空気嫁4(がすわいふふぃーあ)-2




俺の背中で、れみりゃがしきりに上を気にしている。
不安なのだろう。流れてきた雲が太陽を覆い隠し、ただでさえ暗い森は宵が訪れたようになっていた。とはいえ、いくら日光を願っても、太陽が顔を出してくれるわけではない。
俺はというと、なぜマフィアが追ってこれるのか不思議だった。
今いる山は標高こそ低いが複雑な地形で、その上冬場であろうと草木が生い茂ってうっそうとしている。地元の人間でさえ気を抜くと迷ってしまうような所だ。
にも関わらず、奴らは真っ直ぐにこちらを追跡していた。俺自身がナビゲーターになった気分にさえなる。
そう言えば、あのゆっくり二匹もどうやって俺たちの居場所がわかったんだろう。
袖の近くで鼻をひくつかせてみる。れみりゃの屁の臭いでもしみついてたかと思ったのだが、やはり無臭だった。
そんなふうにあれこれ考えを巡らせていたのが悪かったのか、散漫になった気は突然目の前に現れたトレンチコートに対応できなかった。

「うわっ!」

うわっ、だと。我ながら間抜けた声だ。
けれど、向こうもまた仰天を絵に描いたような顔だった。口をあんぐり開けている。サングラスの下も丸くなっているだろう。お互い唐突な遭遇だったわけだ。
だから、仕方なかったはずだ。構えたままのピストルにかかった指が、思わず引かれてしまったとしても。
撃つつもりは始めからなかった。だが、運悪く、その銃口は俺の土手っ腹に照準がぴったりで。
撃たれてしまった。乾いた音を立てて、発射されてしまった。

「ぐっ……ぅう」

れみりゃを背負ったまま、俺は体を折った。
激痛が深紅の光となって視界を染める。脳内では漆黒が爆ぜた。“死”の予感だった。
弾丸が身を貫いてれみりゃに当たっていないだろうか、との思考が走る。
音が聞こえる。声。遅れて意識が語句の意味をようやくたどる。「マニアイマシタネ」
──「間に合いましたね」?
地面に転がった物体がある。白い紙片に小さな何かが刺さった物。いや、銃弾に札が刺された物!
顔を上げる。着物姿。

「女チャンピオン……!」

こくり、とうなずいた顔は整い、息一つ乱れていない。着物のすそもまた同様だ。

「れいむときめぇ丸が印をつけてくれたお陰で、追跡かつ先回りできました。間一髪でしたね」

俺は絶句してしまう。
マフィアもまた絶句していた。地面にある物体に視線が奪われているのがわかる。当然だ、投げた札で銃弾とかち合わせるなど人間業ではない。
しかし、俺が絶句していたのはそれが理由ではない。視線はチャンピオンの胸にあった。
でかい。やったら膨れていた。
明らかに詰め込んでいる。
視線に気づいたチャンピオンが、顔を赤く染め、両手で胸を隠す。

「あら、いやらしい。いくら私が美乳(びにゅう)だからって」

美乳というより、偽乳(ぎにゅう)だろ。一体何を仕込んでるんだ。

「おお、狭い狭い」
「ぎっちりしていってね!」

お前らかよ。

「おい、飼い主。かなり窮屈な思いしてるらしいぞ。出してやれよ、動物愛護管理法に抵触するだろ」
「なっ、なな何を言ってるんです。中の人なんていません!」
「饅頭だからな」
「それに私の出身地では、婦女子の豊胸といえば皆がこうだったのですっ」

なるほど、偽乳特戦隊か。

「Oh、日本デハ『男ハ度胸、女ハ豊胸』言イマスカラネー」

初耳だよ。そして、追いついてきたか、金髪ビキニ。
後ろに二人付いている。さっきの男も合わせて四人となった。いずれも銃を携えている。
こちらの数は五。しかし、れみりゃはガス欠だし、ゆっくり二匹は身動きが取れない。実質は二だ。
いや、俺だって銃相手にどれ程のこともできない。つまりは実質一になる。

「チャンピオン、流石に一人じゃ分が悪いのと違うか。無理に抵抗しねえで降伏した方がいいってんなら、それでもいいぞ」
「お気遣いありがとう存じます」

言うと、地に膝をつき、正座した。両手をそろえて地面に置く。え、土下座?

