ホットケーキを食べる日 前編

 朝が来た
 自宅に帰れずにいるのは、これで2日目になる。
 酷い時には1週間程い続けねばならなかった人もいたようだから、まだ彼はましな方かもしれなかった、

 この仕事は辛すぎる。

 肉体的にも精神的にも。
 罪悪感もかなりの部分で感じるが、それを上回って、被害者意識が高まっていくのが自分でもわかった。
本当の被害者は自分ではないとも知りながら、苛立ちが次第に募る。

 こんなはずではなかったのに。

 そろそろ、最初の組がやってくる時間である。
 玄関掃除を早く終わらせねばと疲れた体を引きずっていると、背後から泣き声が聞こえる。最早今では恐
喝にさえ聞こえる


 「ゆううううううううう!!!」
 「ゆっきゅりきてね!!!」
 「おかあしゃあああああああああん!!!」
 「どごにいっだのおおおおおおおおお?」


 つくづく彼は自分が向いていない職業に付いた事を思い知らされた。
 奥の部屋、隅の大テーブルまで出向く。
 大小の粗末な木やダンボールの箱が並べられ、一つ一つにレッテルが貼られているが、もうあまり意味を成さなく
なっている。
 それでも、気を使って体長や種族、年齢別に毎回考えて分けているのだった。
 箱の中には、座布団に乗った赤ちゃんゆっくりたちが目を覚まし始めていた。生まれて本当に間もない子達などは、
潰れる恐れから比較的余裕を持って大きめの箱に寝てもらっているが、ちょっと大きな子どもになると、本当に寿司
の様に詰めてしまっているから、さぞゆっくりできてないだろう。
 上からのぞくと、サイコロ大から手の平大の赤ちゃんゆっくり達が、安心したり却って怯えたりと、一斉に騒
ぎ始める。


 「ほ~ら、れいむちゃん、まりさちゃん。おっきしちゃったかなあ~?」
 「ゆっ、ゆっ?おかーしゃんかえってきた?」
 「おにゃかちゅいたよ!!!ゆっくりごはんのよういしてにぇ?」
 「もう少しでお母さん達も来るからねー?ご飯はおうちに帰ってから食べようね~?」
 「わからないよ~、なんでこんなところにいるの~?」
 「うん?お母さんもらんしゃまも皆お仕事だからねー?ゆっくりここで待っててね?」
 「おにいちゃん、だれ~?」
 「おやぁー………もう忘れたか。お兄さんはお兄さんだよー?」


 そう、託赤ゆっくり所の、保育お兄さん(公式名称)である。それ以上でもそれ以下でも無いのだ。
 実際に就く前は本物の名誉職だと思っていたし、世間でもそう思っている人は多いだろう。
 しかし、現実は辛い。


 「ほ~ら、泣かないでね?ゆっくりしてね?」
 「おがあじゃん、まだああああああああああああ!?」
 「大丈夫だって」
 「おなだずいだあああああああああああああ」


 1人が泣き始めると、皆が泣き始める。あまり泣かない子でも、つられて泣く。
 これだけの赤ちゃんゆっくりが泣き始めるのは、正直道路工事現場の中央にいるにも等しい衝撃
があった。
 彼は必死で泣き止ませようと、人差し指で一人一人の愛撫を始める。
 学生時代に実習で覚えたように、潰れないように、寧ろ弱弱しい程に。
 そんなやり方だから、いつまで経っても全員は泣き止ませられない。
 泣き疲れてもう一度眠る子や、周りに八つ当たりを始める子、赤ちゃんぱっちゅりーの子などは、
時折泣きすぎで衰弱する事さえある。
 全体に声をかけて落ち着かせようとし、少しでも弱っている子がいれば、その子の介抱を始める
と、今度は元気な少し大きい子が箱から飛び出してしまう。
 テーブルから落ちて多少のダメージは受けるが、慣れたもので台所へと向かっていく。


 「あぁっ!!駄目だろそこから先は!」


 油断して放置していた自分の夜食の食べ残しや、今日の分の3時のおやつが残っている。
 激しく抵抗するまりさの子とけろちゃんの子をなだめていると、箱の一つから嬌声が上がる。
 見ると、ありすの子2人が―――生後かなり間もないというのに、すりすりを始めている。


