人間とゆっくりの境界1

 俺がその事に初めて気がついたのは、春も終わり、季節が変わろうかというくらいの事だった。
 その日は朝から雨で仕事も無く、家で手前の大工道具を整備していた時の話だ。
 自分以外誰もいない部屋の下から、何やら物音がする。
 最初は猫か犬やらの類かとも思ったが、よくよく耳を澄ましてみればどうにも人間の会話である。
 泥棒が暢気に床下に潜んで……などと言うことはあるまい、それならば思いつく生き物はひとつしかない。
 気づかれぬようそっと縁の下を覗いて見れば、案の定そこにいたのはゆっくりだった。
「ゆっくりまにあったね!」「ここならあめもはいってこないね!」「ちばらくゆっくりまってようね!!」
 どこにでもいるようなゆっくりれいむの家族が、床下に入り込んで雨宿りをしているようだった。
 ……まぁ、雨宿りくらいなら別に構わないだろう。
 俺自身は、特にゆっくりと言う生き物に嫌悪感などを持っている訳ではない。
 親父も俺も、大工として生計を立てていたので、畑を荒らされたりした経験も無い。
 「家に入って荒らされた」なんて話も、俺から言わせりゃ間抜けと不用心の極みだとしか思えなかった。
 空き巣ならまだしも手も足も無い生き物に侵入されるなんて、戸締りのひとつでもしときゃ済む話、単なる自業自得だ。
 命を粗末にするなと言う親父の教えもあったかも知らんが、そうでなくとも生き物を殺していい気分になんてとてもじゃないがなれやしない。
 仕事仲間の、昨日はたまたま見つけたゆっくりどもを何匹潰しただの、腹いせに踊り食いしただのなんて話は、正直聞いていて不愉快で仕方が無い。
 野生には野生の、人間には人間の領分はあるだろうし、それを犯したものが何らかの反撃や報いを受けるのは仕方ないだろう。
 だが、基本的に向こうが何もしてこない限り、こちらも何もしない。
 何かされたとしても、できることならさっさと逃げるか逃がす。
 野生の生き物だけでなく、人間以上の力を持つ妖怪や妖精なんてものがごろごろいるこの幻想郷で生きていくにはその方が都合がいい。
 だから、俺は餌をやることも存在を示すことも無く、そのまま放っておく事にした。
 何日か過ぎてから、ふと思い出して床下を見ると姿は無く、住処にしようとしている形跡も無かった。
 それからしばらくは天気が良く毎日仕事があった事もあって、俺はその存在を半ば忘れかけつつあった。

 そして時間は過ぎて、今度は梅雨に入ったくらいの時。
 大工にとって、この時期ばかりはどうにもならぬ。
 瓦を乗せる所まで行っていればまだ何とでもなるのだが、今年はそうは行かなかった。
 普通なら棟梁も梅雨に入る時期は余裕を見て早めに仕事にかかるものだが、今回は古いお得意様からの急な依頼と言う事で、やむなく予定を割り込ませて始めたのだ。
 そのためにぎりぎりで瓦を乗せる所まで間に合わず、今の有様になっている。
 降るのか止むのか、長いのか短いのか。
 お天道様には敵わないのでどうしようもないし、いつまで続くかも分からんので無駄に金も使えない。
 そんな時だ、床下からあの声が聞こえてきたのは。
 おいおい、まさかまた来たんじゃないだろうな。
 いつぞやのように覗いて見れば、そこにいたのは成体になったくらいのゆっくりれいむとゆっくりまりさだ。
 ……正直な所、ゆっくりの個体の見分けなんざまったくつかんので、れいむの方があの時の奴と同じ奴かどうかまでは分からんが。
 考えてみれば、この家の場所は山と草原の間くらい。
 遊んだり餌でも取りに来たりしたゆっくりが山から草原へ、あるいはその逆へ。
 雨に打たれて住処へと慌てて戻ろうとするのなら、真ん中くらいのここは雨宿りするのにはちょうどいい場所なのだろう。
 ま、しょうがねぇか。
 雨が止めばこの前のようにどっかに行くだろう。
 それよりも、とっとと止んでくれねぇモンかな。
 俺の頭を占めるのは、そいつらのためではなく俺の給料のためにいつ雨が止むかということだった。

