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ゴミ箱の中の子供達 第12話
"王朝"に捕まってから数日。恭順の姿勢を貫いたおかげか、危惧していた拷問はなく、イズマッシュは現在
もなお五体満足でいることができた。
トイレとベッドが無造作に配置された独房に窓はなく、出入り口のスチールドア以外の壁は、すす汚れた
コンクリートの灰色で満たされていた。
かび臭いマットレスに横になり、イズマッシュは天井を見上げる。天井に設置された蛍光灯は無機質な光
を降らしており、夕食後であることを踏まえれば、現在時刻は午後8~9時前後と推測できた。起床時刻と
ともに点灯し、消灯時刻になると消える独房の明かりと、毎日定期的に出される3食の食事が、寒々しい
コンクリートだけの独房の時計となっていた。
消灯時刻にはまだ時間がある。イズマッシュは持ち上げた腕を眼孔の上に乗せて光を遮ると、思索の
世界へと入っていった。
考えることは決まってニコノフのことだった。親友から託された小さな助手は、今どうなっているのだろうか。
全財産はスーツケースの中だった。工事現場で車を放置した後、積んであったスーツケースがどうなったか
分からない。おそらくニコノフの財産は、あの時渡された数枚の紙幣と、ささやかな量の小遣いだけだろう。
3食食べれているかすら心配になった。
俺はもう一度ニコノフに会えるのだろうか、とイズマッシュは考える。この独房に放り込まれて以来、肌から
浸透してやまなかった予感は告げる。会えない、と。
考えれば考えるほどに、イズマッシュは自分の生がこの独房と同じように完全に閉塞していると実感せざるを
えなかった。"アンク"に対する知りうることを全てに伝えた今とあっては、"王朝"にイズマッシュを生かす理由
などどこにもない。情報を盾にすれば、いくらか生き延びることはできただろう。だが、その場合、情報を
強制的に引き出すための拷問が待っており、拷問に耐えられそうにもないイズマッシュはその行為が
その場しのぎの延命行為に過ぎないと理解していた。
だが、行く先が死であることを理解しながらも、イズマッシュが徹底して"王朝"に恭順し、情報を言われるがままに
吐き出したのは、工事現場での約束があったからだ。完全に包囲し、イズマッシュの睾丸すら掌握していた絶対優位
の状況下において、工事現場の男はニコノフを解放するという誠意を見せた。その行為がただの甘さか、それとも
余裕の表れか、はたまた計り知れぬほど深い打算の産物なのかイズマッシュには分からない。だが1つだけ
言えることがあった。少なくともあの男は信頼できるということだ。信頼できるからこそ、その誠意を裏切りたくなかったのだ。
ニコノフに二度と会えないならば、これから先ニコノフはどうなるのだろうか。保護者として当然発生する
不安を、イズマッシュは楽観的な考えて慰撫した。
ニコノフは聡明な子供だ。おそらく1人でも生きていけるだろう。それにニコノフの祖父母もまだ生きている。
最悪の場合、ニコノフはあそこを頼ればいいのだ。曲がりなりにも機能している役所の戸籍係辺りが無理に
でも引き合わせたりするかもしれない。
親友ミハイルとその妻の2度の葬儀で会ったニコノフの祖父母のことをイズマッシュは考える。武器商、
それも不正取引が主のイズマッシュ達の仕事に愛想を尽かし、ミハイルとは絶縁状態にあったが、それでも
孫のことは気になるらしい。ミハイルの葬儀の折にはかなり強引にニコノフを引き取ろうとしていた。彼らに
凱歌の喜びを差し出すのはいささか癪だが、それもニコノフのためだ。
葬儀でのニコノフの姿をイズマッシュは思い出した。父の死を前に、じっと目を伏せて、何かに耐えるように
口をつぐんだ彼は、葬儀の間どんなときもイズマッシュから離れなかった。穏やかな笑みをたたえて両手を
広げる祖父母を前にしても、ニコノフはイズマッシュのズボンの裾を掴んで離さなかった。まるで彼らは偽者で、
イズマッシュこそが真の肉親だと言わんばかりに。
ある意味でそれは正しいのかも知れない。ニコノフの両親と祖父母は絶縁状態にあった。そのためニコノフと
祖父母の間に面識はない。一方でイズマッシュは親友のために育児をしばしば手伝っていた。ミルクを飲ませたり、
オムツを交換したりは当然のことで、夜鳴きがひどいために交代でニコノフをあやし、寝かしつけたりもした。