 「いくらなんでも早すぎるわ!!」


 流石にこれは無理やり引き剥がしたが、2人は火のついたように泣き始めた。
 ―――こんな事が、いつまで続くのだろう
 どたばたとあやしている内に、本当に通常の朝ごはんの時間になってしまった。冷蔵庫と戸棚を
開き、本日分の朝食を確認して用意していると、最初の一組が来た


 「ゆっくりおはよう!!!」
 「おはようございます………」


 ひきつった笑顔で出迎えると、れいむの親子だった。
 毎日朝早く、帰りも遅いが、どこに勤めているのだろう………


 「おにいちゃん、おはようごじゃいましゅ!!」
 「はいー おはよう」
 「きょうもいちにち、ちびちゃんをお願いするね!!!」


 一緒に来る子どもも、かなり朝早いというのに元気だ。それに礼儀正しい。こんな子ばかりなら
いいと思ってしまう………


 「おはようございます」
 「おはよーございます」


 人間も来る。関係は忘れてしまったが、出勤前に少し大きなみょんを抱えてやって来る。


 「みょん、ごあいさつなさい」
 「ちーんぽ!!」


 反射的にみょんをひっぱたいしてしまう人間。気まずく受け取る事になる。

 ―――子どもの面倒を見ることのできない親ゆっくり
 ―――赤ちゃんゆっくりの世話ができない人間
 ―――その他

 ここは、託赤ちゃんゆっくり所
 ちょっとしたこの社会のよくない側面を十分見ることができる場所
 新しく来た子ども達は、台所の隣のお遊戯部屋へ移動させ、朝ごはんを運んでいると、引き取り親達が
やってくる。
 改めて、それぞれの装飾品(髪留め・帽子など)につけさせてもらった名札を確認する。
 本当に恥ずかしい事だが、未だにおなじ種類同士の区別がつかない事がある。
 親ゆっくり達には言いにくいし、流石に箱ごと持っていくわけにも行かないので、それとなく室内に入って
もらったりする。


 「おかあしゃああああああ!!!」
 「ゆっくりただいまー!!!いい子にしてた?」


 数人のまりさの子ども達が、即座に飛び出していく。
 本当はいい子じゃなかったぞ……?
 そんなやり取りを見ていると、ごはん(ご飯粒やパンを細かくちぎったもの等)につられて泣き止んでいた、
もう少し後に引き取ってもらう子達や連日預かりの子ども達が、また寂しさをぶり返す事になる。


 「おにいちゃん、おきゃあしゃんたちいちゅかえってくるの?」
 「―――うん?ありすちゃんは………明日の朝だよ?」
 「おねえちゃんやおじちゃんにあいたいよ!!ここやだ、おうちかえる!!!」
 「もうすぐ迎えに来てくれるから、ゆっくり待っててね?」
 「やだやだ!!おうちかえりたい!!!」


 こんな時―――どうせその内泣き止むものと、ある程度スルーしても良いのだろう。と、いうかかなりのこの
仕事に就いて者には、いちいち赤ちゃんゆっくりのワガママを構ってはいられないと、現場で最初に習う。
 赤ん坊の泣き声に、いちいち罪悪感を覚えずにはいられない彼は、謙遜でも何でも無しに、この仕事に向いて
いないと自覚していた。
 そう―――はっきり言って、ここでの生活は決してゆっくりできない。育ち盛りのゆっくり達をこんな環境で
育てる事は、常識的には罪な事だった。

 「ゆっくりごときはスルーしても大丈夫」

 この職場に来た時、自分の研修に当たってくれた先輩が言った言葉だ。その先輩もやめてしまった。
 やめたのは1人ではない。何人もがこの職場を逃げ出し、今は圧倒的に人数が足りないのだから、本当にゆっく
り達一人一人には構っていられないのが現状だ。
 経営者に直接話しても、上は決してこれ以上人数を増やそうとはしなかった。
 金の亡者である

