【2011年春企画】緩慢刀物語 地霊章微意 前編-1

 今は昔の物語。
漆日という国の北西にある村に一人の女の子がいました。
名前をからすまかなたと言い、親はいませんでしたが刀鍛冶のお師匠さんや七つ上のお姉さん、一つ違いの妹分、そして憧れのお兄さんと仲良く暮らしていました。
 彼女のお姉さんは刀鍛冶をやっていましたが腕がまだ未熟なためあまり稼ぎも良くなく、彼女も働かなければなりませんでした。
そこで彼女は刀運びを始めます。お師匠さんが作った刀を沢山背負い、戦に出かける兵達に売って歩くのです。
最初は一、二本しか持てませんでしたが続けるにつれていっぱい持てるようになり、最終的には30本も持てるようになりました。
 そんなある日、彼女達が住んでいる国で戦が起き仲のいいお兄さんが戦場へ赴く事となりました。
彼方の仕事もそれに伴い忙しくなり、お金だけは入っていきましたがどうも心に余裕が持てません。
それは忙しかったからではなく、彼女の支えになったお兄さんがいなくなったからでした。
 そんな彼方を見かねたお師匠さんは彼女のために一つの剣を作りました。
覇剣『舞星命伝』、それをお兄さんのもとへ届けてくれと彼方に言ったのです。
 彼方は覇剣を抱え嬉々としながらお兄さんのいる戦陣へと届けに行きます。
しかしその途中で大雨が降り、彼女はやむなく近くの洞窟に駆けこみました。
雨はいつまでたっても止む気配はなく、彼女はそこで一泊することにしたのです。
 その寝ている間に、彼女は死んでしまいました。
毒ガスでも出ていたのか、それとも毒蛇にでも噛まれたのか、体温を奪われたのかは分かりません。彼女は自分が死んだことを理解することはありませんでした。
さらに土砂崩れによってその洞窟も塞がり、彼女の死と覇剣の行方を知る者は誰一人いなくなったのです。
 時は過ぎ、月が二つに割れ、漆日と言う国が日元に変わっていき、洞窟の中は覇剣と彼女の魂だけが残りました。
このまま永遠に閉じ込められようと思われましたが、永夜の調査隊が覇剣の位置を突きとめて洞窟の中へと入ってきたのです。
彼らは彼方の魂に気づくことなく覇剣を見つけそのまま国に持ち帰ろうとしました。しかし洞窟を出る直前、調査隊の一人が覇剣を鞘から抜いたのです。
 覇剣からは命の光が溢れ、思わず調査隊はその光に目がくらみます。それと同時に彼方の魂も目覚めました。
彼女は自分が死んだことを知りません。その上何百年も覇剣の力を受け取っていてその光によって魂が肉体となり彼女は生き返ったのです。
彼女は寝ぼけ頭で辺りを見回し、覇剣を見つけ次第颯爽と調査隊の手から奪い取り外へと走り抜けていきました。
 そして、彼女は因幡忍軍に追われ、そしてこの西行国において一人のゆっくりみょんと出会ったのです………





    紅蓮刀「恨剥」 緩慢刀物語 地霊章微意  水剣「不見亜目」



「以上がこの旅の顛末でござる。西行幽微意幽意様」
「『そう、長くつらい旅御苦労さまでした』と幽微意様は言っております」
 西行国潔玉城の謁見室においてみょんは深々とゆーびぃに向かって頭を下げる。
だがその真横にいた彼方は一言も言葉を発さず、俯きながら淡々と覇剣を弄っていた。
「………その、かなた殿のことは」
「『ええ、分かっています。漆日、風華という国はこの島に数百年前存在していたことが調べで分かりました。
  恐らく彼女は数百年前に生きていた人間なのでしょう』と幽微意様は言っております」
「……うそだ………そんなはずない、わたしはいきてる………」
