【2011年春企画】緩慢刀物語 地輪章 入-1




 決戦は深夜、人知れぬ墓地横の広場にて行われた。


 菓子剣を構えたみょんは、目前の『妖怪』を一瞥し、周囲の仲間たちと最後に頷きあう。
 ゆっくりが4体。
 足元には、まだ少し暖かく重たい包みが一つ。
 …………よくぞ、ここまで残ったものだと思う。

 ―――何かを我慢して顔を赤くしているゆっくりむらさ。
 ―――こんな時でも、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべて余裕のおりん、
 ―――横一文字に結んだ口元と、射る様な目つきのケロちゃん。悟りきったかのような
    その表情は、まるで賢者の様

 応援する者はいない。
 この戦いを知るものもおよそ一人しかいないだろう。
 誰にも語られる事もない。
 しかし、みょんは孤独を覚えなかった。
 この4人で十分だったし、証は、えなくとも必ず残る。

 一歩―――目の前の禍々しい化けガラスに詰め寄りつつ、みょんが思い出していたのは、
この地底生活を始める直前の事だった。



   緩慢刀物語 地輪章-入- ジュウケン「芭宇夢」








 「このまま、ゆっくりしすぎて死んじまうよ!!!」


 あの時。

 ついに怒鳴り始めたのは、彼方の方だった。この手の大声にはみょんは流石に馴れつつ
あった。
ある程度は受け流すのはみょんの方だったのだ。
 しかし、この時は、状況と彼方の言い方に、間髪入れずに反応していた

 「まるで、ゆっくりが悪いみたいな言い方でござるなオイ!!!」

 どちらが悪いという問題ではない。
 二人は、ドス暗い森にいただけなのだ。
 最初は気持ちよかったのだ。
 そう、更に遡って何時間ほど前の事だろう。
 最初は天気も良く、気持ちの良い森を二人で歩いていた。

 「良い天気でござるねー」
 「ええ……本当!」
 「あぁ……おいしい空気みょん!」
 「空気って本当に美味しいんだね! 今まで知らなかった」
 「ほら……耳を澄ませるでござるよ。小川のせせらぎに、そよ風が奏でる木々の音色。
  カッコーの声も」
 「あ、見てみて、白頭大鷲!」
 「こっちには赤斑大獺の親子みょん!!」
 「ああ~」
 「「大自然って素晴らしい!」」

 伸びをしながら、二人とも順調に足を運んでいた、
 とにかく気持ちが良くて、深い森を進んでいった。
 森林浴が気持ちよいのは、実際に木々が醸し出す何らかの成分が、脳に良い具合に作用して
いるためという因果関係が解明されているらしい。
 それが、解りやすく極端な形で起こったのだろう。

 二人は狂っていた。


 「あはは、こっちの世界にも、まだこんな美しい自然が残っていたのね、うふふ」
 「何だか精神・科学的に文明が一段上の惑星からやって来たような、上から目線の言い
  方でござるなゆししし」
 「青い空・白い雲・緑の山脈・深い森・ムチムチの柏餅のおサムライさんv」
 「そして覇剣を持った戦国美少女v」
 「こぉおいつう」
 「ぷはー」

 気が付いたら汗だくになっていたが、それがいけなかったのだろう。徐々に森も暗くな
っていったが、それが体温が不自然に上がってしまった二人にはまだ心地よかった。
 直接の日光があまり届かなくなっていった頃、二人はそろそろ本気で迷い始めた事を認
めなくてはならなくなっていた。

 ――――「遭難ですか」
 ――――「そうなんです」
 ――――「そーなのかー」
 ――――「そーなんす!」
 ――――「………どうすんだよ」

 と、守矢国でのやり取りを思い出さずにはいられなかったが、同じセリフを言うつもり
はなかった。
 ちなみに、目的地は森を直進した先にあると聞いていた。
 若干広範囲の森とは聞いていたが、ある程度の道は切り開かれていて、そこを辿る予定
だった。
 しかし―――徐々に薄暗さが視界を奪っていき、それが木々が日光を遮断しているため
ではなく、実際に日も暮れかけているらしいという事が、二人を焦らせ始めた。
 時間の感覚も少しずつおかしくなっていったのだ。
 実に頼りなく開かれた道だったが、引き返したり、一端休むという選択肢は二人とも浮
かばなかった。
体力だけは十分にあったため、一刻も早くこの森を抜けようと前進し続けた。

