盾が生じてるってわけ?」
「そうです。紅里さんがそう言うと私自分の物語が否定されるようで悲しいです」
しかし語ったこと全て私が見た物聞いた物感じた物そのものだ。一体何処で拗れているのだろうか。
「そうだ、その小説読ませてよ」
私がそう言った瞬間、今まで俯いてばっかいたりぐるが恐怖に顔を引き攣らせたのを見た。
「ゆゆーーーーー!!!」
りぐるは一目散に本棚へ向かう。そして何故か涙目ながらもその本棚を守るように立ち塞がった。
私はこの奇行に思考が追いつかずただ呆然とするしかなかったが稗榎さんはそんなりぐるに詰め寄っていった。
「どいて、今まで私が書いた物語そこにあるから」
「う、う、う、ううううううううう」
「何で、教えてくれなかったの?外の村のこと知ってたんでしょ?何で私だけ教えて…………」
悲しいのか。彼女にとって今完全に心を本当に許せる相手はりぐるしかいないのだからそれもそのはずだ。
私だってあの二人に裏切られたら、とても悲しい。
「………えのちゃんに…………きらわれたくないから。えのちゃんきっとおこるから」
「…………………………………………………………………………………」
稗榎さんは無言のままりぐるの前で俯き続ける。
そして腕を振り上げたと思ったらそれをすぐさまりぐるの目の前で振り落とした。
破壊音が聞こえた。木が砕けるようなそんな音が。
「どうして、傷だらけの理由教えてくれなかったの…………私は痛いことなんかより………みんなに無視されるのが怖いの」
床に突き刺さった腕を抜いて稗榎さんはその手でりぐるを優しく、そしてゆっくり撫でた。
木の破片が腕に突き刺さって血が出てるのに。そこには悲しみしかない。
「みんなの痛みなら私がいつでも請け負うから。だからお願い、教えて。何があったのか」
「えのちゃああああん!!ごめんなざいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!」
りぐるは目から大粒の涙を流しながら稗榎さんの胸元に全身を埋めた。
私は心を打たれながらなおもあの包容力が羨ましくもなった。そんな中まりさがまじまじ私の胸を見ている事に気付く。
「…………………………………………」
「……………………………………………………キッ!!」
まりさの無言に威嚇で返し私は二人の様子をずっと見続けていた。
本棚から取り出した今まで稗榎さんが書きためた原稿。本来なら稗榎さんの整った字がまんべんなく書かれているはずだった。
しかし実際は何かにょろにょろとした変な文字が稗榎さんが書いたと思われる字を上書きするように書かれていた。
「………………………読めん」
「えっと、確かこれは1話目の『現れたる警告の黄色!?カーレーン参上!』だけど…………」
私と稗榎さんは一緒にその原稿を読むが、そのせいで顔が何とも近く、時々密着する。
肌が結構滑らかで綺麗だ。それに唇も色が鮮やかな上に艶やかで色っぽい。
その唇が動くたびに私の鼓動が早くなりいつしか私は稗榎さんの顔ばっか見つめていた。
「ええと、『みんなはちにやられちゃえ、むしのどくはすごいんだよ、みんなうなされろ、りぐるはGじゃない!!!!あれじゃない!!
りぐるをばかにするやつはみんなはちのどくでゆっくりやられてね!!』……………これは……」
「…………………………………………………………あ、え?ええとああはいはい、なんだっけGGGだっけ?」
何故今私はぼんやりしてたんだ?全然話が頭に入ってきてなかった。
「………………りぐるの字です」
そう言って稗榎さんはりぐるを見つめる。りぐるは泣きながら部屋の端っこでその視線に怯え震えていた。
「……………………………………いやだったんだよ……………
みんなみんなりぐるを苛めてたのに物語の中ではみんななかよくしてるのがとっても気にくわなかったんだよ!!!
