Top > 【シェア】みんなで世界を創るスレ【クロス】 > 異形世界・「白狐と青年」 > 第15話
来訪
●
平賀研究区最大にして最高の研究施設、
その中にある食堂内にピアスのついた耳を半ば両手で塞いでいる茶髪の青年とその対面で椅子に豪快に胡坐をかいている金髪金瞳の若い女が居た。
二人がこのような体勢をとるに至ったのは議論の結果であり、その議論は先程から一時間程続いていた。
そして煮詰まった結果、両者の口から発される言葉もここ数分はそれぞれ固定されていた。
曰く、
「行くぞ」
「やなこった」
以上だ。
強引な手段を除いて先へ進む余地を無くしたこの議論を最初から見聞きしていた明日名は茶髪の青年――彰彦とその対面でまた口を開こうとしていたキッコに目配せし、「いいかい?」と口を開いた。
彼は申し訳なさそうに、
「すまない今井君、今回俺が平賀博士の代わりに会議に出席しないといけないからその間、どうしてもキッコには目付があった方がいいんだよ」
一人で人里に行かせるにはいささか以上に不安だしね。
そう言って明日名は彰彦を拝むようにする。
「……俺以外にも人は居るだろ」
顔を逸らして言う彰彦に、しかし明日名は言葉を重ねた。
「ここにいる人間でキッコの正体を知っているのは俺と博士以外では以前キッコと戦ったことのある君だけなんだよ」
「地理に詳しく土地に縁の有る者が同行した方が色々と不便も無かろう」
「俺は行きたくねえっての」
尚も不満げに言う彰彦にキッコが業を煮やした。
「まったく強情な」
椅子を蹴立てて立ち上がると彰彦の手を掴み、
「いいから行くぞ。和泉まで数日かかるのだからな」
そう言って彰彦を引きずっていく。容赦のない力加減に彰彦は目を見開いて明日名へと手を伸ばした。
「ちょ、キッコさん、ま、待て待て!! 明日名さんヘルプっ!」
助けを求める彰彦から目を逸らし、明日名は小さく唄った。
「ドナドナドーナ ドーナー……」
「うわひでええええぇぇ!」
徐々に小さくなっていく彰彦の抗議の声に苦笑しながら明日名は呟く。
「故郷があるっていうのは良い事だと思うけどなあ。俺達にはもう無いものだしね」
彰彦の声もキッコの足音も聞こえなくなった頃、明日名も食堂を後にした。
その中にある食堂内にピアスのついた耳を半ば両手で塞いでいる茶髪の青年とその対面で椅子に豪快に胡坐をかいている金髪金瞳の若い女が居た。
二人がこのような体勢をとるに至ったのは議論の結果であり、その議論は先程から一時間程続いていた。
そして煮詰まった結果、両者の口から発される言葉もここ数分はそれぞれ固定されていた。
曰く、
「行くぞ」
「やなこった」
以上だ。
強引な手段を除いて先へ進む余地を無くしたこの議論を最初から見聞きしていた明日名は茶髪の青年――彰彦とその対面でまた口を開こうとしていたキッコに目配せし、「いいかい?」と口を開いた。
彼は申し訳なさそうに、
「すまない今井君、今回俺が平賀博士の代わりに会議に出席しないといけないからその間、どうしてもキッコには目付があった方がいいんだよ」
一人で人里に行かせるにはいささか以上に不安だしね。
そう言って明日名は彰彦を拝むようにする。
「……俺以外にも人は居るだろ」
顔を逸らして言う彰彦に、しかし明日名は言葉を重ねた。
「ここにいる人間でキッコの正体を知っているのは俺と博士以外では以前キッコと戦ったことのある君だけなんだよ」
「地理に詳しく土地に縁の有る者が同行した方が色々と不便も無かろう」
「俺は行きたくねえっての」
尚も不満げに言う彰彦にキッコが業を煮やした。
「まったく強情な」
椅子を蹴立てて立ち上がると彰彦の手を掴み、
「いいから行くぞ。和泉まで数日かかるのだからな」
そう言って彰彦を引きずっていく。容赦のない力加減に彰彦は目を見開いて明日名へと手を伸ばした。
「ちょ、キッコさん、ま、待て待て!! 明日名さんヘルプっ!」
助けを求める彰彦から目を逸らし、明日名は小さく唄った。
「ドナドナドーナ ドーナー……」
「うわひでええええぇぇ!」
徐々に小さくなっていく彰彦の抗議の声に苦笑しながら明日名は呟く。
