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白狐と青年 第49話「接敵 (上)」」(2012/03/17 (土) 16:21:12) の最新版変更点

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&sizex(3){[[Top>トップページ]] > [[【シェア】みんなで世界を創るスレ【クロス】]] > [[異形世界・「白狐と青年」>白狐と青年]] > 第49話} *「接敵 (上)」             ●  庁舎内で状況を見守っていた通光は、庁舎一階部分に侵入者が現れたのを確認した。 「指揮役の者もやられたか。残りは私が直々に操るしか――」  言いかけ、通光は口許を歪めた。 「手早いな、流石だ」 「通光様?」 「朝川、侵入者だ。庁舎一階に防衛用に残しておいた異形はほぼ全滅だな」  表情の変化に気付いた朝川が訊ねるのへどこか楽しげに返して、通光は腕に装着された魔装を起動させた。  魔装を通して庁舎地下に配置した異形から一階の情報を取得する。 「ああ、庁舎は既に武装隊に囲まれているな。特攻をかけてきた者がいるのかと思えば、意外に堅実に盛り返してきている。これは驚いた」 「どうやら平賀が既に手を打っていたようで、各地の異形侵攻に対しても防衛は機能しているようです」 「あの男は祟るな」  通光は庁舎が震動するのを感じた。 「本格的に侵入してきた者がいる」  目を細め、通光は魔装を通して侵入者を視た。 「坂上匠、安倍明日名、それに子狐と信太主か」 「平賀の手の者達ですね」 「どうやら平賀を捕らえる事はできなかったようだな」  まあ分かっていた事だと思い、通光は視線を転じた。 「彼等の狙いは議員と……気付いているのならば地下も、だな」  転じた視線の先には一塊にして拘束してある議員達の姿がある。猿轡を噛まされて声も出せない彼等は、それでも目線で何かを訴えかけてきている。通光はそれらを黙殺して、彼らを眠らせておくように朝川に指示する。。 「あれでも生きているのと生きていないのとでは事件が終わった後、全体的に混乱した大阪圏の復旧速度が違う」  人質を取るという作戦は通じまい。平賀は逃げる時に議員を幾人か引き連れて逃走している。それだけでも混乱を鎮めるには平賀本人を含めれば十分な人材がそろっているであろうし、平賀や武装隊の上は、この状況で多少の犠牲が出るとしても、それで躊躇はしまい。通光に時間を与える事の危険性は承知している筈だ。  ……あるいはこちらのそのような思考を読んでの侵入でもあろうが……。 「通光様、いっそ異形擁護派の者だけでもこちらの手で処理しておきましょうか?」  朝川の言葉に通光はかぶりを振った。 「いや、彼等も彼等で、京のような異形と友好的な自治都市と繋がりがある者が多い。安易に殺してしまうわけにはいかん」  苦笑し、 「私たちが仮にこの乱に成功すれば、彼等の名を借りて実験への介入を送らせるように手を回さねばならんのだからな」  既に負け戦の様相を呈し始めているなかで何を言うのかと思うが、朝川は無表情に文句一つ言っては来ない。  文明崩壊以降、通光が延命させているこの機械化人はこれだからありがたい。  だから、と通光は労うように朝川に言った。 「朝川、長い事付き合せたが、そろそろ死に場所をやろう。念願の戦での死だ」 「ありがたいことです」  口もとだけを笑みの形にした朝川に通光は命令を下した。 「地下の方へ行ってもらいたい。可能ならば施設を守れ。生きのこったのなら私のもとへと戻ってくればいい」 「通光様の護衛の方はよろしいので?」 「ああ、まだ異形化した人間も数が残っているし、彼等を操るための魔装もある。それに、まあ奥の手もあるにはある」  そう言って通光は少し愉快そうに手元の情報端末にデータを呼び出した。             ●  庁舎付近の異形を全滅させた匠達は、正面入り口から庁舎一階へと侵入していた。  受付フロアには異形や人の死体が転がっている。匠はクズハと明日名とキッコに確認して通信機を取り出した。通信機は武装隊と共に庁舎の外で周囲の警戒を行っている平賀と彰彦だ。 「彰彦、一階に侵入した。とりあえず生きてる奴の気配は今のところ……ない」 『だとしたら敵さんは全員上に集まってんのかな?』 「もしかしたらもう全戦力を放出した後かもしれないな」  そう言いながら、匠はクズハにちらと目を向けた。彼女は死体に小さく手を合わせている。どうやら気分を悪くしているような事はないようだと思っていると、クズハの背後に付いていたキッコがいちいち気にするなと言うように手をぞんざいに振った。  それに苦笑気味に頷いて、匠は話を続けた。 「とりあえず、上に行ってみようと思う。地下についてはまた後でも調べる事ができるだろう」 『ああ、気を付けろよ。……武装隊もけっこう集まってきた。あんまり数は回せねえらしいけど、いくらか武装隊をそっちに回すか?』  いつの間にか武装隊の人事に干渉できる位置に彰彦はいるらしい。  武装隊と太いパイプを持っているらしい友人に感心しつつ、匠は断りの言葉を返した。 「いや、通光と会う事になればクズハやお前が絡んだ実験についても触れる事になる。人に化けた異形じゃなく、正真正銘の人間を殺していたと知った武装隊連中の士気が下がるような事態は避けたい」 『あー、そういや知らない奴もいるんだよな。異形は殺れても人は……ってのもいるしな』 「むしろそっちの方が多数派だ」  特に第二次掃討作戦以降に武装隊に入隊した者達はほとんどがそうだろう。異形に人が操られて戦う羽目になるという事態も、異形と人が組んで戦争を吹っかけて来るような事もめっきり減った。平和でけっこうな事だと思う。  ……だが今はそれじゃだめだ。  だから今は知らない者達にも知らないまま戦ってもらう。全てが終わったら平賀あたりが異形化した人間について何かしら言及するのだろうが、その時には自分に都合の言いように状況を利用しつつ、精神的なフォローも行ってくれるだろう。  これを機に異形と人を分けて考えるのをやめろなどと言えば、異形擁護派は一時失っていた発言力を回復させる事にもなろう。  ……たぬきだな。  たくましいのはいい事だろう。匠はエレベーターを確認した。呼び出しボタンを押しても何の反応も示さない。電源も、≪魔装≫による動力も生きてはいないらしい。  ……まあ危なっかしくて元から使う気はなかったが……。  階段は見つけてある。