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capter2 「悪夢」 SIDE E

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ParaBellum

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 それは何よりも、あたたかった。



 CR -code revegion- 第二章『悪夢』 SIDE D   抱擁




 扉の戸が開く、そこには1つのベッドと色々な機器が置かれている一室。
 ベッドの上にはわたしがよく見知る白髪の青年がいた。
「潤也…。」
 わたしは老婆の背から降りて、黒峰潤也の元に駆け寄る。
 一週間ぶりに見た潤也だった、やっと…やっと…ここまで来れたのだ。
「潤也、潤也…。」
 そこにいる潤也は瞳はあの狗との戦いの後と同じで、ただ虚空を見つめているだけだ。
 限界を超えたDSGCシステムの稼働、人間という存在の精神許容量を大きく超える思念の逆流。
 黒峰潤也はそれから己という我を守る為に、心を閉ざし世界から自分の精神を隔離する事によって、守ったのだ。
 だが、それ故に黒峰潤也の精神は未だに自分自身の作り上げた檻から抜け出す事が出来ない。
 いや、もしかすると彼は出ようとも思っていないのかもしれない。
 この現実に彼の逃げ場は無い、黒峰潤也はその自身の目の前にある絶望から目をそらす事が出来ないのだから…。
 黒峰潤也とはそういう人間なのだ。
 自分の目で見たのは真摯に受け止め、それに応じた行動を行う。見なかった振りをすることなど出来ない。
 けれど、もしこの現実と自身を隔離する事が可能であったなら、彼はそれを見ないで済むのだ。
 だから、彼はここから出てこようとはしないかもしれない。
 この世界は彼にとって悪夢のようなものだ。そんな悪夢を見ないですむ夢中夢の中にいるのだ。
 ある意味、黒峰潤也という人間にとってこれは幸福だと言えるのかもしれない。
 けれど、わたしは今その幸福を壊して潤也を悪夢の中にまた引きずり戻そうとしている。
 最低だな、と自分で思う。
 もし、わたし以外の人間がわたしと同じ事をやろうとしていたのならば、間違いなくわたしはその人間を許しはしないだろう。
 本当に…最低だ。
 潤也と目線があった、先ほどまで虚空を見つめていた瞳はわたしを見つめている。
 そうだよね、とわたしは思う。
 だって、この顔は潤也が一番、大事にしている人の顔なんだから…。
 だから、例え、心を閉じて外界との接触を断っているのだとしても、この顔だけはぼんやり映った風景のように流す事は出来ない。
 わたしはすっと息を吸った。
 これから求められるのはわたしがわたしでなくなる事だ。
 今、ここに琴峰藍と呼ばれる個体は存在しない。そうなるようにしなければならない。
『あの男』から渡されたかつての黒峰潤也とのあの子とのビデオファイルを思い出し、その光景をわたしは自分の中で反芻する。
 わたしは『わたし』じゃない、だから、呼びかける時にはいつもの呼び方と違う呼び方をしなければならない。
「ねぇ、お兄ちゃん、聞こえてる?」






