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更新日:2025/11/28 Fri 21:32:51
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児取箱呪殺女人語
今昔、□□に□□なる呪師有り。呪ひ□□□を業と成す。
或る男、長者の家を指して此に問、
「汝、彼の家を呪ふに、如何せん」
呪師、男に云、
「疾く児の宍を取て来。女子供皆呪ひ殺さん」
男、児の宍をあたふるに、呪師、忽ちに腑を取て切刻み、木箱に入れにける。夜曙て後、見るに、女子供悉く死たり。□□□…(以下、欠文。死様の描写か。)
家の者、涙を流して叫ぶ音悲し。
男、その様を見て慄き、自ら縊りて死ぬ。
今昔、□□に□□なる呪師有り。呪ひ□□□を業と成す。
或る男、長者の家を指して此に問、
「汝、彼の家を呪ふに、如何せん」
呪師、男に云、
「疾く児の宍を取て来。女子供皆呪ひ殺さん」
男、児の宍をあたふるに、呪師、忽ちに腑を取て切刻み、木箱に入れにける。夜曙て後、見るに、女子供悉く死たり。□□□…(以下、欠文。死様の描写か。)
家の者、涙を流して叫ぶ音悲し。
男、その様を見て慄き、自ら縊りて死ぬ。
木箱、後の世に児取箱なむ云ひける。
子取函ノ事
掌程ノ小サキ函也。木工、装飾簡素ニシテ複雑也。其中、雌ノ獣ノ血ヲ浸シ、水子ヲ刻ミテ入ニケルニ、子ノ数ヨリイツポウ、ニホウ、サンポウ、シホウ、ゴホウ、ロツポウ、チツポウ、ハツカイト名付。
掌程ノ小サキ函也。木工、装飾簡素ニシテ複雑也。其中、雌ノ獣ノ血ヲ浸シ、水子ヲ刻ミテ入ニケルニ、子ノ数ヨリイツポウ、ニホウ、サンポウ、シホウ、ゴホウ、ロツポウ、チツポウ、ハツカイト名付。
【コトリバコについての手記】
今日知られるコトリバコの詳細は2000年代初頭のインターネット上で成立した現代伝承であるが、そのイメージがこれほど急速に拡散した背景には、中世以来の胎児肝信仰が日本人の深層に沈殿していたからではないか。そこでこの手記では胎児肝信仰に焦点を当て、コトリバコ誕生の背景を探ってみたい。
島根県で披露される石見神楽には、能楽「黒塚」と「殺生石」を合わせた「黒塚」という演目がある。あらすじは以下のとおり。
高僧、阿闍梨祐慶大法印がお供の剛力と修行の旅の途中、那須野ヶ原を通りかかる。その地で九尾の狐が人々に害を与えていると聞き、退治すべく向かうことに。旅の途中、一行は宿を借りるが、そこの女主人の正体こそ九尾の狐。化かされて剛力は食われ、法印は逃げ伸びる。そこに弓の名手、三浦介、上総介が現れ、九尾の狐は退治される。
高僧、阿闍梨祐慶大法印がお供の剛力と修行の旅の途中、那須野ヶ原を通りかかる。その地で九尾の狐が人々に害を与えていると聞き、退治すべく向かうことに。旅の途中、一行は宿を借りるが、そこの女主人の正体こそ九尾の狐。化かされて剛力は食われ、法印は逃げ伸びる。そこに弓の名手、三浦介、上総介が現れ、九尾の狐は退治される。
能楽の「黒塚」「玉藻前」それぞれの内容は割愛するとして、能楽「黒塚」に登場する鬼女が鬼と化した由来に、「安達ヶ原の鬼婆」の伝承がある。
昔、都の公家屋敷に乳母として奉公していたいわてという女がいた。彼女が仕える姫は生まれながらにして不治の病におかされていた。いわては胎児の生き胆が病気に効くと知り、生まれたばかりの娘を置いて旅に出た。やがていわては奥州の安達ヶ原で標的の妊婦を待ち続ける。ある日、若い夫婦がその岩屋に宿を求めた。女の方は身重である。いわては女に襲い掛かり、腹を裂いて胎児から肝を抜き取った。だが、その女は、他ならぬ我が子だったのである。娘と孫を手に掛けたことでいわては精神に異常を来たし、以来、旅人を襲っては生き血と肝をすすり、人肉を喰らう鬼婆と成り果てたのだという。
昔、都の公家屋敷に乳母として奉公していたいわてという女がいた。彼女が仕える姫は生まれながらにして不治の病におかされていた。いわては胎児の生き胆が病気に効くと知り、生まれたばかりの娘を置いて旅に出た。やがていわては奥州の安達ヶ原で標的の妊婦を待ち続ける。ある日、若い夫婦がその岩屋に宿を求めた。女の方は身重である。いわては女に襲い掛かり、腹を裂いて胎児から肝を抜き取った。だが、その女は、他ならぬ我が子だったのである。娘と孫を手に掛けたことでいわては精神に異常を来たし、以来、旅人を襲っては生き血と肝をすすり、人肉を喰らう鬼婆と成り果てたのだという。
胎児の肝といえば、『今昔物語集』巻二十九第二十五話に、平貞盛が胎児の肝を採る話がある。
ある時貞盛に悪性の腫瘍ができたので医者に診せたところ、治療には児干(干は肝の省画)なる薬が必要と告げられた。貞盛は、息子の妻の腹にいる胎児を取り出すよう命じた。悲観に暮れた息子に同情した医者は、自分の血筋を引いた子どもは薬にならないと貞盛に告げる。そこで貞盛は屋敷にいる妊婦の腹を数人切り開き、やっとのことで手に入れたという。