庁舎から脱出してきた議員の話によれば、庁舎一階にある階段はこの一つだけという事らしい。通光側も侵入者がこの階段を使ってくる事は分かっているだろう。何かの罠がしかけられていてもおかしくはない。  ……じいさんは飛び下りたから階段に何か仕掛けてあっても知らんと言ってたしなぁ。  用心していこうと階段に足を向ける。そこに鋭い声が飛んできた。 「匠さん!」  同時に、匠は自身の横合いから突然気配が現れるのを感じた。  ――異形!  体を向けると、赤茶けた剛毛をした人間大の猿のようなものが、鋭い爪がついた腕を振り下ろそうとしている姿が正面にあった。  猿は口を開き、獣の雄叫びではなく、人語の呪詛を放った。 「死ねぇ!」  腕が下ろされる。  その速度より早く、匠は足を開いて姿勢を低くし、墓標を床面すれすれで水平に振り抜いた。  脚を払われた猿は体勢を崩し、振り下ろしていた腕は匠の体を大きく外れて床を引っ掻いた。  猿が体勢を整える前に、匠は身を起して墓標の先端に延長する形で円錐状の≪魔素≫の穂先を生み、猿の頭に突き刺した。  頭蓋を貫く手応えを得た匠は、即座に≪魔素≫で作られた穂先部分を砕いて一歩退き、痙攣する体から振るわれた最期の一撃を回避し、横振りの殴打で確実に猿の頭部を破壊する。  猿が完全に動かなくなったのを確認して呟く。 「異形化した人間、人の言葉を話してたな」 「我のような者とは違うの。この感じ、人に異形の一部を取り付けた者の一人だろうて」 「ということは、彼は指揮役の一人かな」  キッコと明日名がそれぞれ所見を述べる。何にせよ、通光はまだいくらかの手勢を手元に置いてあるという事だ。警戒は怠るべきではない。  匠は改めて周囲に目を配る。 「しかし、さっきまで気配はなかったはずなんだが……」  何者かの気配を匠が見逃していたとしても、感覚が匠よりも鋭いキッコやクズハが注意をくれるはずだ。  その二人からもギリギリまで注意は来なかった。 「どこから……」  疑問に、クズハが猿を撃つために組んでいた魔法陣を崩しながらフロアの一隅を指さした。 「あそこです」  クズハが指さした先には破壊されて床に打ち捨てられた扉が転がっていた。  その通路に匠は見覚えがあった。 「あそこは……地下への通路に繋がってた扉だな」  以前クズハを連れ出す時に通った通路だ。明日名達がそちらの方を窺っていると、通信機から彰彦の声がした。 『おい、なんか大きな音がしたぞ、どうした?』 「異形化した人間がひそんでいた。知能の残ってる奴だ。どうやら地下の方にまだ戦力が残っているらしい」  言うと、少しの間を置いて彰彦が言ってきた。 『平賀のじいさんからだ。「地下の調査も急いだ方がいい」って事らしい』 「簡単に言ってくれるな」  ため息をついて、匠は苦笑いを浮かべた。しかし調べないわけにはいかないだろう。  通光がこの庁舎の地下部分にどれだけの戦力を温存しているかによって、外で待機している武装隊の人数をより増やさなければいけないかもしれないし、人数によっては上階に行く匠達の命にもかかわりかねない。  ……一方向からならともかく、階段の途中で挟み撃ちにでもされたらしゃれにならん。 「地下は元々何に使われていたんだ? 俺が前に侵入した時にはじいさんのとこ並みの研究施設っぽく見えたんだが」 『議員や警備してた奴の話だと元々は製薬会社の研究用の施設だったんだが、第一次掃討作戦の時に庁舎としてこの建物を扱う事になってからはほったらかしだったんだとさ。入り口もつい最近までは封印されてたみたいだぜ? 通光が何かのスペースとして使えるかもしれないっつって独自に手を入れるまでは、な』 「通光が直接か……」  既にその施設が実際の使用に耐えうるものである事は確認している。これはもう確実に地下には何かがあるだろうと匠は判断した。 「上の議員や通光も気になるが、こっちも怪しいな」 『もしかしたらそっちの方が直接的には危険かもしれねえな』  地下に保有されている戦力の規模次第ではその通りかもしれない。 先に地下を調べておく方が賢明だと思うが、通光に対して時間を稼がせるのも危険な気がする。  ……もしくはこのタイミングで地下を調べさせて時間を稼ぐ事こそが通光の目的かもしれない、か。  どうしたものかと考えていると、キッコが声をかけてきた。 「匠よ、ここは時間をかけぬよう、二手に分かれてしまおうか。あまり上の通光に時間をやりたくはないのだろう?」 「二手か」  ただでさえ少ない戦力をここで二分するのはどうかとも思うが、時間がないのもまた確かだ。 「そうだね、キッコが行くと上階で囚われている議員達は警戒してくるかもしれない。地下に研究施設があるのなら、研究系に詳しい俺が付いていって確実に破壊する必要もあるだろう。俺たちが下に行くよ」 「そうさな」 「キッコさん、明日名さん……」 「心配するなクズハよ、我らは大丈夫。むしろクズハの方が心配ぞ」  ≪魔素≫と尾を露わにして、キッコは通路を見据えた。 「先に行っておれ、すぐに潰して追いつこう。匠、クズハを守れよ?」 「ああ、それは俺も頼んでおきたいな」  明日名が同調する。それらに匠は頷いた。 「そっちもやばかったら武装隊を呼べよ? 彰彦なら異形に理解のある武装隊を見つくろってくれる」 「分かっているよ」 「何を、必要ない」  二人はそれぞれに応えて、通路の奥へと進んで行った。             ●  地下へと足を踏み入れた明日名は、符を複数枚取り出した。  ≪魔素≫を込めると狐型の式が現れる。キッコ謹製の式だ。安倍の本家でもこれほどの量と質を備えた式を生み出せる者はそうはいまい。大きな力を持つキッコだからこそ生み出せる式達だ。  狐の群れを捜索の為に地下へと放ち、明日名自身も周囲を見回した。  ……たしかに、平賀も研究所並みの機材が揃っている。  庁舎は元々製薬会社であったため、以前からこの手の機材はあったのだろうとも思うが、軽く見回し、また狐たちから術を通じて送られてくる情報を検分した限りでは、ここにある機材には≪魔素≫を計測する為の機材が多いようだ。  以前からあった機材の使いまわしでは無く、通光がそろえたものだろう。  ……これらの機材、やっぱり俺がクズハの治療を彼等に頼んだ時に見せてもらったものに系列が似ている。  そう思っていると、放った狐の一匹から報告が来た。その内容に明日名は眉を上げる。 「――これは」  思わず声を漏らした明日名に、何者かの影がないかと構えていたキッコが訊ねた。 「何かあったのかの? ここは妙に血の臭いが濃いが……」 「うん、放った式が見つけたよ。