※
「………………」
俺は絶句していた。
予定通り、俺たちは勝ち上がり、そしてチャンピオンも勝ち上がってきた。
そしてこうして決勝戦で向かい合っている。三列&三列の札を挟んだ源平戦の陣形。
それはいい。
が、しかし──
「ゆっくりしていってね!」
「おお、怖い怖い」
チャンピオンのパートナー二人、いや二匹? 二個?
でかい生首が女の左右に陣取っていた。
取り札を前に、どちらもふてぶてしい表情で鎮座している。
巨大な饅頭に顔を描いたらこんな感じだろうか。
何これ? 遊星からの物体X?
「ふむ、『ゆっくり』を飼っているのか」
「ゆっくり?!」
親父のつぶやきにびっくりする。ゆっくりなだけに、などと言っている場合じゃない。
「知ってんのか、あの珍獣。天変地異の前触れとかじゃないのか」
「ゆっくりだ。知らんのか。れみりゃと似たようなものだ。珍獣ではなく饅頭だな」
「マジで」
肉まんと饅頭。確かに仲間といえばそうなのかもしれない。
「だどー♪」
「ゆっくりしていってね! れみりゃ!」
「おお、かわいいかわいい」
何か仲良くなっているし。
しかし、れみりゃをパートナーとしているこっちが言えた義理じゃないんだが、饅頭をパートナーにするのはどうなんだ?
チャンピオンの顔をうかがうと、涼やかな笑み、しかし切れるような視線で返される。そして、一言、
「どうです。かわいいでしょう」
何で勝ち誇ってるの、この人。
ふと、赤いリボンをつけた方のゆっくりに目が行く。
向こうもこっちを見る。目が合った。
「れいむはれいむだよ! かわいくてごめんね!」
眉を寄せたにやけ顔で言う。
「…………」
仮に。
仮にキモカワイイという言葉があったとしよう。こいつにあてはめたとしよう。
しかし、明らかにキモイの割合が九割九分九厘占めている。単一民族国家を名乗ってもいい割合だ。キモイと断言して何が悪いだろう。
だが何も言えずに、俺は再び女の顔をうかがい見る。
「こちらもかわいいですよ」
かわいいことは決定事項ですか。
他人の美的センスに口を出す野暮はしたくないので、一応素直に女の示す方を見る。もう一匹のゆっくりだ。
「おお、照れる照れる」
ほほを赤らめるな。
こちらのゆっくりは小さな帽子のような多角形の物体を頭に載せている。
れいむと同じく眉を寄せたにやけ顔。しかし、左右の目の位置がずれているような、何というか、デッサンが狂ってる? うわぁ。
これは、さっきのれいむ以上に……まさか、これでもかわいいと言うのか?
絶句する俺にチャンピオンは言った。
「この子の名はきめぇ丸です」
「名前からしてそれかっ?!」
思わず叫んでしまった。やっぱキモイでいいんじゃねえか!
「いや、かわいいではないか」親父が言う。
「だどー」れみりゃも同意する。
……あれ、俺また仲間はずれ? 結構凹むんですが。
ふと、視線を感じて横を見る。詠み札を持った着物の女性が正座していた。詠み手の人だ。
無言だったが、目は口ほどにものを言っていた。
──早く始めてください。
──はい、すみません。
もちろんこちらは素直に従うしかない。
いや、ほんと、茶番もいいとこだ。
周りの観客たちにもいたずらに時間を浪費させてしまっている。
むしろ、何だか生暖かい目で見られている気もするが……余計に凹むので勘弁してもらいたい。
「では始めます」
緊張感が張り詰めてくる。ついに最初の札が詠まれる。因縁の決戦の火ぶたが切って落とされるのだ。
「うー☆」
お前は豚まんな。火ぶたじゃなくて。
「瀬を早み──」
「はいッ!」
俺の声が右手と共に飛ぶ。始めの一字で札が限定できる歌、すなわち「一字決まり」だったので、即座に反応。
自分の目の前! 取れる!
狙い通りの場所に手が触れ、その場に畳の緑が空白となって残る。飛んだ札は右方向、親父ときめぇ丸の間を走った。
まずは一枚。
…………?
違和感。それが札獲得の爽快さを邪魔する。
どういうこった?
何で誰も……誰一人として動こうとしないんだ?