だから、ひっく、ひっく、うえぇん………」
「上書きしたってことね」
一応場のノリに合わせて私はそう言った。
りぐるの涙はもうすっかり床を濡らしきってる。高床式の住宅なのに床下浸水のようだ。
「………………………1話目はこれで終わり……二話目は………特に問題ないようですね」
続いて取り出した原稿用紙の束にはきちんと稗榎さんの綺麗な字がしっかりと書かれている。
内容の方はどうやら主人公と可燐が修行の旅に出ると言う話のようだ。
そして稗榎さんはその2話目を傍らに置き次の原稿用紙の束を取り出した。
これもまた稗榎さんの字で書かれていて塗りつぶされている様子はない。
「…………………………………………………え?」
だけど稗榎さんは顔を強張らせて原稿用紙を持つ手が震え始める。そして怖い物でも見たかのようにその原稿用紙を床にたたきつけた。
そしてその原稿用紙から距離を取って激しく困惑した様子を見せる。
「な、なに!?なんなの!?なんで!?」
「……………………………………ええと、なになに?」
私は叩きつけられたその原稿用紙を手に取ってみてみる。
…………………………言葉が出ない。
これは確かに稗榎さんの字だ。しかしその字で悪意が詰まっているような文が書き連ねられていた。
「『今日は蜂が三人のゆっくりを襲った。絶好調。このまま滅びろ。全て全て全て!!!今まで虫けらのように扱った罪を悔いろ!!』………」
「こ、こんなの私書いてません!!!どういうこと!?ねぇ!!教えて!!」
泣いていた。さっきまで泣くことがなかった稗榎さんが私にしがみついて泣いている。
正直これほどの悪意の詰まった文章は私でも怖気がする。それが自分の字であったならその恐怖と悲しみはどれほどなのだろうか。
「えのちゃん、なかないで」
「なんで?りぐる、教えてよ!私こんなの書いてない!こんな嫌な物語誰も見たくないでしょ!?」
「…………………………………りぐるは確かにその1話のやつを勝手にかいたよ。
でもえのちゃんが2話目をかきおえた頃外出ると…………あの村があったんだよ」
「…………………………」
「りぐるはそれが物語のせかいだってすぐにわかった……最初はよろこんだよ、みんなが本当に蜂にやられていくから…………
でもはなしがすすむごとにどんどんこわくなったんだよぉ!!みんなが本当に苦しんでる!!なさけようしゃなく襲われてる!!」
「……………………りぐる」
「えのちゃんが何故かどんどん嫌な物語書いているのにもきづいて………『これ見て元気出して、これの主人公のようにりぐるも強くなってね』
って言ってうれしそうにその紙を見せるえのちゃんも怖くて!!!」
とっても辛そうに、唇を噛み締め涙を堪えながら話すりぐるが見てて不憫にしか思えない。
この異変は全てりぐるのちっぽけな悪意から生まれた。ちっぽけと言ってもそれは稗榎さんの気持ちを裏切った行為だ。
けど、その犯した罪を超えた地獄を見たのだろう。
「もしかして、あの時傷だらけで帰ってきたのは………アイツと戦ってきたから?」
「……………いまさら言い訳はしないよ」
「………………………………………………りぐる。そう言うことは私にちゃんと言ってよ!!