「故郷があるっていうのは良い事だと思うけどなあ。俺達にはもう無いものだしね」
彰彦の声もキッコの足音も聞こえなくなった頃、明日名も食堂を後にした。
●
高く上った陽が西へと傾き始めた頃、和泉の町の端、人気の無い雑木林で匠は金属棒を振るっていた。
鍛錬だ。
平賀の研究区から帰って来てからは午前中に道場と畑の手伝いをし、
午後は芳恵が道場の一角を使って子供達に勉強を教えている間邪魔にならないようにとここで体を動かしていた。
匠が握る金属棒を≪魔素≫が伝い、その表面に螺鈿細工のように複雑な色合いの光を発する精緻な紋様が浮かび上がる。
幾何学的なその紋様は魔法を習熟した者から見れば彼にのみ扱えるようにあつらえ構築されたかのように複雑で精密な式だ。
次々に違う形態の刃を形成しては変化していく紋様を見ながらクズハは思う。
きれい……。
午前中にしてしまう事が一通り終わってしまえば匠と同じように身が空くクズハは、
読んでいた本を傍らに置いて匠の鍛錬の様子を見ていた。
匠や周りの人間は本を読むならもっと落ち着いた所で読めばいいのにと言うが、
私にとっては〝ここ〟が一番安らぐ場所ですし……。
それに金属棒に浮かぶ紋様は平賀の手によるものだ。
見ているだけでクズハの魔法の勉強にもなる。まあ、建前でしかないのだが。
そんな風にぼんやりしていたからだろうか、
「その棒、たしか墓標とか言ったっけか?
あんな使い辛そうな代物ぶんぶん振り回しといて本人が魔法を満足に使えないってんだから≪魔素≫ってのはよくわっかんねえな」
「――え?」
人が近づいてくるのに気付かず、背後から聞こえた声に思わず身を跳ねさせた。
同時に聞こえてきた言葉について思う。
墓標とは匠が振るっている金属棒に付けられた名前だ。
墓標は元々匠の父親が使用していた金属棒で、第一次掃討作戦時、
彼が戦死した場所に刺さっていたことから匠の武装隊入隊時にあった持ち込み武装登録の折、武器の個体名が必要ということで適当に名付けたらしい。
そのような経緯で付けられたため普段匠本人が使うことは無い名称だ。
だからどこかその呼称を新鮮に感じて振り向くと、
「ほう、そのようにして鍛えておるのか」
「俺が教えた基本しっかり守ってんな。――つっても墓標の取り回し用にアレンジされてるか」
興味深げに匠を見やっているキッコとどこか満足げに頷いている彰彦が居た。
「墓標とな?」
「その棒だよ。確か武装隊に入隊した時にそんな名前で登録してたよな、匠」
「あ……ああ」
キッコに説明しながら話を振って来た彰彦に既に鍛錬を中止して金属棒に伝う≪魔素≫を霧散させた匠は答え、棒を担って三人の方へと足を向けながら訊ねた。
「……狐の異形、というかお前に対して検問が敷かれてなかったか?」
「ククク、この完全なる人化の術を身に付けた我にかかれば人を化かす事など容易な事よ」
「検問はもう解除されてたから問題無しだったぜ」
「……我の言葉に合わせんか」
そう彰彦に半目を向けながらキッコはクズハへと近付くと、その両肩を掴んだ。
笑顔で訊ねる。
「クズハよ、息災か?」
「あ、はい」
「キッコさん、この前別れてからそう時間経ってねえから」
「まあそれもそうかの」
呆れた声で言う彰彦にキッコはそう答え、
「しかし息災でなによりだ」
クズハを抱き寄せた。
わ、大きい。
そんな感想を抱く程の大きさの柔らかい胸に溺れそうになりながらクズハは身を捩る。
「……く、苦しいです」
クズハの言葉に一切取り合わずにキッコはクズハの頭に顔を寄せた。
「好い匂いをしておる」
頭の辺りにキッコがこちらの匂いを嗅いでいる気配を感じ、
クズハは身を動かして頭をぶつけてはいけないと動きを止めた。
為されるがままの状態に彰彦と匠がため息を吐いた音がした。
彼等は口々に言う。
「ったく、一人で行きゃいいのによ……」
「一体何しに来たんだ? お前ら」
「うるさい若造共め、少し待て」
言葉と共に髪へと触れられる感覚がクズハに来た。
手櫛を、意外にもたおやかに通され、なされるがまま数回くしけずられる。それを気持ち良く感じ、
お母さんがいたら、その記憶があったらこんな感じなんでしょうか?