 そこは暗黒だった。
 辺りのどこを見渡しても真っ黒で、まるでずっと目蓋を閉じて周りを見渡しているみたいだ。
 ここには闇以外の何ものもない、ただ、ひんやりとした闇が俺の周りを流れていく。
 誰かいないのかと俺は叫ぶ、けれどその声は闇にかき消されて、音として俺の喉から外に伝わる事は無かった。
 とにかく辺りを探ろうと歩を進めるが、周り一面の風景が変わらず闇ばかりの為、まるで自分が本当は歩いていないんじゃないかという感覚が襲う。
 途中で疲れて俺は歩を進めるのを止めた。
 かれこれずっと長い間歩き続けたが、周りの風景はまるで何も変わらない。
 人っ子どころか生物一匹いる気配が無い。
 まるでここは俺一人の世界じゃないか…と思った。
 そんな馬鹿なと頭を振り、また歩を進める。
 歩を進める。
 あたり一面真っ黒だ。
 歩を進める。
 あたり一面真っ黒だ。
 歩を進める。
 あたり一面真っ黒だ。
 どれほどの距離を歩いたのだろうか?とそんな疑問が俺の頭に浮かんだ。
 わからない。
 後ろを振り返ってもそこには同じ風景しか映らない。
 気が狂いそうになる。
 目を開いても閉じても同じ風景しか映らない。誰の声も言葉も聞こえない。何の臭いも感じない。
 俺は辺りを探る事を諦めて、疲れた体を休める為にそこで寝そべった。
 少しだけ闇が暖かくなる。それが少し気持ち良いと感じた。
 自分に与えられているのはこの闇の感覚だけだった。
 だからこそ、この暗黒の中で唯一感じる事が出来る暗黒の感覚を抱く。
 暗黒は俺に優しかった。ある時は暖かく、ある時は冷ややかに俺が欲しいと思ったものを与えてくれる。
 いつしか暗黒しかない世界に俺の精神は慣れ始め、それを居心地が良いと思い始めるようになった。
 ここは優しい世界だ。俺以外の人間の他の誰もがいない。苦しみも悲しみも憎しみもこの世界には無い。
 あるのはこの暗黒からもたらされるほんのちょっとの幸せ。
 その時、俺は気づいた、ここは俺の為の世界なのだと…。
 そうか……とふと気づく。
 俺が求めていたのはこんな世界だったのか…。
 最初は辛いとしか思わなかった世界も今はこの上ない程、居心地の良い世界として感じられる。
 ここには人と人との間に生まれるあの邪魔苦しい鎖が無い。
 他者を気にせず、ただ、俺一人がここにいる事が出来る孤独な世界。
 ここはそんな世界だった。
 寝返りを打つ。
 闇は暖かに俺を包む。居心地が良い、このまま闇に溶けて行ってしまいそうだとも思う。
 けれど、何故か、俺の心はここで休まる事は無かった。
 焦燥感が俺の胸を襲っている。

 ――――を殺さなければならない。

 そう俺に何度も訴えようとしてくるのだ。
 その思いが湧きでてくる度に俺は辛さを感じる。
 ここには俺以外の誰もいないというのになんでそんな事を考えなければならないのだろう?
 いいじゃないか、ここは俺以外の誰もがいないけれど暖かで苦しみも悲しみも無くて、優しい世界じゃないか…。

 一刻も早くここから出なければならない。

 どうやって出ろって言うんだよ、辺り一面が暗黒に包まれた世界でどうやってここから出る事が出来るって言うんだ。
 わからない、わからないよ。
 そんな難しい事はもう考えなくていい世界じゃないかここは、元々自分がやるような事じゃなかったのだ。
 ほら、俺はやれるだけやったよ、けれどここから抜ける方法は無いんだ。やれるだけやったんだよ。
 もういいじゃないか…。

 ―――それでも行かなければならない。

 なんでだ、なんでそんな頑ななんだ、俺よ。
 別にお前が頑張ったってお前が得る結果なんて咲を手にかけたという途方も無く絶望的な事実じゃないか…。
 なんで俺が見も知らぬ人間の為にそんなものを抱かなければならない?

 ――――見ろ、そして耳を澄ませ。

 声に従ってふと空の暗黒を見上げた、そこにはほんの無限に広がっている暗黒だけが映っている。
 (いや…。)
 ふと、俺はそこに暗黒とは違うものがあるのが見えた。
 針の穴程しかない、小さな穴だ。
 そこから少しだけ光が差し込んでいる。
 俺はそこに向けて歩む。
 ここは俺の為の世界だ、上下左右の関係も俺が思うままに変わる。
 だから俺は暗黒の空にあった筈のそれに歩みよる事が出来た。
 穴の近くまで来た。
 俺は穴を覗こうとするが余りに小さすぎて穴の向こう側を見る事は出来なかった。
 穴に耳を当てる。
 音が聞こえた。けれど音は雑音だらけで、何を言っているのかを理解する事は出来ない。
 まるで壊れたラジオがスピーカーから発する音だ。
 けれど俺はそれに耳を当て続ける。そんな中で、俺は一つの声を聞きとる事が出来た。
「ねぇ、お兄ちゃん、聞こえてる?」