 幸いにも今年の梅雨は短かったらしく、いつもよりは早く夏の日差しが照りつけ始めた。
 瓦を乗せられなかった所為で生じた遅れを取り戻すため、俺は何時にもまして働きづめの毎日を送っていた。
 朝から日が暮れるまで働き、終わった後は皆で飯と酒。
 家に戻れば疲れもあって風呂もそこそこに即寝床行き。
 なかなか雨が降る事も無く、定期の休みも疲れて寝ているか、外で時間を潰すかだったので、俺は床下で起こっていた事にまるで気づかなかった。
 それは、今にして思えば俺の一生を大きく変える出来事だったのだ。



 「それ」に気がついたのは全くの偶然だった。
 ある休みの昼前、飯を外に食いに行こうか家で済ませるか、縁側でぼーっと考えていた時だった。
 視界の端、玄関の方で何かの影が動いたように見えたのだ。
 立地条件もあり、連れくらいしかあまり訪れる事も無い家だが動物か何かだろうか。
 もし客人なら対応せねばなるまいと、億劫ながらも草履を履いて玄関に向かう。
 だが、そこには誰もいない。
 見間違いかな、と思った時だ。
 今度ははっきりと黒い何かが見えた。
 ありゃあ……ゆっくりまりさか?
 にしてもこんな所で見るとは。
 ここらあたりに畑は無いし、真っ昼間から単独行動とは珍しい。
 興味を持った俺は、音を立てぬようにそっと隠れると、角から顔だけを出して行き先を探った。
 するとそのまりさは、さっき俺が居た縁側とは反対の場所から床下に入って行ったではないか。
 今抱いた興味なんぞ一瞬でどこかへ吹っ飛んでった俺は、慌てて床下を覗きこむ。
 ……やられた!
 そこには判りにくいが、まりさの他にゆっくりれいむまで居た。
 今は晴れている、よって雨宿りなどではない。
 恐らく梅雨時のあいつらだろう、いつの間にか住み着かれていたのだ。
 それを示すように、れいむの周りには藁などが集められており、あからさまに住居の態を成している。
 しかも、れいむの頭の上には蔓が伸び始めているではないか。
 縁の下ならばすぐに気がついて追い出したかもしれないが、最近の忙しさに加え、家の奥手、普段長居する事の無い部屋の下だったので発見が遅れたのだ。 
 さて、どうしたもんか。
 とは言え、さすがに子供までこさえた所を追い出すのも気が引ける。
 だが、家の中にこいつらをあげようなどという気にまではならない。
 上げたら最後、その餡子脳で愚かにもここが自分の家だと主張するに決まっている。
 そうなったらば、俺の方が我慢できるか保障はねぇしな。
 しょうがねぇ、子供が生まれるか害が出るまで現状維持か。 

 それから俺とゆっくりの奇妙な共同生活が始まった。
 一応上に人間がいる事には気がついているらしい。
 不思議と表に出る所を見ないので、わざとあちらに見えるように足を下におろし、棒の先に鏡をつけて覗いて見ると毎回ちゃんと俺が居る所の反対側から出て行くのだ。
 1日中のんびりと見ていると、まりさは何度も餌や水を運び、甲斐甲斐しく動けないれいむの世話をしていた。 
 どうやらこの2匹、つがいになったのが今年なら、子供が出来るのも初めてらしい。
 大工道具の整備も終わり、やる事も無くなった俺は出て行くでもなく真上の部屋でゆっくりの会話を聞いて時間を潰していた。
 これが意外と面白い。
 人間でも同意できる事、突拍子も無い事。
 ゆっくりの餡子脳とは言えそれなりの考えはあるらしいが、大抵間が抜けているものばかりで下手な笑い話より笑いをこらえるのに我慢しなきゃならん。
「あかちゃんはやくおおきくなるといいね!」 
「そうだね! ゆっくりしないではやくあいたいね!」
「れいむあかちゃんにおうたうたってあげるよ! ゆ~ゆゆ~♪ ゆっゆ~ゆ~ゆ~♪」 
 そうしているうちに、調子外れな歌まで歌いだした。
 こいつら隠れているって自覚はあるんだろうか。
 それともお決まりの「ここはわたしたちのおうちだよ!」なのだろうか。
 ふむ、それだと困るな。
 生まれるまでは待ってやると決めたものの、味を占めてこれからずっと住み着くというのはさすがに困る。
 俺がそのつもりでも、向こうがどう思っているかは判らない。
 ……判るかどうかはさておき、一度話くらいはしてみるか。