そう思いながらクズハは彰彦に訊く。
「彰彦さん、師範さんに会っていかれますか?」
「勘弁してくれクズハちゃん、殺されちまうよ」
彰彦の弱った声に、それはないのではとクズハは返す。
師範さんも芳恵さんもきっと帰って来て欲しいと思っているのに……。
しばらくするとキッコはクズハから身を離した。
満足そうに一つ頷く。
「んむ……!」
「んむ、じゃねえ」
金属棒で自分の肩を叩きながら匠がキッコと彰彦を順に見て問いかけた。
「お前たち、一体何しに来た?」
彰彦にチラリと視線を向け、
「彰彦の里帰りってわけでも、クズハにただ会いに来たってわけでもないんだろ?」
おおそうだったと言ってキッコは匠を見た。
「森に行きたくての。しかし遠巻きに見てきたが森を常に見張っておる者が居るのよ。怪しまれるのも面白くない。
どうせお前達に関係のある者があそこに陣取っておるのだろ? 話を通せ」
そう言うキッコの様子は話を通さないと無理にでも押し通りそうに見え、
乱暴になるのは……だめですよね。
せっかく匠とキッコは仲直りしたのだ。お互いいい人なのにまた喧嘩はしてほしくない。
そう思い、クズハは匠を見上げた。
「匠さん」
「……ああ、分かってるよ、クズハ」
ため息交じりの頷きがあった。
鍛錬だ。
平賀の研究区から帰って来てからは午前中に道場と畑の手伝いをし、
午後は芳恵が道場の一角を使って子供達に勉強を教えている間邪魔にならないようにとここで体を動かしていた。
匠が握る金属棒を≪魔素≫が伝い、その表面に螺鈿細工のように複雑な色合いの光を発する精緻な紋様が浮かび上がる。
幾何学的なその紋様は魔法を習熟した者から見れば彼にのみ扱えるようにあつらえ構築されたかのように複雑で精密な式だ。
次々に違う形態の刃を形成しては変化していく紋様を見ながらクズハは思う。
きれい……。
午前中にしてしまう事が一通り終わってしまえば匠と同じように身が空くクズハは、
読んでいた本を傍らに置いて匠の鍛錬の様子を見ていた。
匠や周りの人間は本を読むならもっと落ち着いた所で読めばいいのにと言うが、
私にとっては〝ここ〟が一番安らぐ場所ですし……。
それに金属棒に浮かぶ紋様は平賀の手によるものだ。
見ているだけでクズハの魔法の勉強にもなる。まあ、建前でしかないのだが。
そんな風にぼんやりしていたからだろうか、
「その棒、たしか墓標とか言ったっけか?