 「―――あ、あんな所にウツボカズラ……」
 「………うわあ、あの狸? 首が二つもある……」
 「うああああ」
 「凄いね、大自然」

 鳥の鳴き声がどことなく赤子の鳴き声に聞こえてきた。
 気が付くと―――ほぼ闇の中だった。
 空気の質も少し違う。どことなく、どこか金属的な匂いがした。
 近くの岩に腰かけて、無言で小一時間休み、慎重さを胸にゆっくりと無言で歩き始めた。
 時間はかなり経ったかもしれないが、案外早かったもしれない。
 彼方は、冒頭の一言を、怒鳴った。

 「何だよこれは? こんな怖い森なんて聞いてないよ!!」
 「それはこっちだって同じみょん!!!」
 「別にみょんさんのせいだなんて言ってないじゃない!!!」
 「言い方おかしいだろ!」

 大声と早足では余計に体力を消費するだけだが、二人はゆっくりとでも罵り合いながら
歩を進め続ける。
 足元に人やゆっくりの通った跡を確かめようにも、暗すぎてよく解らない。
 そんな状況で―――発見した者に、二人は同時に少し声のボリュームを下げた。
 【→】との看板があった。暗い中、白いためか、うっすらと浮かんで見えたのだ。
 注意深く無言で先を見ると、等間隔で同じ方向を指す看板があった。
 ややあって、足者とは、草地から石畳へ代わっている事に気が付く。
 いやに清潔に感じた。
 人工の道に突入した事に安堵しつつ、看板を追っていくと両脇に篝火がたかれていた。
 そして視界が開けていく。

 ―――二人は、最早「暗い森」ではなく、「地下」、浅くても「洞窟」に突入していると
知った。


 「これは………」
 「ぬぬう………」

 もちろん、予定していた経路にこんな場所は想定していない。
 しかし振り返れば、先程通ってきたことが信じられない程濃い闇が広がっている。
 逆に、石畳を進むのは快適ですらあった。

 「行ってみるしか……」

 一本道だが、明らかにこの先には人間かゆっくりの存在があるだろう。本格的に夜とも
なれば、森にいるよりは幾分安全か。
 ずっと続く看板と、そろそろ覚えてきた空腹感も背中を後押しした。
 そのまま進んで――――石畳が途切れた。
 大きく視界が広がる。

 二人が立ちすくんだ、やや緩やかな崖の下――――「碁盤」という単語をみょんは思い
出していたが―――
正方形の外堀と塀に囲まれた「街」が、ただ広い空洞に広がっていた。






 「何だろう? ようやく始まった気がする」

 茶店で痛飲しつつ、器用に口に出して彼方は呟いた。
 今まで順序を間違えてきたような。
 実際は、ようやく宿のとれる場所についた―――というか、ある意味終着点と言って
いいはずの場所だ。
今までの暗い森の闊歩がとんでもない冒険に思えるほど、ここは、落ち着いた場所だ。
 快適と言う訳でも無いが、『暮内』程度には栄えている。街だ。
 村・集落といったレベルではない。
 街なのだ。
 地下なのに。
 何かが「始まった」気がして落ち着かないのは当然か?
 だが、入ってすぐに、こうして茶店もある。
 出てくるものも――――癖が無さすぎる味とは思ったが、普通のお茶と菓子だ。
 そのお菓子は、二皿きちんと平らげてから、みょんは周りの客や店員と話している。
 しばらくして、やや上ずった声を上げた。

 「――――博霊領………でござるか」

 嫌な思い出しかない。
 実際にあった被害もさることながら、守矢での経験が、そこに拍車をかける。
 更にいえば、目指していた場所とは反対方向だ。
 どこをどう迷ったか、それともまた戦で領地が変わったのか?
 みょんは露骨に顔をしかめていた。

 「いえ、正確に言いますと、元博霊管理下の―――隔離所ですね」

 後から話を聞いていたらしい、人間の少女―――色素の薄い紫がかかった髪に、冷めた
様な細くじっとりとした目つきに、異様に幼さを感じさせる服装―――が優しい口調で答
えてくれた。
 みょんの周りには、次第にゆっくりや人間達の客が集まり始めていた。敵意は無い。単
純に話を聞きたいだけの様だ。