更に地下に進む道だ」  明日名は式を自分のもとへと呼び戻し、その内の一匹に頼む。 「案内してくれ」  狐は尾を一振りすると、明日名とキッコを案内するようにゆっくりと歩き始めた。  案内されながらキッコは徐々に顔を不快げに歪める。 「薬品の臭いに、それにこの臭いは屍肉だの……どんどん濃くなっておるわ。あの二人を先に上にやって正解だったの」 「そんなにかい? 俺は何も感じないけど」 「ああ、扉か何かで蓋をしておるのだろう、ひどいものよ。進めば進む程ひどくなる。これは、地下はロクなものではなかろう」  狐が案内する先には開け放たれた厚い扉があった。そこを抜けた瞬間、明日名は暗闇の中に、自分でも感じられる、まるで重みでも持っているかのような異臭に総毛立った。 「この臭いは……?」  あまりの臭気にせり上がってきた吐き気を押し殺す明日名の前に割り込むようにキッコが踏み込んできた。 「油断するな」  言うなり、彼女はいつの間にか出現させていた尾を勢いよく動かした。  金毛に覆われた尾が横薙ぎに振るわれる。その軌道に合わせて朱色の炎が走って絶叫が響き、何かが燃え落ちる音と新たな種類の臭いがきた。 「これはまた大層な数よ」  キッコは口から青白い狐火を放った。狐火は宙に浮いて、パキッと軽い音を立てて地下を淡く照らし出した。 「ふん、悪趣味だの」  照らされた景色の中、正面には今まさに炭に成りつつある異形らしきものの残骸があった。いつの間にか接近されていたらしい。 「すまない、キッコ」 「よい、それよりも周りを見てみい」  キッコの言う通りに明日名は地下空間に目をやって息を呑んだ。  どうやらこの空間は製薬会社が使っていた地下施設を更に拡張したもののようだった。打ちっぱなしのコンクリートに魔法陣を刻んで補強を行っている。  空間内には所狭しと実験器具や大型のカプセルが置いてあるが、それらの大半は既に破壊されている。  乱雑な壊し方から窺うに、どうやら異形の手による破壊らしい。幾つかの破壊されていないカプセルの中には形状が崩れかかった異形や人間の姿が見えた。それらのものが並ぶ中で何より目を引いたのは、地下空間の奥だった。そこにはおびただしい数の異形がひしめいていた。  彼等は狐火に照らされる中で、何かを食っていた。  そちらを見ていたキッコが舌打ちして≪魔素≫を集中させ、 「これは武装隊を呼んでくるわけにはいかんの」  火球を撃ち込んだ。  放たれた熱の塊に気付いた異形が避けようと動き、幾匹かが回避が間に合わずに、彼等が食っていたものごと燃え上がった。  明日名は式を放ち、更に符を構えて異形の動きを目で追った。  四方に放った異形達は食らっていたものをその手や口に未練たらしく保持している。明日名達に向かってくる異形を牽制しに回った式から彼等が何を食っていたのかの情報が送られ、明日名はおぞましさに顔を歪めた。 「奴ら、人を食ってるのか……!」 「それだけではない」  キッコは接近してきた異形の頭部を掴み、強引に別の異形に放り投げた。 「異形の屍肉を喰ろうておる。悪食、食屍鬼め」  投げられた異形が別の異形に衝突し、そこに炎が叩き込まれる。  断末魔を残して焼失していく異形。その叫びに割り込むように明日名は声を張り上げた。 「キッコ!」 「どうした!」 「地下道があった! たぶん旧下水道だ! 行政区内に現れた異形はここから旧下水を通って現れたんだ!」 「ではここも異形と人と使った実験の現場だという事だの」 「だとしたらここの奴らは通光の用意した戦力か?!」 「だろうの、こ奴らの式には一定の方式がある事は和泉の時に分かっておる。それ用の魔装なり能力を持った者がどこかにおるのか、あるいは既に滅されたか――」  キッコはああ、と金瞳を威嚇的に細めた。 「そこにおったか、機械人形め」 「え?」  キッコの視線の先を追うと、地下空間にある壁の一隅が開いて中から人影が一つ現れた。 「朝川か」  朝川は二人に頷きかけた。 「お前達が相手か。これはまた面白い巡り合わせだ」  彼はそう言うと、機械製の腕の先端を向けた。             ●  向けられた腕の先から化薬の臭いをかぎとって、キッコは咄嗟に尾を振った。  ≪魔素≫で物理的な干渉能力を付与された炎が金尾を包み、朝川が放った銃弾を払い溶かす。  その傍で符を宙に浮かべて身を守っていた明日名が朝川へと問いを投げる。 「ここは何だ?」  確認のための問いだ。キッコ自身としては答えはもう知れた事なのでさっさと朝川を潰しに動きたくもあったが、明日名は符に隠した手の内で通信機を起動させている。こちらの状況を彰彦達に伝えようという事なのだろう。この場は明日名に任せようとキッコは思う。  朝川は狙いを明日名に絞るように両手を明日名に向けながら答えた。 「気付いているだろう? 自身の妹が供されたのと同じ、人体実験のための実験場だ」  再び銃撃が放たれた。今度放たれたのは≪魔素≫製の弾丸。弾丸を受け止める盾になっている符が、込められた≪魔素≫を急速に失って次々に地面に落ちていく。 「……っく!」  明日名が反撃に向かわせた狐達は周囲にいる異形化した人間達に足止めされている。追加で符を撒いて防御力を上げている明日名だが、これではじり貧だろう。 「やれやれ」  キッコは符に先回る形で火球を宙に置いて銃弾を受ける役を肩代わりした。 「すまないキッコ」 「話を続けよ。式共もこの数の異形相手では長くは保たんぞ」  明日名は頷いて問答を続けた。 「行政区内に異形達を放ったのはここから旧下水道を通してだな?」 「外に対して守りを固めるばかりで内には甘かったからな、手も出しやすかった」  朝川はそう言って両腕を振った。  その動作一つで衣服の内側にたまっていた弾の俳莢がまとめてなされ、次いで服の袖が破れて機械製の腕部が露出した。その手には淡い光を帯びた魔装がある。通光が異形を操る時に使っていたと議員の一人が証言していたものと特徴が似ていた。周囲の異形化した人間達を操っているのはあれだろうと見当をつけ、キッコは訊ねた。 「それが知恵無し共を操る代物だの?」 「和泉の時には特殊な機構を持つ異形の喉を移植しなければできなかった事が、今ではこの魔装で行える。大した成長ぶりだろう?」  ふん、と鼻で息をつき、キッコは掌中に火を生んだ。 「明日名、カプセルで眠っておるのも、周りで騒いでおるのも、まとめて潰すぞ? よいな?」  明日名は通信機を切って符を束で構えた。 「頼むよ」 「仮にも妹を延命させた技術を忌むのか?」 