 そう―――託赤ゆっくり所の現状など、どこもこんなものなのだ

 ひたすら需要の多い割りに低コストが魅力の対ゆっくりビジネスの一環としかみない輩が乱立させたこの施設も、
当然の様に次々と廃れた。
 生き残った施設が、健全な場所かというと全くそんな事は無い。現状を解っていない親ゆっくりや、安ければそ
れでいいという無責任な人間を騙し騙し続けるか、教育と称して虐待まがいの人間本位なしつけを続ける場所、ほ
とんど放置プレイを続ける、ただ預かるだけの場所。
 彼の働いている場所は、まだましな方なのだ。


 「じゃ、お仕事頑張って下さいね」
 「ゆっくりいってくるよ!!!」


 元気よく子どもを預け、人ごみにビョンビョンと跳ねていく親ゆっくり達の背中(?)には哀愁を感じずにはいられ
なかった。
 この現場がどんなに辛かろうと、拝金主義の人間が経営する施設に子どもを預け、慣れない世界で、ハンデもある
中働くゆっくりに比べれば何と言う事も無いだろう。

 しかし辛い。
 肉体的にも精神的にも。

 感じる辛さは、罪悪感ばかりではなかった。


 「あの、お兄さん?」
 「はい?」
 「うちのゆっくり、頬に怪我してるんですけど?」


 改めて見たが、傷には程遠い摺り跡である。
 うっかりしていた。名札をもっと昨日から見つつ判断するべきだった。
 いるのだ。自分の子どもが、クラブでレギュラーをとれなかった、教科書の表紙の印刷状態がそれ程良くなかった、
等等の常識をちょっと超えた理由で、学校側を叩く人間の親がいるように、ゆっくりが本の少しでも傷つく事が許せ
ない人間の飼い主もいる。
 こいつらはどこかおかしい。


 「ここはいつから加工場になったんですか?」
 「すみません……目をもっと離さない様にしますので」
 「こっちは仕事で忙しいから、あんた達に高い金支払って預けてんのよ?何で傷つけられて帰ってくるの?」
 「本当に………申し訳ないです」


 高い金?
 そんなに大事なら、二束三文でこんな無認可の施設に預けるべきではないのだ。確かに、一人一人に目を配れない
部分もあるだろうが、言うに事欠いて、「加工場」はあんまりだろう。
 そう――――本当に生き生きとした健全なゆっくりに育つには、人間相手にこんな所にいるよりも、自然界に生き
るべしと皆は言う。人間が手を加えず、例え食物連鎖の一角で命を落とすものがあったとしてもそれが本来あるべき
姿だと。

 そんな環境はもう無い。

 いや、あるにはあるだろうが、既に人間が自分勝手に思い描く「大自然を逞しく生きるゆっくり」などというもの
は現実にはいないものと思った方がいい。「『ごわす』を語尾につける力士」「語尾に『~ニダ』をつける狡猾な吊
り目の半島人」が現実にいないのと同様、「人家に進入しプレイス宣言をする」「JAOOしか言葉を発せない」「定期
的に放屁し続ける」等等の特徴を持ったゆっくりなど、少なくとも今はいない。
 そんな「古き良き(?)ゆっくり観」を奪ったのは、勿論環境を破壊し続けた人間達である。


 「いや、本当にすみませんでした………」


 平謝りするのは慣れたと思っていたが、実は慣れていなかった。
 不自然な状況下で、ただでさえ意思疎通の難しいゆっくりの赤ちゃんを育てる難しさと緊張感と責任感は、何かを
彼の心に貯め続けていった。
 赤ちゃん達を引き取り、朝帰りの家族に引渡し、けんかを止めつつ、一人一人に朝ご飯を食べ終わるのを見届ける
と、先輩の一人が帰ってきた。


 「どこまで行ってたんですか……」
 「散歩だよ。解ってんだろ」
 「けっこう一人って辛かったですよ………」


 一つ上の先輩は、大儀そうに散歩用車(ゆっくり用に、人間が乗るより少し高めに赤ちゃん達を乗せる)を室内に運
び込み、籠をやや乱暴に預ける。
 中には、ふらんやれみりゃ、みすちーなど、夜型の子ども達がうとうととしていた。