 「隔離所?」
 「代も変わっていますが――――大元は博霊に占領された一国の一部ですわ」

 神に頼らず生きていく事が信条の国だ。
 侵攻した国の神社や寺を破壊、またその関係者の殺害などは常時行われている程だが―
―――当然ながらそこには地元の猛烈な反発があり、それは無視や力任せの弾圧で解決で
きるレベルでは無かった。
 幾度もの小中規模の反乱や、博霊国民への密かな布教の完全な根絶は、侵略を続ける限
り中々収まらなかった。
 そこで妥協案が1つ取られることに。

 「元々開いていた太古の空洞を利用して、何か採掘してたか、軍事施設を作っていたか
らしいんですが、そこにどうしても信仰を捨てきれなかった連中を一まとめにして、適当
な居住区をあてがったのが始まりです」

 それも本国から最も離れた場所に作られた。
 だから、みょんと彼方はあながち間違った道を進んでいた訳では無いようだ。

 「あれ?どこかで聞いたことがある気がするみょん……」

 そう。
 「隔離所」という単語が少し強烈で気を取られていたが、大筋やこの街の概念をおぼろ
げに伝えた話は、どこかで聞いたことがあったはずだ。
 確か家族からだ。

 「しかしそれは………」

 虐殺よりはまだ――――と言えるのか?
 しかし、正直な所、この「街」が発展し過ぎている事と、そこそこ昔の話という事もあ
り、みょんには悲壮感をさほど感じられなかった。
 これは異常な話だが、その分人間の少女の話を上手く飲み込めた。

 「それでも、ここは博霊の一部である事は変わりない訳でござろう?」
 「『臭いものに蓋』『死人に口無し』って言葉があるでしょう?」

 隔離病棟だって、収容所だって、一緒にいたくない存在を一まとめにしてしまえば、そ
のまま排除したいというのが、結局周りの本音でしょう――――と少女は薄く笑った。
 周りの、ある程度古株のゆっくり達まで話に入ってくる。

 「本国から相当離れていて非効率、すぐに利用されなくなった上に忘れられた様ですよ」
 「いやー、わざと『忘れたふり』を決め込んだんだねー」
 「『死後の世界なんか信じてる弱い馬鹿は、無人島か砂漠に放りこんどきゃいい。餌を与
えるのは月イチな。それを3か月だけ続けよう』って、当時聞いたって曾お婆ちゃん
が言ってたね!!!」
 「それにその後、妥協策なんて意味が無い事に、博霊も気づいたみたいで、弾圧と虐殺
はもっと徹底されたそうですから……『無い事にされた』お蔭で命拾いしたんですね、
この街の先祖様方は」

 ホホホ……馬鹿な奴等 と、少女は付け加えが、これは誰を馬鹿にしているのだろう?
 怖いとか残酷とか言う以上に、何かの欠如をみょんは感じて、この場から立ち去りたく
なった。

 「あなた方はどこから来たの?」
 「西行国から」
 「聞かせてよー 何しに?」
 「いえ…… 先は急いでいるみょん」

 反射的に、店を出てしまった。
 周りのゆっくり達は普通にみょんと話がしたいだけだった様子だが……
 すかさず、店員が駆け寄ってくる

 「おサムライさん、 おまちくださいやし」
 「何か用みょん?」
 「あの、お勘定がまだでございます」
 「おお、忘れておったみょん」

 と、取り出したのは鉄扇では無かったが、店内を覗き、予想はしていたがみょんは脱力
し、いきり立った。

 「いい気になるなよこの牛女!!」
 「えっ……みょんさん胸にそんな劣情抱く事は……」
 「そっちじゃないみょん! またこんな所でもカパカパ牛みたいに飲んで………!」
 「いや、どうにも味の無いお茶でさ。ごくごく飲めるのよこれが」

 怒鳴りつけながらも、みょんは何か「始まった」という気持ちになっていた。その正体
は自身でも知れぬ。
 地底に作られた「街」ともなると、貨幣は通用するのか心配したが、普通に支払えた。