「ですが、ご心配は無用です。相手は言わば札付きの悪党なのでしょう? それならば、」

違う。両手の下には白い札が一枚ずつ。臨戦態勢だ。

「それならば、負けはありません。私、札をとるのはお手の物です」

「殺る」と書いて「とる」か。敵に回すと恐ろしいが、味方にするととんでもなく頼もしい。
しかし、それだって四丁の銃相手。やれるものだろうか。
金髪ビキニが(本物の)巨乳を揺らしつつたしなめた。

「No、No、大和撫子傷ツケタクナイヨ。他人ノモメ事ニ首突ッ込ムノハ無シネ。OK?」
「いいえ。私には因縁があり、そして一宿一飯の恩義があります。故に無関係とは程遠い。あなたに恨みこそありませんが──その胸、切り取らせていただきます」

結局私怨じゃねーか。
っていうか、気にしすぎだろう。たかがおっぱいが真っ平らな程度、へん平足と変わりないとは思うのだが。
身近な女が肉まんしかいねぇから、女心はよくわからん。

「大和撫子、現実見エテル? アナタ素手、コッチ銃。勝チ目ナイヨ」

俺としても同意せざるをえない。確かに素手というのは明らかに勘違いで、掌中の札は弾丸に匹敵する刃物と化す。が、それだって圧倒的不利だ。弾丸を落とされた男が金髪ビキニの言葉を訂正しないのは、それをよく認識しているからだ。
両手で札を飛ばし弾丸を防いでも、二つしか対応できない。残りの二つに対しては無防備だ。
それに金髪ビキニを含めて機関銃構えてるのが二名。詳しい性能はわからないが、基本的に機関銃てのは一分間に500から1000発発射するんじゃなかったか。一発程度止めたところでどうにもならない。
ならないはずなのだが。
チャンピオンは恐ろしく不敵だった。涼しげな顔に笑みが切れ目を入れる。

「試してみますか? 私はいつでも構いませんよ」

そこには揺るぎない自信が座していた。
金髪ビキニののどが、こくり、と鳴る。
引き金に掛かった指先は動かず、言葉すら出なかった。
理屈では自分たちの圧倒的有利があるはずなのに、本能が否を唱えているのだろう。
俺も同じだった。
さっきまで濃厚に見えた敗色が、もはや想像もできなくなっていた。
何が何だかわからないが、勝つ姿しか思い浮かばねぇ!
金髪ビキニが奥歯をかみ締めたのがわかった。奴らにもプライドがある。いくら精神の奥深いところで警報が鳴り響いていようが、尻尾を巻いて逃げるなどできるわけがない。
叫ぶ。

「Let'sファイア!」

だが、銃声は起きなかった。
代わりにうめきがあがる。四者四様の。
内二人には手に札が突き刺さっていた。
一瞬の出来事だった。

「おわかりですか」

左右に翼のごとく広げた腕を戻しながら、チャンピオンは静かに述べる。

「いかに手数・弾数があろうとも、勝負を決めるのは最初の一手。ならば、そのせつなを争う競技、その頂点にいる私が、負ける道理もありません」

王者の貫禄だった。
背中から下りたれみりゃが、パチパチと拍手している。

「すげぇ……。けど、どうやって二枚しかない札で四人一遍に?」

残りのマフィアには何も刺さってない。が、引き金を引けない程度の負傷はしているようだ。痛みに顔をしかめている。
女チャンピオンは新たな札を取り出し、構え、注意深く相手をにらみつけながら答えた。