 「また……籠に入れっぱなしだったんですか?」
 「仕方ねえさ。こいつらいくら言っても勝手に飛び出すんだぞ」


 赤ちゃんくらいならば、飛んだとしてもすぐには捕まえられるだろうが、これ程の人数になると、一人取り残して
しまう事だってありうる。
 だからと言って、籠に入れっぱなしで散歩に連れて行くのは犬とも変わらない―――というか、散歩の意味が無い。
 夜型や――――ちと他のゆっくりよりも接し方の難しい捕食種の子、その他色々と問題のある少数の赤ちゃんの面倒
を見ているのは自分の辛さとはまた違う気苦労があるだろう。
 しかし、この先輩も悩みの一つだった。


 「ちょっと!!手伝ってくださいよ!」
 「俺はもう駄目だ」


 無責任にも、遊戯室の隅に突っ伏して寝息をたててしまっている。夜間の散歩や、問題児達の世話がどれ程のもの
かは知らないが、職員の態度ではなかろう。
 ご飯を食べ終えて、遊びたい盛りの赤ちゃん達は、もうそのそばまで行き、ボスボスと背中で飛び跳ねたり、頭や
足に体当たりをしてからかっている。
 先輩は殆ど動じることなく、少し度が過ぎるあたり方をしたときだけ、手で払う。
 何とかして遠ざけ、普通に皆と遊んであげたいが、うんざりするほど掃除や片付け、帳簿の整理など雑用が残って
いた。


 「ほらぁ!!れいむちゃん!お兄さんにそんな事して遊んだら駄目でしょー?もう少ししたら行くから、皆と普通に
  遊ぼうね?」
 「おにいちゃんのせにゃか、ぶよぶよでゆっくちできなないにぇ!!!」


 人が足り無すぎる。
 そうこうしている内に、台所に入り込んで遊び始める子もいるし、テーブルの上では、いじめられている子もいる。
そちらの解決の方が優先と、家事を一旦止めると、思わず足元にいた子を踏みそうになる。
 勿論踏みとどまるが、それだけで盛大に泣き始めるし、それをあやしている内にまた問題が起こる。
 朝から、たまった雑用は何一つ手をつけられていない。
 そうしている間、絶えず少し大きめの子ども達が、後ろから体当たりするなどの悪戯をしかけ続けているのだった。
ちなみに、先輩がつれて帰ってきたれみりゃとふらんの子達が、上空から色々ちょっかいを出してくる。
 とりあえず、泣いている子も遊んでいる子どもも、一まとめに遊戯室に連れて行って鍵をかけ、どこから解決しよう
かと思っていると、電話が鳴った。


 「はい?」
 「よう、虐待お兄さん」
 「へ?」
 「子まりさ、蹴飛ばしやがったろ。お前の職場は加工場か?中身は餡子だからいいのか?」
 「いや………それは」
 「虐待派は死ね!!!」


 ガチャリ
 妙な噂も立っている事もあるが、毎日こうした怒り(と嫌がらせ)の電話が、赤ちゃん達の家族を中心にかかってくる。
 他にも


 「はいはい?」
 「赤ちゃんゆっくりを引き取ってるところってのはここか?」
 「ええ」
 「何、それで世直しでもしてるつもり?マジキモいんですけど」
 「…………」
 「一発殴ってみろよ。生肉サンドバックだぜあれ。生首の世話かとかお前らありえねえよ」
 「あの………」
 「偽善者の愛で厨は死ね!!!氏ねじゃなくって死ね!!!」


 ガチャリ
 ―――――――現実と違いすぎる。
 新しい時代に向けて、社会適応しようと努力するゆっくり達をサポートするこの分野の仕事は、ある意味名誉職だと
言っていたのは誰だ?
 大学の恩師だったか。
 確かに業界の隅っことは言え、就職した時はそうした事を考えて、若干大手に勤めた同輩と自分を比べても誇りに思っ
ていた。
 それが、排除派には「偽善者」と小馬鹿にされ、愛好家(一部だが)には「虐待の域」と決め付けられる。
 感謝してくれる人間や親ゆっくりもいるが、差がありすぎる。
 頭を抱えてそのまま泣き伏したくなっていると、入ってくるものがある。