 「さて、どう進めばいいでござるか―――」
 「ここで一泊するでしょ?」

 元より時間の感覚が解らぬ。
 先程、茶店から出てしまったが、考えてみれば9割この街の事が分からない。
 歩き出した先は、最初は住宅が密集していたが、やがてにぎやかな商店街へ二人は入り
込んだ。

 ―――忘れられたフリをされた「隔離所」が、何故こうして栄えている?
 ―――地底なのに、常に仄明るいが、その動力源はどこにあるのか?
 ―――これだけ発展している事を、本当に博霊国は知らないのか?
 ―――あの誘い込むような看板と通路は何なのか?
 ―――外来者は珍しい様子だったが、そもそもどう自活しているのか?

 住民は、人間4割、ゆっくり6割といったところか。
 街並みだけ見れば、さほど独自の文化という訳でも無し。街並みは西行国を思い出させ、
活気ぶりは幕内を彷彿とさせる。
 どこかで――――できればゆっくりした相手にもう少し真面目に聞いてみたい。
 決して不愉快な場所では無いのだ。寧ろ、焦ってあまり味あわずに平らげたが、茶店で
食べた菓子は非常に旨かった。
 その分、少女の話した話が、じくじくと嫌な染みをみょんの胸に広げる様な思いだった。
 しかし、それとは関係ないが、何か良い匂いが漂っていた。
 何かの焼き菓子のものであろう。歩くにつれてみょんの興味は次第にそちらに流される。

 「あそこに工房みたいな所があるよ?後で行ってみる」
 「鍛冶屋でござるかな?まあ紹介状ももらったでござるが、参考程度には良いかも……」

 宿などはどうしようかと考えていた時だった。

 「みょんさん…… あそこ」
 「あれ? 楽しそうな!」

 商店街を少し抜けると、広場があり――――そこに煌々とした明りが灯されていた。
 掲げられた巨大で頑丈そうな行灯が数台。明るさの正体はこれか?
 更にその辺りには、沢山の屋台が立ち並び、ゆったりとした長椅子や卓が備えられ、皆
で共有している様子だ。
 本当に見るからに楽しい。
 酔っ払いはいないが、これは、宴だ。

 「何か良い事でもあったのかな?」
 「無いよ! 強いて言うなら、『順番が回ってきたから』……かな?」

 彼方に、通りすがりのゆっくりれいむが律儀に答えてくれた。

 「順番?」
 「あんた方、地上から来たんでしょ?」
 「上から来た人には解りますまいな………」

 もう一人、人間の男性が立っていた。文字通りなら卑屈な言い方だが、そこに悪意は感
じられない。

 「ここはね、何か所にも分れているんだよよ!」

 上から見た街は、正方形だった。

 「『時間』と『場所』を『限定』して『集中』して、きちんと守って『我慢』しあえば、
皆平等に楽しめるんだよ!!!」
 「これは良い節約技術、でやんしょう」
 「共存共栄は可能なのですよ」

 成る程。配分や順番までは解らないが、街を区分けし、予め計画しての資源の配分。そ
れもその区の住民がなるべく一か所で共有する事で効率良く回っているという訳か。
 恐らく例えば、入浴も大抵は公衆浴場で済ませている事だろう。
 これは良い運用だ。
 しかし問題は、大きな疑問は、その大元の燃料(?)がどこから生まれてくるのかまでは
解らない事だが、それを聞くのは何だか恐ろしい気がした。

 「『場所』と『限定』ねえ」
 「何を神妙な顔をしているみょん……」
 「いや、色々思い出すことがあってさ」

 同時に、『我慢』の単語がみょんの脳裏によぎる。
 そう――――あれも、博霊の圧力から逃れるために作られたのだ。
 かつて遭難した挙句に訪れた、所謂「神域」は、「幻想郷」と名づけられた。

 「そういえば、ここは何と言う街でござるか?」
 「ん~……正確な名前もあるにはあるよんでやんすが、皆『街』で呼んでますやねえ」
 「むしろ、『一番地』とか『2番地』とかの言い方かな?」

 ここで生まれ育った住人にとっては、みょん達にとっての「日元」「漆日」であり、区域
ごとが地方の様なものか。
 ―――――「幻想郷」は、神秘を信じる者だけが入れる場所だった。
 寧ろ、それを排除する空間と対になって生成された世界だ。
 ならば

 「ここも、全く一緒じゃない?」
 「む……しかし」

 あの場所に暮らべれば、平和そのものだ。何より快適には違いないし。
 聖なるものには、必ず対の邪悪なものがどこかにセットされてしまう。
 「幻想郷」は、その邪悪さの配分が少し偏っていた。
 ここはどうであろう?

