創作発表板@wiki

「報復の断章2」

最終更新:

匿名ユーザー

- view
だれでも歓迎! 編集

「報復の断章2」




「…ああああ!?」

全身から魔素を絞り取られる脱力感に震えながら、私は硬い尋問室の床にガクリと膝をついた。
すかさず私の身体を盾に、野獣のごとく周囲を威嚇する裸身の悪魔はリリベル。閻魔庁爆破を目論んだ凶悪犯だ。
長い拘禁生活にも関わらず鋭い眼光と機敏な身のこなしが、今日までの虚脱状態が彼女の巧みな演技であったことを告げていた。突然の形勢逆転に、一緒に彼女の尋問に当たっていた同僚たちが立ち竦む。

「止まるデス。動けばこの鬼をぶっ殺しマス…」

背後から音もなく私に襲いかかり、五本の鉤爪で魔力を啜り尽くしたものは、ほんの一瞬前までリリベルの身体に装着されていた、妖力を封じる拘束具『顎』だった。
名だたる悪霊『我蛾妃』すら長年に渡り完全に封じ込めてきた『顎』をどうやってリリベルが操っているのか、私は混乱のなか懸命に思案するが、答えは何一つ見つからない。

「き、貴様!! 馬鹿な真似は止めろ!!」

「…離れナサイ。とりあえず角からへし折りまショウカ?」

仲間の怒号と、我慢出来ず洩らす私の呻きが重なって部屋中に響く。深々と食い込んだ『顎』の爪からは、五体を沸騰させるような激痛が全身に間断なく流れ込む。

(…ま…た、ヘマしちゃった…)

『茨木のドジ胡蝶角』。名の通り、私は鬼の名家茨木一族の出身だ。
父は隠居しているが未だ『茨木翁』の名で地獄界に隠然たる勢力を誇る実力者であり、閻魔大帝の腹心の友の一人。そして兄たちもみな、地獄界の中枢を担う重要な役職に就いている。
しかし末娘の私だけは、茨木の家系に流れる優秀な血を何ひとつ受け継いでいなかった。厳しい修行に耐えて奉職した閻魔庁獄卒隊でも、私は今期一番のダメ新人だ。
訓練生同期の筆頭格、怜角や鐵角なら、狡猾な悪魔相手に決して隙を見せたりはしなかっただろう。

「…ふふん、痛いデスカ?」

「くう…う…」

なすすべもなく立ち竦む仲間の前で、巨大な掌を模した『顎』の指がギリギリと私の身体を握り締める。やがて苦痛に霞む視界がぼんやりと暗くなり始めた。

「…ま、待て!! すぐ上の指示を仰ぐ!!」

「…いいでしょう。雑魚じゃ話になりマセン。責任ある地位の…そうデスネ…閻魔大帝のヤローでも連れて来ナサイ。」

周囲の緊迫したやり取りのなか、私の胸を責め苛むものは決して『顎』の無情な爪だけではなかった。兄たちに負けないよう、初めて家族に逆らって進んだ獄卒の道でも、これまで私は数々の失態を晒してきた。
猛り狂う悪霊に腰を抜かし、典礼の行進中に派手な転倒を見せるそそっかしく臆病な鬼。活躍する同期たちと対照的に、未だ私は様々な部署をたらい回しにされている。
最近ではもっぱら資料の整理や子守りといった雑用に明け暮れていた私にとって、頑なに黙秘を続ける悪魔リリベルへの尋問は、久しぶりに与えられた獄卒らしい仕事だった。
私への命令は唯一の特殊技能である読心能力を活かし、リリベルの背後関係、特にベリアル・コンツェルンの事件への関与を解明すること。
しかし、『顎』によって完全に無力化されていた筈のリリベルに向かい合い、彼女の意識に潜り込むべく精神集中を始めた途端にこの失態だ。今度こそ仲間も、そして家族も愛想を尽かすに違いない。
躊躇しつつも事態を報告するため仲間の一人が尋問室から駆け出ると、ほくそ笑んだリリベルは私を乱暴に立たせ、残ったもう一人の同僚に声を掛けた。