「かなた殿……」
 虚ろな目をして彼方は瞳からぽろぽろと大粒の涙を流す。
誰だって自分が死んでいるなんてことを信じたくはないだろう。ましてや彼女は体と言うものを持っていたからそれが顕著であった。
「つきだって……月だって二つ……異世界なんだ、異世界なんだ……」
「………月は以前は一つだった。あいつらもそう言ってたみょん」
 そもそもここを異世界と決定づけたのはその月の数と国の名前の違いでしかなく、それらの矛盾が解消された今異世界と言う線は断ち切られた。
帰れない。時間を超えられない。もう故郷に帰れない。その絶望がどうしようもなく彼方の心に降り注ぎ彼方は本当に泣き始めてしまった。
「うぞだぁぁぁ!!!じゃあお姉ちゃんは!?お師匠さんは!?よっちゃんは!?真白木さんは!?」
「『……残念ながらもう生きてはいないでしょう。時の流れと言うものはそう言うものです』と幽微意様は言っております」
「……………ッッッ!!!」
 残酷に事実を突きつけられ彼方は思わず立ち上がって狼狽する。
もう彼女の心は何さえも受け付けられない。全てが嘘と決めつけなければ心が壊れてしまう。
「『せめて私達があなたを無事成仏出来るよう精いっぱいの手助けをします。ですから……』」
「信じてたまるかァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!」
 そう叫ぶと彼方は半回転して謁見場の扉を破壊しそのまま外へと走り出していく。
後には涙の跡が残るだけであり、みょんはそんな彼方の背中を寂しそうに見つめていった。
「………みょんには出来ることが……無いでござる」
「『いえ、今あの子の精神的支えになるのはあなたしかいません。これからあの子の事をしっかり見守って』と幽微意様は言っております」
「……そうでござるな」
 そう言ってみょんは彼方の跡を追おうとする。しかし謁見室を出る直前不意に彼女は振り向いた。
「ところで、あなたは一体誰みょん?おのと殿は一体どこへ?」
 嫌いだったあの国主補佐兼通訳の姿はもう無く、その代わりに一人の少女が幽微意様の隣に座っている。
その少女は桜色した髪を携えており、どこか物腰も静かに見えた。どこか懐かしい香りを思い出す。
「ああ、説明し忘れました。私の名前は桜庭薫(さくらばかおる)。新しくなった国主補佐兼通訳、そして桜庭家の現頭首です」
「桜庭家?あの家はもう無いんじゃなかったのかみょん?」
 先天的に幽微意の通訳を行える桜庭がいなくなったからこそあの尾戸の独裁的な政治を許す羽目になったのだ。
桜庭の血筋は先代の桜庭南を最後に完全に絶えたはず、みょんは訝しげに桜色の少女を見つける。
「表向きにはそうですね。でも桜庭家の私設隠密隊桜庭忍軍によって私は極秘裏に隠されたのです。実は私二週間前までは忍者だったんですよ?」
「……桜庭忍軍」
 みょんは尾戸よりも因幡忍軍よりもずっとずっと桜庭忍軍が嫌いだ。具体的に言うとその頭領である桜庭幻蝶が死ぬほど嫌いだった。
性根も曲がって性格も気持ち悪くて性癖もおかしい。そんなやつが故意的に隠してたかと思うと何か勘ぐらずにはいられない。
 おそらく尾戸を排除した後、薫を操って自分が政治を握ろうとしたのだろう。あの男ならそれをやりかねん。
「私ついこの間この国に戻ってきたんですけど幻蝶さんが亡くなって凄く驚きました。
 それで遺言に従って私幽微意様の護衛にあたったんですけれど、何と尾戸のやつ幽微意様が言っていることと全然違うことを言っていたんですよ!
