ゆっくりパークの春夏秋冬 part 1
序章・年末
宝くじが当たった。
ジャンボ宝くじの二等、一億円だ。
俺はめったに下界へ降りないし、ましてや宝くじなんか人生で三度しか買った事がないのに。
いきなり当たるかよ。ありえん。
そう言えばこの間、例の悪戯ウサギが、耳だけ縛って木から吊るされていたところを助けて
やった。八意博士の怒りを買ったらしい。お礼に何やらムニョムニョ祈ってもらったが……ま
さかあれのせいじゃないよなあ。ぶっちゃけあいつがそんなに親切だとは思えん。
だが、まあ。
とにかく当たった。
銀行からもらってきた札束を前に、何をしようか一晩考えた。
雄鶏がコッコと鳴くころ、ハタといいことを思いついた。
ゆっくりパークを作ろう。
これしかない。
--四月--
「完成だ……」
眼下に広がるゆっくりパークを見下ろし、俺は深呼吸した。
花の咲き誇る広大な草原。光る風がさらさらと走っている。
それに接する、深い森。鳥たちの鳴き声がこだまし、ざわざわとこずえが揺れる。
森から流れた清らかな小川が、草原を横切っている。丸木橋が随所にかけられ、浅瀬も多い。
ちょっとした丘や谷間、砂場や湿地もある。そのあちこちに、狸穴程度の大きさの、自然を
模したコンクリートの洞穴をたくさん作った。
ゆっくりが好みそうな野菜や果物の種をまき、苗も植えた。
そしてそれら全体を柵で囲った。ゆっくりは通れるが、人間は通れない柵だ。
場所は博麗神社の近くだ。巫女の持つ広大な土地の一部を賃借した。
最初は買うつもりだったが、あの巫女、いつも金欠でぴいぴい言っているくせに、札束を積
んでもうんと言わなかった。神社の土地は切り売りできるものではないという。なるほど、ぶ
らぶらしているようでも芯の通った女だと感心した。
できるだけ自然には手を加えないと説明して、なんとか許可をもらった。
俺の小屋は、パークを見下ろす丘の上に建てた。取り立てて派手なところのない小さな平屋。
煙突があってぽっぽと煙を吐くところが、ちょっと気に入っている。
里に回状を回して、パークの設置を知らせた。特別なことは何も書かなかった。一帯を私有
地にしたという宣言だけ。常識のある人間なら、入ろうとはしないだろう。
以上のあれやこれやに、例の金のほとんどを使った。
元の通りのすかんぴん。
だが、とびきりゆっくりできる土地を手に入れた。
「さて、ゆっくりしていってね、と」
おれは切り株に腰かけ、鼻歌を歌って待った。
--五月--
「ここはゆっくりできそうだよ!!!」
「ゆっくりしていってね!!!」
暖かな風の吹く、春の真っさかり、冬眠から目覚めたゆっくりたちがパークに集まってきた。
俺は丘の上の切り株に座り、双眼鏡でとっくりと観察した。
草原に住み着き、蝶やバッタを追いかけるゆっくり。
森に分け入って、キノコや木の実を食べるゆっくり。
崖に巣穴を掘るゆっくりや、水辺の草の中に庵を結ぶゆっくりも現れた。
あっちでもこっちでも、サッカーボール大の饅頭生物が、ころころ、ころころ、ぽよんぽよ
ん、ぽよんぽよんと動き回っている。
単独でうろうろしているのもいれば、家族で行進していくカルガモのようなゆっくりもいる。
二匹で追いかけっこや頬ずりをして、幸せ絶頂という感じのもいる。
その数は、目に入るだけでも、百頭を越えているようだった。