俺の動きが速すぎた、ということじゃねーはずだ。取ろうとする気配がまるで感じられなかった。
れみりゃのための接待プレーは決勝戦ではやらないはずだろ?
いや、接待プレーの継続であったとしても、チャンピオン側でさえ動かない説明にはならない。
ふっ、と親父が笑った。
「意趣返しか」
「は?」
気配を感じチャンピオンの方を見ると、その笑みが静かに濃くなる。
怖っっ。
「どういうこったよ、親父。意趣返し? 仕返しって何のだよ」
やべ、俺、少しテンパってる。チャンピオンのすごみに気圧されてるのか。
「昔のことだ。さすがに三対一で女性を相手にするのはフェアではないと考えてな。十枚ほどハンデをつけることにしたのだ」
「じゃあ始めから相手の札を十枚抜かして……じゃないな。まさか……」
「ああ、十枚詠まれるまで動かなかった」
なるほど、そりゃ怒る。
親父たちにそのつもりがなくても、チャンピオンにしてみれば屈辱だったろう。情けを掛けられ、その末ボロ負けと来てはプライドはズタズタにされていたに違いない。
だから娘である目の前の女は、母の雪辱を晴らすために、同じハンデをこちらに与えるつもりなのだろう。その上で勝つ、それだけの自信を持って。
「まあそういうわけだから、お前は取って構わん」
「親父は取らないのか」
「誰が取っても同じことだ」
それもそうだ。俺しか動かねえんじゃな。
「こちらにハンデを与えるだけの力を持ってもいるしな」
「そんなに強いのか。……ん?」
ふと、思い当たる。
チャンピオンの相方二匹。こいつらはどのくらい強いのだろう。
親の仇討ちのために連れてきたと考えれば、相当の実力者なのかも。
「れいむが動くのは五枚目からだよ!」
「わたしが動くのは六枚目からです」
こちらの会話を聞いていたのか、饅頭たちは左右からステレオ宣言してきやがった。余裕しゃくしゃくを絵に描いたようなニヤケ顔。
ぬぅ、確かに屈辱だ。やれるなら往復ビンタかましてやりたい。
「れみりゃはもう動いてるどー」
あ、そうだった。
れみりゃは別に何の思惑もなく競技に参加しているわけで。
俺一人が動いているわけじゃなかった。
でもなぁ。
「わたの原──」
「う~、『わ』、『わ』、『わ』だどー」
「だから、下の句で探せって。これだこれ」
指し示し、取らせる。
こんなんじゃあ結局俺一人で動いているのと変わらない。
やれやれ。
そんな感じで、緩い雰囲気のままに、五枚目が詠まれる段と相成った。
「ゆゆっ、れいむの真の力を見せつけるときが来たね!」
饅頭顔が猛る。もちろん迫力とか皆無だ。
が、油断はできない。何しろチャンピオンが選んだパートナーで、その上ハンデを相手に与えるほどの存在だ。
見せてもらおう、その実力とやらを。
「月見れば──」
「ゆゆっ」
「何ィ!?」
驚かされた。
れいむが札を取った、わけではない。
札はあっさりと俺が獲得した。
驚いたのはれいむがまったく微動だにしなかったからだ。
今、五枚目だよな? 数え間違いじゃなくて。
「ゆっふっふ……」
れいむが低く、不敵に笑う。
「お兄さんは全然ゆっくりしてないね。れいむの方がゆっくりしてるよ」
は?
「いや、お前、札取られたよな?」
「そうだよ?」
「なら、お前の負けだよな?」
「違うよ?」
話がかみ合わない。
混乱している俺に、右にいる親父が声を掛ける。
「ゆっくりはその名の通りゆっくりすることに至上の価値を見いだすからな。そういう意味ではお前の負けだ」
「百人一首やってんだろーが」
「その通りだが、向こうは勝ったつもりでいるぞ」
実際れいむはゆふん!と勝ち誇って胸(?)を反らし、得意満面に言った。
「ゆっくりしていってね!!!」
何だろう……この湧き上がる殺意は。
「そうどす黒いオーラをみなぎらせるな、息子よ。次に動くのはきめぇ丸だろう。れいむと同じゆっくりでありながら、素早い動きが信条の特殊な存在だ。一筋縄ではいかんぞ」
「そうなのか?」
たかが饅頭だろう、と言いかけたその時、その黒い饅頭が動いた。
「おお、速い速い」
細かく左右に揺れる──いや、ブレる──高速で移動して残像っ?!