 俺は部屋の畳を移動させると、真上の床板を一気に捲りあげる。
 頭上からの音に警戒していたのだろう2匹と真正面から見詰め合う形になった。
 しばらく呆然としていた2匹だが、思い出したようにまりさが俺かられいむを守るようにその前に移動した。
「お、おじさんだれ!? ここはまりさとれいむのおうちだよ! はやくここからでていってね!!」
 おお、これだこれだ。
 なるほど、実際に面と向かって言われてみれば確かに腹が立つな。
 しかしまぁ、判ってて住み着かせてやっていたのは俺だから、ある意味仕方ないといえば仕方ないか。
「あのな、お前そうは言うが、上に俺が住んでいるって分かってはいたんだろ? 毎回律儀に俺の足が出てない方から外に行ってたよな?」
 その俺の言葉に、まさか見つかっているとは思ってもいなかったのだろう、2匹の顔が一気に青ざめる。
 あんだけ普通にしゃべったりしてて見つかっていないと思うとか、やっぱりおっそろしく緩い頭だなこいつら。
「で、でもまりさたちがきたときここにはだれもいなかったよ! おじさんじゃこんなせまいところはすめないからやっぱりここはわたしたちのおうちだよ!!」
 子供を守ろうにも蔓があるため動けず、震えるだけのれいむの前に立ちながら、まりさが必死に自分の居場所を主張する。
 なんだ、ゆっくりにしちゃマトモな感じじゃないか。
 だがゆっくりよ、お前らには判らんだろうがそこには基礎や上まで通った柱があってだな、それも含めて「家」っていうんだ。
 だからそこの空間の事を「床下」って言うんだぜ?
 おっと、それは置いておいてだ。
 れいむの方よ、そんなに震えてたら蔦が折れるか子供が落っこちちまうぞ。
 そもそもだ。
「あのな、話をちゃんと聞け。俺はお前らを追い出しに来た訳じゃないんだ」
「ゆ! にんげんはしんようしちゃいけないっておかあさんがいってたよ! どうでもいいからゆっくりどこかにいってよね! まりさたちのこどもにはてをださないでね!!」
 しかし俺の言葉にまりさはまるで耳を貸さない。
 これも子を守る親の愛情って奴かね。
 まぁそれも命の瀬戸際まで追い込んでやればあっさりと裏切るって言うが。
 とはいえ、それは俺がやりたい事じゃあない。
 それに信用できないとか言うなら、その人間と思いっきり生息圏が重なる場所に住むなよ、その、とにかく色々危ないじゃねぇか。
「だから、そいつの話だってんだ。子供が居るのに追い出すなんて俺ぁしねぇよ。俺は、お互いがここで暮らすための約束の話をしに来たんだよ」
 下はともかく、上は人間がいる場所だという認識はあるらしいので、これはれっきとした共同生活だ。
 俺はゆっくりにも分かる様に時間をかけてなるべく丁寧に説明してやる。
 ひとつ、床下は少なくとも子供がちゃんと生まれるまでは使わせてやる。ただし、上の家には絶対に上がらない事。
 ふたつ、子供が生まれた後も育つまでは様子を見て待ってもいいが、住み続けるのはやめてもらう。
 みっつ、喋る位は構わんが、むやみやたらと騒ぐな。特に夜。
 よっつ、虫や野生の動物が寄ってこられても困るから、できる範囲でいいしゴミを散らかすな。
「もし破ったら……そうだな、お前らを殺したりはしないが、1回破るごとにお前らの頬を1つまみずつちぎりとって、ついでにその頭の子供も1匹もぎ取る」 
 やはり子供は大事なようだ、その言葉に2匹は震え上がりながら必死で頷く。
 さて、これじゃああいつらに押し付けばかりだ。
 約束とはお互いがするものだから、俺からもその分何かをせねばなるまい。
 その代わり、お前達が約束を守る限り、絶対に子供やお前達を痛めつけたりも追い出したりもしないし、俺が家に居るときくらいは守ってやる。
 俺自身もその事を約束して、床板をそっと元に戻していった。
 これで上手くいけばいいんだがな。
 ゆっくり相手に理性的な話はどこまで通じるんだろうか。
 とりあえず、不安ばかりだ。