この分では、まだまだ増えるだろう。
双眼鏡を覗いたり、目を離したりしていると、横手から「ゆっゆっ」と声が聞こえてきた。
振り向くと、ひと群れのゆっくりれいむたちが丘に登ってきたところだった。
どうやら家族のようだ。
「ゆっくり、ゆっくり!」
「ゆっくり、ゆっくり!」
全員が一列に並んで、掛け声をかけながら、ゆさゆさと体を左右に揺らしてやってくる。そ
のさまは兵隊ごっこをしている小さな子供たちのようだ。
れいむたちに気付かれる前に、俺は双眼鏡を畳み、小屋に入った。今の段階では彼女らと関
わりたくない。まずは、気づかれないように生態を観察したかった。
俺は、小屋の板壁に設けた隙間から、外を覗いた。
「ゆっくり、ゆっくり!」
「ゆううう~、やっとついたよ!」
「ゆぅー! ゆっくり景色がみられるよ!」
「たっぷりゆっくりしようね!」
頂上にたどり着いたれいむ一家は、丘の下を見下ろしてひと休みし始めた。
もっちりした丸い生き物たちが、ほんの五メートルほど先でくつろいでいる。一抱えもある
やつが一頭、メロンぐらいのが二頭、みかんぐらいのが四頭。
大きいのは、呼吸しているように、ゆったりと揺れている。中ぐらいのはその左右にもたれ
て、すりすりとほお擦りしている。小さいのはキャッキャと声をあげながら、そこらの草の上
を楽しげに飛び回っている。
「おかーしゃん、きれいなけしきだね!」
「とってもきもちいいね! すごく
ゆっくりできるね!」
「ゆゆっ、風さんがそよそよするよぅ!」
「こわい人もいないし、ずーっとゆっくりできそうだね!」
うう……これだよ。
これが聞きたかった。
幻想郷じゅうに広まっていたずらの限りを尽くした挙句、人間や妖怪に追っ払われいじめら
れ、食われているゆっくりたち。
こいつらに、真のゆっくりプレイスを与えてやりたかった。
何、無力な白痴的存在を庇護することで自己承認を得ようとする偽善的なマッチョイズムだ
と?
まあなんとでも言え。これを崇高だなんて言わんからさ。
のびのびとゆっくりする、ゆっくりれいむたちを眺めて、俺も心からゆっくりした。
そのうちに子ゆっくりたちが言い始めた。
「ゆゆん、ゆっくちおなかがちゅいちゃった!」
「おかーしゃん、ゆっくちごはんにちてね!」
そう言われて、母れいむがきょろきょろと辺りを見回した。あいにく、この辺りには花や野
草はない。少し困っているようだ。
が、俺という人間がいた。
俺はそっと窓を開けて、買い置きのトマトをいくつか、ころころと転がしてやった。
それは、よそ見していたれいむたちの背中にコツンとあたる。
「ゆゆっ? 何かころがってきたよ!」
「ゆっ、おやさいだよ! とまとがいち、にい、さん。みっつも来たよ!」
「おかーしゃん、ゆっくち食べちぇいい?」
「まってね、ゆっくりかんがえるね!」
れいむはトマトを真剣に見つめてから、やがて言った。
「赤ちゃんたちはそれを食べてね! お姉ちゃんたちはこれ! れいむはこれを食べるよ!」
三つの配分を考えていたらしい。娘たちが賛同した。
「うん、ちょうだね!」「みんながゆっくり食べられるね!」
「むーしゃむーしゃ……」
「「「しあわせー!!!」」」
「とってもおいしいね!」「あまずっぱくて、ほっぺがおちそう!」