ヒュヒュヒュヒュッと風切り音を立て、きめぇ丸は二匹に分裂したかのようなスピードで動いた。
こいつ、ただの饅頭じゃねえ。素早い饅頭だ。
親父が感嘆する。
「きめぇ丸シェイク、久しぶりに見るが大したものだ。私の反復横跳びに匹敵するぞ」
そっちの化け物っぷりのが気になるが、ともかくれいむと同じに考えると痛い目を見るようだ。
気を引き締め直して次の札が詠まれるのを待ちかまえる。
「滝の音は──」
「はいッ!」
気合い一閃! ……あ?
取れた。
あっさり取れちまったぞ、札。
気抜けしてきめぇ丸を見ると、奴はヒュンヒュンと体を振りながら一言、
「手も足も、おお、出ない出ない」
………………そりゃそうだ。首だけだし。
「って、上手いこと言ったつもりかーッ!!」
公衆の面前だったが、さすがに叫んでしまう。
怒りはゆっくりよりも、その飼い主に向かう。
「何のために出しやがった! ふざけてんのか、てめぇ!」
戦力外とわかりきってる饅頭ぶつけてきやがるとは、どんだけなめてるって話だ。
戦力外だと始めに気づかない俺自身への怒りも含めて、チャンピオンに怒声を叩きつける。
ああ、八つ当たりさ!
「何か問題でもありますか?」
対照的な冷静さで女は言葉を紡いだ。
「何が問題って、てめぇ…」
さらに激怒をぶちまけようとするが、言葉が途切れる。
チャンピオンの目が恐ろしく冷たかったからだ。
「屈辱を感じますか? そうでしょう。私の母も同じ気持ちを味わったのです。そして、私も母と気持ちを共有しました。今はあなたがそれを味わっているのですね」
俺、関係ないじゃん。とばっちりじゃん。
言い返そうとするが、言葉に詰まる。
恐ろしいほどの妄執・執念。有無を言わせないオーラがある。
「母を通して感じた屈辱を、息子を通して私に感じさせたというわけか」
と、親父。
「その策は確かに有効だ。今、私は猛烈に怒りを、ププッ、感じている」
今、噴き出したよな? 途中で笑ったよな?
息子がおちょくられてるの楽しんでんじゃねーか。
ってか、きめぇ丸が札取れないってわかってて敢えてあおったよな、さっき。
女と共同で俺を馬鹿にする気満々だったろ!
「俺もう帰っていいか? こんな茶番やってられっか!」
嫌気が差して立ち上がろうとする俺に、
「ご安心を」
と、チャンピオン。
「十枚目からは退屈させませんよ。今の内にゆっくりしていってください」
知るか、との言葉がのどから出かかる。
が、服の端が引っ張られているのに気づき、左を見ると、れみりゃがつまんでいた。訴えるような目。
勝負を放り投げることに対しての非難か、自分を置いていってほしくないという懇願か。
ともかく俺は再び腰を下ろした。
まあ、乗りかかった船だ。最後までやってやるか、くそっ。
「チャンピオンが動くか。今度こそ本当に一筋縄ではいかんぞ。二筋縄ぐらいは覚悟しろ、なんてな」
「やかましい」
よく考えなくても、全ての元凶は親父じゃねえか。
俺やれみりゃを巻き込むなってんだよ。
※
そして十枚目だ。
今度ふざけやがったら許さねえ、と思っていたのはさっきまでのことだ。
今はそんな気持ちはみじんもない。
なにしろ、重い。
空気自体が鉛になったかのように、肩に、頭に、のしかかっていた。
チャンピオンから発せられるオーラがそうさせているのだ。今までで一番の重圧。
口は一文字に閉じられたまま何を言うでもないが、闘気がビシビシ主張している。
──自分が取る。札は私の物。
なんつープレッシャーだ。子供だったら泣き出してるぞ、マジで。お子様の手の届かないところに保管してください。
「うー♪」
けれど、こんな空気の中、れみりゃはのほほんとしている。下膨れた笑顔は崩れる気配もない。
意外と大物かもしれない。
こっちは自分の動作をぎこちないものにさせないので精一杯だってのに。
「来るぞ、息子よ」
「ああ」
そして札が詠まれるときが来た。
緊張感がみなぎる──不思議なもんだ、ある一定のラインを超えると、逆に覚悟が決まり冷静になる。
ベストを尽くす以外にやりようもない。来やがれッ!