「…キサマも邪魔デスネ。出て行きナサイ。」

リリベルを睨みつけながらしぶしぶ扉に向かう彼も私と同じ、経験豊富とは言えない新人の獄卒だ。さほど強力ではない悪魔相手とはいえ、備品であった『顎』の力を過信していた私たちの致命的な油断だった。

(…なんとか、しなきゃ…)

ようやく少し落ち着きを取り戻した私は、混乱する頭で懸命に事態の打開策を思案した。リリベルの目的…どう考えても彼女の要求は、この『我蛾妃の塔』からの脱出の筈だった。
更なる目論みがあるにせよ、まず脱獄が彼女の急務。リリベルを再び捕らえる方策をこの一点に賭けた私は、うわずった声で、憔悴してなお冷たい美しさを失わない悪魔に話しかけた。

「…塔の出口に案内します。どうか命だけは助けて下さい。」

「…出口?」

何故か余裕すら感じさせる嘲笑でリリベルは応える。うまく彼女を尋問室から回廊に誘い出せば…

「…閻魔庁は獄卒ひとりの為に悪魔と交渉などしません。すぐに…『鎮圧』されますよ。それより…」

塔から出るには獄卒だけが知る正しく安全な道を辿って長い迷路のような回廊の潜り抜けなければならない。そしてその正しい通路も、呪文ひとつでたちまち『八寒地獄』に直結するのだ。
どんな魔物すら凍らせる地獄の冷気。この『非常装置』を呪文で起動した者以外は瞬時に超低温の吹雪に包まれる。

「…さ、早く…」

リリベルを罠へと誘う為、私はまだガクガクと震える脚を扉へと踏み出したが、彼女が後に従う気配はなかった。

「…『我蛾妃の塔』は脱出不可能と聞いてマス。どうせ何かクソッタレな罠があるんでショウ?」

「そ、そんな…」

冷ややかな彼女の声。自分の駆け引きの下手さに歯噛みしながら言葉に詰まった私の背中で、嘲笑うように『顎』が震えた。

(あ!! 駄目…だ…)

蜘蛛のごとくしがみついたこの拘束具の能力を思い出した私は、蒼白な顔色をさらに無くした。
『顎』に魔力の全てを吸い尽くされた今、私には『八寒地獄』を起動させる、指を鳴らす程度の魔力すら残っていない。
最後の手段は、回廊の間違った通路へリリベルと一緒にに足を踏み入れることだけ。そうすれば自動的に発動する『安全装置』は私もろとも脱走犯を凍てつく氷像に変えるだろう。

(…それでも、茨木の家名は守って死ねる…)

蘇生できる可能性は極めて低い。しかし獄卒として私が採るべき道はそれしかなかった。苦痛は一瞬の筈だ。それに…これでもう一族のお荷物と言われることはない…

「…わ、私は安全な通路を知っています。こっちに…」

「F・u・c・k!!」

しかし精一杯の平静を装った私を、リリベルの罵声と鋭い蹴りが襲った。脇腹を抉る痛みと衝撃に、再び私は息も出来ず再び崩れ落ちた。

「ぐふ…うっ…」

「…見苦しいデス。バカは大人しく寝てナサイ。」

吐き捨てるように言い放ち、傲然と椅子に腰を降ろしたリリベルは、苦しむ私を見下ろしながら独り言のように呟いた。

「…さて、待ちマショウ…」


「…遅いデスネ…餌が不味いのでショウカ…」

私とリリベル、二人の虜囚にとって長い時間が過ぎてゆく。リリベルが時おり洩らす独白めいた言葉は、まるで姿の見えぬ相棒に語りかけているように思えた。
…これが夢だったら…眼を覚ませば退屈だが賑やかな慈仙洞での子守が待っていたら…朦朧とする意識のなか私はとりとめもなく考える。今ごろ塔の外は大騒ぎたろう。
父や兄たちはきっと激怒しているに違いない。私が問題を起こすたび、彼らが穏やかに浮かべる失望の表情、険しい眉と堅く結ばれた唇がありありと脳裏に映る。

(…そういえば、この子も…)