「札を飛ばす動作で同時にカマイタチ、つまり真空の刃を作り、飛ばしました。左右で一つずつ、合計二つです」

ああ、確かにそれで札の二枚と合わせて、四人を攻撃できるわけだ。……しかし、素手で真空作って自分は大丈夫なのだろうか。滅茶苦茶だな。今更だが。

「さて、既に勝負は決したわけですが、どうします? 息子さんといたしましては、これだけのことをされたのです、やはり乳をもいでおかねば気が済まないでしょう」
「やはりじゃねーよ、やはりじゃ」

俺をダシに私情全開とは、まったくいい性格だ。
他人の胸気にする前に、自分の胸取り外しとけっての。
そんな心の声が無駄に天に通じたのか、前触れなくハプニングが起きた。

「あっ?!」

女チャンピオンの胸部に内蔵されたゆっくりが、ずるりと滑り、腹部へ落ちたのだ。激しい動きで固定しきれなかったのだろうか。

「でっぷりしていってね!」
「おお、太い太い」

饅頭の言う通り、腹が大きく膨らんでいる。「ナイスなボディだな」から「サイズが布袋様」に変化してしまった。……ちょっと苦しいか。
れみりゃが喜んで、「タヌキさんだどー。ポンポン、ポンポン、うー♪」と腹つづみを打つ。
女チャンピオンはいつもの冷静な態度はどこへやら、可哀想なくらいうろたえている。

「なっ、いっ、いえ、これは違う、違うのです。これは豊かな胸が魅力的過ぎて、ふいに妊娠してしまっただけですっ」

言い訳になってないし、むしろ余計に一大事じゃねーか。
ってか、慌てるのはいいがTPOをわきまえてくれないと……

「形勢逆転ネー」

ほらな。
金髪ビキニ他三名が銃を構え直す。
唯一の戦力が無力化したら、そりゃあそうするだろう。誰だってそうする。俺もそうする
ついでにタイミング悪く、荒々しい足音がたくさん近づいてきた。他のマフィアたちが合流したようだ。
あっという間に十数人に囲まれた。

「……完璧にチェックメイトってとこか」
「Yes、飛車ト角ガ山ホドアッテモ逆転無理ヨ」

そりゃ将棋だし、盤が飛車角で埋まる将棋ってのも豪快過ぎだが、ともかくどうにも負けってことだ。
女チャンピオンはさっきから「これは私の胸……これは私の胸……」とうわ言のようにつぶやき続けている。それが胸だったら究極の垂れ乳だろ。いい加減誰もだまされてないと伝えるべきだろうか。
しかし、仮にチャンピオンが使い物になっていたとしても、すき間無く包囲されているこの状況では打つ手は無いに違いない。
手持ちのコマはなく、手詰まり。負けだ。
くそっ、と吐き捨てようとしたその時、聞き慣れた声が山にこだました。

「甘いぞ、息子よ。こんな名台詞を知らないのか。『飛車角が無ければケーキを打てばいいじゃない』!」

知らねーよ。将棋盤ベットベトになんぞ。
ゴッ!
目の前を突風が過ぎ去ったかと思うと、さっきまで前方に並んでいたトレンチコートが全てなぎ倒されていた。
何か高速の飛行物体が……と思ったときには、後方のマフィア達が吹っ飛び、地面に転がった。
ガッシッ!
小気味いい音の方向に、日焼けた筋骨隆々の腕。一本のクワが力強く握られている。飛行物体の正体だった。
ただの農具で十数人のマフィア、そのほぼ全てを倒した。こんな無茶ができるのは、言うまでもなく──

「覚えておくといい。こういう事態も想定して、クワはこの形状なのだ。有事には武器、すなわちブーメランとして使えるようにな」
「いや、流石にそれをブーメランと見るのはショベルカーを耳かきと見るくらい難しいというか、そもそも想定した事態が理解不能というか、民明書房というか、まあともかく──親父!」
「イエス、アイアム!」