「世の中は──」
正直。
王者のオーラを感じていながら、チャンピオンの強さはある程度想定していた。いくら強いといっても、細身の女性のことだ、これくらいのものだろう、そう思っていた。
これを「浅はか」と呼ぶのだろう。
俺が動こうとした瞬間には、女の手が札の上にあった。
「はィッ!」
気合い一閃。白刃のきらめきのように放たれた右手が、札を斬り飛ばす。その速度そのままに、札は俺のほほをかすめ、後方へかっ飛んでいった。
わずかの沈黙を置いて、観客からどよめきが湧く。
驚くのも無理はない。それだけの速さだった。俺などとは次元が違うのは、素人目にも明らかだったはずだ。
札の位置の完全把握、一瞬の間さえも差し入る余地のない反射神経などもさることながら、聞き取りの技がこちらの一段上にいやがる。
「世の中よ──」の札との区別がつく「は」の部分で判断するのが普通なのに、向こうは「は」の音が出る頭「h」を聞き取って動いていた。唇から漏れるわずかな空気の響きをとらえてだ。
とてもじゃないが真似などできない。せいぜいその化け物さを思い知る程度の力しか俺にはない。
チャンピオン……パネェ。
「うー、痛そうなんだどー」
れみりゃがこちらを見て言う。
ほほに手をやり指先を見ると、冷や汗かと思ったそれは赤かった。血だ。
「ありゃ、当たり所が悪かったかな」
「やれやれ、サッカリン並の甘さだな、息子よ。発ガン性物質の自覚は無しか」
「意味わかんねぇよ。何が甘いって?」
「後ろを見てみろ」
首を後方へ回してみると、観客が並んでいるだけだ。
何がどうというわけでもない、と思いきや、不自然なスペースが人と人との間に空いている。何人かの視線がその空間に向けられている。……何だ?
壁。
そこに何か小さなものがある。刺さっている。
あれは──。
「さっきの……?!」
札だった。チャンピオンが飛ばした手札。そのただの紙の一片が、コンクリの壁にヒビ一つ入れずに埋もれている。まるでバターにナイフを刺し入れたような様で。
「暗黒百人一首だな」
なにそれこわい。
「その通りです」
チャンピオンがうなずく。
その通りなのかよ。否定しないのか、その狂った単語。
「やはり身につけていたか。発するオーラが常人とは明らかに異なっていたからな。息子よ、先ほどはその奥義の一つを手加減して味わうことになったのだ。本来ならば、あれは手札を相手の眉間に突き刺し、戦闘不能に陥らせる技だからな」
なるほど。普通は横に払う札をなんで前に飛ばすのかと思ったら、そういうことか。納得した。
「って、一歩間違えたら俺死んでるんじゃね?」
「脳に異物が突き刺さって死ぬような者ならな」
死なねえ奴いるのかよ。
それにしても、死線すれすれを横切ったというのに妙に冷静な自分自身が、何か怖い。
「異常」が「日常」となってきていると考えると、何か、その、非常に嫌だ。
「暗黒百人一首はどこで身につけたのかな」
「やはり本場で学ぶのが最善だと思い、現地へ飛びました」
こちらの苦悩などまるで意に介さず、異常者どもは勝手に話を進めている。
「メキシコかな」
「いえ、グアテマラです」
日本じゃねえのか? 百人一首だろ。
「では、後期型の流派だな」
「そういうあなたは前期型ですね」
「マヤ文明が他国の侵略に備えるために独自に開発した秘技……女性の身で修得するとは見上げたものだ。これは手強いな。息子よ、一層気を引き締めることだ」
そんなことより、マヤ文明の不毛な努力が気に掛かるぞ。滅亡して当然というか。
それ以前に、マヤ文明で百人一首っつーのは時代背景とか地理的状況とか無茶苦茶じゃないだろうか。
いくら何でもいい加減過ぎやしないか。世界がそれを許すのか?