辛かったら私に何でも言ってった言ったじゃん!!早めに言ってくれたら叱るだけで済んだのに!!」
もうこんな悲しい立場になったら叱ることさえ敵わない。
叱ることと言うがそれはそれで大事なのだ。一度も叱られなかった人間やゆっくりがどうなるか。私には分からない。
「そうだ、その紙破けばもしかしたらこの異変も終わるんじゃ…………………いや甘いか」
そんな事で異変が解決したらゆっくらいだーなんて必要ないし。
しかし稗榎さんはそんな私の冗談を真に受けたような表情で原稿用紙と向かい合う。
「こんな……………みんなが傷つく物なら……破った方がいいですっ!!!」
稗榎さんはその原稿用紙を一気に引き裂こうとする。
「くっぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ!!!!!!!!!!!!」
あの美しい顔をそう崩さずに力を込めるが引き裂けそうもない。先ほど傷ついた腕からまた血が吹き出るも変化はない。
あのくらいの量だったら少しくらい亀裂が入っても良いのにその原稿用紙は鉄板であるかのように形状を保ち続けた。
「それだったら!!!修正すればいいんです!!!まりささんホワイト!!」
「わ、わかったぜ!!」
先ほどから会話にさえ参加していなかったまりさは急に呼びかけられて困惑する。
けどほんの数秒経たないうちに稗榎さんは自分でホワイトを取りに行った。
「うう、まりさのアイデンティティであるスピードがぁ…………」
「この人の前にアイデンティティなんて無意味だと思う」
そうして刹那の如く机に向かって原稿用紙に修正液を押しつけるがその瞬間原稿用紙から火花が上がり稗榎さんを襲った!
「えのちゃん!!!」
りぐるがすぐ稗榎さんの体を突き飛ばしてくれたおかげで酷い傷にはならなかった。
しかしこれでは修正は不可能そうだ。
「……………………どうやら、そのまま物語自体を終わらせるしか………ないようね」
りぐるが生んだ悪意、それが無意識的に稗榎さんに働きかけ最悪のシナリオが生まれてしまった。
ここで私はあの蜂妖怪の言葉を思い出す。
「悪意ある……………シナリオ、ね」
「…………………どうすれば、どうすれば…………いいんでしょう。」
「ひとつだけ………………あるわ」
口に出すなら簡単だ。しかしそれは修羅の道。
「蜂妖怪が悪役なら!蜂妖怪を倒して物語を終わらせるのよ!!!」
「……………………無茶です。私があのキャラを作ったから知っています。あれには勝てません…………………
設定を変えるという手もありますが……………あれでは数文字変えるのが精一杯」
「勝つわよ、なんてたって私は『ゆっくらいだーディケイネ』だからね」
もう覚悟は出来ている。
私はこの世界にいる時その事だけをずっと考えていたのだ。不安はもうない。
「…………………お願い、出来ますか?」
「ゆっ!!おねーさんとまりさのファイナルフュージョン!心待ちにして欲しいんだぜ!」
「……ゴメン、まりさ。まりさとのファイナルフォームライドはまたいつかね」
「ゆっっ!?なんで!まりさだってれいむのために戦うよ!!」
れいむが傷ついてまりさも私も大分心構えが変わったような気がする。でもこの世界ではシナリオという道筋という物があるのだ。
「りぐる、これは貴方の物語よ」
「ゆっ!?り、りぐるが?」
私はようやくあの蜂妖怪に負けた理由が理解することが出来た。
この物語の主人公はこのゆっくりりぐる。脇役であるディケイネがラスボスを倒せるはずがないのだ。
そんな簡単なことだったのかと私は思う。でも反則じゃないのこれ。
「一緒に戦うわ、だから早くこの物語を終わらせましょう」
「………………分かったよ!!!りぐるもゆっくりがんばるよ!!」
もうりぐるの目に涙は無い。そして私たちの目の前に三枚のメダルが現れた。
私はそれをポシェットに入れりぐるを抱え立ち上がる。
「さぁもう『理解した』!!!出陣よ!!!」
「ああ、私がゆっくりちゃんを認識できないだなんて!!これはスタンド攻撃よ!!」
外の地面に激突して気絶していたでんこを起こし私は戦闘の準備を始める。
しかしこの地面やばい。ほんの1メートル落ちただけで相当なダメージだ。