 「ひとつ聞くでござるが、ここにはその……天狗や土蜘蛛、釣瓶落としとか、そう言う
類の妖怪が出たりは……」
 「外のお侍さん、面白い事をいいなさるね!!! 神仏・狐狸妖怪・悪鬼羅刹・魑魅魍魎……
いやはやにんともかんとも」

 ゆっくりれいむは笑って言ったが、人間の男は、顔を硬直させたまま、れいむに詰め寄
った。

 「お前……解ってないな」
 「あぁ!?」
 「…………妖怪がいないとか、人生なめてんの?」
 「―――見た事あんのかよ、お前はよお」

 広場では、週一か月一か知らないが、とにかく楽しんでいる。
 今まで旅した場所で、こんな催しに出くわしたことがあっただろうか

 「みょんさん、行こう」
 「茶店でのお菓子、名前は知らないでござるが中々だったでござるしな!」
 「きっと屋台でも出てるよ!」

 何やら険悪な雰囲気のゆっくりと人間を差し置いて、二人は駆けて行く。
 しかし、代も変わったためか、信心深い者のある意味避難所とも言える場所の子孫が、
それすら信じないともなると……

 「皮肉よのう……」

 柄にも無いと思いつつもしみじみ呟き、広場に足を踏み入れた時だった。

 「彼方殿?」
 「見てみて、大福が普通のサイズだよ?」
 「…………」
 「ああ、前の大福が大きすぎただけだよね……だけどさ、ほら豆も……」

 彼方はみょんの目線の先を確かめたが、何も見えなかった

 「みょんさん?」
 「彼方殿」

 みょんは羊羹剣を既に取り出していた。
 緊迫しているのは解る。
 だが、その視線の先に何も見えない事に、彼方はギャップを激しく感じた。

 「何何々?」
 「見えないでござるか? あれが……」
 「だからあれって?」

 みょんは思った。

 (いや、見えないのも無理はないでござるか…………?)



 その『妖怪』は半透明だった。


 かなり大きい。半透明のため、正確な位置や大きさは解らないが、この地下の街が、決
して安息できる場所では無いという覚悟は決まってしまった。
 鬼である。
 ザンバラの髪に、額に鋭利な角が一本。半透明でも、酷く赤いという事が分かる。
 うろうろしている。
 どうにも、明りを嫌がっている様で、何か困っているかに見えた。
 何か考えが定まっていない様子で、ただちに誰かに危害を加える意思が見て取れた訳で
は無かったが、到底交渉が聞く様な生物には見えなかった。
 ややあって、みょん達には背を向けてまっすぐ歩きだし、そして完全に透明になった。

 「……いや、向こうに――――原理は解らぬでござるが、彼方殿にだけ見えない様子みょん……」
 「……せめて、『自分にしか見えない』とか言いなよ……」

 音も無く徘徊する巨大な鬼をしり目に、宴は一応続いている。
 気づいている者はいない様子だ。
 いや、多少なりとも、騒ぎの音量は低くなった気がしたが……
 それともごく当たり前の様に現れる自然現象の一環なのだろうか?半透明であるのだし。

 「見えている方がおかしいのでござるか………?」

 とにかく疲れている。
 先ほどの茶店でも、食べて休む間も無かったのだ。
 能天気に屋台へと向かう彼方に、みょんも倣った。

 「見えましたか」

 と、呼ばれた気がして、焼き鳥の屋台の方を向くと、一体のゆっくりと目があった。
 ゆっくりさくやさんだった。
 皮と軟骨、つくねを上品に食べていた。彼方は露骨に顔をしかめ、みょんは呻いた。
「うあああ……」
 これまた、あまりいい思い出が無い。食堂?とゆっくりさくやさん、どちらも道中よく
出くわしているが、この組み合わせが今は少し嫌なだけだ。
 しかも、向こうから話しかけられるのは……