 それからしばらくはやはり忙しくゆっくりに気を回す余裕などなかったが、ゆっくり達はちゃんと約束を守っていた。
 そもそも戸締りをしている事もあって家の中には入られなかったし、夜は夜で俺よりも早く眠りについている。
 不安定な樹上に子供が居るからか盛ることも無かったし、餌も昆虫や植物など口に入りきるものがほとんどなので、口移しで綺麗に食わせられるようだ。
 あまりしっかりと見る機会も無かったが、8匹の子供はゆっくりと、だがしっかりと大きくなっているようだった。
 それなら、いい。
 たまに俺が覗いたりするものの、それ以外はほとんど干渉する機会も無く、それでも上手く生活できていた。

 だが、ある日からまりさの姿を見かけなくなった。

 どうにもおかしいと気がついたのはこれまたしばらく雨が降り続いた日だ。
 床下を暇つぶしに覗いてみると、れいむだけしかいなかった。
 体が濡れるとふやけて崩れてしまう恐れのあるゆっくりは、雨の時はまず外に出たりはしない。
 また畳と床板を剥がして話を聞いてやると、一昨日の夕方に餌を採りに行ったまま戻ってきていないと言う。
「案外お前よりかわいいゆっくりを見つけて一緒にどっか行ったんじゃねぇの?」
「ま、まりさはそんなことしないよ! いままでずっといっしょにいきてきたんだもん!! そ、それにあかちゃんだってはじめてなのに!!!」
 冗談めかして言ったつもりだったんだが、えらい剣幕で怒られた。
 おいおい、これじゃなんか俺が悪役じゃねぇか。
 餌はどうしたと聞くと、「食べてない」
 蓄えも、約束を律儀に守ってか単にまだ夏だからか判らないが、準備していないらしい。
 しまったな。
 雨が続いた時の事を完全に失念していた。
「雨が降り始めたのも……一昨日の夜くらいだったな。もしかしたら戻ってくるのが間に合わなくてずっと雨宿りしてるだけかもしれねぇしさ、ゆっくり待ってろよ、な?」
 そうは言ってみるが、まるでれいむの表情は晴れない。
 もしもいぬとかれみりゃとかにあってたらどうしよう、れいむのごはんさがすのひっしになっちゃってあめにぬれてたらどうしようなどとと喚くばかりだ。
 とりあえず明日も雨が降るようなら朝から、止んだら仕事から戻ったあと探してやる。
 正直早く寝たかったので、静かになるようそれだけ言って俺はまた床を元に戻した。
 ……悪いな、今日の夜で雨は止むよ。
 天気が仕事に関わる以上、こういう事には自然と聡くなる。
 それに、だ。2日とはいえ戻ってこない時点で普通は覚悟はしとかなきゃならないもんだろうが。

 案の定その日の朝には雨は止んでいた。
 久しぶりの仕事だ、俺にだって生活はある。
 それに、ゆっくり達の面倒まで見てやるとまでは言っていない。
 仮にまりさがなんらかの理由により死んでいたとしても、それは野生に生きている以上仕方の無い事だ。
 むしろ、森より安全な人間の所に住めている事、その人間にたまたま殺されない事、それが既に幸運であるというのをこいつは理解しないといけない。
 野性のもの、違うものとはお互い不必要に干渉し合わない、それが俺の生きていく中でのルールだ。
 だから俺は、お前らの事よりも俺の暮らしのために仕事に行く。
 ……それの何が悪いんだ。
 何故朝っぱらからこんな憂鬱な気分にならねばならないのか。
 その日はただ仕事に行った、それだけだったように思う。
 いつもより若干急ぎで戻った俺は、家に入るよりも先に床下を覗く。
 こちらを見ているれいむと目が合った。
 まだ、戻ってきていない。
 どうすんだよ。
 飼ってる訳じゃねぇし。
 片親が死ぬなんざ、よくある話だろ。
 そんで残った方も死んじまうったってしょうがないさ、餌が無いんだから。