 わたしの口から発せられた、その言葉はわたしの胸にちくりと棘がささるように突き刺さった。
 これは毒だと直感的にわたしはそう思う。
 わたしがわたしである事を否定する、自己の存在の否定、そんな毒。
 自分は黒峰咲とは違う人間だと必死に守ってきたアイデンティティを壊す毒。
 けれど、その言葉を発した後、心なしか先ほどより強くわたしを見つめているように思えた。
 それでいて何かに脅えるように体が震えている。
 その反応から、わたしの声が彼の閉ざされた世界の中に届いているのを確信する。やはり、間違っていなかった。
 彼を精神の牢獄から引きずり出す方法はこれだけだ。
「お兄ちゃんね、今まで凄く頑張ってきたんだよね、咲もね、凄く嬉しく思ってるんだよ、お兄ちゃんは咲の自慢なんだもん。」
 悔しかった、わたしの言葉では潤也に届かない、彼に届く言葉は彼が憎もうとしている最愛の妹のものだけなのだ。
 言葉を発するたびにわたしの心はズタズタに切り裂かれていくのを感じる。
 なんで、わたしじゃ駄目なんだろう?
 なんで、わたしはこんなに欠陥だらけなんだろう?
 潤也の助けをする事も出来ず、潤也の心の隙間も埋める事も出来ず、傷ついた潤也の心を癒してあげる事も出来ない。
 わたしが出来るのは最初から最後まで潤也を傷つける事だけだ。
 こんなに…こんなに好きなのに、なんでわたしはこんな事しか出来ないんだろう…。
 目頭が熱くなり、胸がきゅっと締めつけられるのを感じる。
 こんなに辛いのなら、心なんてなくて本当に言われた役割だけを無感情にこなす機械であったら良かったのに…。
 そうしたら潤也の望む道具にもなれるのに…。
「でもお兄ちゃんも疲れちゃったんだよね。大変だったんだよね、お父さんもお母さんもいなくなって一人で孤独な時間を過ごしてたんだよね。だからお兄ちゃん今、こんな風になってるんだよね。ごめんね、お兄ちゃんが一番辛いと思ってる時に咲はお兄ちゃんと一緒にいてあげられなくて…。」
 わたしが潤也と出会ったのは彼自身が苦悩し決断した後だった。だから、潤也の一番苦しかった時にはわたしはいない。
 いてもわたしはさらに潤也を苦しめるだけだったとは思うのだけれど、それでもその時、何かわたしが潤也の為にしてあげられる事は無かったのかと思ってしまう。
「きっと、お兄ちゃんは頑張れるだけ頑張ったんだと思う、もう休んでも良いよと咲も思ってる。きっと―――誰も恨まないよ…。」
 黒峰潤也は真実から目をそらして何も知らずその終わりの時まで待つという選択肢が取れなかったわけでもない。
 誰かがやれと言ったわけでもない。けれど、彼は自分が苦しむ事をわかっていて、あえてこの道を選択したのだ。
 そうでなければ、あれほどに自分の心を犠牲して闘えるわけなど無い。誰かに決められた事であるのならば、絶対に逃げてしまっている。
 けれど自分でそうすると決断したからこそ、あの苛酷な中で潤也は闘う事が出来た。
 絶望から目をそらさず真っ向から立ち向かい、己を殺し続け、人の身勝手な怨念に翻弄され、心身ともに疲弊しきり、それでも限界を超えても闘い続けた。
 だからこそ、もう休ませてあげるべきなのだ。