 「いやいやいや」

 差別はよろしくない。
 今まで会ったさくやさん全員が、(と言うか、戦った本人も悪人だった訳では無い。本当
に悪い奴は何度も見てきたのだから解る)と剣を交える定めにある訳でも無し。
 ぶんぶかと全身を振ってみょんは否定し、磯辺焼き注文した。
 長椅子へ向かうと、早トン汁を何杯も重ねている彼方を改めて一喝しようとしたところ
で、今度は本当に背後から話しかけられた。

 「『あれ』、見えていましたよね?」

 脳に差し込まれるような、冷たく鋭い声だった。
 背後に、さくやさんはもう移動していた。早い。
 反射的に、すぐ様臨戦態勢を取ろうと、口内の羊羹剣を取り出そうとしたが、さくやさんは
動かない。別段敵意がある訳でもない様子―――と言うか、やや嬉しそうですらある

 「こんな所で軽々抜刀するもんじゃありません」
 「…………じゃあ、少し離れてやろうとでも?」
 「ああ。それがいいでしょう」
 「何々?みょんさん?」

 結局戦わねばならんのか。
 どこでも剣呑な話だ。
 彼方は驚いて駆け寄ったが、きっちりトン汁だけは飲み干していた。一歩遅いとか危機
感の無さとかいうより、優先順位がおかしい。
 さくやさんは、無言でみょんを顎で促すと、広場から出ていく。
 その方向は、先程「鬼」が向かって行った先だ。
 しばらく歩き、人通りも少なくなった辺りで、一行は少し広まった空き地に着いた。
 高く立派な白塗りの壁がそびえている。街はいくつもの地区に区切られていると聞いた
が、ここがその境目か。確かに塀の先は静かで、明りも殆ど見えない。
 隣では「順番」ではないという事か。

 「さて……何用でござるかな」
 「敵意はありませぬよ。さて、さっきの『鬼』は見えましたね?」

 やはり「鬼」か。何やら変な名前が付けられておらず、ストレートで助かるとみょんは
うっすら思った。「すぺゑすびぃすと」だとか「弩津玖蔵」とか「那鬼把痲獲化」だとか。

 「では」

 瞬時。
 みょんの目前に西洋小刀があった。

 「試験です」

 速度の問題ではない事は、経験上解っていた。
 非常に甲高い金属音が鳴り響く。

 「あ………おっ?」

 約一秒と長時間経った後、彼方が先に間の抜けた声を上げた。
 次いで、地面に何かが転がる。

 「死んでましたよ」

 今度こそ取り出した羊羹剣が、そのまま西洋小刀一本を防いでいたが、それは口内から
まさに出しかけ。みょんの顔面との距離は数ミリも無し。

 「おいおいおい!」
 「試験………と言ったでござるな」

 改めて剣を構え直し、みょんは怒鳴りつけた。

 「『死んでましたよ』って、そら寸止めにするなり、実力差が明らかにあったけど殺しに
かかった訳じゃなかった場合とか、まず上から目線が許される状況で言う言葉みょん!」

 そう―――転がった西洋小刀は、明らかに二人の実力差を表していた。
 これには、多少さくやさんも予想外だったようだ。

 「いや………その……………」
 「手加減することはできなくとも、自分の方が実力的には上だったと言わんばかりでご
  ざるな!」
 「多少『伊達にする』くらいならと思いまして………」
 「『伊達』にしちゃダメじゃん! 目を○○とか、皮を○○とかグロ過ぎるから! こっ
  ちから道場破りした訳じゃないのに!?」
 「まあ、経験でござるかな……」

 実際、幕内で会ったさくやさんや、裂耶さんに(正確に言えば似ているがゆっくりでは無
い……)との対戦経験ものを言ったのだろう。付け加えるならば、あの二人と比べても、
あの鬼気迫る気迫や執念と言ったものが無い。
 これで、全国のゆっくりさくやさんには申し訳無いが、ちょっとまた怖い印象ができて
しまったと思いつつ――
――みょんの実力に圧倒されつつ、そこに少し嬉しそうな顔をしているさくやさんに問い
質そうとすると、誰かがやって来る。