あんな使い辛そうな代物ぶんぶん振り回しといて本人が魔法を満足に使えないってんだから≪魔素≫ってのはよくわっかんねえな」
「――え?」
人が近づいてくるのに気付かず、背後から聞こえた声に思わず身を跳ねさせた。
同時に聞こえてきた言葉について思う。
墓標とは匠が振るっている金属棒に付けられた名前だ。
墓標は元々匠の父親が使用していた金属棒で、第一次掃討作戦時、
彼が戦死した場所に刺さっていたことから匠の武装隊入隊時にあった持ち込み武装登録の折、武器の個体名が必要ということで適当に名付けたらしい。
そのような経緯で付けられたため普段匠本人が使うことは無い名称だ。
だからどこかその呼称を新鮮に感じて振り向くと、
「ほう、そのようにして鍛えておるのか」
「俺が教えた基本しっかり守ってんな。――つっても墓標の取り回し用にアレンジされてるか」
興味深げに匠を見やっているキッコとどこか満足げに頷いている彰彦が居た。
「墓標とな?」
「その棒だよ。確か武装隊に入隊した時にそんな名前で登録してたよな、匠」
「あ……ああ」
キッコに説明しながら話を振って来た彰彦に既に鍛錬を中止して金属棒に伝う≪魔素≫を霧散させた匠は答え、棒を担って三人の方へと足を向けながら訊ねた。
「……狐の異形、というかお前に対して検問が敷かれてなかったか?」
「ククク、この完全なる人化の術を身に付けた我にかかれば人を化かす事など容易な事よ」
「検問はもう解除されてたから問題無しだったぜ」
「……我の言葉に合わせんか」
そう彰彦に半目を向けながらキッコはクズハへと近付くと、その両肩を掴んだ。
笑顔で訊ねる。
「クズハよ、息災か?」
「あ、はい」
「キッコさん、この前別れてからそう時間経ってねえから」
「まあそれもそうかの」
呆れた声で言う彰彦にキッコはそう答え、
「しかし息災でなによりだ」
クズハを抱き寄せた。
わ、大きい。
そんな感想を抱く程の大きさの柔らかい胸に溺れそうになりながらクズハは身を捩る。
「……く、苦しいです」
クズハの言葉に一切取り合わずにキッコはクズハの頭に顔を寄せた。
「好い匂いをしておる」
頭の辺りにキッコがこちらの匂いを嗅いでいる気配を感じ、
クズハは身を動かして頭をぶつけてはいけないと動きを止めた。
為されるがままの状態に彰彦と匠がため息を吐いた音がした。
彼等は口々に言う。
「ったく、一人で行きゃいいのによ……」
「一体何しに来たんだ? お前ら」
「うるさい若造共め、少し待て」
言葉と共に髪へと触れられる感覚がクズハに来た。
手櫛を、意外にもたおやかに通され、なされるがまま数回くしけずられる。それを気持ち良く感じ、
お母さんがいたら、その記憶があったらこんな感じなんでしょうか?
そう思いながらクズハは彰彦に訊く。
「彰彦さん、師範さんに会っていかれますか?」
「勘弁してくれクズハちゃん、殺されちまうよ」
彰彦の弱った声に、それはないのではとクズハは返す。
師範さんも芳恵さんもきっと帰って来て欲しいと思っているのに……。
しばらくするとキッコはクズハから身を離した。
満足そうに一つ頷く。
「んむ……!」
「んむ、じゃねえ」
金属棒で自分の肩を叩きながら匠がキッコと彰彦を順に見て問いかけた。
「お前たち、一体何しに来た?」
彰彦にチラリと視線を向け、
「彰彦の里帰りってわけでも、クズハにただ会いに来たってわけでもないんだろ?」
おおそうだったと言ってキッコは匠を見た。
「森に行きたくての。しかし遠巻きに見てきたが森を常に見張っておる者が居るのよ。怪しまれるのも面白くない。
どうせお前達に関係のある者があそこに陣取っておるのだろ? 話を通せ」
そう言うキッコの様子は話を通さないと無理にでも押し通りそうに見え、
乱暴になるのは……だめですよね。
せっかく匠とキッコは仲直りしたのだ。お互いいい人なのにまた喧嘩はしてほしくない。
そう思い、クズハは匠を見上げた。
「匠さん」
「……ああ、分かってるよ、クズハ」
ため息交じりの頷きがあった。
●
……研究区から和泉まで、暇つぶしに来るような距離でもない。何か理由があるんだろう。
そう思い、仕方なく頷いた匠の前、キッコが満足げにしている。
その様子に匠はもうひとつため息を吐いた。見張りが居るのが面白くないとキッコは言うが、
「異形が湧いたりお前が突然暴れたりするせいで、あそこの監視に最近人が立ってるんだが」