「ああ、お前達は人も異形も破壊して貶めているだけだ」 「破壊か、研究が進めば実験参加者の全てが意思を残す事も可能になるそうだが」 「そうなるまでにどれだけの死体を積み上げる気だ」 「さてな、全てやってみなければ分からん。私は研究には疎い」  そっけなく朝川は続ける。 「しかし、人が進化する為の犠牲であればそれらも救われるだろうと、そう通光様は言っておられた」 「これだけの惨状を作っておいてそれを言うのか」 「強ければ勝ち生きて、弱い者を好きにしていい。分かりやすいだろう。これが真理だ。異形が現れてからはそれがまた顕著になっている」 「好き勝手されぬよう、我等は群れて身を守ろうとするのだの。そして、害そうとする者に牙を剥くのだ。お前達が何と理屈をこねようと、ここの一切を焼く尽くす事にかわりはない」  キッコの言葉を受けて朝川は首を左右に振った。 「少なくとも、今ここで戦力を潰されるのは兵器としての私が許容できないのでな、お前達も裏に表にと動いていい加減疲れただろう。そろそろ楽にしてやろう」 「ふん、機械人形、古い異物にやられるものか」  キッコは周囲に展開していた炎の勢いを上げた。  明日名のいる辺りが炎の壁で隠され、次の瞬間には明日名の姿は消えていた。旧下水道への道を潰しに行ったのだろう。明日名の動きに朝川が気付いていても臨戦態勢に入ったキッコから目を逸らすわけにはいかない。仮に注意を逸らすような事があれば一息に焼いてしまおうと思うキッコの前で、朝川は腕の魔装を操作した。その動きに応じるようにして、キッコを遠巻きに威嚇していた異形化した人間達がキッコから離れて行った。明日名の追跡に移ったのだろう。  ……まあ、後は一人でなんとかするだろうて。  キッコは自分の敵に集中する事にして、手の中の炎を大きく育てる。 「より古い時代の獣には負けん」  言葉と共に朝川の衣服がはじけ飛んだ。皮下の機械部分が完全に露出する。  硬質な全身を晒して、朝川は攻めの一歩を踏みこんできた。             ●  唐突に切れた明日名からの通信の最後に聞こえた切迫した様子に、彰彦は通信機を握りしめて険しい顔をする。通信内容から察するに、朝川とキッコ、明日名の戦闘が始まったのだろう。  ……しかも周りには異形化した人間がいるってか……。  キッコがいる限り、単純な数押しはある程度は笑い飛ばす事が出来る筈だが、以前明日名は朝川との戦闘で一方的に負傷したという話だし、キッコも第二次掃討作戦の時には負傷中の身を手ひどくやられたらしい。手助けに行きたいが、こちらもこちらで忙しい事になりそうだった。 「おい! 旧下水道について詳しい奴! 急いで地図か何かに下水の図を転写してくれ! 異形はそこを通って出てきてるぞ!」  彰彦のことばが急速に広がっていく。誰か知っている者が出て来る事を祈る彰彦に、平賀が声をかけてきた。 「彰彦君、下水に対する配慮についてはわしが担当しておこうか。君はあちらの方の対応をしておった方が性に合っておるじゃろう」  そう言って平賀は庁舎の入り口へと顎をしゃくった。先程からそちらに神経を集中させていた武装隊の隊員から報告が来る。 「庁舎前! 異形、多数現れました! 中からまだ出てきます!」  庁舎前には報告の通り、膨大量の異形が現れていた。種族的な統一感がほとんど感じられない、複雑な異形の群れだ。ただ注意深く見れば異形達の体にはどこか人体の名残じみたものが窺える。その意味に、彰彦は舌打ちして自身の腕である異形の甲殻に≪魔素≫を流し込んだ。  いつでも動けるように態勢を整える。 「こりゃ大したもんだ……」 「侵入経路が割れたと知った通光君が残りの戦力を惜しみなく出してきたというところかのう」  平賀がそう口にしていると、庁舎の中から人が現れた。  成人の、一般的な男性に見える彼の姿を認めた周囲の者の中から「生存者か……?」という声が聞こえて来るが、断じて違うであろう事を彰彦は知っている。 「いや、違う」  言って、彰彦は男に問いかける。 「こいつらの指揮役か?」 「そうだ」  短く答えて、男は背から第3、第4の腕を伸ばした。  昆虫が持つような多節の、妙な光沢のある甲殻状の腕だ。その光景を見た武装隊員が呆然と呟く。 「変化……? ≪魔素≫の動きが無かったのに……?」 「そういう事もあるってこったろうさ」  正確には変化とは違うが、今はアレが純粋な異形だという事にしておいた方がいいだろう。騙すのは気が乗らないが、割り切るしかない。そう思いながら、彰彦は武装隊達に相手の動きに気を付けるよう注意する。  ……さて、武装隊はどう動いてくれっかな?  現れた異形の数が数だ。陣を張って構えてはいても、行政区中央に座する庁舎が面する通りは広く、そこを埋め尽くそうとする異形の威圧感は尋常のものではない。士気やこの場を受け持つ仲間の身を案じて一旦退き、異形達が行政区内に分散したところを各個討っていくという考えに走られたらこの場で匠達の帰還を待つということはできなくなってしまう。  ……せめて庁舎の周辺の安全くらいは確保しておきてえんだけど……。  このままこの場を離れる事になれば、内部に侵入した匠達の方にいくらかの異形は向かうだろう。それもまた避けたいところだった。  ……いくらか知己の奴に声をかけて少しでもここに残ってもらうしかねえか。  知り合い達を武装隊の中に探し始めた彰彦だが、その機先を制するように武装隊の指揮役が言った。 「ここであの異形共を一網打尽にすれば、行政区内に侵入する異形の数が減る。各所の仲間も助かるぞ。意地でも持ち堪えろ」  短く鋭い返答が来る。その大音声を聞きながら、彰彦は指揮役に訊ねた。 「いいのか? ここで張るのはしんどいぜ?」 「異形が行政区内に散れば今旧下水道と既に地上にでている異形を相手にしている仲間の負担が増える」 「そうか」 「議員達の件もあるし、異形の侵入経路を見つけてくれた協力者達もあの世にいつ。見捨てていけるか。正しい判断をしたと私は思っている」 「そうかい」  妙に理屈臭い指揮役の言い分に苦笑して、彰彦は敵陣を気分よく見据えた。 「じいさん、下水の図は分かりそうか?」 「うむ、有志の者が行政区を今の対異形用の都市にまで改造した頃の事を知っておってのう、今魔装も魔法も機械も使えるだけ投入して連絡を回しておるぞい」 「うっし、頼んだぜ」  彰彦は庁舎上階へと進んでいる匠達に連絡を入れるため、通信機を操作した。 ---- #center{[[前ページ>白狐と青年 第48話「反撃」]]   /   [[表紙へ戻る>白狐と青年]]   /   [[次ページ>]]} ---- &link_up(ページ最上部へ)