 「そんな顔、子ども等の前ではしなさんな?」


 一番の古株だった。
 正直ここの良心である。
 そろそろ自身が介護される頃では無いかと思うほどの老齢の婦人だが、彼女に頼りきらざるを得ないほど誰よりも
ゆっくりとの接し方に秀でている。


 「すみません………」
 「ここら辺の事はやっておくわ。今は遊ぶ時間でしょ。相手なさい」
 「は………」
 「あと、あいつ起してきて」


 今日は非番なのに。
 人手が少ない事を知っていて来てくれているのだ。申し訳ないと思うが、疲れの性で安心感の方が先攻してしまう。
 遊戯室に入ろうと戸を開けると、待ち構えたように何人かが飛び出す。
 古株は、人間に見せる仏頂面からは信じられないほどの素直な笑顔で、手を広げてゆっくり達を迎える。


 「おばあちゃん、こんにちはー!!!」
 「はい、コンニチハ」
 「ゆっくちていっチェね!!!」
 「「「ゆっくりちちぇいっちぇね!!!」」」


 こんな風に歓迎された事が、実は一度も無い………
 赤ちゃん達にとっては、一部では未だに彼は部外者であった。


 「先輩、そろそろ起きて手伝ってくださいよ」
 「もうやめたい…………」


 とは言え、雑用もひと段落つき、こうして遊んであげる時間は、普通に楽しかった。
 勿論、ここでのトラブルも起きるが、こうして素直に遊んで楽しませる時間がある事が、彼にとっては唯一の支えであった。
 それが、追いつかなくなるほど――――何かが自分の中に日に日に溜まっていくのがわかった。


 「本当に現実は違うようなア………」


 例えば――――ゆっくりについて、種族別の学習などは学校で必須である。
 しかしだ。
 赤ちゃん達がこうして集まり――――ちぇんが一人でまりさやれいむをしっぽで泣かせ、めーりんが熱心に絵本を読みふけり
ぱちゅりーがそこらを転げまわっている光景など、誰が想像できただろう。


 「学校で習うことは役に立たないのか……」
 「そりゃ子どもだって一人一人違うから」


 全く当たり前のように、古株は食器を洗いながら言う。
 あれだけ現場にい続ければ、学校での分類学など、確かに机上の空論でしかないのだろう。
 更に、事も無げに。


 「今月、もう一人やめるわ」


 大体誰かは予想がつく。
 疲れが更に肩にのしかかった気分だった。


 「あ………そうですか……」


 やるせない思いで遊び相手をしていると、昼食の時間となった。
 この時間が一番辛かった。


 「さて…………」


 最も気を使わねばならない場面である。
 毎日のメニューを考えるのもさることながら、栄養状態や、ゆっくりの嗜好に合わせた味付けの工夫、
何よりも、あまり良い物ばかりを与えるべきではない。
 一苦労は献立の後も続く


 「そーら、ご飯だよ」


 前は、一人一人用に極小の皿に盛っていた。その前は大皿に盛って、皆で食べようとしていた。
 今では、自分が盆から手を離すことができない。
 必ずとりあいになるからである。
 一人一人に一口サイズにしたものを直接渡していく。
 これが想像を絶するストレスなのだ。


 「ゆっ!!これはみょんのだよ!!」
 「ちぇんのだよ~!!!」


 それでも、我先にと集まって、盆の食べ物を取ろうと皆がびょんびょんと跳ねる。
 見ると、古株の方は大皿をどっしりと置き、一人一人が決められた自分の分をしっかりと食べているのだった。
 やっている事は同じはずなのに、この差は何だろうか。


 「むーしゃ むーしゃ」
 「ちあわせー!!!」


 これをいつか自分の前で聞きたかったのだ。
 しかし、それすらできない。目の前のケンカをなだめるだけである。


 「やってらんねえ…………」
 「あっ!!」


 先輩は、冷めた顔で「格子」を使っていた。
 丁度拳大の赤ちゃん達が一人一人納まるくらいのスペースが16個あり、そこに一人ずつ入れては一人分の食事を
放り込んでいくだけなので、効率は恐ろしく良い。しかし、何とも投げやりである上、教育も何もあったものでは
ないと、彼はこの「格子」だけは使うまいと心に決めていた。