「どこかから湧いた異形の事は知らん。我は人間が言う第二次掃討作戦が終わった頃から明日名と行動を共にしていることが多くての、
森にもあの時数年振りに戻っていたのだぞ? 我の眷族にも無思慮に暴れる者はおらんと思うがの」
やはりあの異形は別の場所からやって来たということだろうか。
そう思いながら匠は番兵の兵舎へと足を向け始めた。歩きながらも不満は続く。
「お前がクズハを操って、下手したら武装隊も襲わせるような事をしたのは事実だろ」
「ふん、攻撃されなんだのだから見張りなんぞやめればいいものを」
そうはいかないだろう。ここの武装隊は信太主の恐ろしさを身を持って知っている。
しかし見張っていてもその見張って警戒すべき対象がこうして町の中に居るというのも皮肉だな。
苦笑する匠は不満を漏らすのをやめた。前方から道場の勉強帰りの子供達が歩いてきたのが見えたからだ。
竹刀袋と勉強セットを振り回していた少年が匠達に気付いて声をかけてくる。
「あれ? 匠兄ちゃん? クズハちゃんも……その人だれ?」
「おう、お前は……良平か、それにそっちのは淳だな。……おっきくなったなあ」
「?」
子供達はいきなり知らない人に名前を当てられた事に驚きを覚えているようだった。
それを見てキッコが愉快そうに笑う。
「クックク、顔を覚えられておらんようだの」
「まあ武装隊に入隊する前っていうと小さい子は七歳とか六歳とかの時だろうしな」
彰彦は当時、都市の方の学校に行っていたから長期休暇でしか会わなかっただろうし、子供達が彰彦の顔を憶えていないのも無理はない。
だから、とでもいうようにクズハが彰彦を片手で示した。
「この方は彰彦さんですよ」
「え? 彰彦兄ちゃん?」
クズハの言葉で子供達が更に驚いたような顔を彰彦に向ける。彰彦はおう、と会釈し、
「元気にしてたか?」
子供達、特に彰彦を僅かにでも憶えている子はひどく嬉しげに再会を喜んでいる。
彰彦は昔から道場で年下の面倒をよく見ていたようだ。
都会の学校で匠と同じクラスになったときも、下級生の面倒を随分親身に見ていた記憶がある。
面倒見がいいんだろうな……。
そしてそのためかひどく年下に受けがいい。
「そっちのお姉ちゃんは?」
女の子がキッコをおずおずと伺い訊ねた。キッコは笑顔で女の子の手をとった。軽く握って握手すると、
「我はキッコという、よしなにな」
「う……うん」
見た目は美人なキッコが笑顔で答えるものだから子供達は照れてしまっている。
ああ、こうして狐は人を騙すのか……。
匠はそう思い、深く頷き、
「何か言いたいことでもあるかの?」
「何も?」
首を左右に振った。
子供達は最近できたカレーが美味しい甘味処に行くらしい。誘われたが今は用事があると断りを入れた。
甘味処にカレーという言葉に若干違和感を感じるがきっと気にしたら負けなんだろう。
門谷や子供達から聞く甘味処の噂を思い出しながらそう思っていると彰彦がしみじみと呟いた。
「和泉もちょっと俺が居ない間にけっこう変わったんだな」
「そりゃ、な。第二次掃討作戦からもう何年経ったと思ってるんだよ」
「そりゃそうだ」
そう言って彰彦は目を細めて子供達を見送った。
戻ってくればいいのに。
懐かしそうにしている彰彦を見てそう匠は思うが彰彦にも何か事情でもあるのかもしれない。
そんなふうに思考をもてあそんでいる内に兵舎に着いていた。中に入って隊長の居室の扉を開ける。
門谷は事務仕事でもしていたのか書類の束を事務机に乗せたまま匠へと振り返った。
「おお坂上にクズハちゃん……そっちは?」
彰彦とキッコを指さして怪訝な顔をしている門谷へと匠は二人を紹介した。
「こっちはキッコ、平賀のじいさんの所の客。で」
彰彦を指さす。
「これが道場の息子、今井彰彦」
ほお、と軽く驚いたよな声音で門谷が相槌を打った。
「信昭と芳恵さんの息子か!」
「どもっす」
少し困った顔で挨拶する彰彦。
ドラ息子な自覚はあるのか。
そう内心で思いながら匠は門谷にキッコの用件を持ちかけた。
「ちょっとキッコが信太の森に入りたいって言うんだけどいいですか?」
「ん? あの中にか?」
「ん」
頷くと門谷は渋い顔をした。彼はその顔のままキッコへと忠告する。
「あの森は最近静かだがあまりお勧めはしねえぞ?」
「構わん、我は異形だ」
キッコが平然と言った。焦ったのは匠だ。
この女狐一体何をほざいてやがる!?