「ゆっくりしていってね!」
「おお、怖い怖い」
「だどー☆」
……どうも世界はいい加減なようだ。こいつらの存在を許しているわけだし。
「では、チャンピオンのこれまでの努力と、その本領を発揮したことに敬意を表し、私も本気を出すことにしよう」
言うや否や、親父から熱い圧力が発せられる。空気が膨張したかのような、いや、実際に膨張していた。空気でなく、親父自身が。
親父の身体が服の下からも見てわかる通りに膨れ上がっている。鍛え抜かれた筋肉が盛り上がっているのだ。ついでに闘気により熱も発している。見た目も暑苦しいのに迷惑なことだ。
熱でゆがんだ空気の中、親父が言う。
「相手が女性ゆえにハンデとして全裸になるべきかと考えていたが、間違っていたようだ」
そうだな。とりあえず人としてな。
「ここからは本気の農家がお相手する!」
熱い宣誓と共に肉の膨張が頂点に達し、衣服がポップコーンのごとく弾け飛んだ。世紀末救世主?!
すげえ筋肉だ。フルマラソンを全力ダッシュしかねないほどに。
けど、ハンデをつけようが本気になろうが、どっちにしろ脱ぐんじゃねえか。
農家露出狂説が信ぴょう性を帯びてきた。
「ふふ……それでこそ母を倒した人です。闘気で人が殺せそうですね」
お前は札で人を殺そうとしたけどな。
「では、今からが本番。互いの死力を尽くすときです」
「うむ」
ようやく話がついたところで、次の札が詠まれることになった。
係の人もどことなくうんざりしているように見える。
すみません、身内が迷惑掛けて。
心の中で謝っておく。
ともかくも詠み手は息を吸った。そして、
「あさぼらけ──」
ありえないことが起こった。
「あ」の音が出るか出ないかの内に、親父とチャンピオンが動いたのだ。
空気を切り裂き、札を弾く音が耳に届いた時には、二人は互いの勝敗を味わっていた。
「間一髪。あるいは紙一重といったところか」
「くっ……」
息をつく親父。
悔しそうに歯がみするチャンピオン。
第一戦はどうやら親父が制したようだ。手の動きが速すぎて判別できなかった。
しかし、それよりも気になることがある。不可解だ。
「おい、親父」
「何だ、勝負の最中だぞ」
「今の何で始めから動けたんだよ。おかしいだろ、『あさぼらけ』の『あ』でスタートできるなんて」
『あさぼらけ』で始まる歌は二つある。六字目まで詠まれない限り動けるはずがないのだ。まさかお手つき覚悟というわけでもないだろうし。
「あらかじめ何の札が詠まれるかわかっていたからな」
「は? イカサマかよ」
「詠み手の瞳に映った札を詠んだだけだ。反則でも何でもない」
「存在そのものが反則だな」
どういう視力をしてやがる。ワシやタカじゃあるまいし。
「しかし、チャンピオンも流石だな。事前にこちらの意識を読み取ってきた。わずかに目的の札に目をやったのが問題だったな。完全にリードをつぶされて、スタートを切られた」
聞いて、チャンピオンが首を振る。
「それでも左手で真空を作り、私の右手の軌道をずらしたあなたには完敗しましたよ」
「完敗とは謙そんが過ぎるな。そちらは左手で風圧を生じさせ、取るべき札を飛ばそうとしただろう」
「あなたの真空で、右手と一緒に自由を奪われましたがね」
「口から高周波の音波を出して三半規管を揺らそうとしたな。あれをまともに食っていたらそれも敵わなかった」
「気づいたあなたに同じ音波を出されて相殺されては意味がありません」
お前ら、まともに競技しろよ。
当然の抗議は、当然口には出せない。
無理が通れば道理が引っ込むの言葉通り、今やここは異常が支配する場だ。
「では続けましょう」
「やはりまだ余裕があるか」
「ええ、私の秘技は108式まであります」
「ふはは、それでこそだ」
「うふふ……」
そして、異常はますます濃厚になっていく。
もうにっちもさっちもどうにも止まらない。
※
さて、それからどうした、かというとだ。
この場にいる俺自身、どうしてこうなった、と言いたい気分である。
まず詠み手がいなくなり、CDラジカセに代わっていることはいいとしよう。
本人が秘技だと言い張っている反則行為を防ぐためのものだ。機械に瞳は存在しない。