 だけど――――

「けれどね、お兄ちゃんは本当にそれでいいの?」
 潤也の瞳が大きく見開いた。
 黒峰潤也は今、己の世界にいる。きっと、この絶望しか無い世界と比べるならば、そこはどれほど幸福な世界だろう。
 けれど、それは黒峰潤也がやってきた今までの運命への反逆を全て無駄にし、水泡と化させてしまう事ではないのか?
「お兄ちゃんは今まで凄く頑張ってきたんだよね、お疲れ様って言ってあげたい。そもそも誰もお兄ちゃんに闘ってなんて言ってないんだから、休んでも誰も文句なんて言えないよ…………でもお兄ちゃんは、それで納得出来るの?」
 言葉は自然に出た。
 それはもはやわたしが潤也とまた一緒にいたいと思う心だけから発せられたものだけで無く、これまで共に闘ってきた者としてしなければならない、そんな使命感のようなものも入り混じっている。
 このままずっとこの状態でいたならば、黒峰潤也が今まで自分がやってきた事全てが無駄になってしまう。
 決して、口に出す事は無かったが、彼は苦しかった筈なのだ。何度も心が折れそうになった筈なのだ。
 けれど、彼はそれをあくまで自分の欲望と己を騙し、闘った。そこまでして闘ってきたこの数カ月を無駄にしてしまう。
 あそこまで身も心も削ったのに結局何もかもが水泡と化してしまう。
 たとえ、幸福の中に今、黒峰潤也がいたとしてそんな幸福に潤也は納得する事が出来るのだろうか?
「ほら、やっぱり…お兄ちゃん納得してないって顔してる、咲にはわかるんだよ?お兄ちゃんの妹なんだから…。」
そう、絶対に納得出来ない。確信を持って言ってもいい。それは絶対にわたしがわたしのやっている事を正当化する為の妄念なんかじゃない。
潤也だってこんな風になっているのは嫌な筈なのだ。幸福であってもそこに身を置く事を良しとしない筈なのだ。
 闘いの中、いつも潤也はわたしに辛く当たってきた、けれどわたしよりも厳しく自分を責めていた彼がそんな事を良しと するわけないのだと、わたしはその時、初めてそう思った。
 どちらにしても結局、彼は全てを忘れて行く事が出来ず、それを背負いこんでしまう。
 そんな事、ずっと近くで見てきたわたしが一番知っている事じゃないか…。
 けれど潤也は自身を守る為に作り上げた檻から出る事が出来なくなっている。
 ならばそこから早く出してあげなければならない。
 わたしは潤也にとって悪夢のような存在だ。それ以外になりたかったのだけれど、それ以外になる事を許されなかった。
 けれど悪夢にしか出来ない事も出来る。
 わたしはこれからさらに黒峰潤也というこの途方も無く愛しい人を傷つける。
 傷つける事でしかわたしは、黒峰潤也の為に何かをする事が出来ないのだから…。
 潤也はまだ自分を見つめている。自分の作った檻から出る事が出来ずただただ意思の無い目でわたしを見つめている。
 やはり声だけでは足りないのだ。呼びかける事によって反応はあったが、それ以上の成果が出す事が出来ない。
 黒峰潤也が自身の檻を破る手助け為にはもっとショックの大きいものが必要だ。
 ならば――どうするか?
 そんな事は、最初から決めていた。
 涙が頬を伝うのを感じる、さっきせっかく泣き止んできたのに、またわたしは泣いてる。
 わたしはぐっとそれを堪えようとしたが目から溢れるそれは止まる事を知らなかった。
 悔しいなぁ、なんでこんな風にしかわたしは潤也と接する事が出来ないんだろう?
 本に書いてあるみたいに普通に話して普通に笑って普通に一緒にいたいのに…。
 そう自分で問いながらもその解答はわかりきった話だ。
 わたしの声が、わたしの顔が黒峰咲そっくりだから、わたしは黒峰咲の体細胞から作られたクローンだから……だから、 どんなにわたしが努力しても潤也と普通に一緒にいる事が出来ない。
 わたしの存在自体が潤也を傷つけるのだ。ならばせめてわたしらしく、今回も潤也を傷つけよう。
「ねぇ、お兄ちゃん、今からお兄ちゃんの一番見たくないもの見せてあげる。咲から出来るのはこのぐらいだけれど…でも、これ見て何も思ってくれなかったら嫌だよ…潤也…。」
 わたしは腰にあるコンバットナイフを取り出し、その銀色の刀身に映る自分の顔を少し見詰めた後、そのナイフを振り上げる。
 後ろで見ていた男が、慌ててわたしの元に駆け寄ろうとする。
 それに構わず、わたしはナイフを振り降ろした。