 これはヤバい!と思って私尾戸を一対一で問い詰めたんです。そしたらあいつさっさと引け腰になってこの国から出ていってしまいました。
 『後悔するぞ』なんて捨て台詞吐いちゃって、全く滑稽でしたよ」
「………そうでござるか」
 なぜ幻蝶がそんな遺言を残したのかは知らないが大体の顛末が分かった。
しかし尾戸がいなくなって少しみょんは不安に思う。嫌いだったけど彼だってかなり有能な部類だ。それを失うのは西行にとって若干不利益を被ることとなるだろう。
それに、目の前の少女は若すぎる。純粋無垢な顔をし過ぎて何かしでかしそうで怖い。
「ゆゆっ!」「『早く追いに行きなさい!』と幽微意様は言っております!それではまた今度」
「ああ、こんどは旅のお話をもっと話すでござる」
 そう言ってみょんは壊れた扉を踏み越えて外に飛び出る。
彼女はこの国に詳しくないから下手な場所には行かないだろう、それだけを信じてみょんはぴょんぴょん跳ねていった。



 案の定彼方はそう遠い所にには行っておらず桜並木の街道でとぼとぼと歩いていた。
もう冬も近いと言うのに桜は満開に咲き誇り、双子の月がそれを相乗的に輝かせていく。
「かなた殿~!!待つでござるよ!!」
「………みょんさん、さっきは勝手に飛び出してごめん」
 ようやくちゃんとした返事をしてくれた。
永夜から結構気まずい雰囲気で全く会話らしい会話もしておらず、みょんは彼方が完全に心を閉ざしてしまったのではないかと不安であったのだ。
「その、さっきの事……気にしているのでござるか?」
「ううん、全然。きにしちゃあいねぇよ」
 急に屈託のない笑顔を向けて彼方は軽快に笑いだす。
もう立ち直れたのかとみょんはほのかに安堵した。普段はうるさい彼方だけどこういう切り替えの良さはどこか頼もしい。
「だってこれドッキリでしょ?」
 余計にタチが悪かった。完全に現実逃避を始めている。
「だって死の国なんてありえないし、みょんさんだって生きているんだから変でしょう?全く私を担ごうだなんて五十億年早い!!」
「……現実を……見なくてはいけないでござるよ」
「ありえないしー。私はこうして生きているんだから。きっと永夜でのあれは幻術。そうに違いない!
 すべては電磁波で説明が出来る!早く元の世界に戻らなくちゃねー!」
 止めろと言いたくなったがみょんはどうしてもその言葉を出すことが出来ない。
このままの方が、こうして自分の死を否定していた方が彼女は幸せなんじゃないだろうかと思うようになってしまったのだ。
「るんるんりるん。道行くこの白い靄はきっと霧だ!霧さんご機嫌いかが?」
『きりじゃねぇ………』
「これも幻聴、霧が喋るはずが無い!そうこの世に不思議なものは何もないのだから!!あはははははは!!!」
 なんかもう見てられない。みょんが制止する暇も無く情緒不安定のまま彼方は街道を小躍りしながら駆け抜けていく。
だがくるくる回っていたことによって前方不注意になり道行く人に衝突してしまった。
「こうしてぶつかるのも私が生きているから!ごめんなさーい………って」
「あ………」
 そのぶつかった人は先ほどまでの彼方のように鬱鬱しい雰囲気を全身から放っている。
背中に沢山の調理器具を持ち、どこかあどけなさを持っている目の前の少女を二人は知っていた。
「かさね殿!!久しいでござる!!!」
「……また、お会いしまひたね」
 雰囲気は大分違っていたがその声と顔はかつて暮内で出会った料理人の柏木重であった。
思わぬ人の再会に二人は思わず諸手を上げて喜んでしまう、しかし当の重は二人と再会してもより暗い顔になったように見えたのであった。



「体の方は大丈夫でござるか?」
「一人旅大丈夫だったー?」
「………………………ええ」
 そのまま三人には町の茶屋に寄ったのだが重は顔を上げようともせずずっと俯いてばかりいる。
やはり暮内であったことがどうしても乗り越えられずずっと心にのしかかり続けているらしい。彼方とは違い彼女は現実逃避すらすることが出来ないのだ。