ランダム機能でCDの百人一首を詠ませ、既に詠まれた札は互いにパスするというルールで競技を再開したわけだ。
しかし、いないのは詠み手だけでなく、観客もまた一人もいない。テレビの取材スタッフもいない。いるのは当該競技者──俺たちだけ。
みんな避難したのだ。
公民館が半壊していては無理からぬことだと思う。
壁は崩れ、屋根は吹き飛び、床ははがれている。暗黒百人一首とやらがどれだけ近所迷惑かがわかろうというものだ。
正直、俺も避難したい。
竜巻や稲妻や業火やらが暴れまくる札遊びなど、まともな神経では付き合っていられない。
饅頭二個と肉まん一体がのほほんとこの場にいられるのが信じられん。
しかし、その悪夢も終わりが目の前に来ていた。
互いの陣地に置かれた札が、一枚ずつになっているのだ。
つまりは次に札を取った方が勝つ。
ようやくここまで来たかと思うと、感無量だ。何でもいいから早く終わってほしい。
「息子よ、そしてその嫁、れみりゃよ」
親父が語りかけてくる。
全身が汗だくでもうもうと湯気を立てている。百人一首によるものだ。馬鹿過ぎる。
「チャンピオンとの能力は互角。なれば、勝負を決めるものは後ろに立つ者、背中を押してくれる者たちだ。心強く思っている。頼むぞ」
………………。
崖っぷちに立っていたらいくらでも背中を押してやるんだが、とは言うまい。
そこまで言われちゃ邪険にもできない。
最後の最後で頼りになるのが家族ということだ。助け合わないでどうする。
「ゆっくり頑張ってね」
「おお、強い強い」
「ええ、ありがとう」
見ればチャンピオンもゆっくりたちからエールを送ってもらっている。
こちらは着物のあちこちがボロボロになっていて、髪はやや乱れている……それでも顔には光明が射して明るい。孤軍奮闘ではこうはならないだろう。手も足も出なくとも、饅頭二匹、連れてきた意味はあったということだ。
「よし……!」
親父とチャンピオンの戦いに何もできなかったのはこちらも同じだ。
それでもできることはある。一緒に戦う。それが親父に力を与えるのだ。気持ちが力になるのだ。
家族三人で戦おう。
「いくぞ、れみりゃ」
俺はポン、と背中を叩いた。
──デジャブ。
前にも確かこんなことが、と思ったときには遅かった。
ボブゥオ!!
れみりゃは朝に屁をしてからは一度もしてこなかった。公衆の面前では控えろという言いつけを律儀に守ってきたからだろうが、それが却ってあだになった。ためにためたガスが噴出力と致死率を極度に向上させて猛威を振るうことになったのだ。
こういうとき普段なら即座に脱出している親父だが、百人一首に集中していたがために反応できなかった。死に神の気体に抱かれ、物も言わずにこん倒した。
他の常人は言わずもがなである。俺もチャンピオンもゆっくりたちも、意識を現世から吹き飛ばされた。
札を前にして、れみりゃだけが競技者として残っていた。
CDの音が流れる。
『久方の光のどけき春の日に──』
「う~、『ひ』、『ひ』、『ひ』だどー」
しばらく探して思い出す。
「あっ、『しものく』で探すんだったどー」
『──しづ心なく花の散るらむ』
「『し』、『し』、『し』……あった、これだどー!」
小さな手を札に載せ、取る。
そして立ち上がって大きく掲げた。
「取ったどー♪」
こうして百人一首に人生を掛けた親子二代にわたる因縁の対決、テレビを通して全国が注目する新年の競技は、幼い肉まんの手によってささやかに幕を閉じた。
いや、まったくひでぇオチだ。
おわり
- 最後の間。緊張感無くれみりゃが掲げるまでの辺りが本当に秀逸。
それまで積んできたものもさることながら、それを期待通りに壊して、ペースを突然変えて
この落とし方にするって、意識しても中々できないと思う -- 名無しさん (2010-03-27 20:00:56)
- 感想ありがとうございます
本当はこれで打ち止めにしようと思っていたのですが
あと二作ほど書いてみます -- 名無しさん (2010-04-03 23:25:56)
- さすがの農家も耐えられなかったかwww
しかしギャグの出来が半端ないぜ -- 名無しさん (2010-05-10 20:22:56)
最終更新:2010年05月10日 20:22