「おかーしゃん、とまとさんをくれて、ありがちょね!」
たかがトマトみっつで盛り上がる盛り上がる。まあ無邪気で可愛らしいこと。
「まりさおかーしゃんは死んじゃったけど、ここならゆっくりできそうだね!」
なんと、母れいむが一人しかいないのは、そういうわけか。
適当なゆっくり家族を探してくるつもりだったが、ちょうどいい、これに決めた。
俺はこっそり裏口から出て、このために用意しておいた大き目の犬小屋を、ずりずりと家の
横まで押していった。それから中に適当に野菜を入れて、コンコンと音を立てた。
「ゆゆっ、なにかいるみたい!」
「ゆっくりできる人かな?」
表から連中が回ってくる前に、俺は部屋の中に戻った。やがて、嬉しそうな叫びが聞こえて
きた。
「おかーしゃんおかーしゃん、すてきなおうちがあるよ!」
「れーむ、ここにちゅみたい! ちゅみたいよ!」
「そうだね、ここがいいね!」
「今日からここが、れいむたちのおうちだよ!」
そちら向きの隙間から外をのぞくと、れいむたちが全員犬小屋に入って、ニコニコしながら
ほお擦りしあっていた。
俺はうんうんうなずきながら、メモ帳を取り出して、次の買出しの食材を追加した。
--六月--
「ゆっくりしていってね!!!」
朝六時、犬小屋からパンパンに元気なゆっくりコールが聞こえてくる。
このところ毎日、それで目を覚ますのが俺の日課となっていた。
顔を洗ってから、パンをくわえつつ、壁際に陣取って犬小屋の様子をうかがう。
「赤ちゃんたち、ゆっくりと起きてね!」
母れいむが子供たちをにほっぺを当てて、むにむにと起こしていた。ゆっくりは何しろゆっ
くりした生き物だから、コールに乗り遅れる寝坊なやつもいる。赤ちゃんゆっくりたちが目を
しょぼしょぼさせて、ゆっくりちたいよ、とぼやいていた。
「ゆゆっ、今日はおやさいがないよ!」
犬小屋の前の皿と、隣の木箱をのぞいて、姉ゆっくりが叫んだ。ゆっくりたちがしょんぼり
して言い合う。
「ゆぅー、ざんねんだね!」
「今日はおやちゃい、こなかったね!」
俺がやらなかったからである。
こいつらを飼うために、俺はいくつかの自分ルールを決めた。そのひとつがこれだ。
毎日餌をやることは、しない。大体週に二度ぐらいにとどめる。それもわりと少なめにする。
そして、絶対に餌をやる現場は見せない。夜中にこっそり出しておく。
ゆっくりを甘やかさないためだ。彼女らは意志が弱いので、頼れる人間だと見ると、すぐに
付け上がり、甘える。もし手ずから餌をやったら、俺が顔を出すたびに「おなかがすいたよ!
はやくごはんを持ってきてね!」などとほざくだろう。
そんなゆっくりは見たくない。
俺は朝食を済ませると、犬小屋のそばへ出ていって「ゆっくりしていってね」と声をかけた。
小屋の前に出てきたれいむたちが、振り返って叫んだ。
「ゆっくりしていってね!!!」
「はいはい」
俺は生返事をし、チビたちのほっぺをつんつんつついた。子ゆっくりはぷにぷにした弾力が
あって、「ゆゆっ!」と簡単に転がる。
母れいむは俺を見つめていたが、じきに「ゆっくりごはんを取りに行くよ!」と先へ進み始
めた。
「人間ちゃん、ばいばーい!」「ゆっくりちちぇね!」
母につられて、赤ちゃんたちも出ていった。
これが、俺ルールの成果だ。何も要求されないかわり、追っ払われもしない。一ヵ月間つか