 暗黒の世界。
 針の穴の大きさだった小さな穴が、少しずつ広がっていく。
 既にその大きさは人さし指が入る程の大きさに広がっていた。
 そこから俺は外の世界を覗く、そこには自分のよく知る少女が映っていた。
 きっとこれも幻影だ、在りし日のあいつを見て幸福に浸っていたいという俺の心が作りだした虚像だ。
 そうわかりつつも俺はそれから目を離す事が出来なかった。
 彼女は俺にねぎらいの言葉をかけ休んでいいよと告げる。
 このままこの世界、にいて全てを忘れて孤独に生きていていいのだと、そう告げるのだ。

「お兄ちゃんは本当にそれでいいの?」

 そう、そして自分のよく知る顔をもった少女がよく知る声で、何度も俺に問いかける。
 それでいいのだろうか?と…。
 良い筈がない、良い筈がないのだ。
 あいつは、咲は…この世界の全てを滅ぼす存在になってしまった。
 自らの犯した罪に押し潰され、あの怨嗟共によって心を壊され、この世に害なす鬼として生まれ変わってしまった。
 だから、俺はそれを殺さなければならない。
 その為に、あの全ての事実を知った日から闘ってきたのだから…。
 だけれど――――と思う。
 お前はこれほど愛しいと思っている目の前にいる少女を殺す事が出来るのだろうか?
 問うまでも無い話だ、あいつは目的の為になら俺すら殺してのけるかもしれないが、俺にはそんな事が出来るわけがなかった。
 今のあいつにとって命なんて意味を持たないモノだ、あいつの妄念に取りつかせたそれは命の意味を希薄にし、考えさせないようにした。
 確かにあいつの望みが適えば命の意味なんてこの世には無くなるのかもしれない。
 けれど、それはダメなんだ。
 俺は、そんな大層な人間じゃない。誰かの為に闘うなんて事はできやしない。
 ならば、この身を悪に染め上げ快楽であいつを殺す。
 論外だ、そんなものに堕落すれば、俺は今度は楽しんで虐殺するような人間になってしまうだろう…。
 ならば、どうしろというのだ! 

 そんな結論―――――

――――あの日に出しているじゃないか

 どれほど困難であってもお前はその理由によってしか黒峰咲を敵視する事が出来ない。
 毎日、毎時間、毎分、毎秒、毎瞬、己の中で反芻してきた、その理由。
 その理由によってのみ、黒峰潤也は黒峰咲に対し正当な理由によって敵意を持つ事が出来る。
 そうだ……出なくては……ここから出なくてはならない。
 そうやって俺は自分の意思を持って光の穴に指をかけた、既に光の穴はゴムボール一つ程度の大きさになっている。
 これを広げれば、俺がここから出れる程度の大きさになる筈だ。
 全力で穴に力を入れる、穴は少しづつ広がっていく…。
 よし、この調子でいけばこれを開ける筈だ。
 だが、半径10cm程の大きさまでに広がったが、それ以上大きくなる事は無かった。いや、それどころかまたそれは小さくなっていく。
 何故だ、と思う。
 ここがもし俺の世界なのならば、俺が心からここから出たいと思っているのならば出る事はできる筈だ。
 その心が少しでもあるからこそ、あの完璧な闇の世界にこのような穴が出来たんじゃないのか?
 じゃあ、何故なんだ?
 俺は今、これほどここから出たいと思っているのに、揺るがない決意と共にここにいるのになんでこの穴はこれ以上広がらない。
 これじゃあ、まるで―――