キッコの正体や彼女がこの森で為していたことは誰にも話してはいない。
既にキッコ――信太主は討伐対象と決められてしまっているため下手に真実を話してもおそらく取り合われることはないし
以前の一件からあらぬ誤解も受けかねないからだ。真実を話すにしても場を整えねばならない。
匠がキッコを黙らせようとすると――
「――ああ、この周辺、大阪圏だったかの? その人間領を移動する許可は得ておるぞ。ホレ、登録証とやらもこの通り」
そう言って大阪圏自治政府に自身の存在を認めさせる登録証を門谷に提示した。
初めからそいつを出せよ!
内心で汗を拭う匠の眼前、登録証を受け取った門谷が判別機械に通す間にキッコは匠と彰彦の肩を叩いた。
「目付にこれらが居れば安全だろう?」
「え?」
「は?」
疑問と抗議の声を無視してキッコは続ける。
「これなら森の中の異形に加担して人間に害を働くなどと考えても止められよう?」
門谷は機械から取り出した許可証をキッコに返し、
「まあ確かに、信太主も現れねえし、坂上がいれば問題無いか。それに彰彦君も師範並にやれるんだろ?」
「あ、ああ」
目の前にいるコレが信太主なんだがなあ……。
「なら行ってこい。ただし丸一日たって帰らなかったら捜索隊編成して強制捜索するからな」
その言葉の端々に本当は行かせたくないが。という言葉を感じて匠は苦笑した。
「恩に着ます」
「へいへい」
門谷は手をぞんざいに振って答えると書類を手に取った。
「行くのは三人でいいのか?」
「私も行きます」
「クズハちゃんも、か?」
門谷が匠に視線を寄越した。同じようにクズハも匠を見ている。
裁量権は俺にあるってか……。
参ったなとも、ありがたいなとも、どちらともつかぬ思いと共に笑みを浮かべ、匠は頷いた。
「行こうかクズハ」
「はい」
返事は笑顔で返って来た。
そう思い、仕方なく頷いた匠の前、キッコが満足げにしている。
その様子に匠はもうひとつため息を吐いた。見張りが居るのが面白くないとキッコは言うが、
「異形が湧いたりお前が突然暴れたりするせいで、あそこの監視に最近人が立ってるんだが」
「どこかから湧いた異形の事は知らん。我は人間が言う第二次掃討作戦が終わった頃から明日名と行動を共にしていることが多くての、
森にもあの時数年振りに戻っていたのだぞ? 我の眷族にも無思慮に暴れる者はおらんと思うがの」
やはりあの異形は別の場所からやって来たということだろうか。
そう思いながら匠は番兵の兵舎へと足を向け始めた。歩きながらも不満は続く。
「お前がクズハを操って、下手したら武装隊も襲わせるような事をしたのは事実だろ」
「ふん、攻撃されなんだのだから見張りなんぞやめればいいものを」
そうはいかないだろう。ここの武装隊は信太主の恐ろしさを身を持って知っている。
しかし見張っていてもその見張って警戒すべき対象がこうして町の中に居るというのも皮肉だな。
苦笑する匠は不満を漏らすのをやめた。前方から道場の勉強帰りの子供達が歩いてきたのが見えたからだ。
竹刀袋と勉強セットを振り回していた少年が匠達に気付いて声をかけてくる。
「あれ? 匠兄ちゃん? クズハちゃんも……その人だれ?」
「おう、お前は……良平か、それにそっちのは淳だな。……おっきくなったなあ」
「?」
子供達はいきなり知らない人に名前を当てられた事に驚きを覚えているようだった。
それを見てキッコが愉快そうに笑う。
「クックク、顔を覚えられておらんようだの」
「まあ武装隊に入隊する前っていうと小さい子は七歳とか六歳とかの時だろうしな」