&sizex(3){[[Top>トップページ]] > [[【シェア】みんなで世界を創るスレ【クロス】]] > [[異形世界・「白狐と青年」>白狐と青年]] > 第49話} *「接敵 (上)」             ●  庁舎内で状況を見守っていた通光は、庁舎一階部分に侵入者が現れたのを確認した。 「指揮役の者もやられたか。残りは私が直々に操るしか――」  言いかけ、通光は口許を歪めた。 「手早いな、流石だ」 「通光様?」 「朝川、侵入者だ。庁舎一階に防衛用に残しておいた異形はほぼ全滅だな」  表情の変化に気付いた朝川が訊ねるのへどこか楽しげに返して、通光は腕に装着された魔装を起動させた。  魔装を通して庁舎地下に配置した異形から一階の情報を取得する。 「ああ、庁舎は既に武装隊に囲まれているな。特攻をかけてきた者がいるのかと思えば、意外に堅実に盛り返してきている。これは驚いた」 「どうやら平賀が既に手を打っていたようで、各地の異形侵攻に対しても防衛は機能しているようです」 「あの男は祟るな」  通光は庁舎が震動するのを感じた。 「本格的に侵入してきた者がいる」  目を細め、通光は魔装を通して侵入者を視た。 「坂上匠、安倍明日名、それに子狐と信太主か」 「平賀の手の者達ですね」 「どうやら平賀を捕らえる事はできなかったようだな」  まあ分かっていた事だと思い、通光は視線を転じた。 「彼等の狙いは議員と……気付いているのならば地下も、だな」  転じた視線の先には一塊にして拘束してある議員達の姿がある。猿轡を噛まされて声も出せない彼等は、それでも目線で何かを訴えかけてきている。通光はそれらを黙殺して、彼らを眠らせておくように朝川に指示する。。 「あれでも生きているのと生きていないのとでは事件が終わった後、全体的に混乱した大阪圏の復旧速度が違う」  人質を取るという作戦は通じまい。平賀は逃げる時に議員を幾人か引き連れて逃走している。それだけでも混乱を鎮めるには平賀本人を含めれば十分な人材がそろっているであろうし、平賀や武装隊の上は、この状況で多少の犠牲が出るとしても、それで躊躇はしまい。通光に時間を与える事の危険性は承知している筈だ。  ……あるいはこちらのそのような思考を読んでの侵入でもあろうが……。 「通光様、いっそ異形擁護派の者だけでもこちらの手で処理しておきましょうか?」  朝川の言葉に通光はかぶりを振った。 「いや、彼等も彼等で、京のような異形と友好的な自治都市と繋がりがある者が多い。安易に殺してしまうわけにはいかん」  苦笑し、 「私たちが仮にこの乱に成功すれば、彼等の名を借りて実験への介入を送らせるように手を回さねばならんのだからな」  既に負け戦の様相を呈し始めているなかで何を言うのかと思うが、朝川は無表情に文句一つ言っては来ない。  文明崩壊以降、通光が延命させているこの機械化人はこれだからありがたい。  だから、と通光は労うように朝川に言った。 「朝川、長い事付き合せたが、そろそろ死に場所をやろう。念願の戦での死だ」 「ありがたいことです」  口もとだけを笑みの形にした朝川に通光は命令を下した。 「地下の方へ行ってもらいたい。可能ならば施設を守れ。生きのこったのなら私のもとへと戻ってくればいい」 「通光様の護衛の方はよろしいので?」 「ああ、まだ異形化した人間も数が残っているし、彼等を操るための魔装もある。それに、まあ奥の手もあるにはある」  そう言って通光は少し愉快そうに手元の情報端末にデータを呼び出した。             ●  庁舎付近の異形を全滅させた匠達は、正面入り口から庁舎一階へと侵入していた。  受付フロアには異形や人の死体が転がっている。匠はクズハと明日名とキッコに確認して通信機を取り出した。通信機は武装隊と共に庁舎の外で周囲の警戒を行っている平賀と彰彦だ。 「彰彦、一階に侵入した。とりあえず生きてる奴の気配は今のところ……ない」 『だとしたら敵さんは全員上に集まってんのかな?』 「もしかしたらもう全戦力を放出した後かもしれないな」  そう言いながら、匠はクズハにちらと目を向けた。彼女は死体に小さく手を合わせている。どうやら気分を悪くしているような事はないようだと思っていると、クズハの背後に付いていたキッコがいちいち気にするなと言うように手をぞんざいに振った。  それに苦笑気味に頷いて、匠は話を続けた。 「とりあえず、上に行ってみようと思う。地下についてはまた後でも調べる事ができるだろう」 『ああ、気を付けろよ。……武装隊もけっこう集まってきた。あんまり数は回せねえらしいけど、いくらか武装隊をそっちに回すか?』  いつの間にか武装隊の人事に干渉できる位置に彰彦はいるらしい。  武装隊と太いパイプを持っているらしい友人に感心しつつ、匠は断りの言葉を返した。 「いや、通光と会う事になればクズハやお前が絡んだ実験についても触れる事になる。人に化けた異形じゃなく、正真正銘の人間を殺していたと知った武装隊連中の士気が下がるような事態は避けたい」 『あー、そういや知らない奴もいるんだよな。異形は殺れても人は……ってのもいるしな』 「むしろそっちの方が多数派だ」  特に第二次掃討作戦以降に武装隊に入隊した者達はほとんどがそうだろう。異形に人が操られて戦う羽目になるという事態も、異形と人が組んで戦争を吹っかけて来るような事もめっきり減った。平和でけっこうな事だと思う。  ……だが今はそれじゃだめだ。  だから今は知らない者達にも知らないまま戦ってもらう。全てが終わったら平賀あたりが異形化した人間について何かしら言及するのだろうが、その時には自分に都合の言いように状況を利用しつつ、精神的なフォローも行ってくれるだろう。  これを機に異形と人を分けて考えるのをやめろなどと言えば、異形擁護派は一時失っていた発言力を回復させる事にもなろう。  ……たぬきだな。  たくましいのはいい事だろう。匠はエレベーターを確認した。呼び出しボタンを押しても何の反応も示さない。電源も、≪魔装≫による動力も生きてはいないらしい。  ……まあ危なっかしくて元から使う気はなかったが……。  階段は見つけてある。庁舎から脱出してきた議員の話によれば、庁舎一階にある階段はこの一つだけという事らしい。通光側も侵入者がこの階段を使ってくる事は分かっているだろう。何かの罠がしかけられていてもおかしくはない。  ……じいさんは飛び下りたから階段に何か仕掛けてあっても知らんと言ってたしなぁ。  