「……あれから包丁を握ったことは一回もありません、触るだけでも手が震えんるんです」
「私は重さんのお菓子また食べたいな」
「……無理でふ。諦めてください」
 はっきりとした拒絶に彼方も戸惑いを隠せずお茶を飲む手さえも止まってしまう。
時間が経てば少しは踏ん切りがつくと思っていたのだが、そう心が強くない重は時間をかけて逆に余計心を閉ざしてしまったようだ。
 重はとうとう涙を流してしまい歯を食いしばりながら自分の胸中を語り始めた。
「……いつみょ夢に見るんです。あの日、刀を持った私が蘭華さんを殺した日のことを。
 蘭華さんは酷い悲鳴を上げていました。でも刀を振り下ろす手はどうやっても止められず私は蘭華さんを殺してしまったのです。
 血の臭いぎゃいつまでもして、その匂いが私をいつまでも縛りつけて………」
 それはただの被害妄想だ。あの刀を持っているとき重の意識は無かったのだから夢に見るはずが無い。
現に彼方もあの妖刀を持っていた時のことは全く記憶に残っていないらしい。しかしその事実を伝えても重は聞く耳もたずただただ泣き叫ぶだけであった。
「私が殺したんです!私が蘭華さんの命を奪ったんです!殺人者に料理は作れません!」
「そ、それはあの刀のせいで」
「変はりません!!どう言おうとそれは言い訳にしかなりません!私、もうてゃえられない!!!噛んだ………」
 自分の罪に耐えきれず激昂して思わず重は立ち上がる。そして肩で何回か息をして再び椅子に座った。
「二人に会えて良かったでふ。これで心おきなく死ぬことが出来ます」
「………しぬ?」
「もう耐えられそうもありませんから。それに殺人者はのうのうと生きていてはいけません……随分と長い執行猶予だった気もします」
 涙を流しながら重は背中の荷物から一振りの小刀を取り出す。
料理用の刀ではない、れっきとした武器としての小刀。重はそれの鞘を抜き腕をやたら震わせて自分の首元に突きつけようとした。
「や、やめてよ!!死ぬなんて言わないでよ!!何で死ぬとか言えるんだよおおおおおおおお!!!!」
 既に死んでいるという事実を突きつけられた彼方にとってその重の行動はどう見てもふざけているようなものにしか見えなかった。
現実逃避するのも忘れ彼方はすかさず飛びかかり小刀を叩き落とそうとして取っ組み合いとなってしまう。
「か、彼方さんに何が分かるんでふか!!料理人としての誇りを奪われて……私は一体どうしたらいいんですか!!」
「だからって死ぬなんてふざけんなよ!!!何考えてんだよおおおお!!」
 互いの剥き出しの感情がぶつかり合って最終的に本気の喧嘩が始まる。
そうなると明らかに彼方の方が有利であるのだが重もそれなりに反撃を繰り返し、互いに流血するほどまでに喧嘩は発展していった。
「二人とも!!!止めるでござる!!!」
「う、うる、うるざい!!わだじだってしにだぐないのに…………わだじだっでぇぇぇぇぇ!!!」
「もういやあ゛あ゛ああ゛ああ!!しなぜでくださあ゛あ゛あい!!!!もうあ゛んなゆめみだぐないよおおおおおお!!!」
「……酷い喧嘩」
 あまりにも凄惨な喧嘩だったのでいつしか道行く人の歩を軒並み止め、そのうちの一人が心配そうな表情で二人に駆け寄る。
その人は従者らしきゆっくりと力を合わせ彼方と重の体を強制的に引き離した。
「……はぁ……はぁ……死ぬなんて、言わないでよ。死ぬ、なんて、いやだ、いやだ、いやだぁぁぁ!!!」
「分かってますよ!!でも私、私蘭華さんの断末魔と血の臭いが、どうしても忘れられなくて……!!!」
「いや、そんなわけないって」
 と、そんなあまりにも場に会わない軽い突っ込みが聞こえ二人は思わず調子を狂わされる。
そんなわけないとはどういうことですか!と言おうと重はその突っ込みが入った方に振り向いたが、そこで全ての思考が停止した。
「私は断末魔なんて上げてない。上げてたら夜のうちに騒ぎになっているはずでしょう。あれでも結構我慢したのよ?