親父だった。敵の親玉を叩きにいくと言って別れたのが、ようやく合流したのだ。最強の農家、ここに見参。

「ん? すると敵の頭はもう倒したってことでいいのか」
「まだこれからだ。おお、れみりゃ、怪我一つ無いようだな」
「だどー♪」
「まだ? 何だそりゃ。じゃあどうしてこっちに来たんだよ。ってか、よく俺らの居場所わかったな」
「造作もないことだ。一流の農家は五キロ先で落ちた十円玉の臭いをかぎとれる」
「すげぇな! けど、せめて聴覚使えよ」
「とはいえ、そうでなくとも見つけるのは容易かったがな」
「え、そりゃどういう──」
「おっと」

親父が持ったクワを振り上げる。一名のトレンチコートが構えた機関銃が弾き飛ばされ、それは持ち主のあごをしたたかに打ち、こん倒させた。

「そちらも動かないことだ」

唯一立っているマフィア、金髪ビキニに対してクワを突きつける。「Oh……」の言葉と共に、上がりかけた銃口が再び下を向いた。

「もはや勝負は大将同士の一騎討ちというところまで来ている。局面を見据え、分別をわきまえるのは、農家ならずともレディーとしての振る舞いだろう」

農家関係ねえ、とは思ったが、親父の言葉は功を奏したようだ。金髪ビキニは軽くため息をついて、諦観の笑みを浮かべた。一時休戦。俺の肩の力も自然緩む。
と、金髪ビキニのアメリカ国旗に包まれたその両胸に、左右二本の人差し指が突き立てられた。

「Wow!」
「女チャンピオン?!」
「ふ、ふふ……ついにやりました」

和服の女性が低く不気味に笑うのはとても怖い。真っ黒で重いネガティブオーラをまとっているのがさらに怖い。
ってか、大和撫子と呼ばれてた女が、局面を見据えず、分別をわきまえないってのはどうかと。

「今あなたに突いた秘孔は、暗黒百人一首が秘技の一つ。全身の気を暴走し、胸から放出させるものです。当然胸を覆う衣服は破れ飛び、結果乳房の露出した相手はしゅう恥に震え、戦闘不能になります。ふふふ、恨むならばその無駄な巨乳を恨みなさい……」

うわぁ、最低だ。
完璧逆恨みの本人もさることながら、そんな技を開発した暗黒百人一首の流派もひどい。これが大和撫子及び日本文化とか思われたらすごく嫌だ。
ん? でもあれか。これはもしかすると読者サービスになるのか? ……いやいや、何を考えているんだ、俺は。でも、しかし。
脳内で理性と男の本能が争ういとまもあらばこそ、秘孔の効果が発動した。
ボバッ! 音を立てて、衣服の胸部が弾け飛ぶ。
親父の衣服が。

「おぉ、これは驚きだ」
「いや、そっちかよ!」

どういう原理だ。意味わからんぞ。バタフライ効果か何かか。

「いやはや、思いも掛けないところで読者サービスしてしまったな」
「どの層の?!」

農家フェチの方を馬鹿にする意図はございません。あしからず。
「む、無念……です」と、女チャンピオンは失意のまま意識を失った。おっぱいの暗黒面に堕ちた者の末路か、あわれな。
親父は、胸の部分が破けた大胸筋丸出しルックのまま、あごに手をやった。

「さて、落ち着いたところで話を元に戻そう。敵の親玉だがな──上だ」
「は?」

見上げる。
しかし、茂った葉と曇った空、それしか見えない。

「どういうことだ、誰もいないじゃねえか」
「そうかな、れみりゃには見えているようだが」
「何?」

れみりゃに顔を向けると、こっちを見返して「うー♪」と笑った。つまりは、そうなのか?
もう一度上を見る。
しかし、やはり、何も見あたらない。暗い頭上があるだけだ。
親父が声を上げた。

「さあ、もう姿を隠していても意味がないぞ。現れ出でよ、ドスまりさッ!!」

クワを上空に放り投げた。高速で回転する農具が、枝葉を弾き、灰色の空へ吸い込まれたかと見えたとき──それは起こった。

ズボッシャガァアーーーーーーーーーンンッ!!