最早イズマッシュにとっても、ニコノフはかけがえのない家族と言えた。
ニコノフを独りにするのは残念だが、彼をここにつれてくるわけにはいかない。2度と会えぬニコノフに思いを
馳せながら、イズマッシュは早めの睡眠をとろうとまぶたを下ろした。
ちょうどそのとき独房の鉄扉が音を立てて開いた。
いつもの取調室と思しき部屋につれてこられたイズマッシュは、すっかり慣れ親しんだパイプ椅子に腰掛け
ながら自分の運命を悟った。
自分は今から殺されるのだ。普段とは大幅に異なる夜の尋問もさることながら、部屋の片隅で待機している
小柄の男の表情が死刑執行だと物語っている。泳ぐ視線に、強張りきった顔つき。明らかに彼は緊張していた。
これまでの尋問では見せなかった表情だ。
スチールデスクを挟んで対面に男が座る。工事現場でイズマッシュを威圧しながらも、ニコノフを解放した
あの信頼に足る男だ。尋問も担当しているらしい彼の表情には変化がない。この場においても尋問中ずっと
見せ続けていた鉄面のような無表情を維持している。片隅で待機している男とは違い年齢も上のようだし、
この程度では心が揺り動かされないほどに修羅場を潜り抜けてきたのだろう。
男はイズマッシュの様子を伺うように顔をしばし眺めた後、口を開いた。
もなお五体満足でいることができた。
トイレとベッドが無造作に配置された独房に窓はなく、出入り口のスチールドア以外の壁は、すす汚れた
コンクリートの灰色で満たされていた。
かび臭いマットレスに横になり、イズマッシュは天井を見上げる。天井に設置された蛍光灯は無機質な光
を降らしており、夕食後であることを踏まえれば、現在時刻は午後8~9時前後と推測できた。起床時刻と
ともに点灯し、消灯時刻になると消える独房の明かりと、毎日定期的に出される3食の食事が、寒々しい
コンクリートだけの独房の時計となっていた。
消灯時刻にはまだ時間がある。イズマッシュは持ち上げた腕を眼孔の上に乗せて光を遮ると、思索の
世界へと入っていった。
考えることは決まってニコノフのことだった。親友から託された小さな助手は、今どうなっているのだろうか。
全財産はスーツケースの中だった。工事現場で車を放置した後、積んであったスーツケースがどうなったか
分からない。おそらくニコノフの財産は、あの時渡された数枚の紙幣と、ささやかな量の小遣いだけだろう。
3食食べれているかすら心配になった。
俺はもう一度ニコノフに会えるのだろうか、とイズマッシュは考える。この独房に放り込まれて以来、肌から
浸透してやまなかった予感は告げる。会えない、と。
考えれば考えるほどに、イズマッシュは自分の生がこの独房と同じように完全に閉塞していると実感せざるを
えなかった。"アンク"に対する知りうることを全てに伝えた今とあっては、"王朝"にイズマッシュを生かす理由
などどこにもない。情報を盾にすれば、いくらか生き延びることはできただろう。だが、その場合、情報を
強制的に引き出すための拷問が待っており、拷問に耐えられそうにもないイズマッシュはその行為が
その場しのぎの延命行為に過ぎないと理解していた。
だが、行く先が死であることを理解しながらも、イズマッシュが徹底して"王朝"に恭順し、情報を言われるがままに
吐き出したのは、工事現場での約束があったからだ。完全に包囲し、イズマッシュの睾丸すら掌握していた絶対優位
の状況下において、工事現場の男はニコノフを解放するという誠意を見せた。その行為がただの甘さか、それとも
余裕の表れか、はたまた計り知れぬほど深い打算の産物なのかイズマッシュには分からない。だが1つだけ
言えることがあった。少なくともあの男は信頼できるということだ。信頼できるからこそ、その誠意を裏切りたくなかったのだ。
ニコノフに二度と会えないならば、これから先ニコノフはどうなるのだろうか。保護者として当然発生する
不安を、イズマッシュは楽観的な考えて慰撫した。
ニコノフは聡明な子供だ。おそらく1人でも生きていけるだろう。それにニコノフの祖父母もまだ生きている。
最悪の場合、ニコノフはあそこを頼ればいいのだ。曲がりなりにも機能している役所の戸籍係辺りが無理に
でも引き合わせたりするかもしれない。
親友ミハイルとその妻の2度の葬儀で会ったニコノフの祖父母のことをイズマッシュは考える。武器商、
それも不正取引が主のイズマッシュ達の仕事に愛想を尽かし、ミハイルとは絶縁状態にあったが、それでも