 それに血は全部あの刀に吸い取られた。匂いさえも残っているはずが無いわ」
「……わ、わ、わてぁひはまたゆゆゆゆゆゆみぇを、みちぇいるのでふか……?かんだ」
 やっとのことで捻りだした言葉も噛みまくりでまともなセリフにならない。
けれど中華服に陣羽織を重ねたその幽体の少女はその言葉をしっかりと理解し、重に優しく微笑みかけた。
「夢じゃない。ここはそう言う国、なんだから」
 不乱鳥蘭華、暮内の町長であった少女とこんな形で再会し、重は思考がすべて停止するほど驚愕してしまった。
どうして、なぜ。疑問は尽きなかったが久しぶりの蘭華の声は純粋に重の心に喜びをもたらしたのだ。

「……あ、あ、あ、あ、あ、あにょのの!!蘭華さんどうして………まさか本当は生きてちぇ…」
「いや、私はあの時死んだよ。この子のせい、でね」
 蘭華と重は隣同士に座り、同じ皿のお団子を取っていく。
そして蘭華は屈託のない笑顔で逆の方にいる羽織を着たゆっくりさくやの頭をぽんと叩いた。
「……………………」
「ええと、そのさくやさんはもしかして………」
「ああ、うちのところにいたさくやさ。そしてあの事件の主犯でもある」
 重はそのさくやの顔を覗き込もうとしたがさくやは申し訳なさそうに縮こまってしまう。
それでも重はこのさくやがあの時自分を心身ともに傷つけたさくやだと確信出来た。小刀で刺された足の傷がジンと痛む。
「許せと言うのも無理な話でしょう。でもこれでもかなり丸くなったほうさ。
 こいつがここに来た時はもう悪霊寸前だった、今はしっかりと罪を悔いているからこそ地獄送りを勘弁してもらってるんだ」
「……悔いて、いるんですか」
「被害者総員で話し合ったよ、もう罰を与えるのは重ちゃんしかいない」
 その言葉を聞いて重はじっと肩を震わせる。
自分を苦しめた張本人が今すぐ傍にいるのだ、しかし少し考えた後ふぅと息をついて肩の力を抜いた。
「……確かに恨んでいます、けど、死者を裁くなんて私には出来ません」
「そうか、それならそれでいい」
 今ここでお礼参りしたとしても結局業を重ねるだけ、今は恨みなんかよりも自分の罪について悩むのが精いっぱいだ。
けれどそうしなかっただけでも蘭華は内心ほっと安心し、お団子を皿の上に戻した。
「そうだ、久しぶりに重ちゃんの料理を食べて見たいな。作れる?」
「………無理ですよ。こんな人殺しの料理なんてみなしゃまに出せません、噛んだ」
「いやいや、殺したのは重ちゃんじゃないって。あの刀とこの子のせいなの」
「同じ事です」
 例え蘭華であっても重の心はまだ閉じたままだ。
あまりにも雰囲気が変貌した彼女を前に蘭華は驚愕と後悔に襲われるがそれでも笑顔を絶やさず重に語りかける。
「重ちゃんに罪は一つも無い。だからつまらないことで悔いらないでよ」
「つまらない………?人を殺したことがどこがつまらないことですか!!!」
「自分に罪が無いのにそう悩んでいるのがつまらないことと言ってるの。
 ……正直被害者として私を殺したことで悩んでほしくない……」
 あの時自分が全力でなんとかしていればこの子は人殺しの宿命を負うことはなかった。
激しい後悔に襲われてとうとう蘭華の表情から笑みが消える。それでも彼女はその後悔をばねにして重の心を開こうと静かに囁いた。
「じゃあ聞くけど……重ちゃんはもう一生料理したくないの?」
「………………………」
 したいかしたくないかと言えば多分したいと言えるだろう。
けれど今回の件は個人の感情など何の意味も持たない、言わば倫理の問題なのだ。重はその己の作った倫理に縛られている。
「……その倫理に従って一体誰が得をするの?従わないと一体誰が損をするの?