「まるで、僕は本当はここから出たいなんて思ってないからみたい?」

 背後から子供の声が聞こえた。
 俺以外の誰もいなかった世界に俺以外の声が聞こえた。
 闇に音が消し去られるこの世界で確かに聞こえたのだ。
 驚いて俺は後ろを振り向く、そこには一人の少年がいた。
 黒髪でTシャツにGパンを履いた、12歳ぐらいの少年だった。
 一瞬戸惑ったが、それが誰なのか俺はそう時間をかからずに理解する。
 その顔を見る事はほとんどなかったが、家族のアルバムに乗っていた写真からその顔はよく知っていた。
 少年は驚く俺を見てくすりと笑う。
 それに構わず、俺は、再び手を穴にかけ力を入れて穴を広げる作業を続けた。
 あんなモノに構っている暇はない。
 だが、穴は広がらずますます、小さくなっていく。
 クソ!クソ!クソ!!!
 なんでだ?なんでなんだ!?
 俺はここから出なくちゃいけないんだ、ここから出てあの憎い、憎いあの敵を殺さなければならない。

「くす、わかってる癖に、僕達はここから出たいなんて思ってなんかいないんだよ、だからそれはそれ以上大きくはならない。むしろそれに気づいているからこそ、そのわずかな隙間はまた閉じていこうとしているんだ。」

 五月蠅い、黙れ。
 妄念が知ったような口を叩くな!

「はぁ、そうやって君はこれからも僕を無視し続けるんだね、気付いているのに気づいていない振りをして、真実から目を背けて、自分ですら信じていない虚偽だらけの嘘をまるで本物みたいに扱って、そうやって生きていくんだね。」

 穴がどんどん小さくなっていく。
 このクソったれが!!!
 既に穴はさきほどの半分の大きさになっている。
 それを押し広げようと全力で力をいれるがまるでそれは開こうとはしない。

「それは力じゃ広がらないよ、この世界から抜け出すには思いの力が必要なんだ。」

 思い?そんなものは決意と共に持っているじゃないか、これ以上の思い等あるものか…。
 黙れよ、妄念、俺はここから出ないといけないんだ、ここから出て、あれを…殺さなければ…。
 俺が殺さなければならないんだ、俺がやらなければ、俺が…俺が―――

「はぁ、本当に強情、僕のことながら呆れてしまうよ。はぁ、仕方ない。ねぇ、僕よ、そこまでしてここから出たいのなら、ここから出る方法を教えてあげるよ。」

 ため息混じりに少年は俺に言う。
 もう穴は人刺し指がなんとか入るぐらいまで小さくなっていた。

「もう一度、その穴を覗いてご覧。それは君の瞳が現実で映しているモノを映してくれる。それを見るだけできっと君はここから抜け出す事が出来る筈だ。大丈夫、嘘じゃない、君と違って僕は自分に嘘は付かないんだ。だから、僕は嘘は言わない。騙されたと思って信じてみるといいさ。」

 万策が尽きていた。どんなに力を入れても、この穴は広がらない。
 だから、不本意であっても俺に残された道はその妄念が発した言葉を信じる事しかなかった。
 俺は穴から外を覗く。
 そこには先ほどと同じで咲が映っていた。
 俺の妹であり、俺の敵。
 それがそこにはいた。咲は目に涙を浮かべている。何かを喋っている。
 俺はそれを見て、何かを俺に伝えようとしているのだと、そう直感的に思った。
 俺はノイズの中から咲の声を拾い上げるようにして、耳をすませた。
 そして泣いて顔をくしゃくしゃにしながらも笑顔を作った後、
「お兄ちゃん、今からお兄ちゃんの一番見たくないもの見せてあげる。」
 そう言った後に、咲はどこからかナイフを取り出す。
 そしてそのナイフを振り上げ、自分の頭に向け、突き刺した。



 えっ?



 何が起こったのかわからなかった。
 刃渡り15cmの刃が咲の頭に刺さっている。
 咲の頭から血が流れだし、咲はそのまま膝を付いた…。
 何が起こったのかわからなかった、わかりたくなど…無かった。
 わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない。
 なんだ、何が起こった、何が起こったんだ?
 なんで咲の頭にナイフが刺さってる?
 なんで咲の頭から血が流れてる。 新手の奇術か何か…だよ…な?
 そうだよな?そうにきまってる、また咲は俺を脅かそうとして、倒れた後、俺を見て、ニコって笑って驚いたでしょお兄ちゃんと笑うんだよな。
 あれは血のりで、ナイフは遠近の錯覚を使ったトリックで、ちょっと遠くから見てると本当に頭にナイフが刺さったように見えるという、あれ。
 はは、危ない所だった
 そうだ、そうだよな、咲が自分の―――

「こんな時まで自分を騙そうとするのかい?わからない?僕らの大事な妹が自分の頭にナイフを刺したんだよ。」



 ―――――あたま……刺した?
 咲が?
 じゃ…じゃあ、あれは…あの咲の頭にある銀色は本物の…あ………あ、ああ…


 う、うあ、あ、ああ、あ、ああああああああああああああああああああああああああああぁああぁあああああああ!!!!!!!!