孫のことは気になるらしい。ミハイルの葬儀の折にはかなり強引にニコノフを引き取ろうとしていた。彼らに
凱歌の喜びを差し出すのはいささか癪だが、それもニコノフのためだ。
葬儀でのニコノフの姿をイズマッシュは思い出した。父の死を前に、じっと目を伏せて、何かに耐えるように
口をつぐんだ彼は、葬儀の間どんなときもイズマッシュから離れなかった。穏やかな笑みをたたえて両手を
広げる祖父母を前にしても、ニコノフはイズマッシュのズボンの裾を掴んで離さなかった。まるで彼らは偽者で、
イズマッシュこそが真の肉親だと言わんばかりに。
ある意味でそれは正しいのかも知れない。ニコノフの両親と祖父母は絶縁状態にあった。そのためニコノフと
祖父母の間に面識はない。一方でイズマッシュは親友のために育児をしばしば手伝っていた。ミルクを飲ませたり、
オムツを交換したりは当然のことで、夜鳴きがひどいために交代でニコノフをあやし、寝かしつけたりもした。
最早イズマッシュにとっても、ニコノフはかけがえのない家族と言えた。
ニコノフを独りにするのは残念だが、彼をここにつれてくるわけにはいかない。2度と会えぬニコノフに思いを
馳せながら、イズマッシュは早めの睡眠をとろうとまぶたを下ろした。
ちょうどそのとき独房の鉄扉が音を立てて開いた。
いつもの取調室と思しき部屋につれてこられたイズマッシュは、すっかり慣れ親しんだパイプ椅子に腰掛け
ながら自分の運命を悟った。
自分は今から殺されるのだ。普段とは大幅に異なる夜の尋問もさることながら、部屋の片隅で待機している
小柄の男の表情が死刑執行だと物語っている。泳ぐ視線に、強張りきった顔つき。明らかに彼は緊張していた。
これまでの尋問では見せなかった表情だ。
スチールデスクを挟んで対面に男が座る。工事現場でイズマッシュを威圧しながらも、ニコノフを解放した
あの信頼に足る男だ。尋問も担当しているらしい彼の表情には変化がない。この場においても尋問中ずっと
見せ続けていた鉄面のような無表情を維持している。片隅で待機している男とは違い年齢も上のようだし、
この程度では心が揺り動かされないほどに修羅場を潜り抜けてきたのだろう。
男はイズマッシュの様子を伺うように顔をしばし眺めた後、口を開いた。
「今回で最後だが、言い残したことはあるか」
男なりの気遣いなのだろうか、男が問いかける。聞きたいことはいろいろあるが、これを聞かなければ。
「ニコノフがどうなったか知っているか」
「知らんな、そんなものに興味はない」
「知らんな、そんなものに興味はない」
イズマッシュの問いに、男は即答する。まるでこちらが無価値だといわんばかりにそっけない返答だ。もっとも、
その無関心さがイズマッシュにはある意味でありがたかった。ニコノフは"王朝"に目をつけられておらず、
完全に自由だと暗に示しているからだ。
その無関心さがイズマッシュにはある意味でありがたかった。ニコノフは"王朝"に目をつけられておらず、
完全に自由だと暗に示しているからだ。
「構え」
イズマッシュが安堵したところで男が右手を上げて号令する。その声に合わせて片隅で待機していた比較的
小柄な男が拳銃を構えた。
ミハイル、悪いがお前のところに邪魔するぞ。先に逝った親友を思い浮かべながら、イズマッシュは向けられた
銃口を見つめ返す。死の恐怖や、怒りとともに振るわれる死への拒絶はとうの昔に過ぎ去った。今は澄み切った
意志の土台の上に穏やかな死の受容があるだけだ。親友は俺のことを迎えてくれるだろうか。ただそれだけが
イズマッシュには気がかりだった。
男が右手を振り下ろしながら号令を発した。
小柄な男が拳銃を構えた。
ミハイル、悪いがお前のところに邪魔するぞ。先に逝った親友を思い浮かべながら、イズマッシュは向けられた
銃口を見つめ返す。死の恐怖や、怒りとともに振るわれる死への拒絶はとうの昔に過ぎ去った。今は澄み切った
意志の土台の上に穏やかな死の受容があるだけだ。親友は俺のことを迎えてくれるだろうか。ただそれだけが
イズマッシュには気がかりだった。
男が右手を振り下ろしながら号令を発した。
「撃て」
閃光と轟音。衝撃の奔流が頭蓋を貫き、イズマッシュの思考に巨大な空白が穿たれる。大部分が欠損し、崩れ
行くイズマッシュの意識は最期に2人の人物の顔を映す。ニコノフとその父ミハイル2人の笑顔だった。
行くイズマッシュの意識は最期に2人の人物の顔を映す。ニコノフとその父ミハイル2人の笑顔だった。