 悔い改める罪も無い以上考えても悩みにとらわれるだけ。今の重ちゃんは意地張ってるだけよ」
「で、でも!!私は、私は……」
 己の心を覆っている殻が微妙に揺らいだのか重は訳も無く狼狽し始め、蘭華は神妙に目を瞑りそんな重の肩に両手を置く。
本当に幽霊だからかその両手には重みは全く感じられない。けれど力強さがどこかにあり重は不思議と心が落ち着いた。
「みんながあなたのお菓子を待っている。あなたのお菓子はみんなを笑顔に出来る。だから、またあなたのお菓子を食べさせて」
「…………ッ!」
 そう、自分は誰かを笑顔にするために外国で料理の勉強を続けていたはずなのだ。
自分の力を生かせる日を心待ちにしていた、その想いがようやく重の重い心の殻を解きほどいていったのであった。
「…………でも、準備とか、色々あるし……材料買うお金もそんなに………」
「それは問題無いわ。暮内で料理人にしてあげるって約束まだ残ってるんだから。
 きっと今の町長はあのぱちゅりー、頼めば了承してくれるわ、了承しなかったらこの私がなんとかしてあげるって!」
 目の前にいるのはもう死んだ人のはずなのに、どうしてこう心強いのだろう。
そう思うと今まで死のうと思っていた自分が酷く恥ずかしくなり、それとともに最後の防塁も音を立てて崩れていく。
 そして重は泣いた、それはもう周りの人が全員驚くほど酷い大声で、でもそれは彼女が救われた証であった。
「あ、ありがどうごじゃいまふ!!!ありがどうございまず!!でもごめんなざい!わだじ、わだじ………」
「謝らなくていいの。私は誰も恨んではいない、だから頭を上げて?」
 蘭華は大きく両手を広げて泣きじゃくる重を優しく抱え込む。
重さも体温も無い幽霊の腕では蘭華も抱いている心地がしない、けれどこれだけでも重の助けになれていることをが分かると少し嬉しくなった。
「あの事件の真相を知ってる人も私達とそこの二人しかいない。そっちの二人も分かってくれるよね?」
 蘭華はそうみょんと彼方に語りかけるが一向に返事が返ってくる様子がない。
何度呼びかけても反応がなしのつぶてで、泣きやんだ重が代わりに二人に呼び掛けた。
「彼方さん?どうしたんですか?」
「……ゴメン、私は聞こえてるよ………分かってる、絶対に言ったりしない」
 反応してくれたは良いもののいつの間にか彼方は肩を落としてズンと暗い雰囲気を放っている。
さっきまでは随分元気そうだったのに一体何があったと言うのだろう。蘭華が来てからこうなったように思える。
 流石に立ち直ったばっかりの重ではどう対応していいか分からず、とりあえずみょんの方の呼びかけをしてみた。
「みょんひゃん、噛んだ。蘭華さんがさっきから呼んでますけど」
「……らんか?らんか殿がそこにいるのでござるか!?久しぶりみょん!」
 まるで蘭華の来訪に気がつかなかったみたいにみょんは反応し、そのまま虚空に向かって頭を垂れる。
癇に障る行動だがわざとやっているようには見えない。思えば最初から彼女はずっと話に口を挟んでいなかった。
「やっぱり……見えてないのね」
「み、見えてない?」
「……らんか殿も幽霊なのでござるね。みょんは霊感がないから……その、見ることも聞く事も出来ないんだみょん」
 みょんは遺伝的な問題でゆっくりようむにあるべきゆっくり半霊がおらず、そのせいで著しく霊感が無い。
今みょんの目には蘭華とさくやの姿はなく、ただただ虚空が映るのみである。
「……死ぬってことはこういうことさ、霊感の無い人には無視されるし、重さも、感触も、暖かさすら感じられない。
 幸いこの西行は幽霊でも使える施設が多い、けれどやっぱり自分が存在しないと感じられて空しいだけさ」
「で、でも蘭ひゃさんはわたひに勇気をくだひゃいまひた……噛んでゃ、又神田」
「……そだな、だからもう、死ぬなんて言わないでくれ。生きてる方がずっと楽しいんだ。
 私もすぐに輪廻転生の理に組み込まれこの意識さえ無くす。だから絶対に生きておいてほしい」
「分かっています。だから……自決用に買ったこの刀ももう要りみゃせんね」