閃光。そして、耳をつんざくような爆音がとどろいた。暴風が全身を叩く。激流にもまれるような草葉や土ぼこりを腕で防ぐ。れみりゃは俺の背中の陰だ。
一体何が始まった?!
直にそれらは収まり、落ち着く。が、上を見て驚いた。
空が広がっている。頭上を覆っていた森が無くなっていた。数々の樹木の上半分が吹っ飛んでいる。

「は? 何?」
「ドスまりさのドススパークだ」

理解の追いつかない俺に、親父がさらに理解不能な説明をする。

「え、と、ボスパルダー?」
「それは昭和50年代のアニメ『ブロッカー軍団IVマシーンブラスター』の主人公機だ。息子よ、マニアック過ぎてわからんぞ」

わかってんじゃんよ。

「ドススパークというのはドスまりさの吐き出す光線だ。見ろ、あれを」
「いや、まずドスまりさってのがよくわからな……うわぁっ?!」

親父の指差す方向を見てビビった。
近くの山が不自然な形になっている。というか、えぐれてる。円弧の形に大きな空白ができていた。
まさか、さっきので? 地形を変えるほどの威力ってか?! どんだけだ!

「ゆゆっ」

声がした。
聞き慣れた声のような気がした。

「そうだよ。これがドスの力だよ。わかったら、ゆっくりしないで早く降伏してね」

ああ、そうだ。れいむの声に似ている。あいつの口調について、ふてぶてしさをやや弱め、少しテンポを間延びさせるとそっくりだ。
鈍く光る天空に、うっすらと、だが次第にくっきりと、何か巨大な形状が現れてくる。
球状の、下膨れた、眉根を寄せた得も言われぬ笑顔……だけ。
頭だけの姿。

「って、ゆっくりかよ!」
「うむ、ドスまりさはゆっくりの一種だ。どうだ、初めて見る感想は」
「すごく……大きいです……」

思わず敬語になってしまうほどに大きかった。
結構高い位置に浮いているはずなのに、視界いっぱいにそのデカ頭が埋まっている。
ウェーブのかかった金髪に、白いリボンが付いた三角黒帽子を被っていた。表情はまんまれいむだが。
俺の言葉を聞きとがめたか、ドスまりさとやらが口をとがらせる。