資料によるとリリベルもまた、私と同じ厄介者の末っ子だった。犯行の背後にちらつく彼女の異母兄弟、べリアルの王子たちは事件への関与を真っ先に否定し、テロに使われた装備は得体の知れぬ父の私生児が無断で持ち出したもの、と主張している。
いつの間にか背中から伸ばした蝙蝠の羽根でクルリと均整のとれた身体を隠し、じっと尋問室の扉を見つめるリリベルに、私が哀しい親近感すら覚え始めたとき、騒々しい物音と聞き覚えのある声が扉の向こうから響いてきた。

「…来やがりましたネ…」

…てっきり交渉に現れるのは獄卒隊の幹部だと思っていた。しかし武装した獄卒を従えて私たちの前に現れたのはなんと、茨木宗家の次期当主たる私の長兄だった。

(兄さん!?…なぜ…)


「…君たちは外してくれ。何かあればすぐ呼ぶ。」

伴った獄卒を外に待たせ、ただ一人入室してきた颯爽たる官服の鬼。
この次なる茨木童子、将来を嘱望される優秀な冥府官僚の兄は、現在は外交を担当する部署の事務官を務めている。一連のリリベル事件とは明らかに管轄外の立場だった。

「…前置きはなしだ。君の要求を聞こう。」

兄は悄然と眼を伏せた私の顔を見ようともせず、事務的に交渉の開始を告げた。しかし油断なく私に密着し、いつでも人質の命を断てることを示しながら彼を睨むリリベルは無言だ。
無表情な兄の心中を想い、私が沈黙に耐えられなくなったとき、再び静寂を破ったのは兄の静かな声だった。

「…釈放か? 亡命か? それとも…」

「…Fuck」

不躾けに言葉を遮るリリベルに動じもせず、兄はゆっくりと指を組む。彼は百戦錬磨の外交官だった。私は幼い頃から、感情を露わにする兄をまだ見たことがない。

「…君は重罪人だぞ? この交渉自体、実は破格の処遇なのだがね?」

落ち着いた兄の言葉が私の胸に刺さる。私の失態が家名を汚す前になんとかこの事件を収拾する為、あえて茨木一族はこの事件に介入したに違いなかった。

「…じゃあとっとと帰りナサイ。ワタシは『責任ある立場の者』を呼んでくれ、と言っただけデス。」

しかし、赤みがかった前髪を退屈そうに弄ぶ、小馬鹿にしたようなリリベルの仕草は追いつめられた者の態度には見えなかった。
兄はまるで脱獄そのものに全く興味がないような彼女の片言に我慢強く付き合っていたが、私の制服から滴り落ちる血が床を伝って足元に届いたとき、重々しく身を乗り出し、険しい声でリリベルに囁いた。

「…ここを出たいのだろう? 大人しく…妹を解放すれば、茨木の名に賭けて君を安全に逃がしてやる。あまり…時間が無いのだ。」

少し苛立たしげに指を組み直した兄の提案は、冥府の良心として清廉さを誇ってきた茨木一族にあるまじき法からの逸脱だった。成り行きに驚いた私は、思わず不安な視線を兄に向ける。

「…ベリアル・コンツェルンとは私が折衝する。私なら外交上の裏取引として、うまく話をまとめられる…」

もはや職務に背く譲歩を見せた兄の額には汗が滲んでいた。最近では若手の実力者として貫禄すら見せ始めた彼をここまで追い詰めるものは…
いまや焦りを隠そうともしない兄を悲痛な思いで見つめていた私の胸に、絶望に近い惨めな感情が溢れる。
こんな役立たずの出来の悪い妹は、いっそこの塔でさっぱり殉職するのが兄や家族、名誉ある茨木一族の為ではないだろうか。
これまで私は、一度も自分の読心能力を個人的な理由で使ったことがなかった。臆病な私が決して覗こうとはしなかった恐ろしい他人の心。しかし今、私は切実に兄の本心を知りたかった。
そこにある失望と軽蔑が大きいほど、つまらない自分の存在を終わらせる決心がつけられる。忌まわしい『顎』さえ、がっちりと私の魔力を封じていなければ…

(…え!?)