ある時貞盛に悪性の腫瘍ができたので医者に診せたところ、治療には児干(干は肝の省画)なる薬が必要と告げられた。貞盛は、息子の妻の腹にいる胎児を取り出すよう命じた。悲観に暮れた息子に同情した医者は、自分の血筋を引いた子どもは薬にならないと貞盛に告げる。そこで貞盛は屋敷にいる妊婦の腹を数人切り開き、やっとのことで手に入れたという。
胎児の肝は、刀傷等の治癒に効能があると言われていた。先の貞盛の病も刀傷によるもので、実際、『看聞御記』に児干を求めて子を取る大人の存在が記されている。
そもそも聞く、この間、洛中洛外に子を取る者あり。諸方においてこれを取る。誰人の所為とも知らず、男・女房・僧・聖等これを取る、或いは子を取り返し、或いは打ち殺さると云々、悪瘡薬の料に取ると云々──『看聞御記』永享五年(1433)四月四日条
『春日社記録』には、建久九年(1198)五月、春日正預である中臣遠忠が奈良の春日若宮神主に訴えられたとの記録が残されている。原因は、不慮の事故で傷を負った中臣遠忠が児干を服用したことにある。児干は死人であるうえに、社司の身でありながら死人を食べるとはどういうことか、と追及があったらしい。
血や内臓が呪術的、怪異的なタブーを表現する場面は『今昔物語集』内でいくつか見られるが、派手なものの一つに、巻十一第十一話で人間の血で纐纈(こうけち:絞り染めのこと)を行う場面があり、『宇治拾遺物語』にも「慈覚大師、入纐纈城給事」巻一三ノ一〇」に見られる。
これに似た行為を行う、油取りという妖怪がいる。明治初頭の東北地方(岩手県遠野地方や山形県最上郡など)で広まっていたとされ、人間、特に若い女性や子供を攫い、その体から油を搾り取るとされている。伝承では、女性の油が美しいとされ、特に狙われやすいと恐れられていた。柳田國男の『遠野物語拾遺』には、油取りに関する噂が記録されている。この油取りのような怪異は日本各地に類話があるが、島根県には島根県飯石郡飯南町志津見では「子取り蔵」や島根県出雲地方に伝わる「子取りぞ」等、ことりぞなる怪異の伝承がある。子取りぞに至っては子供を狙うのは南京皿を焼くためだという。
これに似た行為を行う、油取りという妖怪がいる。明治初頭の東北地方(岩手県遠野地方や山形県最上郡など)で広まっていたとされ、人間、特に若い女性や子供を攫い、その体から油を搾り取るとされている。伝承では、女性の油が美しいとされ、特に狙われやすいと恐れられていた。柳田國男の『遠野物語拾遺』には、油取りに関する噂が記録されている。この油取りのような怪異は日本各地に類話があるが、島根県には島根県飯石郡飯南町志津見では「子取り蔵」や島根県出雲地方に伝わる「子取りぞ」等、ことりぞなる怪異の伝承がある。子取りぞに至っては子供を狙うのは南京皿を焼くためだという。
さて、コトリバコについてである。コトリバコは漢字で『子取り箱』と書く。寄せ木細工のような箱を作り、その中を雌の動物の血で満たし、間引いた子の身体の一部を入れる。嬰児なら臍の緒・人差し指の先、七歳までは人差し指の先・臓腑から絞った血と、部位は年齢により異なる。子供の数が多ければ多いほど呪いの力は増すという。
コトリバコは、明治元年(1868年)に島根県の隠岐諸島で発生した隠岐騒動の際に伝えられた、もしくは出雲本土に既にあったと言われている。
隠岐騒動は、島民が松江藩の郡代を追放し、自治政府を樹立した革命である。近海でしばしば異国船が出没する環境下で尊皇思想と自治意識が高まり、約八十八日間三権分立の体制を構築することに成功。しかし、松江藩の反撃で終結する。そこから落ち延びた男がある部落にコトリバコの作り方を教えたそうだ。この『男』は、隠岐騒動で松江藩に敵対した尊皇派の志士、あるいはたまたま島に住んでいた呪術師等の可能性が考えられるが、詳細は不明である。
コトリバコは、明治元年(1868年)に島根県の隠岐諸島で発生した隠岐騒動の際に伝えられた、もしくは出雲本土に既にあったと言われている。
隠岐騒動は、島民が松江藩の郡代を追放し、自治政府を樹立した革命である。近海でしばしば異国船が出没する環境下で尊皇思想と自治意識が高まり、約八十八日間三権分立の体制を構築することに成功。しかし、松江藩の反撃で終結する。そこから落ち延びた男がある部落にコトリバコの作り方を教えたそうだ。この『男』は、隠岐騒動で松江藩に敵対した尊皇派の志士、あるいはたまたま島に住んでいた呪術師等の可能性が考えられるが、詳細は不明である。
コトリバコは革新的な怪異話に見えるが、実は日本人が長らく積み上げてきた「胎児の肝を薬とする」という最も暗いタブーの記憶が、インターネットという新しい口承の場を得て、具体的な形を取って蘇ったものに他ならない。
乱筆ながら「コトリバコ」の創作性について、あえて個人創作であることを脇に置いて、伝承として成立しうる土壌を歴史的に検証した次第である。