ず離れず、何もせずにいたことで、こんな立場を得た。
小屋の前の広場で、母れいむが子供たちを整列させる。こんな声が聞こえた。
「きょうもゆっくりしている人だね!」
「れいむたちは、これからごはんをとりにいくのにね!」
「きっとあそんでばかりなんだね!」
おまえらの家も狩場も遊び場も、全部その人のものなんだがな。
ともあれ、彼女たちから「ゆっくりしている人」という称号をもらえたのはよかった。それ
はつまり、俺が無害認定されているという証だからだ。
「それじゃあ、ゆっくり食べ物をさがそうね!」
「ゆっくり、ゆっくり!」
「ゆっくり、ゆっくり!」
「ゆっくり、ゆっくり……」
一列に並んだれいむたちが、丘を下っていく。少し距離が開くのを待って、俺はいそいそと
そのあとをつけた。
カルガモのようなれいむ一家が、小道を下り、草原に入り、平地へ出ていく。すぐそこが畑
だ。トマトやナスやかぼちゃが植えてある。ほとんどほったらかしなので出来はよくないが、
ゆっくりはそんなこと気にしないし、虫がついてたって構わず食っちゃう。
「ゆぐぅ、やっとついたよ!」
「ゆうっ、ごはんがいっぱいだよ!」
「おいしそうだね! ゆっくりたべようね!」
顔を輝かせて興奮気味に語り合うれいむ一家。おまえら坂下りただけだろうが。っていうか
昨日も食ったろうが。
とはいえ、なんにでもすぐ喜ぶのが、ゆっくりたちのいいところ。
「むーしゃむーしゃ」
「ちあわちぇー!」
「おいしーい!」
ナスやキュウリにぴょんぴょん飛びついてかじっては、声をあげるゆっくりたち。じきに近
所のれいむやまりさ家族も集まってきて、お食事会になった。あっちでもこっちでも「ぽーり
ぽーり!」「しあわせー!」。こいつらの人生ってほんと単純だよなー。
ちなみに、こいつらの餡子脳内では、この畑は「れいむたちの畑」なので、俺が餌をやって
いることにはならない。変な話だが、なめられる心配はない。
「おらー、どけー」
俺は農機小屋のポンプを回して、畑に川水を撒いた。シャーッと水が飛び散って、ゆっくり
たちが歓声を上げた。
「わぁー、きれいななないろだよ!」
「ふしぎなはしができたよ!」
うんうん、虹って言葉を知らんのな。
カァー、と鳴き声をあげて、カラスがバサバサと降りてきた。畑の隅のほうの家族に飛びか
かる。
プチトマトぐらいの赤ゆっくりは、野生動物におあつらえ向きのサイズだ。たちまち二、三
匹が餌食になった。鋭いくちばしに挟まれて、ぷちぷちっと潰される。
「あ゛あ゛あ゛あ゛、れいむの赤ぢゃんがぁぁ!!!」
「どぉじでぞんなこどずるのぉぉ!!?」
いちいちそんな風に泣き叫ぶところが、どうしようもない。叫んでからじゃないと動けない
らしい。外の畑ではしょっちゅうそれで全滅している。
「はいはい」
俺は草むらに隠しておいたワイヤーを手にして、思い切り引っ張った。向こうのほうでトラッ
プが作動して、ザアッ! と石が飛ぶ。カラスはア゛ーッと鳴いて逃げ出した。野鳥をいじめ
るのは違法らしいが、そんなことは知らん。ここは幻想郷だ。
「すごーい、いしのあめがふったよ!」
「とりさんが逃げていったよ! ゆっくりできるよ!」
ゆっくりたちが感心して声をあげる。そうだなあ、と俺はうなずく。近くにいた例の家族が、