 ……ああ、しょうがねえよなぁ。

 荷物を玄関に投げ捨てると、俺はそのまま適当に走り出した。
 ゆっくりの餌場なんざ知る訳が無い。
 だから、手当たり次第に走る。
 それしかできない。
 だが、明かりを持ってこなかった俺は、日が沈みはじめ、辺りが暗闇に包まれだした時点で戻る事しかできなかった。
 れみりゃ程度ならどうでもいいが、妖怪や野犬の群れに襲われたら俺の方が危ない。
 家に戻った時にはもう完全に日は落ち、床下を覗いてもはっきりとは見えない。
 しかし、何の声もしない時点で結果は明白だ。
 俺とすれ違いで帰ってくるなんて、世の中そんなに上手い話が早々あるはずが無い。
 俺だって探したんだ。
 仕方、ねぇだろ。
 今日何度目だろうか。
 自分でも分かる、明らかに力の篭っていない声が漏れた。
 そのまま部屋に戻ると床板を上げる。
 れいむと目が合う。
 俺は何も言わずにれいむをそっと抱き上げた。
 頭の上の蔦は多少細くなっているが、まだ大丈夫そうだ。
 だが、こいつはそれ以上に痩せて乾いている。
 とりあえずあの部屋には置いておけないので、隣の部屋に移り座布団の上にそっとおろしてやる。
「……この部屋だけなら使わせてやるよ。戸締りも出来るから安全だし、飯も仕事ある日は朝と夜だけになっちまうけど俺がちゃんと食わせてやるし、な?」
「う……う、う、う゛…………い゛や゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!!!!!!!!!」
 俺のその言葉で、ようやく現実を受けいれざるを得なくなったのだろう、れいむが泣き出した。
 居なくなった日も、その次の日も、昨日も、今まで一度も泣かなかった分全てが一気にあふれ出たように泣き続ける。
「どうじで!? なんでまりざがぞんなひどいめにあうの!?
 ちゃんとやぐぞぐだっでまもっで、まりざ、やざじぐで、がじごぐで!!
 ぜっがぐ、れいむどあがぢゃん、やだ、そんなのやだ!!!
 おじざんどうじで!? みんななんにもわるいごどじでないのに!!!
 はじめでの、あがぢゃん、まだみでないのに!!!!
 なんで!? どうじで!? おじざん、れいむこんなのやだよお゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛!!!!!!!!!」
 悲壮で、あんまりにも悲痛だ。
 犬猫やら鳥だのだって家族を亡くした時にそういう行動をする事はあるが、なまじっか人語なだけに余計強烈だ。
 畜生、何だよ、俺が悪いのか。
 ハナっから俺が家に上げてやりゃ良かったってのかよ。
 ひたすらに責められているような気がして、俺はその部屋を飛び出して自分の部屋に戻るなり酒を煽った。
 今更飯を食う気にもなれねぇし、のんびり風呂に入る気にもならねぇ。
 耳をふさごうがどこに居ようが、この声が聞こえない場所はこの家には無いだろう。
 なにより、胸糞悪さで今日は素面ではいられそうもなかったのだ。