「えっとここにいるの!?ねぇらんしゃまとかいるんでしょ!!私に話しかけてぇ!モフモフさせてぇ!」
「「ゆっくりしていってね!!!」」
すぐ目の前にらんしゃまとちぇんがいるのにでんこはまるで気付かない。
ゆイタニックの世界では姿の見えないこいしを見事に感知したでんこ。しかし本気で気付いてないところを見ると
やはりここのゆっくり達は『本質的に存在しない』のだ。
そう思うとでんこがこの仮想現実を見えない理由も分かってくる。
ここにはゆっくりがいないと本能的に認識してるから、仮想現実が認識できない。
好きすぎる故の悲劇か。とりあえず喧しいことこの上ない。
「……………あなたがゆっくらいだーという子ね」
と、でんこの戯れ言を聞き流してウォーミングアップしているとちぇんとらんしゃまのスキマからD4Cの如くゆっくりゆかりんが現れた。
「……ええとあなたは」
「私はこの村の村長。『覇王色の少女臭』ゆっくりゆかりんです。……………知ったのですね、この世界を」
「……………あんた達、自分達がなんなのか知ってるの?」
これは驚いた。というかゆかりんの二つ名も驚いた。何て設定考えてるのよ稗榎さん。
「まぁここに生まれてから三ヶ月も経ってるからね…………みんなきっと理解してるわよ」
「わかるよーちぇん達も所謂登場人物なんだねー」「ちぇええええええええええええええええええええええん!!!!」
「………………と言うことはアイツも?」
「………………………………みんながみんな、辛いのよ。このちっぽけな悪意から生まれた物語が」
……私はそのまま背中を伸ばして稗榎さんの家を見る。
どうやらりぐるの方も準備が終わったようだ。さぁ行こう。
昨日あれだけ照らしていた太陽も今では雲に隠れている。しかしその雲もそう大きくはない、だからまたすぐにあの陽気が戻ってくるだろう。
「………………ねぇ、あんた戦うの?まだ傷治りきってないのに」
「何で付いてきてんのよ」
でんこはまりさを抱えながら私の後に付いてくる。
あのゆっくり達が見えないのならきっと蜂妖怪も見えないだろう。それだったら大人しくしてくれた方が良い。
「何というか十紘さん机に向かいっぱなしでね。一人じゃ寂しいから」
「おねーさんまりさを置いていかないで欲しいんだぜ!!正確に言うとでんこと一緒にしないで欲しいんだぜぇ!!」
その気持ちは分かる。でも我慢してくれた方がこちらにとっては巻き込まずに済むので嬉しい。と言うわけで我慢しろ。
「…………………で、この道で合ってるんでしょうね。私一日以上迷ってたからもう迷うのいやよ」
「うーんこの道で良いと思うんだけど」
別にこの森は樹海のように木の見分けが付かないわけじゃない。ただとにかく広いから目的がないと迷ってしまうのだ。
「……………聞こえてきた」
私の耳にあの甲高く、そして果てしなく耳障りな羽音が聞こえてくる。
ただでんこはそれに全く反応した様子を見せず私に文句ばかり言ってくる。予想通りでんこは蜂妖怪の存在も認識できないようだ。
「あんた達は隠れてなさい。でんこはともかくまりさは危ないから」
「ちょっと!!どういう意味よ!まぁでもまりさちゃんと一緒なら………」
「おねーざんはやぐがえってきでねぇぇぇぇぇぇ!!!!」
待ち続けているれいむの為に、覚悟を決めながらも待つことしかできないまりさの為に私は一歩、蜂の領域に踏み出した。
「…………………………………お久し、今朝ぶりだっけ?」
可燐は私の姿を見るととても冷めた顔つきで地面に降り立った。そしてその足で一歩一歩と私に近づいてくる。
「…………ああ、その顔は『知った』のか。はは、理由が分かってこれで一歩前進だな」
「…………………あんたはこの物語の悪役であることを知って………?」
「………同情なんてすんなよ。それがロール(役割)だ。それを持って生まれたからにはそれに従って生きていかなければいけねえ
それがどんなものであってもな…………………」
可燐は私の目の前に来てガンを付けるように私の顔をのぞき込む。
その表情に悲しみがあるかどうかは知らない。でもその顔が悪そのものじゃないことを今更気付いた。
最終更新:2009年10月05日 21:41