「ゆむぅ、レディーに大きいなんて失礼だね。ドスは9000センチもないよ」

約90メートルじゃねーか。シロナガスクジラ三匹分かよ。

「先代ノボスガ子供ノ頃ニ出店デ買ッテキタヨ。ソフトボールノ大キサカラココマデ成長シタネ」

丹誠込め過ぎだ。
生き物飼うっていうレベルじゃねぇぞ。

「ソレデ先代ガ亡クナッテ、跡ヲ継イデボスニナッタネ」
「饅頭がマフィアのトップに?!」

玉のような子供が成長して親玉にってか。いったい何の冗談だ。
確かにあんなにでかけりゃ暗殺の心配もないだろうが。

「ボスノオ陰デ万事上手クイッテルヨ。丸ク収マッテルネ」

……球体なだけにか。
そこにドスまりさが口を挟んだ。

「ゆんゆん、ドスはドスだよ。ボスじゃなくてドスだよ」
「Oh、ドスガボスデスネ」
「ドスはボスじゃなくて、ボスがボスだよ」
「ボスハドスデスネ」

どっちでもいいよ。

「思った以上だな」

親父が感心したように言う。

「ドススパークの威力だけではない。かなり離れた場所にありながら、こちらの声を聞き取ることができるとはな。さらに、こちらが聞き取れるだけの声を発することもできる。優れた身体能力を持っているな」
「同意だが、親父も走りながら同じことしてなかったか? まあともかく、あいつ倒せばこのドタバタも終わりってことでいいのか」
「先ほどの口ぶりからすると、本人は親玉であることには異がありそうだがな。実力も信頼もあるし、まあ責任感もあるから、結局は実質的にボスということだ」
「ふぅん。で、親父はあの巨大饅頭を追ってきたわけか。こんなに時間食ったのは追いかけっこでもしてたんだろ?」
「いや、何もしてなかったが?」
「おい?」
「誤解するな。戦いから離れていたというだけだ。人目に付かないところで滝に打たれていたのだ」
「おい!」

その間に死にかけてたんだぞ、ふざけんな!

「ドスまりさは姿を消すことができる。そうなると、ゆっくりにしか見ることができなくなるのだ。それでも見ようとするのであれば、一切の煩悩を取り払わなければならない」
「む……じゃあ滝に打たれたのは、それでか」
「無心になるのは久しぶりだったもので、ずいぶんと手間取った。危険な目に遭わせてしまって済まなかったな」
「…………ちっ」

事情と謝罪を率直に言われると、責める気になれなくなる。

「にしても、よくドスまりさが親玉だってわかったな。始めから滝目指してたわけだろ」

親父が家を飛び出してから走った方向には、くだんの山深い滝があるのだ。

「気配は感じていたのだ。朝から我が家の上空にでんと浮かんでいるのはな」
「そうだったのか。全然わからなかった」
「自然と一体化している状態だからな。しかし、風の息づかいを感じていれば、十分に気配があったはずだ」
「できねーよ」

ジェダイ・マスター並の要求すんな。

「ドスまりさはゆっくりの中でも特にゆっくりしたことを好む。しかし、銃を乱射する者たちが近くにいるにも関わらず、その場を離れようとしない。ならば、その関係性はすぐ連想できる。そして、マフィアの幾人かの意識が上に向けられ、それは明確な敬意を帯びていたから、恐らくは中心的存在だと推測した」
「わからないでもないが、結構な度合いで憶測入ってるんじゃ? それで戦線離脱されたんじゃたまらねえぞ」
「農家の勘は外れたことがない」

やっぱジェダイか何かの存在になってるぞ、農家。
近い未来、ライトセーバーで田畑を耕す光景が見られるかもしれない。激しく嫌だ。
しかし、思い返すに、ドスが近くにいたことについては、確かにそれを示唆する出来事はあった。
例えば裏口でれいむときめぇ丸が上空を見て「ゆっくりしてるよ」「でかいでかい」とつぶやいていた。
例えばれみりゃが森の中、しきりに上を気にしていた。
あれらはドスまりさの姿を視認していたがゆえだろう。

「それにしても驚いたぞ。滝行を終えて遠くを見やると、お前たちの気配がある所と寸部違わぬ上空にドスまりさが浮揚していたのだからな」

遠くの気配を感じられるそっちのが驚きだが、俺はそれで合点がいった。
他のマフィアと同じく、ドスまりさは親父を捕そくすることをあきらめ、俺とれみりゃをターゲットにしていたのだろう。ずっと上で監視していた。だからこそ、ゆっくり二匹は俺たちの居場所を推測できたのだろう。
マフィアにしても同様だ。ドスまりさの姿は見えなくとも、何らかの合図をドスまりさが送ることは可能だ。それなら道に迷わず、正確に追跡してこられる。
そこまで考えて、ふと気づく。もしかして……
俺はドスまりさに呼びかけようとした。

「ボスハドスデスネ」
「ドスはドスだよ」

まだやってたのかよ。

「おい、ドス」
「ゆっ?」

茶番に言葉を差すと、すぐにこちらを向いた。空いっぱいに広がる人頭が、地上のちっぽけな呼びかけに反応する様は、何だか変にそわそわする。ともかく聞きたいことを聞いた。