「……おじさん! おじさん、おきてね!!!」
 それからどれほど経ったのだろうか。
 酒を散々煽りようやくうとうとし始めた俺は、れいむの切羽詰った声に意識を呼び戻された。
 泣きつかれたら腹でも減ったのだろうかと、どこか刺々しい感情で思う。
 襖を開けると、あれからどれだけ泣いたのだろうか、顔はふやけ、座布団からも滴るほどの涙を流したれいむがそこに居た。
「おじさん、そこのまどをあけてね! おねがいだからはやくあけてよね!!!」
 一体こんな時間になんだって言うんだ。
 いっそれみりゃに食ってもらいたいとかそういうんじゃねぇだろうな。
 別に開けるくらいいいけどよ、と、開け放った外には夜の闇が広がっている。
 時計を見ると時間はちょうど日付が変わったところだ。
「まりさーーーーーっ!!! ま・り・さあああ あ あ あ あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」
 突然。
 れいむが大声を上げた。
 先ほどの泣き声よりも、大きかったかもしれない。
 頭の蔓がびりびりと震えて落ちそうになるほどの、体全体で発する声。
「おい、止めろ、せっかくの子供まで落ちちまうぞ!」
 食事もずっと取らず、先ほどまでひたすら泣いていたこの生き物の、どこからこれだけの力がやってくるのだろう。
 急速に酔いが醒めていく心のどこかでそんな場違いな事を思いつつ、慌てて静止するがれいむは叫ぶのをやめようとしない。
 こいつなりの、別れの儀式のつもりだろうか。
 それとも、こいつは何かを感じているのだろうか。
 俺には何も見えない。 何も聞こえない。 何も、分からない。
 れいむはひたすら叫び続ける。
 俺は止める事を諦め、ただれいむと外とを見つめ続ける。
「まりさー! まりさ!! まーりーさーーーーー!!!」 
 その時だ。
 れいむの声質が変わる。
 叫びから、呼びかけへと。
 そして、俺の目にも。
 暗闇の中、ぼんやりと動く何か。
 れいむの声に押されるようにして俺は走り出す。
 近づいていくにつれて少しずつ浮かび上がる、白いリボンを巻いた黒の帽子のシルエット。
 泥やらなにやらでぐちゃぐちゃに汚れ、さらに濡れたせいか三角の形も保っておらず所々破れているが、まりさ種の帽子に間違いない。
 生きていたのか。
 ……生きていてくれたのか!
 だが、その動きは普段の大きく跳ねるものではなく、ずるずると、地べたを這いずる弱々しい動きだ。
「よーしよしよし、よく帰ってきたなぁ!」
 思わず俺の声も弾む。
 だが、近づくにつれ判別できてくる様子を見て俺は息を呑んだ。
 なんだこりゃあ。
 まりさの全身は何かに引きちぎられたような傷だらけになっていた。
 そのうちいくつかの場所は、はっきりと中身が露出してしまっている。
 その中身の餡子も雨に濡れたのかどろどろになり、こうしている間にもじわじわと流れ出ていく。
 這いずるようにして戻ってきたためか底も石と傷だらけで、その様子は皮というよりはまるで石畳のようだ。
 ……ああ、でも。
 そうまでして、それでも帰ってきたかったのか。 
 ……そうだな、家族がいるからな。
 ここには、お前の帰る場所があるものな。
「れぇむ、あかちゃん、まりさ、もうすぐ、かえるからね…………」
 もういい、喋るな。
 動かなくてもいいよ。
 俺が連れて行ってやるから。
 連れて帰ってやるからな。
 俺は上着を脱ぐと、これ以上動かして負担をかけぬように、その中に包み込むようにしてまりさを抱きかかえる。
 家に飛び込むと、座布団を並べて重ねた隙間に顔を下にして置く。
 邪魔だから帽子も取りたいのだが、なんか頭の飾りはあんまり取っちゃいかんとかだったか、面倒な話だ。
 苦しいかも知らんが、顔が一番損傷が少ないから我慢してくれ。
 動けないれいむが何かを聞いてくるが、済まんけど後だ後。
 石を取るか傷を塞ぐかで迷うが、石の部分はとりあえずは固まっている。
 塞ぐのが先だ。
 台所に駆け込み、小麦粉を練り始める。
 まりさ種は大福だとか言う話を聞いた覚えはあるが、そうだとしてももち米をのんびりやってる暇は無い。
 取り合えず餡子が流れるのを止めるのが先だ。
 逸る気持ちを抑えてしっかりと小麦粉を練り上げると、それを急いでまりさの傷の上に貼り付けていく。
 目立つ大きな傷を粗方埋め終えると、次は石の除去だ。
 一応大工をやってる身だ、細かい事や手先の感覚やらには自信がある。 
 箸と細い鑿を使い、丁寧に、できるだけ素早く石を取り、また小麦粉で埋めていく。
 石に触れるたびに痛むのか「ゆっ、ゆ……」と僅かにうめくが、それも弱々しいものだ。
 そして全ての傷を埋め終わると、湯で温めた布巾をよく絞り、包帯代わりに巻きつけてやる。
 全ての作業が終わったのは、夏の太陽が空を白く染め始めた頃だった。
 そこまで終えてから、ようやく俺はれいむをまりさの所へ連れて行ってやった。
 布でぐるぐる巻きのまりさを見たれいむは、最初はそのあまりにひどい様子に絶句したもののとりあえず生きていた喜びに涙した。
 だが、俺が傷の状況を伝えると、今度は悲しみに涙する。
 やはり、無駄にしぶといらしいゆっくりでもアレは相当酷い状態らしい。
 とりあえずまた泣き続けるれいむを宥め、砂糖水でいいから飲ませてあげて欲しいと言うのでその通りにしてやった。
 僅かではあるが、飲んでくれただけの事に俺はやけにほっとした。

 それかられいむは、自分がこのまま見ていると言ったが、子供に障るといけないとなんとか説き伏せた。
 自分の空腹に、れいむにも食事を与えていない事を思い出し、ふやかした煎餅と砂糖水を与えたが、疲労からかれいむはそれを食べきる前に眠ってしまった。
 自分の部屋に戻った俺は、朝焼けの空を見ながら適当な菓子を摘む。
 酒に焼けた胃が痛い。
 仕事はあるだろうが、ろくに眠れていないこの状態ではまともに働けそうもない。
 棟梁になんと言って休みをもらおうか。
 襖に寄りかかりながら、れいむと同じように俺は眠りに落ちていった。