 咲、咲!!!咲!!!!!!!!
 待ってろ、今行く、今行くからな!
 俺が今、お前を助けてやる!!!!!!!!
 だから死ぬな!咲!!今行く、絶対に俺がお前を助けてるから!
 だって俺はお前の兄ちゃんだもんな、わかってる、わかってるよ、咲。
 穴の先に咲がいる、この穴を広げなければ咲の元に辿り着く事は出来ない。
 先ほどから何度も広げようとしても広がらなかったその穴だ。
 そんな事知った事か!俺は今すぐ、咲の元に行かなきゃならないんだ!!
 俺はそれに強引に指を入れ、力ずくで引き裂いた。
 闇は大きく引き裂かれ、外の光を中に入れる。
 そんな光景を目もくれずに俺は咲の元に駆け寄る。
 声をかける。
 けれど、どうしようもない、俺は頭にナイフの刺さった人間がどうすれば助かるのかなんて事は知らない。
 俺の持ってる医学知識なんて一般常識に毛が生えた程度のものだ。
 この状況に対して俺はあまりにも無力だ。
 なんで俺はこいつを助けてやる事が出来ない。
 どうすれば、咲は助かるんだろうか?
 どうすれば、咲は助かるんでしょうか?
 頭にナイフの刺さった人間を治療するにはどうすればいいんでしょうか?
 お願いです、神様、妹なんです、この世でたった一人の大事な妹なんです。だから、咲を助けてやってください。
 お願いです。この命と引き換えでも構いません、お願いです、誰か咲を助けてやってください。
 誰か――――――誰か!!!!!!


「理解しておいてくれよ、僕、それが黒峰潤也の真実だ。辛くなったらいつでもここに帰ってくると良いさ、僕は君を歓迎するよ。」


 闇の向こうにいた少年は、それを見つめた後、少し寂しそうな顔をして、また闇の中に帰っていった。





―イーグル本部地下五階―



 雑音が聞こえる。
 誰かが慌てたように喚いている声だ。
 もはや意識がはっきりとせず、聴覚がまともに機能していないせいか、それが誰の声かと判別する事は出来なかった。
 意識がどんどん希薄になっていく。
 まるで自分の中にある意識が、頭に刺したナイフからちょろちょろと漏れ出ているみたいだ。
 既に視力は失われている。目を凝らして潤也の方を見ようとするのだけれど、わたしの瞳が潤也を捕える事は無い。
 だからわたしには潤也がどうなったのかと確認する術は持たなかった。
 潤也はこちらに帰ってこれたのだろうか?
 わたしの体は何かに強く抱きしめられるのを感じた。
 ぽつり、ぽつりとわたしの頬に暖かい水滴が落ちているのを感じる。
 その腕から感じる温もりだけでわたしは誰がわたしを抱いているのか理解する。
 わからない筈がない、わたしが潤也と出会ったその日からずっとそれはわたしの奥底にあるものなのだ。
 例え、どのような事があってもわたしの中からそのぬくもりが無くなる事はない。


 あったかい。
 あったかいなぁ…。
 やっぱり、潤也の腕はあったかいよ…。


 それは決してわたしに向けられたあたたかさでは無いのだろうとわたしは思う。
 けれど、それでもそのぬくもりを感じているだけでわたしは嬉しかった。
 そうしてわたしは体に残ったわずかな力で潤也の体を抱きしめ返す。
 ほんのちょっとでいいから、この幸福の時をより過ごせるように……。


 ――――大好きだよ、潤也。






To be continued


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