「お前、もしかして俺らを助けたりなんかしたか? 自由落下中にさ」
「ゆゆっ、お兄さんよくわかったね。危なそうだったから、ドスの舌で包んだんだよ」
「ボスハ中身ガ餡子ダカラッテ敵ニ対シテモ甘過ギネ」
「うー、ありがとうだどー☆」
「ほほお、そんなことがあったのか。流石はゆっくり・オブ・ゆっくり。『気は優しくて力持ち』だな。……ん、どうした、息子よ。なぜ暗く沈んでいる」

俺はどんよりした心の中でお袋にわびていた。
幼き日、優しく抱かれた思い出を、饅頭のベロに巻かれたことと混同してしまった。失礼に過ぎる。
俺自身の精神的ダメージもでかい。ほんのり感動した出来事が、黒歴史に変ぼうしたのだ。そりゃ落ち込んで当然だろう。

「ドスはあんまりケンカしたくないよ。だから、お兄さんも助けたけど……だけど、みんなが負けるのはもっと好きじゃないよ。だから、おじさんには降参してほしいよ。しないなら──」

天空に広がる口内に、光が生じる。ドススパークの前兆か。

「ソウネ、早ク参ッタスルトイイヨ。私サクット終ワラセテ、イタリアニ帰リタイネ。日本トッテモ寒イヨ」

今更だが服を着ろ、ビキニ女。
しかし、ドスまりさはここに来てマフィアのボスっぽいことをしてきたな。穏やかに見えて、ずいぶんと威圧的な要求だ。
山を吹っ飛ばすほどの攻撃、食らえばどうなるかなんてわかりきっている。
いや、それでも親父なら対抗できるのだろうか。
いつもの無意味に自信たっぷりな表情を崩していないのだ。
機関銃が平気なら、と考えるのは安易だろう。ドススパークは対戦車ロケットすら比較にならない威力を持っている。まともに向かって勝てる相手じゃない
それでも親父なら……親父ならきっと何とかしてくれる、……のか? どうなんだろう。
バッ、と。
突如親父が、五指を広げた手を、ドスまりさのいる天に向けて突き出した。そして、高らかに声を上げる。

「ドスまりさ破れたり!」

は?
なぜに宮本武蔵的台詞が?

「今のお前は自分をゆっくりしていると思うか!」
「ゆ、ゆゆっ?!」

ドスまりさが明らかに動揺している。
あー、そう言えばそんな設定があったな。『ゆっくりはゆっくりしていることに最大の価値を見出す』だったか。
ゆっくりしてるっつーのがどういう基準なんだかよくわからないが、まあ少なくとも殺ばつとした雰囲気とは間逆だろう。脅迫を仕掛けてきたドスまりさはあんまりゆっくりしてないというわけだ。むやみに自然破壊してるし。
親父は言葉を続ける。

「そして、今この場で一番ゆっくりしている者は誰かな?」
「ゆっ……ゆゆっ……」

ドスまりさは言葉に詰まる。しばらく口をもごもごさせていたが、やがて押し出すように言った。

「ゆぅ……おじさんが一番ゆっくりしてるよ」

マジで?!
ゆっくりの基準がわからねえ。知ってんのか、親父はかつて両肩米俵にふんどし一つでイタリアを走破した男だぞ? ついでにそのままお前らのアジトつぶしたんだろうが。

「ふふ、そうだろう。今の私はゆっくりそのものと言っていい。全てから解放されている状態だからな。率直な言い方をすれば、ノーブラ・ノーパンだ」

いや、おかしいだろ!
っつーか、ブラしてたら怖いよ! そしてパンツはけよ! それを人前で宣言するって、人間の尊厳とかから解放されてどうすんだ!
息子の心の叫びをまるで意に介さず、親父は決着を明らかにした。