丸い体を勝ち誇ったようにそらして、俺に言った。
「れいむたちはにげなかったよ!」
「ゆっくりとようすを見ていたよ!」
「人間さんがやっつけてくれたらよかったのにね!」
「さすがにゆっくりしてる人だね!」
「はいはい」
ああ、頭悪いなあ、こいつら。
ほんとに可愛い。
--七月--
梅雨の名残の雨がしとしとと降り続く初夏。
俺は傘を差して森の中を歩いていた。
濡れた下生えが誰かに踏まれていたら、それは近くにゆっくりがいるという目印だ。俺は地
べたを見つめ、何かを引きずったような後を追う。そして木の根の穴や、倒木の陰――たいて
いは、それらに見せかけた人工の巣穴――に行き着く。
入り口は枯葉や苔で塞がれている。口しかない生き物の仕事にしては立派だ。だが、ちょい
ちょいと指ですくうと、あっさりと穴が空く。すると奥から、「ゆっ!?」「ゆぅゆぅ!」と
おびえた声が聞こえる。
顔を下げて、薄暗い穴の中を覗くと、赤白と、白黒のちっちゃな生き物が、寄り添って震え
ながら、こちらを見ている。若いれいむとまりさだ。
森の中で自分たちの暮らしを生きる野性の動物の姿なんて、普通は滅多に見られない。動物
はもっとずっと隠れるのがじょうずだ。
だが、ゆっくりたちは隠れるのも下手くそで、簡単に見つけられるのだった。
実にとんまだ。
「ゆっ、人間さんは、ゆっくりしてる人だね!」
「はいはい」
俺が例の無害な人間だとわかると、まりさは急に生意気な口調になって言った。
「だったらさっさとどこかへ行ってね! まりさたちはふたりでゆっくりしているよ!」
「はいはい」
「きちんと戸じまりをしていってね!」
俺は丁重に巣穴を閉じてやった。だが、木の幹をたれ落ちる水がひっきりなしに流れ込んで
いる。放っておくと水没しそうだった。中かられいむの声が聞こえる。
「まっまりさ、ゆっくり水が入ってくるよ! このままゆっくりできるの?」
「れいむ、だいじょうぶだよ! ゆっくりしていれば雨がやむよ!」
止まねえよ。夜まで降水確率百パーセントだ。つまり死亡確率も百パーセント。
どうしてこうゆっくりはバカなんだ。普通、動物ってもっと天気に敏感だろうに。
自然死に対しては干渉しないのが俺ルールなのだが、今はたまたま、巣穴のふたのせいで連
中に見られる心配がなかった。俺は葉っぱをもっとたっぷり入り口にかけて、浸水を防いでやっ
た。
「ゆ、水がこなくなったよ。さすがまりさだね!」
「そうだよ、まりさのおかげでゆっくりできるんだよ! ねぇ、れいむぅ……」
「まっまっ、まりさぁぁ!」
なんかハァハァ言い出した。
うんうん、すっきりするがいいさ。
俺は巡回を続けた。ゆっくりたちの巣は数十歩ごとに見つかった。あらかじめ設置してあっ
たものの他にも、自分で掘ったり、隙間を見つけたりしたやつがかなりいた。森全体では、数
百頭もいそうだった。
「ゆっくりしていってねー?」
「ゆっくりしていってね!」
俺はちょいちょい穴を覗いて、声をかけて回った。
「どう、ゆっくりできてる?」
「れいむたちはゆっくりしているよ!」
「こんなゆっくりした森に住めなくて、人間さんはかわいそうだね!」
「はいはい」
ここも俺の森ね。
あー、すっごいたくさん、ゆっくりをゆっくりさせてる……。
俺サイコー!