彰彦は当時、都市の方の学校に行っていたから長期休暇でしか会わなかっただろうし、子供達が彰彦の顔を憶えていないのも無理はない。
だから、とでもいうようにクズハが彰彦を片手で示した。
「この方は彰彦さんですよ」
「え? 彰彦兄ちゃん?」
クズハの言葉で子供達が更に驚いたような顔を彰彦に向ける。彰彦はおう、と会釈し、
「元気にしてたか?」
子供達、特に彰彦を僅かにでも憶えている子はひどく嬉しげに再会を喜んでいる。
彰彦は昔から道場で年下の面倒をよく見ていたようだ。
都会の学校で匠と同じクラスになったときも、下級生の面倒を随分親身に見ていた記憶がある。
面倒見がいいんだろうな……。
そしてそのためかひどく年下に受けがいい。
「そっちのお姉ちゃんは?」
女の子がキッコをおずおずと伺い訊ねた。キッコは笑顔で女の子の手をとった。軽く握って握手すると、
「我はキッコという、よしなにな」
「う……うん」
見た目は美人なキッコが笑顔で答えるものだから子供達は照れてしまっている。
ああ、こうして狐は人を騙すのか……。
匠はそう思い、深く頷き、
「何か言いたいことでもあるかの?」
「何も?」
首を左右に振った。
子供達は最近できたカレーが美味しい甘味処に行くらしい。誘われたが今は用事があると断りを入れた。
甘味処にカレーという言葉に若干違和感を感じるがきっと気にしたら負けなんだろう。
門谷や子供達から聞く甘味処の噂を思い出しながらそう思っていると彰彦がしみじみと呟いた。
「和泉もちょっと俺が居ない間にけっこう変わったんだな」
「そりゃ、な。第二次掃討作戦からもう何年経ったと思ってるんだよ」
「そりゃそうだ」
そう言って彰彦は目を細めて子供達を見送った。
戻ってくればいいのに。
懐かしそうにしている彰彦を見てそう匠は思うが彰彦にも何か事情でもあるのかもしれない。
そんなふうに思考をもてあそんでいる内に兵舎に着いていた。中に入って隊長の居室の扉を開ける。
門谷は事務仕事でもしていたのか書類の束を事務机に乗せたまま匠へと振り返った。
「おお坂上にクズハちゃん……そっちは?」
彰彦とキッコを指さして怪訝な顔をしている門谷へと匠は二人を紹介した。
「こっちはキッコ、平賀のじいさんの所の客。で」
彰彦を指さす。
「これが道場の息子、今井彰彦」
ほお、と軽く驚いたよな声音で門谷が相槌を打った。
「信昭と芳恵さんの息子か!」
「どもっす」
少し困った顔で挨拶する彰彦。
ドラ息子な自覚はあるのか。
そう内心で思いながら匠は門谷にキッコの用件を持ちかけた。
「ちょっとキッコが信太の森に入りたいって言うんだけどいいですか?」
「ん? あの中にか?」
「ん」
頷くと門谷は渋い顔をした。彼はその顔のままキッコへと忠告する。
「あの森は最近静かだがあまりお勧めはしねえぞ?」
「構わん、我は異形だ」
キッコが平然と言った。焦ったのは匠だ。
この女狐一体何をほざいてやがる!?
キッコの正体や彼女がこの森で為していたことは誰にも話してはいない。
既にキッコ――信太主は討伐対象と決められてしまっているため下手に真実を話してもおそらく取り合われることはないし
以前の一件からあらぬ誤解も受けかねないからだ。真実を話すにしても場を整えねばならない。
匠がキッコを黙らせようとすると――
「――ああ、この周辺、大阪圏だったかの? その人間領を移動する許可は得ておるぞ。ホレ、登録証とやらもこの通り」
そう言って大阪圏自治政府に自身の存在を認めさせる登録証を門谷に提示した。
初めからそいつを出せよ!