そのときまるで私の願いを聞き届けたように、突然『顎』がその強力な封魔の力を弱めた。俄かに全身を駆け巡る魔素に呆然とした私は、なぜか自我を持っている『顎』もまた、私の心を読んでいたことを確信しながら、おずおずと思念の糸を繰り出してみた。

(…胡…蝶…)

伸ばした意識の先端がしっかりと兄の心に届き、私は生まれて初めて家族の魂に触れる。

(…上手くいけば俺の更迭だけで片付く)(すぐ俺が)(俺が助けてやる)

リリベルを相手に粘り強く恫喝と懐柔を繰り返している兄の胸中には、名家の誇りも官僚としての保身もなかった。ただ…妹を助けたいという強い想いだけが、この狷介な事務官を動かしていた。

(…悪魔め)(胡蝶にもしもの事があったら)(八つ裂きにしてやる)

緻密な日誌のような兄の記憶。その全ての頁に愛情深く刻み込まれた、不器用で頑固な妹の姿。そしてそんな私とそっくりな寡黙さゆえに、兄があえて口に出せなかった幾つもの言葉…

(…父上がおまえの任官祝いをしたがっていた)(でも、仏頂面で誰かが言い出すのをずっと待ってる)(胡蝶)(この厄介事が片付いたら…)

…身を震わせる私が知った、ごく簡単な事実。それはいつもしかめっ面の父や兄たちが、間違いなく私を愛しているということ。そして今までそれを確かめる勇気がなかったのは、同じしかめっ面の私だったということ…
場違いな深い安堵に震え続ける私は、部屋中に響く兄の怒号で切迫した現実に引き戻された。同時に『顎』の爪も再び私の能力を縛りつける。交渉がついに決裂したのだ。

「…ふ、ふざけるな!! 悪魔風情が…身の程をわきまえろ!!」

兄を激昂させたリリベルの要求。それは『脱獄』などという私の想定とはおよそかけ離れた、殆ど狂気の沙汰とも言える不敬なものだった。

「…簡単なことデショウ? ワタシと、閻魔大帝の一騎打ちデス。名誉を賭けた恨みっこなしの真剣勝負…」

「…冗談にしても畏れ多い!! そんな要求が呑める訳がないだろう!!」

しかしリリベルの危険な眼差しは、その言葉が駆け引きや冗談ではない事を告げていた。小さな牙の間から覗いた彼女の舌が、ペロリと私の頬を舐める。

「…じゃ、私とこの子のラブラブ無理心中デス…」

「き、貴様…」

尋問室を支配する、ささくれ立った沈黙。私にその静寂を破る大声を上げさせたのは、皮肉にも『顎』が垣間見せてくれた兄の心だった。今なら獄卒として、茨木一族のひとりとして、私は立派に死ねる。

「…事務官、我ら茨木一党は大帝陛下の盾。悪魔などに何ひとつ譲歩する必要はありません!!」

「…黙らせナサイ!!」

初めて私に憎しみの眼を向けたリリベルの命令で、『顎』から身を抉る激痛が駆け巡る。だが私の血に流れる茨木千年の誇りはその痛みをも捻じ伏せた。

「兄上!! 早く獄卒隊に武力鎮圧の指示を…」

「い、いかん!! 胡蝶!!」

錯綜する怒号のなか、鞭のようなリリベルの尻尾が私の首を絞め上げる。暗く霞む視界の隅に、一時撤退を決めたらしい獄卒隊が部屋に突入してくるのが見えた。

「…事務官!! お静まりを!!」「時間です!! 後は我らにお任せ下さい!!」

机を隔て睨み合う鬼と悪魔。…やがて、深い溜め息と共に手を挙げて獄卒隊を制した兄は、信じられぬ譲歩をリリベルに告げた。

「…然るべき筋と相談する。少し…時間をくれ。」

己の悪運を揺るぎなく信じる笑みを浮かべてリリベルが頷く。私の意識が途切れる瞬間、もう一度だけ去りゆく兄の心が見えた。

(…待ってろ胡蝶角、父上が…父上が必ずなんとかしてくれる…)

+ タグ編集
  • タグ:
  • シェアードワールド
  • 地獄世界

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

目安箱バナー