用心していこうと階段に足を向ける。そこに鋭い声が飛んできた。 「匠さん!」  同時に、匠は自身の横合いから突然気配が現れるのを感じた。  ――異形!  体を向けると、赤茶けた剛毛をした人間大の猿のようなものが、鋭い爪がついた腕を振り下ろそうとしている姿が正面にあった。  猿は口を開き、獣の雄叫びではなく、人語の呪詛を放った。 「死ねぇ!」  腕が下ろされる。  その速度より早く、匠は足を開いて姿勢を低くし、墓標を床面すれすれで水平に振り抜いた。  脚を払われた猿は体勢を崩し、振り下ろしていた腕は匠の体を大きく外れて床を引っ掻いた。  猿が体勢を整える前に、匠は身を起して墓標の先端に延長する形で円錐状の≪魔素≫の穂先を生み、猿の頭に突き刺した。  頭蓋を貫く手応えを得た匠は、即座に≪魔素≫で作られた穂先部分を砕いて一歩退き、痙攣する体から振るわれた最期の一撃を回避し、横振りの殴打で確実に猿の頭部を破壊する。  猿が完全に動かなくなったのを確認して呟く。 「異形化した人間、人の言葉を話してたな」 「我のような者とは違うの。この感じ、人に異形の一部を取り付けた者の一人だろうて」 「ということは、彼は指揮役の一人かな」  キッコと明日名がそれぞれ所見を述べる。何にせよ、通光はまだいくらかの手勢を手元に置いてあるという事だ。警戒は怠るべきではない。  匠は改めて周囲に目を配る。 「しかし、さっきまで気配はなかったはずなんだが……」  何者かの気配を匠が見逃していたとしても、感覚が匠よりも鋭いキッコやクズハが注意をくれるはずだ。  その二人からもギリギリまで注意は来なかった。 「どこから……」  疑問に、クズハが猿を撃つために組んでいた魔法陣を崩しながらフロアの一隅を指さした。 「あそこです」  クズハが指さした先には破壊されて床に打ち捨てられた扉が転がっていた。  その通路に匠は見覚えがあった。 「あそこは……地下への通路に繋がってた扉だな」  以前クズハを連れ出す時に通った通路だ。明日名達がそちらの方を窺っていると、通信機から彰彦の声がした。 『おい、なんか大きな音がしたぞ、どうした?』 「異形化した人間がひそんでいた。知能の残ってる奴だ。どうやら地下の方にまだ戦力が残っているらしい」  言うと、少しの間を置いて彰彦が言ってきた。 『平賀のじいさんからだ。「地下の調査も急いだ方がいい」って事らしい』 「簡単に言ってくれるな」  ため息をついて、匠は苦笑いを浮かべた。しかし調べないわけにはいかないだろう。  通光がこの庁舎の地下部分にどれだけの戦力を温存しているかによって、外で待機している武装隊の人数をより増やさなければいけないかもしれないし、人数によっては上階に行く匠達の命にもかかわりかねない。  ……一方向からならともかく、階段の途中で挟み撃ちにでもされたらしゃれにならん。 「地下は元々何に使われていたんだ? 俺が前に侵入した時にはじいさんのとこ並みの研究施設っぽく見えたんだが」 『議員や警備してた奴の話だと元々は製薬会社の研究用の施設だったんだが、第一次掃討作戦の時に庁舎としてこの建物を扱う事になってからはほったらかしだったんだとさ。入り口もつい最近までは封印されてたみたいだぜ? 通光が何かのスペースとして使えるかもしれないっつって独自に手を入れるまでは、な』 「通光が直接か……」  既にその施設が実際の使用に耐えうるものである事は確認している。これはもう確実に地下には何かがあるだろうと匠は判断した。 「上の議員や通光も気になるが、こっちも怪しいな」 『もしかしたらそっちの方が直接的には危険かもしれねえな』  地下に保有されている戦力の規模次第ではその通りかもしれない。 先に地下を調べておく方が賢明だと思うが、通光に対して時間を稼がせるのも危険な気がする。  ……もしくはこのタイミングで地下を調べさせて時間を稼ぐ事こそが通光の目的かもしれない、か。  どうしたものかと考えていると、キッコが声をかけてきた。 「匠よ、ここは時間をかけぬよう、二手に分かれてしまおうか。あまり上の通光に時間をやりたくはないのだろう?」 「二手か」  ただでさえ少ない戦力をここで二分するのはどうかとも思うが、時間がないのもまた確かだ。 「そうだね、キッコが行くと上階で囚われている議員達は警戒してくるかもしれない。地下に研究施設があるのなら、研究系に詳しい俺が付いていって確実に破壊する必要もあるだろう。俺たちが下に行くよ」 「そうさな」 「キッコさん、明日名さん……」 「心配するなクズハよ、我らは大丈夫。むしろクズハの方が心配ぞ」  ≪魔素≫と尾を露わにして、キッコは通路を見据えた。 「先に行っておれ、すぐに潰して追いつこう。匠、クズハを守れよ?」 「ああ、それは俺も頼んでおきたいな」  明日名が同調する。それらに匠は頷いた。 「そっちもやばかったら武装隊を呼べよ? 彰彦なら異形に理解のある武装隊を見つくろってくれる」 「分かっているよ」 「何を、必要ない」  二人はそれぞれに応えて、通路の奥へと進んで行った。             ●  地下へと足を踏み入れた明日名は、符を複数枚取り出した。  ≪魔素≫を込めると狐型の式が現れる。キッコ謹製の式だ。安倍の本家でもこれほどの量と質を備えた式を生み出せる者はそうはいまい。大きな力を持つキッコだからこそ生み出せる式達だ。  狐の群れを捜索の為に地下へと放ち、明日名自身も周囲を見回した。  ……たしかに、平賀も研究所並みの機材が揃っている。  庁舎は元々製薬会社であったため、以前からこの手の機材はあったのだろうとも思うが、軽く見回し、また狐たちから術を通じて送られてくる情報を検分した限りでは、ここにある機材には≪魔素≫を計測する為の機材が多いようだ。  以前からあった機材の使いまわしでは無く、通光がそろえたものだろう。  ……これらの機材、やっぱり俺がクズハの治療を彼等に頼んだ時に見せてもらったものに系列が似ている。  そう思っていると、放った狐の一匹から報告が来た。その内容に明日名は眉を上げる。 「――これは」  思わず声を漏らした明日名に、何者かの影がないかと構えていたキッコが訊ねた。 「何かあったのかの? ここは妙に血の臭いが濃いが……」 「うん、放った式が見つけたよ。更に地下に進む道だ」  明日名は式を自分のもとへと呼び戻し、その内の一匹に頼む。 「案内してくれ」  狐は尾を一振りすると、明日名とキッコを案内するようにゆっくりと歩き始めた。  案内されながらキッコは徐々に顔を不快げに歪める。 