 「あの、先輩にあんな道具使うの良くないって言ってもらえませんか?」
 「人それぞれさ、そんなもの――ああ、れいむちゃんよく食べたねえ!!!お利口さん!!!」
 「よくないですよねえ?」
 「ありなんじゃないの?ゆっくり達だってああされるの嫌なんだから、良い子にしてれば格子だって―ああ、おい
  しかったー?!!」
 「…………そうかなあ」


 何とも納得できない気持ちで昼食が終わる。
 ゆっくり達に、どう教え込むべきなのか
 昼食後、何人かの―――比較的自立できる子達を散歩に連れて行き、はぐれたりはしないかと恐怖にさいなまれなが
ら帰還する。
 お昼寝の時間となるが、勿論眠らずに暴れる子が出てくる。
 泣き喚くのを何とか寝かしつける頃には、夕方になっている。
 急いで残った雑用を終わらせようとするが、最初の方に眠った子がもう起きて泣いていたりする。
 あやしていると、そろそろ引き取りに来る家族の第一陣が来る。
 泣き喚かせている姿を見られたくは無い。
 ここで、朝と殆ど同じことが起きるのだ。
 赤ちゃん達と、親御さんたちへの対応の両立。
 そして、愚痴と叱咤、非難を真っ向から受ける。
 夜に来る子ども達も引き取る。


 「来ませんねえ………」
 「また逃げやがったか……………」


 夜勤のはずの後輩が、やってくる気配が無い。断りも無しに逃げたのだろう。
 古株は残るといったが、流石に明日のために帰ってもらい、3日目の貫徹が決定である。
 身も心も疲れ果て、自分の夕食をそろそろ食べようかとしていると、電話が鳴った。


 「お前らゆっくりんピースだろ、国賊が」


 中々この手の罵声には慣れない。しかも、この手の電話は排除派の人間だけではなく、浅はかな知識を持った愛好家か
からかかってくる事が多いので困る。
 赤ん坊らしく、殆どの赤ちゃん達は疲れて眠りつこうとしている。夜型はそろそろ一番元気になる時間なので、ここで
先輩が本腰を入れて相手をする事になるのだった。
 夜行性ではないのに、まだ眠らない子もいる。
 そんな中、彼がどうしても目を離せない子が一人いる。


 「来ませんね」
 「ああ」
 「もう一度電話してみます」
 「多分出ないぜ」


 長期の滞在は確かにサービスの一つとしてあるが――――5日も連絡無しに引取りに来ない飼い主(?)もいる。
 今の所、子どもを置き去りにする親ゆっくりが現れていないことが心の救いだが、たまにこうして――――――


 「ちるのちゃーん、そろそろ寝ない?」
 「眠くないよ!!!」
 「もうおねむの時間じゃないかな?」
 「おにいちゃんがくるまでねないよ!!!」
 「そのおにいちゃんさあ、今日は忙しくて、また明日になるって」
 「………………」


 ふらん達と追いかけっこをしていたのが、次第に止まる。
 こちらに向けた背と、氷の羽がかすかに震えている。
 泣きそうになるのを堪えて、極力明るく伝えてみる


 「明日には帰ってくるよ。だから、今は寝ようね?」
 「あたい、さいきょーだからさびしくないよ!!!」


 追いかけっこが再開する。
 嘆息しつつ、ふらん達を捕まえる先輩。

 本当に辛い。一番辛い。

 むしろ、ゆっくりが嫌いだったらとさえ思う。酷い例えだが、サーカスの関係者に動物好きの人間はいないのだ
そうな。「飴と鞭」ではなく、本当に「鞭」だけしか使わないので、少しでも愛着を持ってしまう人間には勤まら
ないという。実際に、この託赤ちゃんゆっくり所の経営者はゆっくりに愛着などもっていまい。