「……じさん、おじさん……!」
 誰かから呼ばれている。
 誰だよ。
 俺はまだ20代だってのにおじさんはねぇだろ。
 それに俺はゆっくりの所為で徹夜しちまってまだ眠いんだよ。
 ……………………ん?
 ゆっくり? そういや仕事は?
 そこまで思い浮かべて唐突に覚醒する。
 仕事! ゆっくり! 棟梁!! 
 目覚めて見る風景はもう夕暮れだ。
 仕事は……まずいな。
 とっくに今日の分は終わっているだろう。
 もうどうしようもない。
 そっちは後で何とかするとして、とりあえずはゆっくりだ。
 俺を叩き起こした張本人はまだ俺の名前を呼び続けている。
「あんまり騒ぐんじゃねぇよ、まりさがゆっくりできないだろ」
 ゆっくりと違って分別ある俺は、一応声を潜めて注意しながらそっと部屋に入る。
「おそいよおじさん! れいむおなかへったからずっとよんでたのに!!」
 ……あ、そ。
 今朝のアレはなんだったんだ、一体。
 喉元過ぎればとかいう短絡的な頭の出来なのか、こいつらは。 
 ……それはいい、まりさだまりさ。
 包帯団子のような有様(やったのは俺だけどよ)のまりさを見てみる。
 まだ意識を取り戻してはいないようだ。
 今朝の状態とまったく変わらぬまま静かに眼を閉じている。
 本気でぴくりとも動いていない。
 気になってそっと触ってみる。
 心臓の鼓動が伝わってこない。
 そっか。
 そりゃ動かなくてもしょうがないな。

 ………………おい、待てよ。

 待て待て待て待て。
 せっかく連れて帰ってきたってのにあっけなく終わりかよ。
 いや、それよりもだ、この事を隣のれいむに知られたらまたまずい事になるぞ。
 どうする、どうしようか。
 とりあえず傷の治療とか言って持ち出して捨てるか?
 それとも別の部屋に分けてだな、忘れるまで待ってみるとか。
 いやいや、いっそ2匹仲良くしてもらうためにだな、れいむの方も殺っちまうか!?
 どんどん危ない思考にはまり込んで行く俺。

 ……ん? 
 そういやこいつらって心臓あんのか??
 餡子だのしか入ってない生き物?に心臓???
 ??????????
 そうだ、ちょうどいい所に見本があるじゃないか。
 隣のれいむをちょっと観察。
 ん、無視して飯持ってこないからかなんか膨れてるな。
 これで一応怒ってるつもりなんだろうか。
 おもむろにその膨れた頬に触ってみる。
 …………そのままじっとする事しばし。
 まるきり反応無し。
 うん、人間だったら死んでるな。
 と言う事は別に心音が無くても大丈夫って事か。 
 れいむに念のために聞いてみる。
「あのよ、聞きたいんだがお前ら体の中に心臓とかってあんのか?」
「ゆ? しんぞうってなに? おじさんしらないの? れいむのなかみはぜーんぶおいしいあんこだよ!」
 …………へー。
 そうなんだ。
 いや、餡子が入ってるのは知ってたがな。
 ほー。
 ……待て、なんかそれっておかしく、いや、やめよう。
 そもそも餡子しか入ってないくせに人語を解し、あまつさえ頭から蔦が生えて増えるような非常識な生き物?なんだ。
 まじめに考えるだけ馬鹿馬鹿しいだろ。
 それによく見てみると生きている証か、かすかに、非常にゆっくりと膨らんだり縮んだりしている。
 ……呼吸、だよな。
 心臓は無いし餡子だけなのに呼吸はする……だから止めだって、考えるのは止めると決めた所だろ。
 とりあえず飯だ、飯。
 こいつも俺も腹が減った。
 そんで、それからまたまりさの手当てをしてやろう。
 それから、とりあえずは棟梁に謝って…………これが一番の難題だな。さて、どうするか。
 考えすぎだか寝不足だかで、まだどこかぼーっとしている頭の中で俺はこれからの予定を考えてみた。