「薬品の臭いに、それにこの臭いは屍肉だの……どんどん濃くなっておるわ。あの二人を先に上にやって正解だったの」 「そんなにかい? 俺は何も感じないけど」 「ああ、扉か何かで蓋をしておるのだろう、ひどいものよ。進めば進む程ひどくなる。これは、地下はロクなものではなかろう」  狐が案内する先には開け放たれた厚い扉があった。そこを抜けた瞬間、明日名は暗闇の中に、自分でも感じられる、まるで重みでも持っているかのような異臭に総毛立った。 「この臭いは……?」  あまりの臭気にせり上がってきた吐き気を押し殺す明日名の前に割り込むようにキッコが踏み込んできた。 「油断するな」  言うなり、彼女はいつの間にか出現させていた尾を勢いよく動かした。  金毛に覆われた尾が横薙ぎに振るわれる。その軌道に合わせて朱色の炎が走って絶叫が響き、何かが燃え落ちる音と新たな種類の臭いがきた。 「これはまた大層な数よ」  キッコは口から青白い狐火を放った。狐火は宙に浮いて、パキッと軽い音を立てて地下を淡く照らし出した。 「ふん、悪趣味だの」  照らされた景色の中、正面には今まさに炭に成りつつある異形らしきものの残骸があった。いつの間にか接近されていたらしい。 「すまない、キッコ」 「よい、それよりも周りを見てみい」  キッコの言う通りに明日名は地下空間に目をやって息を呑んだ。  どうやらこの空間は製薬会社が使っていた地下施設を更に拡張したもののようだった。打ちっぱなしのコンクリートに魔法陣を刻んで補強を行っている。  空間内には所狭しと実験器具や大型のカプセルが置いてあるが、それらの大半は既に破壊されている。  乱雑な壊し方から窺うに、どうやら異形の手による破壊らしい。幾つかの破壊されていないカプセルの中には形状が崩れかかった異形や人間の姿が見えた。それらのものが並ぶ中で何より目を引いたのは、地下空間の奥だった。そこにはおびただしい数の異形がひしめいていた。  彼等は狐火に照らされる中で、何かを食っていた。  そちらを見ていたキッコが舌打ちして≪魔素≫を集中させ、 「これは武装隊を呼んでくるわけにはいかんの」  火球を撃ち込んだ。  放たれた熱の塊に気付いた異形が避けようと動き、幾匹かが回避が間に合わずに、彼等が食っていたものごと燃え上がった。  明日名は式を放ち、更に符を構えて異形の動きを目で追った。  四方に放った異形達は食らっていたものをその手や口に未練たらしく保持している。明日名達に向かってくる異形を牽制しに回った式から彼等が何を食っていたのかの情報が送られ、明日名はおぞましさに顔を歪めた。 「奴ら、人を食ってるのか……!」 「それだけではない」  キッコは接近してきた異形の頭部を掴み、強引に別の異形に放り投げた。 「異形の屍肉を喰ろうておる。悪食、食屍鬼め」  投げられた異形が別の異形に衝突し、そこに炎が叩き込まれる。  断末魔を残して焼失していく異形。その叫びに割り込むように明日名は声を張り上げた。 「キッコ!」 「どうした!」 「地下道があった! たぶん旧下水道だ! 行政区内に現れた異形はここから旧下水を通って現れたんだ!」 「ではここも異形と人と使った実験の現場だという事だの」 「だとしたらここの奴らは通光の用意した戦力か?!」 「だろうの、こ奴らの式には一定の方式がある事は和泉の時に分かっておる。それ用の魔装なり能力を持った者がどこかにおるのか、あるいは既に滅されたか――」  キッコはああ、と金瞳を威嚇的に細めた。 「そこにおったか、機械人形め」 「え?」  キッコの視線の先を追うと、地下空間にある壁の一隅が開いて中から人影が一つ現れた。 「朝川か」  朝川は二人に頷きかけた。 「お前達が相手か。これはまた面白い巡り合わせだ」  彼はそう言うと、機械製の腕の先端を向けた。             ●  向けられた腕の先から化薬の臭いをかぎとって、キッコは咄嗟に尾を振った。  ≪魔素≫で物理的な干渉能力を付与された炎が金尾を包み、朝川が放った銃弾を払い溶かす。  その傍で符を宙に浮かべて身を守っていた明日名が朝川へと問いを投げる。 「ここは何だ?」  確認のための問いだ。キッコ自身としては答えはもう知れた事なのでさっさと朝川を潰しに動きたくもあったが、明日名は符に隠した手の内で通信機を起動させている。こちらの状況を彰彦達に伝えようという事なのだろう。この場は明日名に任せようとキッコは思う。  朝川は狙いを明日名に絞るように両手を明日名に向けながら答えた。 「気付いているだろう? 自身の妹が供されたのと同じ、人体実験のための実験場だ」  再び銃撃が放たれた。今度放たれたのは≪魔素≫製の弾丸。弾丸を受け止める盾になっている符が、込められた≪魔素≫を急速に失って次々に地面に落ちていく。 「……っく!」  明日名が反撃に向かわせた狐達は周囲にいる異形化した人間達に足止めされている。追加で符を撒いて防御力を上げている明日名だが、これではじり貧だろう。 「やれやれ」  キッコは符に先回る形で火球を宙に置いて銃弾を受ける役を肩代わりした。 「すまないキッコ」 「話を続けよ。式共もこの数の異形相手では長くは保たんぞ」  明日名は頷いて問答を続けた。 「行政区内に異形達を放ったのはここから旧下水道を通してだな?」 「外に対して守りを固めるばかりで内には甘かったからな、手も出しやすかった」  朝川はそう言って両腕を振った。  その動作一つで衣服の内側にたまっていた弾の俳莢がまとめてなされ、次いで服の袖が破れて機械製の腕部が露出した。その手には淡い光を帯びた魔装がある。通光が異形を操る時に使っていたと議員の一人が証言していたものと特徴が似ていた。周囲の異形化した人間達を操っているのはあれだろうと見当をつけ、キッコは訊ねた。 「それが知恵無し共を操る代物だの?」 「和泉の時には特殊な機構を持つ異形の喉を移植しなければできなかった事が、今ではこの魔装で行える。大した成長ぶりだろう?」  ふん、と鼻で息をつき、キッコは掌中に火を生んだ。 「明日名、カプセルで眠っておるのも、周りで騒いでおるのも、まとめて潰すぞ? よいな?」  明日名は通信機を切って符を束で構えた。 「頼むよ」 「仮にも妹を延命させた技術を忌むのか?」 「ああ、お前達は人も異形も破壊して貶めているだけだ」 「破壊か、研究が進めば実験参加者の全てが意思を残す事も可能になるそうだが」 「そうなるまでにどれだけの死体を積み上げる気だ」 「さてな、全てやってみなければ分からん。