 そう言うと重は小刀を取り出し地面に叩きつけ足の力とてこの原理を使い刀身をへし折る。
刀がぞんざいに扱われるのを激しく嫌うみょんでも、この時ばかりは何も言わず僅かにほほ笑んだ。
「私、頑張ります。これから料理人の道を目指します!!!噛みませんでした!」
「……楽しみにしてるよ」
 軽やかに微笑み、蘭華はふわりと腰を上げる。そしてさくやと手を繋ぎゆっくりと空を見上げた。
「……どこ、行くんですか?」
「死人はどこも行きようはないよ。でも生まれ変わったら生まれ故郷で暮らしたいな、重ちゃんの料理も食べられるし」
 幽霊特有の憂いは見せるものの笑顔を絶やさず蘭華は重の頭を再び撫でた。
もう手の形はしておらず蘭華の姿も次第に靄になっていく、なすべきことをことを全て成し遂げた幽霊はただの魂へと変わっていくのだ。
「伝わらないかもしれないけど、みょんもさくやを止めてくれてありがとう。彼方ちゃんもお疲れ様」
 蘭華の方からもみょんには触れないので蘭華はみょんの頭をなぞるように手を動かし、同じように彼方を撫でる。
「……ん?感触がある……まぁいいや。それじゃあね………」
 伝えるべき事を全て伝えた蘭華はとうとう表情すら判別できないほど形が崩れ、一つの人魂となっていく。そしてさくやに抱えられそのままどこかへと去っていった。
もう会うことはないだろう。重はさくやの背中を見えなくなるまで見送り静かに最後の涙を拭いた。
「……さよなら、蘭華さん」
「かさね殿にずっと伝えたかったのでござるな……」
 蘭華がいなくなり再び茶屋はのんびりしみじみとした雰囲気に戻っていく。
それでも何か感慨深いものは依然残り続けており、みょんと重は嬉しそうにお団子を頬張った。
「新しい店楽しみでござるな、また今度みょん達も食べに行くみょん」
「ええ、立派な店にしていきましゅ!噛んだ!」
「いいかげんにしてよ!!!!!」
 ずっと俯いていたはずの彼方が突然叫び散らしみょんは思わず団子を喉に詰まらせて椅子から転げ落ちる。
泣いていたのであろうかその目には涙の跡が残っており、そのまま何かに怯えるように体全体を震わせて髪をかき乱し始めた。
「嘘だ嘘だ!!ここが幽霊の国だって!?嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!!!!!嘘だ嘘だ嘘だ!!!私は生きているんだ!私は異世界から来たはずなんだ!
 私の世界はまだ終わってない!!蘭華さんが、蘭華さんがいるはず……?私と同じ幽霊……同じ感触……?嘘だ……嘘だ……生きて……いるんだ」
 蘭華は故人、その蘭華と再会した、故にここは幽霊が集まる死の国。
計らずとも先ほどの奇跡の再会が彼女の心に逃げようのない現実を突きつけてしまったようだ。
だが蘭華の存在を認めてしまった以上もう現実逃避は出来ない。心の安定をなくした彼女はもう誰の言葉も耳に入らなかった。
「か、か、か、か、かなた殿!げほっ!ゆげほっ!」
「そ、そうだ!あの仙人に意地でも頼みこめばすぐに返してもらえるかもしれない!!私達の世界に還るんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーー!!!!!!」
 そう言って狂ったように笑い、泣きながら彼方は街道を突っ走っていく。
ぶつかっても転んでも釘を踏んでも、彼女の歩は感情と同じように止まることはなかった。
「…………かな、た殿」
「ど、どうひてゃんでふきゃ!?きゃなてゃしゃん!噛んだぁぁ」
「……みょんはかなた殿を追うみょん。それでは、また会える日を楽しみにしてるでござるよ!」
 居場所は分かっている。きっと彼女はただひたすらに現実から逃げようと異世界へと行くつもりだ。
けどそこには彼女の故郷はない。あの仙人だって時を超えることは出来ないのだから。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2011年06月14日 19:23