 「何でこんな事になるんだ………」
 「無責任な家族が増えてんだろ。前からよくある話だ」


 大小の箱の中、気持ち良さそうに目を閉じて眠る大小の赤ちゃん達。
 まだ柔らかすぎる皮膚がふよふよとふれあい。多分あそこにいるだけでふかふかの寝台にいる気分だろう。
 可愛いと思う。
 心から、本当に愛しい。
 こんなに可愛いのに


 「簡単に捨てるなんて信じられないよ………」
 「本当にそう思うか?」


 かなり乱暴に籠にれみりゃ達を入れながら(うーうー言っているが、あまり気にしていない)、眠そうに先輩がぼやく。


 「本当に可愛いか?天使とかお前昔言ったよな」
 「今でも思ってますよ。見て下さいよ、こーんなに可愛い!」
 「いや、可愛いとは思うけどさ」


 指差すほうを見ると、らんしゃまとちぇんが寝てる振りをしながら異様に緊密に横たわっていたり、少し体の大きな
まりさが、年下の赤ちゃん達を平気な顔で押しつぶしかけていたりする。


 「…………………」
 「死ってるか?韓国じゃ、人間の悪意や煩悩やら、悪い負の部分が凝り固まり饅頭に宿って生まれたのが、ゆっくり、て
  いう存在の発祥だって言ってるんだぜ?」
 「そりゃー、食糧難の時とか、色々被害にあった大昔の山間部の伝説でしょうに。水子の生まれ変わりだって説もあります
  よ」
 「それはそれで怖いわ。そらあ、ルーマニアとかブルガリアとか、東ヨーロッパの話だろう。お前こういう時に自分に都合
  のいい設定を持ってくるよな」
 「話なんていくらでもあるじゃないですか。それに、赤ん坊だってそれなりに性欲持ったり、いじめがあったりするのは人
  間も同じですよ。あ、あと料理の神様の食べ残しが進化したって伝説が中国に」
 「それが、こいつらの場合直に伝わりやすいんだよ。だから余計見てると嫌になる」


 そう―――「ゆっくりは人の鏡」という諺がある。
 傍若無人なゆっくりにあった時、酷く下劣なゆっくりにあった時、その時どう接するかでその人間の人格が問われるという意
味だったり、ゆっくりを育てる際、その人の教育方針や日頃の態度がダイレクトに現れる、という意味でもある。
 見たくないものを見せられ、目を背けるか、そのまま蓋をするように殺してしまうか―――――それとも、逃げずに向かい合っ
て、(知能は低いとされても)対話を根気良く続けて悪行を止められるか。 


 「もっと頑張りましょうよ!!残ったもの同士」
 「はあ、けどな、俺はここをやめたら本当に行く場所が無いから残ってるが、今じゃこいつらを預けたまま捨てちまう奴等の
  気持ちさえ解るんだ」
 「――――それは――――撤回してください」


 流石に、それに同意するわけには行かない。
 気持ちは痛いほど解った。
 それでも


 「もうちょっと肩の力抜けよ?理想高すぎるとやばい事なるよ?」
 「だからって………」


 無言で先輩は自分のかばんから、一冊の本を取り出して彼に叩くように渡した。


 「読んでみ?」


 ―――怒りすら沸いた。
 発禁書である。
 やる気がないのは兎も角として、こんな職場で、ゆっくり達に囲まれながら、こんなものを持ち歩いていたと思うと、吐き気がする


 「よくこんなものを見つけて…………」



 『アーサ・タメラン・ネイル(1983~2017)著 「目覚めの手記」<キリヤマ出版>』



 そろそろ学校の歴史の授業では扱わなくなってきた頃だが、コロラド州で、恐らく4桁に及ぶゆっくりを虐殺し、さらに中身を加工し
て販売していたとされる、歴史上1.2を争う殺ゆっくり鬼の著書である。排除派からの人気とは裏腹に、当然直ぐに回収されたが……


 「読んで始めて知った。隠されてたみたいだったけど」
 「何が?」
 「そいつも、元々はゆっくりの保育士だったんだと。10年近く続けたんだそうだ」



 ――続く

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最終更新:2008年11月13日 07:01