 「そこらへんにしといてね!!!」

 これで現れたのがゆっくりれみりあだったら完璧だと思いつつ、みょんは更に警戒して、
彼方に至ってはこんな所で炎長刀を構え始めていたが、それは、ゆっくりれいむと、ゆっ
くりまりさだった。

 「いや、みょん殿、手荒な感じで悪かったのぜ」
 「ただちょっとどれくらい強いか、足手まといにならないか調べたかったんだよ!!!」
 「―――少なくても、あんた達の仲間よりは強いね!」

 まいったか! と彼方はふんぞり返ったが、別に彼女が威張る事では無かろう。
 呆れながらも、みょんは殊更怒りを込めて続けた

 「それでも『足でまとい』と申されるか。 仮に足手まといになるほど、みょんが弱ければ、
  刺すだけ刺して次のゆっくりを探していたでござるか?」

 完全に発想や方針が、悪役のそれだ

 「そんな奴等と仕事をする気は毛頭ないみょん!!」

 目の前のれいむとまりさは、それ程特殊で腕の立つゆっくりとも思えなかった。
 しかし、緊張感の無い彼方にも、激昂するみょんにも表情一つ変えずに二人は言った。

 「協力する気はなくても――――手伝う事になるんだよ……」
 「まりさも最初は嫌だったのぜ。でも、今では仕方ないっていうか、感謝しているのぜ」
 「何かご褒美がもらえるとか?」

 ―――首を振ったれいむは、少し寂しそうにも見えたが、堂々と言った。

 「『宿命』だね」
 「『運命』とも言うのぜ。 よって、みょん殿がまりさ達の仲間になるのは義務なんだぜ」

 さくやさんも並び、3体が真摯な目で見つめている。

 「『宿命』?『義務』?」

 それは――――嫌と言う程思い知らされた概念だ。
 武家として生まれ、国のため、君主のためと、夢も諦め続けていた。それから踏み出す
ことが、この旅のスタートでもあった。

 「そんなものに興味はないでござるな。大体何の義理があるみょん!?」
 「――――そうですね。まず、あの『妖怪』を――――『鬼』を見たでしょう?」

 即座に反応したのは彼方の方

 「うえええ………いるの? 妖怪……? 天狗? 蜘蛛?」
 「鬼でござるよ」
 「蜘蛛もいるのぜ」

 まりさはぼそりと言ったが、すぐに「何でもない」と慌てて撤回した。そんな事に何故
焦ったのか解らなかった。

 「『妖怪退治』という訳でござるか? ここは確かに良い街でござるが……」

 そうした事に、義理立てする義務はなかろう。来たばかりの街である。
 勿論眼前で被害にあっている者がいるのなら、無視はできまいが、あの半透明の鬼に対
しての敵意自体がそもそも湧かぬ。
 第一、そうした事は地元住民が率先してやる事が道理であろう。
 見た所それ程の緊迫感を皆が持っている訳でも無し。
 むしろ、ゆっくり達にはその存在自体が『見えない』様で………

 「あ」
 「地元の人間にはギリギリ見えるらしいんだけどね!」


 ―――神秘・怪異を否定できなかった者達の、最後の隔離所
 ―――聖と邪はセットである

 「詳しい事は、今晩ゆっくり話してあげるよ」
 「いや……それはそうでござるが……」

 気味が悪い。

 「何かが動いているでござるか……?」

 あまり迷いそうにも無い森で、極端に気持ちが良いという理由で迷い、時間の感覚も無
くなった挙句、地下にまで行き、辿り着いて場所が、何やら因縁の深い街。
 そして、そこに出没した『妖怪』(これまた因縁深い)が、自分にしか見えない。
 更に、同じくそれを視覚できると自称する者達が表れて………

 「何が起こってるみょん?」
 「ずっと前からですよ」
 「『宿命』だって言ってるでしょ」
 「誰も、自分の生まれは操作できないのぜ」

 改めて、真摯な声で、ゆっくりれいむが言った。


 「一緒に戦ってほしいんだよ。 『二振り刃の妖夢』………」


 ―――その二つ名は



 「真名妖花妖夢 の娘さん!!!」


 その時、広場の更に向こう側から、悲鳴が上がった。
 この区域において、人間とゆっくりが、一人ずつ神隠しにあったと聞いたのはその直後
である


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2011年06月04日 20:41