うるせえ自己陶酔とか言うな。
「れぇぇぇいむうぅぅぅ」
「ゆうぅぅうぅう、へっへっ、蛇さんやめてねえぇぇぇぇ!?」
いきなり手を突っ込んで、むにんむにん撫で回したりしてしまった。ゆっくりは超うろたえ
てた。
ははははは。
敷地の境のフェンスにぶつかった。この向こうは魔法の森で、普通のゆっくりたちが普通に
狩られて毎日死んでいる。
傘に当たる雨滴の、ピチョンピチョンという音を楽しみながら進んでいくと、前方に紫色の
ものが目に入った。
「ン……?」
近づくと、スイカぐらいある成体のゆっくりパチュリーだった。
そいつは、ちょうどフェンスの下をくぐったところで、ぐったりと潰れていた。雨を浴びて
皮がゆるみ、ネチョネチョしていた。
もう三十分も放っておけば、間違いなく溶けて崩れるだろう。
俺はしゃがみこんで、声をかけた。
「よー、生きてるか。ゆっくりしていってね!」
「む……むきゅ……ゆっく……ってね」
ほそぼそとした返事があった。ゆっちゅりーの声って可愛いよなあ。引きこもり性だから、
滅多に聞けないんだが。
「どうした、何があった」
「ゆっく……きない人……に……」
人間に虐待されたか。まあ、そうでなければゆっちゅりーが雨の日に出歩いたりせんわな。
しかし、ここは俺の領土だ。
「おい、よく頑張ったな」
「む……きゅ?」
「おまえの判断は正しかったよ。もう死ななくていい。安心しろ」
「むきゅう……」
うっすら開いていた目が、くるんと裏返った。気絶した。
「チッ」
俺は傘を逆さにしてそばに置き、ぐずぐずで崩れる寸前のゆっちゅりーを、慎重に乗せた。
そして傘ごと抱え上げ、丘の上の小屋へ向かった。途中ちょっと生クリーム漏れた。
部屋に入ると、平らなバットいっぱいに片栗粉を開けて、その上にゆっちゅりーを乗せた。
知ってる人間はあまりいないが、実はこれがゆっくりにとって最高のベッドだ。ゆっくりの饅
頭肌から湿気を吸い取り、最適なサラサラ感をよみがえらせる。
「さあ、しっかり生きろよ……」
俺は片栗粉をまぶしながら、ゆっちゅりーを裏返したり表返したり、帽子を取って髪の中ま
で覗いたりして、くまなく体を調べつくした。美少女が手に入らない非モテ男の代償行為、は
いはい。
いくつもの外傷が見つかった。煙草を押し当てたり、指でちぎったりしたらしい。一番ひど
いのは、頬に突っ込まれていた鉛筆だった。小さな傷からずるずると長いのが出てきたから仰
天したぞ。なんてことしやがる。
そういうのをすべて片栗粉で塞いでやった。気分はブラックジャック。まあゆっくりなんて、
体の作りは単純だからな。
すべての手当てが終わると、ゆっちゅりーは細い息を、すぅすぅと漏らし始めた。俺はほっ
として床についた。
翌朝、日の出前に起きて様子を見たが、昨夜よりも寝息が強くなっていた。どうやら持ち直
したらしい。
そこで、はたと困った。いかん、このままでは俺ルールに抵触する。
このゆっちゅりーを、俺になつかせてしまうわけにはいかない。
「うーん……」
考えた末に、閃いた。
バットを抱えてそーっと外に出た。犬小屋の前にはザラ板を敷いて、三メートル四方ぐらい
の屋根を差しかけてある。雨の日でも安心して遊べる運動場だ。赤ゆっくりどもは狭い狭いと
文句を言いやがるが。
そこに、音を立てないよう、バットを置いた。
そして小屋に戻って寝た。
「ゆっくりしていってね!!! ……ゆゆゆぅ、ぱちゅりーがいるよ!?」
やがて、ベッドの中まで、そんな声が聞こえた。
--八月--
盛大にセミが鳴き騒ぎ、ヒマワリが背を伸ばし、ゆっくりが水の災難に見舞われる夏の盛り
なった。
「気をつけてね、ゆっくりと渡ってね!」
「うん、ゆっくり渡るよ!」
川にかけられた丸木橋を、ゆっくりれいむの家族が慎重に渡る。赤れいむは三匹。一匹はこ
のあいだ落ちた。
「みんな渡ったね? それじゃあ、ゆっくりと畑にいくよ!」
「ゆっくり、ゆっくり!」
いつにも増して勇ましい母れいむに続き、姉と赤ちゃんが行進する。俺はいつものように、
他人のような顔でついていく。
母れいむの張り切りっぷりには理由がある。昨夜も俺は犬小屋での会話を盗み聞きした。
「ぱちゅりー、ゆっくりと元気になってきたね!」