内心で汗を拭う匠の眼前、登録証を受け取った門谷が判別機械に通す間にキッコは匠と彰彦の肩を叩いた。
「目付にこれらが居れば安全だろう?」
「え?」
「は?」
疑問と抗議の声を無視してキッコは続ける。
「これなら森の中の異形に加担して人間に害を働くなどと考えても止められよう?」
門谷は機械から取り出した許可証をキッコに返し、
「まあ確かに、信太主も現れねえし、坂上がいれば問題無いか。それに彰彦君も師範並にやれるんだろ?」
「あ、ああ」
目の前にいるコレが信太主なんだがなあ……。
「なら行ってこい。ただし丸一日たって帰らなかったら捜索隊編成して強制捜索するからな」
その言葉の端々に本当は行かせたくないが。という言葉を感じて匠は苦笑した。
「恩に着ます」
「へいへい」
門谷は手をぞんざいに振って答えると書類を手に取った。
「行くのは三人でいいのか?」
「私も行きます」
「クズハちゃんも、か?」
門谷が匠に視線を寄越した。同じようにクズハも匠を見ている。
裁量権は俺にあるってか……。
参ったなとも、ありがたいなとも、どちらともつかぬ思いと共に笑みを浮かべ、匠は頷いた。
「行こうかクズハ」
「はい」
返事は笑顔で返って来た。
●
匠とクズハ、キッコが外の番兵に話を通しに行く間、門谷が彰彦に話しかけた。
「第二次掃討作戦ん時に彰彦君も参加していたんだよな?」
「ああ、まあ」
「隊の組み分けで故郷の防衛にはつけなかったって昔坂上が話してたのを聞いたが、どこの部隊にいたんだ?」
「あー、いや、今武装隊クビになってて守秘義務があんだよ隊長さん」
気まずそうに言う彰彦に門谷は
「そうか、すまんな」
いやいやと彰彦は笑った。
「ところで隊長さん」
「門谷でいい、彰彦君」
「おお、話がわかんじゃん! んじゃ俺の事も彰彦またはアッキーで。――で、門谷さん」
彰彦は視線を窓の外に向けた。そこには外の番兵に話を通しに行く匠達の姿があり、
「……あの二人、どうっすかね?」
彰彦の視線の先を追って門谷は顔をほんの少し緩めた。
「匠とクズハちゃんか? 仲いいだろ。ちょっと問題が起こったが平賀の爺さんの所に行って来てからはより仲が良くなった風に見えるな」
「問題ってーと、クズハちゃんが匠の奴のどてっ腹ぶち抜いた件?」
驚いた顔で門谷が振り返った。
「なんだ、知ってるのか」
「まあ」
苦く笑って彰彦は頷いた。同じような顔で門谷も笑い、お互いに口の前に指を立てて秘密な、と囁き交わした。
「あの二人なら大丈夫だろ。匠はクズハちゃんの本音を聞けてよかったとか言ってるし、
クズハちゃんもクズハちゃんでより匠を信頼するようになったようだしな。前にも増してベッタリしてる」
門谷の言葉に彰彦はへぇ、と感嘆した。そして窓の外を再び見やり、目を細めて、
「そいつは良いこった」
笑うと、匠が呼ぶ声がした。森の中に行く許可がとれたようだった。
「第二次掃討作戦ん時に彰彦君も参加していたんだよな?」
「ああ、まあ」
「隊の組み分けで故郷の防衛にはつけなかったって昔坂上が話してたのを聞いたが、どこの部隊にいたんだ?」
「あー、いや、今武装隊クビになってて守秘義務があんだよ隊長さん」
気まずそうに言う彰彦に門谷は
「そうか、すまんな」
いやいやと彰彦は笑った。
「ところで隊長さん」
「門谷でいい、彰彦君」
「おお、話がわかんじゃん! んじゃ俺の事も彰彦またはアッキーで。――で、門谷さん」
彰彦は視線を窓の外に向けた。そこには外の番兵に話を通しに行く匠達の姿があり、
「……あの二人、どうっすかね?」
彰彦の視線の先を追って門谷は顔をほんの少し緩めた。
「匠とクズハちゃんか? 仲いいだろ。ちょっと問題が起こったが平賀の爺さんの所に行って来てからはより仲が良くなった風に見えるな」
「問題ってーと、クズハちゃんが匠の奴のどてっ腹ぶち抜いた件?」
驚いた顔で門谷が振り返った。
「なんだ、知ってるのか」
「まあ」
苦く笑って彰彦は頷いた。同じような顔で門谷も笑い、お互いに口の前に指を立てて秘密な、と囁き交わした。
「あの二人なら大丈夫だろ。匠はクズハちゃんの本音を聞けてよかったとか言ってるし、
クズハちゃんもクズハちゃんでより匠を信頼するようになったようだしな。前にも増してベッタリしてる」
門谷の言葉に彰彦はへぇ、と感嘆した。そして窓の外を再び見やり、目を細めて、
「そいつは良いこった」
笑うと、匠が呼ぶ声がした。森の中に行く許可がとれたようだった。