私は研究には疎い」  そっけなく朝川は続ける。 「しかし、人が進化する為の犠牲であればそれらも救われるだろうと、そう通光様は言っておられた」 「これだけの惨状を作っておいてそれを言うのか」 「強ければ勝ち生きて、弱い者を好きにしていい。分かりやすいだろう。これが真理だ。異形が現れてからはそれがまた顕著になっている」 「好き勝手されぬよう、我等は群れて身を守ろうとするのだの。そして、害そうとする者に牙を剥くのだ。お前達が何と理屈をこねようと、ここの一切を焼く尽くす事にかわりはない」  キッコの言葉を受けて朝川は首を左右に振った。 「少なくとも、今ここで戦力を潰されるのは兵器としての私が許容できないのでな、お前達も裏に表にと動いていい加減疲れただろう。そろそろ楽にしてやろう」 「ふん、機械人形、古い異物にやられるものか」  キッコは周囲に展開していた炎の勢いを上げた。  明日名のいる辺りが炎の壁で隠され、次の瞬間には明日名の姿は消えていた。旧下水道への道を潰しに行ったのだろう。明日名の動きに朝川が気付いていても臨戦態勢に入ったキッコから目を逸らすわけにはいかない。仮に注意を逸らすような事があれば一息に焼いてしまおうと思うキッコの前で、朝川は腕の魔装を操作した。その動きに応じるようにして、キッコを遠巻きに威嚇していた異形化した人間達がキッコから離れて行った。明日名の追跡に移ったのだろう。  ……まあ、後は一人でなんとかするだろうて。  キッコは自分の敵に集中する事にして、手の中の炎を大きく育てる。 「より古い時代の獣には負けん」  言葉と共に朝川の衣服がはじけ飛んだ。皮下の機械部分が完全に露出する。  硬質な全身を晒して、朝川は攻めの一歩を踏みこんできた。             ●  唐突に切れた明日名からの通信の最後に聞こえた切迫した様子に、彰彦は通信機を握りしめて険しい顔をする。通信内容から察するに、朝川とキッコ、明日名の戦闘が始まったのだろう。  ……しかも周りには異形化した人間がいるってか……。  キッコがいる限り、単純な数押しはある程度は笑い飛ばす事が出来る筈だが、以前明日名は朝川との戦闘で一方的に負傷したという話だし、キッコも第二次掃討作戦の時には負傷中の身を手ひどくやられたらしい。手助けに行きたいが、こちらもこちらで忙しい事になりそうだった。 「おい! 旧下水道について詳しい奴! 急いで地図か何かに下水の図を転写してくれ! 異形はそこを通って出てきてるぞ!」  彰彦のことばが急速に広がっていく。誰か知っている者が出て来る事を祈る彰彦に、平賀が声をかけてきた。 「彰彦君、下水に対する配慮についてはわしが担当しておこうか。君はあちらの方の対応をしておった方が性に合っておるじゃろう」  そう言って平賀は庁舎の入り口へと顎をしゃくった。先程からそちらに神経を集中させていた武装隊の隊員から報告が来る。 「庁舎前! 異形、多数現れました! 中からまだ出てきます!」  庁舎前には報告の通り、膨大量の異形が現れていた。種族的な統一感がほとんど感じられない、複雑な異形の群れだ。ただ注意深く見れば異形達の体にはどこか人体の名残じみたものが窺える。その意味に、彰彦は舌打ちして自身の腕である異形の甲殻に≪魔素≫を流し込んだ。  いつでも動けるように態勢を整える。 「こりゃ大したもんだ……」 「侵入経路が割れたと知った通光君が残りの戦力を惜しみなく出してきたというところかのう」  平賀がそう口にしていると、庁舎の中から人が現れた。  成人の、一般的な男性に見える彼の姿を認めた周囲の者の中から「生存者か……?」という声が聞こえて来るが、断じて違うであろう事を彰彦は知っている。 「いや、違う」  言って、彰彦は男に問いかける。 「こいつらの指揮役か?」 「そうだ」  短く答えて、男は背から第3、第4の腕を伸ばした。  昆虫が持つような多節の、妙な光沢のある甲殻状の腕だ。その光景を見た武装隊員が呆然と呟く。 「変化……? ≪魔素≫の動きが無かったのに……?」 「そういう事もあるってこったろうさ」  正確には変化とは違うが、今はアレが純粋な異形だという事にしておいた方がいいだろう。騙すのは気が乗らないが、割り切るしかない。そう思いながら、彰彦は武装隊達に相手の動きに気を付けるよう注意する。  ……さて、武装隊はどう動いてくれっかな?  現れた異形の数が数だ。陣を張って構えてはいても、行政区中央に座する庁舎が面する通りは広く、そこを埋め尽くそうとする異形の威圧感は尋常のものではない。士気やこの場を受け持つ仲間の身を案じて一旦退き、異形達が行政区内に分散したところを各個討っていくという考えに走られたらこの場で匠達の帰還を待つということはできなくなってしまう。  ……せめて庁舎の周辺の安全くらいは確保しておきてえんだけど……。  このままこの場を離れる事になれば、内部に侵入した匠達の方にいくらかの異形は向かうだろう。それもまた避けたいところだった。  ……いくらか知己の奴に声をかけて少しでもここに残ってもらうしかねえか。  知り合い達を武装隊の中に探し始めた彰彦だが、その機先を制するように武装隊の指揮役が言った。 「ここであの異形共を一網打尽にすれば、行政区内に侵入する異形の数が減る。各所の仲間も助かるぞ。意地でも持ち堪えろ」  短く鋭い返答が来る。その大音声を聞きながら、彰彦は指揮役に訊ねた。 「いいのか? ここで張るのはしんどいぜ?」 「異形が行政区内に散れば今旧下水道と既に地上にでている異形を相手にしている仲間の負担が増える」 「そうか」 「議員達の件もあるし、異形の侵入経路を見つけてくれた協力者達もあの世にいつ。見捨てていけるか。正しい判断をしたと私は思っている」 「そうかい」  妙に理屈臭い指揮役の言い分に苦笑して、彰彦は敵陣を気分よく見据えた。 「じいさん、下水の図は分かりそうか?」 「うむ、有志の者が行政区を今の対異形用の都市にまで改造した頃の事を知っておってのう、今魔装も魔法も機械も使えるだけ投入して連絡を回しておるぞい」 「うっし、頼んだぜ」  彰彦は庁舎上階へと進んでいる匠達に連絡を入れるため、通信機を操作した。 ---- #center{[[前ページ>白狐と青年 第48話「反撃」]]   /   [[表紙へ戻る>白狐と青年]]   /   [[次ページ>白狐と青年 第50話「接敵 (下)」]]} ---- &link_up(ページ最上部へ)

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