「きゅっ、れいむのおかげよ。ありがとうね」
「お礼なんかいいよ! れいむは当然のことをしただけだよ!」
俺俺。
「でも、れいむはもっと元気になってほしいな! ぱちゅりーは何が好物?」
「ううん……気を使わないでね。れいむが持ってきてくれるごはんなら、なんでもいいの」
「そういわずに、好きなものを教えてね! ゆっくりと持ってきてあげる!」
「どうしてそんなに親切にしてくれるの?」
「そ、それは、れいむが、ぱちぇのこと……」
「……?」
「す……す……」
「……!」
「……ぱちゅりー?」
「だ、だめよ、れいむは子供がいるじゃない」
「子供がいたら、ぱちゅりーはだめなの?」
「……」
「ぱちゅりーは……すき?」
「……むきゅう、むきゅううう!」
(ここで何かブンブンと頭を振るような音)
「ぱ、ぱちぇは、ひまわりの種がすきよ!」
「ひまわり?」
「そうよ、きんいろで、大きなひまわりの種がすきなの。とってもえいようがあるのよ!」
「……うん、うん。わかったよ、れいむ、ひまわりの種をとってくるね!」
悶えた。おお、あまずっぱい、あまずっぱい。
そんなわけで、母れいむは大はりきりだ。
目指すは川向こうのヒマワリ畑。もちろん俺の畑。
「ゆっくり、ゆっくり!」
「ゆっくりついたよ!」
「うわぁー、とってもたかいね!」
当たり前だ。ヒマワリですもん。
例によって、種だけまいて放置してあったヒマワリ畑だが、これ以上はないってぐらい育っ
ていた。うぉい、俺の身長の倍ぐらいあるぞ。
「ゆっくりと種をとろうね!」
そう言って、れいむたちはひまわりの幹に噛み付いたが、すぐに音を上げた。
「いだいいだい、ちくちくするよおぉぉ!」
「ぜんぜんおれないよぉぉ!」
そう、ヒマワリの幹には、剛毛と言っていいほどの毛がびっしり生えている。
そして硬い。色は緑だが、その強靭さは樹木の幹と変わらない。
もちもちふっくらしたゆっくりれいむたちの、かなう相手ではなかった。
ゆさゆさ揺さぶったりもしてみたが、それぐらいで落ちてくるわけがない。
「これじゃあ、ゆっくりたねを取れないよぉ!」
舌を出して泣きそうな顔になりながら、ちらっと俺のほうを見た。
もちろん、俺ルールではこういうシチュは徹底無視だ。
あさっての方向を見て、フーフフーンと鼻歌を歌ってやった。
「もうっ、ゆっくりしてる人はつかえないね!」
おおう、使えないとまで言われたぞ。俺どうすんだ俺。
その時だった。空の一角からばさばさと音がして、ユーモラスな姿の翼がある生き物が現れ
た。
「うっうー、たーべちゃーうぞー♪」
「ゆゆっ!?」
「れみりゃだーーーーーーーー!」
悲鳴を上げるゆっくりたち。ぱたぱたと襲いかかり、赤れいむをわしづかみにするれみりゃ。
「たぁたぁ、たべないりぇー!」と絶叫する赤れいむ。
ぱくぷちっ。
もむもむもむも。
哀れ、赤れいむは一瞬で押し潰され、れみりゃの口の中をあんこの海に変えた。まあ苦痛はな
かっただろう。
「おいしー、ぞぉー♪」
「れいむのあがぢゃんがあぁぁぁぁ!」
またこれだ。十年一日。
「みんな、ゆっくりしないで、はたけに入ってね!」
子供たちをひまわりの間に呼び込む母れいむ。おっ、考えたな。
「もうひとつー♪」
襲い掛かろうとしたれみりゃが、空中で止まった。林立する毛だらけのひまわりに遮られて、
近づけないのだ。
「うっうー、食べられなーい……このぉー♪」
「バカか俺を襲うな」
こっちにきたので、裏拳一発で吹っ飛ばした。ぎにゃぁー、と泣き顔になる。どれだけゆっ
くりの空の王者だと誇ってみても、人間相手ではただの肉まんだ。
「う゛う゛ー、このこのぉー!」
れみりゃは上空へ飛び上がり、上から幹と幹の間へ急降下して、れいむを襲おうとする。ザ
ザザザザ! とヒマワリの葉がなぎ倒される。
「いや゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛、こないでぇぇ!」
「ゆっくりでぎないよおぉ゛ぉ゛!」
幹の間をにげまどうれいむたち。うーむピンチだ。
どうしてやろっかなー。
まあ、石でもぶつけて追っ払えばすむんだが。
するとその時、母れいむが、何を思ったのか畑の外へ飛び出した!