 しまった。
 そんな矢先、いきなり壁にぶち当たった。
 予定では、今日の帰りにでも食材を買いに行くつもりだったが、生憎寝ちまったので何も無い。
 しょうがないので干物や漬物などで我慢だ。
 れいむはまた菓子類、まりさには砂糖水で我慢してもらおう。
 れいむは動くたびに蔦が揺れるのが危なっかしいので、直に口の中に入れてやる。
 まりさの方はまだ意識は無いようだが、砂糖水をゆっくりと口元に注いでやると少しずつ減っていく。
 昨日は飲んでいるのだと思ったが、よくよく考えると飲んでいるのか皮にしみこんでいるのか判らんな、これは。
 だが、れいむは特に何も言わず、むしろ感謝の意を示しているのでこれでいいのだろう。
 ゆっくりと時間をかけて今日最初にしていきなり最後のマトモな食事を済ませる。
 はぁ、なんかすっきりしないぜ。
 れいむの方はとりあえずの空腹が癒されたので満足したらしく、やたらつやつやしている。
 回復早いな、こいつ。
 まりさは……今の状態だとよく判らんな。
 そして、食器の片付けついでにまた小麦粉やらタオルを持ってくる。
 昨日巻いた布ごと皮がはがれないように、一旦濡らしたタオルを当てた後慎重に剥がしていく。
 剥がし終わった後に出てきたのは、やっぱり傷だらけの大福。
 小麦粉も、大半が乾いててぼろぼろ崩れ落ちていったが、端の方はなじんでいるのかくっついたままだ。
 ……これならなんとかなるかもしれねぇな。
 傷がくっつくって事は、まだ治しにかかるだけの体力やら生命力があるってことだ。
 治療に役立つ事が他に何かあるかと聞くと、餡子があれば大丈夫だとさ。
 ……饅頭が餡子をとか、いいのかそれは……よし、考えるのは止めだよな、俺。

 一応の手当てを終え、まりさの状態が大丈夫そうなのを確認すると、俺は出かける用意を始めた。
「お、おじさんどこいくの!? れいむたちをおいてかないでね!!」
 普段なら引き止めるどころか、これ見よがしに出て行けだの自分の家だの言うのだろうが、さすがにこの状況では俺が命綱だと言うことは理解しているらしい。
 放置されれば死ぬしかないれいむが慌てて俺を呼び止める。
「大丈夫だって。お前達の面倒見れるようにするためにやらなきゃならん事を片付けてくるだけだ」
 俺は適当に答えて目的地に向かうことにした。
 とは言うものの、置いていくつもりは無いのだが、帰ってこれなくはなるかもしれん。
 ……さて、棟梁になんて言い訳すりゃしようか。
 殴り倒されるくらいは覚悟してるが、動けるくらいで済めばいいんだが。
 結局そんな事ばっかでマトモな言い訳も思いつかぬままに、俺は棟梁の家に着いてしまった。
 ……さてどうしたもんか。
 家に通されたはいいが、正直何も思いつかなかった。
 親父が死ぬ前から面倒を見てもらっている相手だ、今も昔も頭が上がらん通り越して恐怖の対象だぜ。

 ……結論だけ言おう。
 休みは10日ほどもらえた。
 事情は言えないが休みをくれと正面突破を図ったらば、散々説教と鉄拳の嵐を浴びせられて倒れた所に次は蹴りの嵐。
 それで腕を痛めたと見るや、腕を怪我するようなヘボは治るまで来るんじゃねぇだとさ。
 幾らまだ現場組だからって、あのジジィどんだけ元気なんだよ。
 だが、過程はどうあれ理由も聞かずに休みをくれたことは感謝だ。


 こうして、俺とゆっくり達との本格的な同居生活が始まった。




                                 続く

                                 作・話の長い人




  • ジジィかっこよすぎるだろ・・・jk -- 名無しさん (2009-03-10 09:03:23)
  • なぜか棟梁の愛を感じた -- 名無しさん (2010-06-08 23:27:07)
  • これだから体育会系はいやなんだ・・・ -- 名無しさん (2010-11-28 02:10:45)
  • ゆっくりは結構かわいいのに棟梁だけうざい -- 名無しさん (2011-09-02 00:58:21)
  • 棟梁いい人すぎる -- 名無しさん (2011-09-16 23:46:14)
  • そりゃ理由も言わなかったからしょうがない。他のやつに示しつかないし理由作るしかないじゃない -- 名無しさん (2012-02-28 20:07:43)
  • じーさんテライケメン -- 名無しさん (2012-12-12 17:45:19)
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最終更新:2012年12月12日 17:45