「では、この勝負、大将同士の決着につき、農家の勝利ということにする!」
「ゆゆっ、仕方ないね」
「誠ニ遺憾ネ」

勝っちゃったよ。マフィア側も納得してるし。
何度も命を落としかけた戦いが、そんなんでいいのか?
甚だ疑問だが、ハチャメチャなイベントが早々に終わってくれるなら、もう何でもいいような気になっていた。 

「では勝者から敗者への要求をさせていただく。まず、ドスまりさは山の穴を埋め直してもらいたい」
「ゆっくり了解したよ」
「次に、その他のマフィアの者たちだが、私の家族や無関係な人間を危険な目に遭わせたその罪、万死に値する」
「Oh……」
「しかし、奇跡的に誰も傷ついていない。ゆえに受ける罰は軽いものにしておこう。選出した三名が、我々と三日三晩寝食を共にすることだ」
「Really? ソンナノデイイノ? 焼ケタナイフデ生皮ハグトカ、サビタノコギリデ手足切ルトカシナイノ?」

グロっっ!
しねぇよ、絶対! 常識疑われるわっ。
と即思ったが、考えてみると屁で空を飛んだり、クワをブーメランのごとく使ったりする時点で、常識などどっかに行ってしまっている。日常生活は遠い彼方か、なんてこったい。
だからこそっつーか、わかってねえんだよな、金髪ビキニ。
俺は異邦人の甘さにため息をつく。本当にわかってない。
俺たちの生活がどれほどの荒行かってことを。




昨日の曇天が嘘のように、今朝の空は青く澄み切っていた。
裏口の後ろ、家の中では金髪ビキニ他二名が、土下座して謝っている。
まあ当然だろう。晩飯に最悪毒物出された上に、起床はガス圧で屋外に射出されるんだから。で、さらに朝飯。目覚めたというのに悪夢が襲い来る。これじゃもう許しを請うしかない。勘弁してくれ、もうお家帰りたい、と。
しかし、親父は中途半端は嫌いだから、無理にでもあと二日、地獄の生活を共にさせるだろう。彼らが精神崩壊に至らないことを祈るばかりだ。これ以上マフィアに恨みを持たれても困るしな。
俺はというと食事する雰囲気でもないので、事が落ち着くまで外の空気を吸いに出たのだ。
大きく伸びをしようとして、その手が止まった。

「あ?」

目の前。
ドススパークに大穴を開けられた山。その欠如が埋められていた。巨大饅頭がすっぽりはまることによって。
俺のいぶかしがる目を感じたか、そいつは「や、山ぁー」と鳴いた。

「……何やってんだ、ドスまりさ」
「ゆ、ゆゆっ。ドスはドスじゃないよ、山さんだよ」

元通りに山を補修するのは大量の土石が要る。即日それを用意するのは不可能だから、自らの体で応急処置を施したつもりなのだろう。心掛けは殊勝とも言える。しかし。
無理のある擬態に加え、意味不明の鳴き声まで披露したドスまりさに、俺は思いっきり突っ込んでいた。

「お前のような山ぁがいるか!」


おわり

  • 親父本当にトラブル起こしてばっかだなw
    もっとやれw -- 名無しさん (2010-05-08 18:28:37)
  • 今回ゆっくりの出番少ないかと思ったら、すっごくでかきのが居たw農家パネェ
    チャンピョンのお姉さんとれいむきめね丸コンビがお茶目過ぎて可愛い。 -- 名無しさん (2010-05-10 23:42:31)
  • キャラに魅力がある話でした
    人間キャラもゆっくりもキャラが立ってていい
    個人的には女チャンピオンとれいむきめぇ丸がお気に入り
    PADネタ妊娠ネタは笑ったw -- 名無しさん (2010-05-13 00:16:14)
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最終更新:2010年05月13日 00:16