「れっれっれ、れいむをおそえばいいよ!」
なんか勇気を振り絞ったらしくて、ものすごいブルブル震えているが、一体なんのつもりだ。
畑の真ん中でじっとしていればいいのに。
「ううー、いただきだー♪」
れみりゃが嬉々として降りてきて、わっしとれいむに抱きついた。するとれいむが言う。
「ひとりで食べるのはたいへんだよ! なかまのところにゆっくりはこんでね!」
「ううー? それもそうだぞぉー♪」
れみりゃはれいむを持ち上げた。しかし母になるぐらいだから、このれいむは大型で重い。
よろよろっ、と滑空して、ひまわり畑に突っ込んでしまう。
その瞬間、母れいむが目を剥いてものすごい顔になった。
「ふんぬぬぬぐぐぐぬぬぎぎぬぐぬぐぬぅ!」
花、噛みやがった。
「う、うう゛う゛うー!?」
れみりゃが驚いて上昇しようとするが、れいむは死すとも離れじという形相で噛み付いている。
そのうち、れみりゃの手がツルッと滑った。れいむは皿のようなヒマワリの花の縁に噛み付いた
まま、ぶらんとぶら下がる。
と思ったら、体重と花の重さのせいで、そのままぐらぁっと傾いて、幹を倒してしまった。四
メートルの高みから落下する母れいむ。
「ゆぐぅぅぅぅ!」
どばちゅんっ! となんだかやばそうな音ともに、土煙を立てて墜落した。畑から子供たちが
一斉に走り出してくる。
「おっ、おがぁしゃああん!」
「ゆっくりしてね! ゆっくりとなおってね!」
扁平につぶれた母の体に、ほお擦りしたり、ぺろぺろと舐めたりし始める娘たち。いつもなが
らこいつらの気遣いは意味がない。
俺も近寄って見てみた。「うわ」と思わず声が出るほど潰れていたが、よく見ると餡子の噴出
はないようだった。根性で歯を食いしばったらしい。
餡子が出ていなければ、ほとんど場合、ゆっくりれいむは回復する。俺はほっとした。
そして、けっこう感動した。
この饅頭、しっかりヒマワリの花をゲットしやがった。
「うう、許さないぞぉ~♪」
「空気読めよおまえ」
れみりゃが飛んできたが、空中でキャッチして、向こうのほうへ投げ飛ばした。
まあ、れいむたちも頑張ったからな。サービスだ。
「おかーしゃん、だいじょうぶ? ゆっくりできる?」
「ゆ、ゆっくり……かえろう、ね」
母れいむはそう言うと、長い幹のついたヒマワリをくわえて、笑顔で起き上がった。
で、まあ、帰った後で、当然残念なことになったわけだが。
花の時期のヒマワリは、まだ種なんかつけていないからな。
「ぱちゅりー、ごめんね、ごめんねぇぇぇ!」
「きゅう、いいよ。ぱちぇはうれしいよ」
おお、あまずっぱい、あまずっぱい。
最終更新:2008年11月01日 00:25